京都観光タクシー同友会の観光案内
【竜安寺】《臨済宗妙心寺派》075-463-2216
◆龍安寺の紅葉 2010年11〜12月
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◆龍安寺の桜花2011年4月
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| 2011-4-14 | 2011-4-18 | 2011-4-18 |
1450年(宝徳2)、室町幕府の管領、※細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け、妙心寺義天和尚を開山とし寺に改めた。当時、威容を誇ったが、応仁の乱やその後の火災で焼失する。その後は細川家の菩提寺として絶大な庇護をうけ、豊臣秀吉、徳川家康等からも寺領の寄進をうけた。塔頭20余りの大寺となったが江戸中期、方丈を残して焼失、現在の姿となる。
※細川勝元(1430〜1473) 室町中期の武将。足利八代将軍・義政に仕え、幕府の管領となる。将軍家の跡継ぎ争いで、山名宗全と対立、応仁の乱には東軍の総大将として戦い、勝敗が決する前に死亡。
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| 秋の参道 06_11_29 | 鏡容池 10_11_27 | 方丈庭園 06_11_29 |
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| 方丈庭園 06_2_9 | 方丈庭園 07_4_18 | 開山堂 |
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| 春の参道 06_4_9 | 桜と竜安寺垣 06_4_18 | 回遊庭園 06_4_18 |
◆鏡容池 塔頭・大殊院の前に広がる池。徳大寺家の山荘の遺構。弁天島、伏虎島などを浮かべる。池泉舟遊兼回遊式の庭園。かつてはおしどりが群れ遊んでいたところから別名おしどり池とも呼ばれた。
◇竜安寺垣 参道の竹垣は竜安寺垣と呼ばれる。
■方丈 西源院の本堂(1606年建立)を移建したものと伝える。仏間には釈迦如来像、開山義天和尚、細川勝元の像を安置。
◆方丈庭園[特名・特史] 石庭として世界的に有名。面積約100坪、柿葺油土塀に囲まれた枯山水の平庭で、「※虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。白砂に15個の石(七、五、三)を配した庭で、15個の石を一度に見ることはできない。バスガイドさんによると心の目で観るそうだ。樹木を植えないのは砂庭を海洋に、岩石を島にかたどったからとも、あるいは細川勝元が男山八幡宮を遥拝するために植えさせなかったともいわれている。作庭は伝・相阿弥。
※虎の子渡しの庭 漢の江陵で太守を慕い、人々はもとより虎までが子をつれて大江をわたったという故事がある。
@知足の蹲 「吾唯足知(われただ足るを知る」の四文字を図案化した蹲。水戸光圀が「大日本史」の編纂にあたり、当寺の『太平記[重文]』を参考にしたのに対し、謝礼として寄進したと伝える。「知足(分に安んじて貪らない)の者は、たとえ貧しいといえども富めり。不知足の者は富めりといえども貧しい」という仏教の教え。
◆佗助椿 朝鮮出兵のおり、朝鮮から持ち帰った日本最古の佗助椿と伝える。
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■大殊院 竜安寺の塔頭で、真田幸村の墓がある。拝観はできない。
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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