聖母宮境内

  天正二十年、豊臣秀吉の朝鮮出兵令により、加藤清正、渡海。逆風の為、この
  地に滞在の折り、表門と石築地を造営寄進。肥前鍋島氏は裏門を造営寄進。


 
【表門】

 加藤清正の造営寄進したもので、門標に清正の家紋「蛇の目」が刻み込まれていた。明和五年、勝本の富豪土肥一兵衛が表門を改築する時、土肥家の家紋「蔦」に改めたという。


【裏門】

 肥前守鍋島氏の造営寄進したもので家紋「抱き茗似」の紋が刻してある。


 


 【石築地】

 天正二十年、加藤清正は、豊臣秀吉の朝鮮出兵令により渡海逆風の為留中、聖母宮社地廻りに東西三十間南北十六間二尺余周囲一町三十間、高一間の石垣を築石する。


手水鉢】

南洋一パラオ島産 大シャコ貝(四十三貫)
寄進 昭和十四年五月吉日
立石 孝信(勝本町出身)
  
(由来)

 立石氏は南洋郡島ポナペ島において、御大典記念事業をして大神宮造営の発起人の一人として、又、造営委員長として造営監督の任にあった。シャコ貝は特別に南洋庁長官の寄進によるもので、片方はポナペ大神宮の手水鉢として備え付けられた。もう片方は、氏の慰労として贈与されたものを聖母宮の手水鉢として寄進された。氏は「一方は南洋ポナペ島北端の大神宮に、一方は壱岐北端の聖母宮に、共に御手水鉢として完全に神前にその任を果たすことなり。」と由来書を添えて寄進されたものである。

 



 


 【馬蹄石(竜石)】

 神功皇后の足跡とその神馬の足跡といい伝わる。皇后の足跡が西に向くは、敵国降伏を守護すると社前の刻する。皇后の竜馬の両足が東に向くは国家擁護する也と刻する。石碑には馬蹄石 正三位伯爵源詮書(平戸藩主 松浦 詮)と刻まれている。