★ 職 歴 紹 介 ★

職 歴 を し ま す 。
仕事の簡単な紹介と、転職理由です。




実は、このコンテンツ全体の目的は、「ペンション開業計画」です。
いったい、どんな人間がそんなことを考えているのか?
いったい、どういう経緯でそんなことを考えるようになったのか?
これまでの人生から読み取っていただければ幸いです。


コンピュータ業界に近いところにいたので、その関係の話が多くなります。
が、仕事内容のところ以外は、関係のない方でもお読みいただけると思います。

それぞれの話の中に矛盾点がありますが、人とはそんなものでしょう。
(スタートレックのMr.スポックではないのですから。)

時代背景については、私の主観でみていますので、ご了承ください。



就職を前にしての一試練  ’83年 (昭和58年) 7月頃 (21才)
 − 働くのはお金のためか? −

少し長い前置きでです。
もし、「オレは何のために働いているのか?」 と悩んでいる方はお読みください。
解決しないまでも何かの参考にでもなれば幸いです。
悩みのない方には、グチのように聞こえるかもしれませんので、この表は読み飛ばしてください。

当時の就職戦線は、好況ではないものの、今のような氷河期でもなく、
ほとんどの学生はどこかしらに就職できる、という感じでした。
(私は工学部でしたが、第一志望かどうかは別にして、
皆、概ね企業に就職していきました。)

初めて面接を受けたのは、外資系某石油販売会社だった。 ここは自分で選んだのではなく、学校からの紹介だった。

●最初は課長などが出てくるのではなく、人事の担当者の予備面接のようなもので、卒論や会社の仕事の話しなど雑談まじりで 進んだが、そのうち 「何のために働くのですか?」 と訊かれた

●当時は学生の身で、アルバイトをしたことがあるとはいえ、働くことの意味が 実感できずにいたので、「生きていくためには働くのが当然でしょう。」と答えた。
●すかさず、「生きていくためとは、つまりお金のためですか?」 と詰問に近い口調で問われた。

●今から思えば、やや誘導尋問のような気もするが、ここで返答に詰まった。 お金のためと言えば、間違いではないものの 「そう答えてはマズイ」 と直感した。 いかにも志が低いと思われそうだ
私はこのとき、問題の本質 −働くことの意味− よりも、外聞と見栄を気にしていた、と白状せざるをえない

●卒業したら親元を離れて自分独りで生活したいと考えていた私にとって、 就職とは「呼吸をするのと同じくらい、考えるまでもなく当然のこと」だった。( 呼吸をするのにワザワザ考える人がいるだろうか。) ここであらためて 「お金のためか」 と訊かれて答えられなかったのは自然の 成り行きだった。

●この会話を経て、人事の担当者が 「老婆心ですが」 と前置きして下の本を 紹介してくれた。
「働くということ」、 こんなことを今でも覚えているのは、「老婆心」 という普段使わない言葉を 耳にしたのと、「お金のためか」 という問いが突き刺さったためだろうか。
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    本の紹介

  ・書名 「働くということ」
  ・著者 黒井千次 氏
  ・発行 講談社現代新書

★この本には、自動車メーカに就職し、後に作家となった著者の体験談が つづられている。

★前半では、会計課でソロバンと出会った話、調査室員としての伝票調査の話し、予算書の計算を 間違えたときの話し、組立現場で溶接作業をした折り、目がつぶれるのではないかと肝をつぶした話し、など著者の経験談が語られる。
★後半では、作家として独立してから見た 「働くということ」 に対する意識の持ち方、または、無意識のうちに何をしていたか、が分析されている。

★結論だけを抜き出せば、「働くということは自己表現である」  ということになるのだが、この一言だけでは言い尽くせない様々な体験談と、著者が関わった人達の、「本音の言葉と体験」 が書かれている。 日々の生活の中で 「自分が存在しているとは、どういうことか」 について 時代と世代を越えた人の営みが引き合いに出される。

★もっとも、伝票処理や、経費節減のため電灯をこまめに消す話など、身につまされることもあり、苦笑してしまう。 おまけに、「これだからこの会社はだめなのだ.」と言うところなど、全く同じだ。おそらく他のサラリーマンの方も経験のあることだろう。
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●せっかくの老婆心であったが、当時21才だった私は、この本を読んでも あまり大した感銘を受けなかった。 理屈はともかく、まずは就職することだ、ぐらいにしか思わなかったので ある。

●後日、再度面接を受けた私は、「お金のために働くということは厳然たる 事実として存在すると思います。ともかくも働いてみなくては話しが始まら ないのではないでしょうか。」と言った。 ここで、一応本試験に進めた。

● 結局、この会社は本試験で不合格となったのだが、試験に落ちたという事実 以上にイヤな思いをした。それは、自分の外から「会社」というものが ぶつかってきて、何の準備もなかった私は、ひとたまりもなく はじき飛ばされたという自覚があったから であろう

●このページを作成する、さらに言えばペンションを開業するあたり、 17年間本だなに埋もれていたこの本を再度読み返してみて、・・・・・驚いた。

 「自己表現」 という忘れていた言葉を、今こそ実感できたから、というだけではない。
 (私もメーカに勤めているせいもあり、この本の中に書いてあることと同じような経験をしている。物作りの中に自己を埋没させ、できあがった製品を前にして、「この中にオレの仕事がある」 と確かに実感した。)

