A君のお母さんより
昨年、執拗なイジメ暴力受けていた最中に空手に入門した息子でした。福岡のいじめ自殺事件やイジメ被害生徒の文科省への自殺予告手紙のニュースを見るにつけ、その実態が息子の時と余りに同じで胸が潰れます。
あの時と何も変わらずにイジメに無策な学校現場が多い事に慄然とします。期待に胸膨らませ入学した中学校。「行ってきます」と朝出掛ける息子がまさか連日同級生数名に囲まれ「ウザイ、死ね」等の暴言浴び、学用品は壊され、些細な事で一方的な暴力を受け続け、息子と喋ればお前もヤル!と友人は脅かされ全く孤立させられた状態に居るとは、最初は親である私も信じ難い事でした。休み時間の度に、教室移動の時に、ある時は担任の目の前でもそれは執拗に繰り返されていたのです。学校から「子供さんが怪我を…」の電話度々受ける様になり、中の一件は後頭部強打されて鼻血出したので病院でCT検査受ける方が良いか尋ねる電話。いったい学校で何が起きているのか、動転しつつ病院に駆け付けました。養護教諭の付き添いで検査を待っていた息子はその手に何故か保健室にあったというイジメ関係の本を持たされて居ました。学校はこの時点でこれはイジメであるとの認識がはっきりしていた訳です。その日から息子を救う闘いの日々が始まりました。学校に何度話し合いに足を運んでも、校長に息子が窮状を訴える手紙を書いて校長が謝罪しても、勿論加害生徒・保護者と話して後も学校側が約束した実行性ある対策は守られず、既に日常化していた息子への攻撃はまるでレクリェーションの様に繰り返され、他のケース同様トイレに連れ込まれ殴られたり、水泳パンツを下げられたり。思春期にある子供にとってそれは耐えがたい屈辱でした。
明るさを装っていた息子も、とうとう心身に症状呈するに至りました。学校とは実に特殊な世界で、一般社会で起これば明らかに罪になる事が、ただ学校内で起きたと云うだけで加害生徒も指導する立場の教師も責任問われる事は殆んど無いのです。「君も強くならなくちゃね」…無力な担任に代わり、その学校で幾分マシな先生が息子に掛けた言葉でした。加害生徒への強い指導無しに、死ぬ事まで頭に浮かんでいた息子に対して「強くなれ」とは…暗澹とした思いに駈られながら「本当に強いとはどういう事か」と悩み、星和道場の門を叩きました。
息子の置かれた状況を師範に理解頂いての入門でした。私共がそうだった様に、一旦イジメのトンネルに入り込むと埒が明かない学校との話し合いに親も疲弊し切って、そんな最低の人権さえ守れない学校を尚も頼ろうとしてもがくのです。でも師範と師範の知り合いの先生に相談する事で「解決出来ない学校に行き続ける必要は無い。生かされる場所は他にきっとある」と気付かされました。吐気・胃痛で受診した時の「転校すれば治る」との医師の一言も決め手でした。ヤラレた側が転校余儀なくされるのは釈然としませんし本来おかしな事ですが、何より子供を救うのが先決、学校を早く見切る事も必要なのです。その時に本気で救おうとする大人が居るか、それこそが重要です。そう決意してからは「イジメを決して許さない教師の居る学校」を求めて教育委員会、教育相談室、警視庁管轄の少年問題相談室、イジメ問題に精力的に動いているNPO団体、地元の議員の方々、果ては法務省人権擁護局と素人の考え付く全ての機関に出向く日々でした。頼りになりそうと期待するも実際は「お役所的あしらい」に終わった所もありました。でも諦めずに動く中で励まし支えてくれる方々とも出会いました。教育委員会内で息子の悲惨な状況が上の責任ある方々まで伝わったのは、議員の方が熱心に働き掛けてからの事でした。
社会的後ろだての無い一介の親子の訴えなど、公的機関と云えど中々届かない現実も思い知りました。学校側に教育委員会からどの様な指導あったものか無かったものかは窺い知る事は出来ませんでしたが、その後で真剣に問題を取り上げてくれた教育委員会の勧めにより、安全安心な別の学校に転校叶い、現在は元気に通っています。あの時星和会に入り、針の筵の様な辛い学校の他にも全く違う世界があると実感出来たのは息子にとって正に精神的救いでしたし、まるで心の迷宮に入り込んで居た私共が解決に向かう道を見つけるきっかけになったのも星和会との出会いだったと有り難く思います。
この度、一連の私共の体験をホームページに載せてみないかとの師範の言葉を頂き、今も悩みの渦中にある方々が居たなら「決して諦めないで!理解して支えてくれる人はきっと居るから」と伝えたく書き綴りました。一年経った現在も区の教育相談室には定期的に通い、いわゆる心のケアをして頂いています。それだけイジメを受けた側の傷は深いのです。息子は(勉強はまだまだこれからですが)道場に通うのは大好きです。空手を通して本物の正義感や人としてあるべき姿を今後とも学んで欲しいと心から願っています。
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