| 健康観異なる日本 |
「確かに日本は世界一リッチで、世界一寿命が長い。それがどうしたって言うのかい?」「イギリスと日本を比べると、男女とも約三年、日本人が長生きだ。でも、最後の三年間、ベッドに横たわって、来る日も来る日も、点滴を受けているだけじゃないのかい?」「どうして、日本人は風邪ひいただけで、病院に来るんだい?風邪だけじゃない、ちょっと下痢したとか、ミツバチに刺されたとか、頭が痛いとか、日本人はとにかく、病院が大好きだ。こんなつまらないことで、医者や看護婦の貴重な時間を割いていることに、どうして罪の意識がないんだろう?全く不思議な人たちだ」
矢継ぎ早の質問に僕は言葉を失っていました。僕がイギリスでGP(かかりつけ医)として在英邦人医療をしていたころの話です。押し寄せる日太人の診療に追われる僕に、舞台裏でイギリス人スタッフたちからの質問は後を絶ちません。一方、診察窒においでになる日本人の方々からのイギリス医療に対する質間や苦情もすごい剣幕でした。「イギリスの医者は熱があってもなかなか診てくれない」「夜中に救急病院に行ったが、五時間も六時間も待たされて、結局、近くの薬局で薬を買ってきて飲めという。全くイギリスの医療はひどいものだ」「頭をぷっつけたんだが、CT(コンピューダー断層撮影)もMRI(磁気共鳴画像)も撮ってくれない」
このイギリス人スタッフの疑問と日本人患者さんたちの怒りの間に挟まれた僕は少々むなしい想いに駆られながら、日々、その事情を説明し続けました。それはこんなことです。すなわち、イギリスはとても医療資源が少ないということ。人口比を考慮しても医師数は日本の約90%、病院数、ベッド数はそれぞれ51%、46%、診療所にいたっては26%。唯一多い看護婦数が138%。僕が帰国した1995年末の時点で、ロンドン大学の本院にもMRIがありませんでした。次に健康は自分で守るべきもので、風邪や下痢などは医療の対象でないこと。日本と違って医療薬と市販薬の差が極めて少なく、大抵の薬は街の薬局で、処方せんなしで手に入るということ、などなど。
病気やけがをどんどん医療機関に任せることで、長寿を得た日本人。「最も長寿の国の国民」は「最も健康管理能力を失ってしまった国民」ではないのか。日本の医療や、健康観というものが、どこかとんでもない方向に向かい始めてはいないか。僕の心に何か釈然としないものが横切っていきました。
◇鬼頭清裕 精神科・脳外科医。東京医科歯科大卒。米国立衛生研究所留学後、都立松沢病院など勤務。94年から英国GPとして在英した。42歳
朝日新聞から引用。「心をつづる」より