●しかし、それより驚いたのは、むしろ、前記したように就職する前は、この本を読んでも、さほどのことも感じなかったことに、今気づいたということだ。

働けば当然実感することであるが、当時の私はなんと、もののわからない人間だったのだろう、とあらためて 自己認識の甘さを突きつけられたようだ。 それでも、17年たった今にして、この試験に落ちたという経験が、やっと自分のものにできたと感じる

● 17年・・・、 「働くということ」 は やはり理屈ではないのだ。




最初の会社

就職年月日 ’84年 (昭和59年) 4月 1日 (22才) 時 代 背 景

●入社して2,3年したら、「円高不況」となった
●数年すると、
「円高、株高、原油安」といわれ、バブル好景気の 始まり、始まり・・・・・。

●この時期、コンピュータ業界では ソフトウェア危機 と言われていて、「21世紀には、日本人1億人が全員プログラマーになっても、まだ足りないだろう」、と予想されていた時代である。
なんという無責任な予想だろう

●パソコンのOSは、MS−DOSでした。
勤 務 地 神奈川県 海沿いの町
会社概要 ・中堅の外資系コンピュータ・メーカ
・従業員、約5,000人
選んだ理由 とにかく、親元から離れて独り暮らしがしたかった。
・元々、「寄らば大樹のかげ」 という大企業でなく、程々の中堅企業を志向していた。あまりに大きい会社では自分が組織に埋もれてしまう気がした。
仕事内容 ・扱っていた製品はPOS(要するに、お店にあるレジのこと)。
・実務は、POSに内臓しているマイコンのソフトウェアの開発。
・POS内のデバイス・ドライバーに相当するプログラムを担当した。
退職日 ’89年 (平成元年) 12月 30日 (28才)

転 職 理 由
 入社6年目になり、仕事がマンネリ化して、生活が平坦だった。
 それでもやり方によっては、面白くもできたと思う反面、何となく、ぬるま湯に浸かっているようでもあった。

「ここらで一発何かやってやろうか」と思い、小さな会社を志向した。
最初の会社は中堅といっても、従業員も多かったので、自分が組織に埋もれる気がしたせいもある。
 当時は、バブルの絶頂期だったので、多少の失敗をしても食うに困ることは無いだろうとも考えた。

しかし、あまり首都圏から離れては、仕事もない。
そこで、「群馬県、そう前橋、高崎あたりならちょうどいい」ということになる。
実家も近いことだし、一石二鳥だ。

転職先は、雑誌で調べた15人程度のソフトハウスである。
この会社なら組織に埋もれようが無いのも良い。
しかし、最大の理由は、スキー場が近い所がいい」である。
 当時はスキーのために働いている、という状態だった。

2つ目の会社

就職年月日 ’90年 (平成2年) 4月 1日 (28才) 時 代 背 景

●コンピュータ業界では、「分散処理、マルチベンダー」 という言葉が流行。

●雑誌では、数年前まで、「IBMこそ世界一の超優良企業」と、ほめそやされていたが、一転して、「大型汎用機の時代は終わった、IBMこそコンピュータを使いづらくした諸悪の根源」 のようにコキおろされる。(なんという変わり身の早さか。)

マイクロソフト、インテルの独り勝ち時代到来。
●政府筋は景気の過熱・インフレを懸念し、「景気のソフト・ランディング(軟着陸)」、ということを言い始めた。
とたんに、様々な会社で不良債権が明るみに出て、「バブルがはじける」、という平成大不況の始まり、始まり、・・・・・。

●パソコンのOS、Windowsは、まだVer3.0という頃でした。
勤 務 地 会社自体は群馬県 前橋市
 (実際の仕事場は、東京や群馬県内の各地)
会社概要 ・独立系のソフトウェアハウス
・従業員、約15名
 (中途採用と退職が頻繁にあった。)
選んだ理由 ・小さな会社で踏ん張ってみよう、という気持ちがあった。
・関越道の前橋ICまで、車で5分という、「地の利」も大きい。
仕事内容 業務アプリケーションを開発。(大型汎用機用)
・言語はCOBOL 。
 (今でも動いているのでしょうか?)

・某電力会社、某大手電機メーカ、群馬県周辺の計算センターの仕事を請け負っていた。

・ある時期は東京、またある時期は群馬県の高崎市、太田市と仕事場が、よく変った。
・それでもこの時期は、いろいろな環境を知りたいと思っていたので、望んだことでもあった。
退 職 日 ’92年 (平成4年) 3月 31日 (30才)


転 職 理 由
ユーザの環境に出向くため電車、車を使って、あちこち移動するのが、
肉体的にも精神的にも負担が大きかった。

それに加えて、信頼できる上司が、相次いで退社したこと、
 残っている社員が22、23才と若く、自分との年齢が離れていることもあり、
ものの見方・考え方・趣味・生活態度などが全く合わなかった、など
場違な感じがしたことが大きい


3つ目の会社

就職年月日 ’92年 (平成4年) 5月 20日 (30才) 時 代 背 景

●世は平成大不況に向けて一直線。
この会社の中途採用に、スベリ込みセーフという感じだった。
●ここに入社当時は、
「Windows」などまだ使い物になるような代物ではなかった。
Windows95発売。
インターネットがこんなに普及するとは

●巷でうわさの、Linux は・・・。
勤 務 地 埼玉県 (深谷市に在住)
会社概要 ・電機メーカ
・従業員、約1,000人
選んだ理由 田舎の工場で、腰を落ち着けて仕事したい、という気持ちになった。
 (あちこちに出向くのは、落ち着かないし、性に合わなかった。)
仕事内容 ・埼玉県北部の工場に勤務。
・電機機器に組み込みのマイコン・ソフトウェアを担当。




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