

船場のよび名については、浪華の湊華の船つき場であると云う説が一般的であります。
その外には、船場は古来戦場になったところであり戦場の戦が船に変わったと云う説、或いは豊臣時代城郭の外で馬を洗った所即ち洗馬からきていると云う説もあります。
船場の二文字が文書に見え出すのは慶長の頃からですが、「船」の文字は訓読して、いわゆる重箱よみになっています。
船場は北は大川、土佐堀川、南は長堀川、東は東横堀川、西は西横堀川にかこまれた地域であって、本町通り以北を北船場、以南を南船場と云い、また淡路町から心斎橋の辺は中船場とも呼ばれていました。
