回答:
『エヴァンゲリオン』の不可解なところは、自分が誰に惹かれているのかを当のシンジ自身が分からないでいる点です。これこそ『エヴァンゲリオン』という作品にとって重要かつ最も根本的な点でもあります。しかしながら西洋人の『エヴァ』ファンの多くがこのことに気がついていません。もともとが日本の視聴者を対象に作られたTVシリーズであること、それに、そういう視聴者ゆえの内容であったことがどうしても関わってきます。
現代日本におけるティーン文化は性的なものにはもともとかなり厳しいところがあって、ANIMEのおいても性的な要素は仄めかしにとどまるのが普通です。日本の子ども達は高校や大学の入学試験のためにひたすら勉強するよう指導されるため、異性とつきあうことについては縁がなかったり、ほとんど何も知らないまま育ちます(いつの時代の話だろう -- 訳者)。
このことはANIMEでも顕著に表れています。男の子は男の子で固まって行動するし、女の子は女の子どおしで時間を過ごすことのほうが多く、男女が混合で群れたりする描写は比較的少なくて、いわゆる「デート・マニュアル」がANIMEで登場することはあっても、それはいかに相手と一夜を過ごすかという内容であることよりは、どうやって相手を不快にさせないように振舞うべきかという、やや消極的な内容であることのほうが多いようです。
押しが弱くて気の小さい男の子、または女の子に対して奥手な男の子が主人公の作品はいくつもあります。『エヴァンゲリオン』『花右京メイド隊』(訳註1)『天地無用!』それに『ラブひな』等の主人公の少年はいずれも現実の日本の男の子を戯画化したものです。異性に興味があるもののどう付き合っていいのか分からないために、実際に女の子に囲まれるとパニックになってしまうという点で、これらの作品の主人公たちは共通しています。
例えば『天地無用!』の女の子たちはみな主人公の天地くんを好いており、もともとが地球の人間ではないということもあってか、自分の気持ちをためらいなく開けっぴろげに口にするのですが、日本男子たる天地くんはというとこの女の子たちに囲まれてうろたえるばかりです。
『ラブひな』も同様で、ここに登場する女の子たちはみな本当の姉妹であるかのように仲がよいものの、彼女らの暮すひなた荘という女子寮に景太郎という男の子が新住人として現れるや、パニックを起こしてしまいます。それは当の景太郎もそうで、美少女たちに囲まれてどう振舞ったらよいのかわからず困ってしまうのです(訳註2)。
『エヴァンゲリオン』でも、日本の男の子と女の子があまり異性との付き合い方に慣れていない現状がうかがえます。シンジは要するに女の子に縁がなく、不安定で自意識過剰で、確固たる自分というものを持てないでいる今時の日本の男の子の典型なのです。この『エヴァンゲリオン』というTVシリーズは視聴者の男の子たちにむかってこう語りかけているのです。青春期において迷ったり怖れたりするのは別におかしなことでもなんでもない、ごく正常なことなんだよ、と。
訳註1 '04年6月、米国での発売をジェネオン・エンターテイメント社が公表。しかし、これは続編シリーズのことらしい。第一シリーズそれにOVAについては不明(Anime News Network より)。
訳註2 ちなみに日本の「Windows100%」という月刊誌の'04年8月号でのインタビューでジョン様は嫌いなANIMEキャラとして『エヴァンゲリオン』のシンジ、『天地無用!』の天地、『ラブひな』の景太郎を挙げている。
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