日本の風景<四国・九州>
佐田岬灯台
豊後水道に突き出た佐田岬は、その付け根にあたる八幡浜から車でほぼ一時間、さらに尾根に架けられた山路を歩いて30分ほどで先端部にたどり着くことができる。三月、山椿咲くその山道の往復に出会う人はいなかった。
2001.1.262001.1.26 佐田岬と対岸の大分県佐賀関との間は豊予海峡(速吸瀬戸)と呼ばれている。 このスケッチの中央に広がる海がそれである。 四国(愛媛県)と九州(大分県)とを隔てる海は流れのはやい事でも知られている。 無人の灯台に佇んで対岸を見つめていると強い風の音に混じって岩にぶつかり砕け散る波の音が下方から沸きあがってくる。 灯台の周囲には椿の原生林が広がり、その素朴な赤い色彩が無人の灯台の孤独な姿を精一杯の明るさで包んでいた。 漁船であろうか・・・流れに逆らって一箇所にじっとして動かない小船が印象的であった。

足摺岬・椿のトンネル
高知県土佐清水市の南端が足摺岬である。訪ねたのは二月の暖かい日であった。足摺岬の港は昔ながらの日本の小さな漁村になっていて入り江にへばりついているような集落を抜けると浜に出ることができる。一方岬の先端部まではこのような椿の小路が続く。
足摺岬は暖地性の常緑樹に覆われた断崖が1キロほど太平洋に突き出ている。その尾根道がこの椿のトンネルである。椿の古木がうっそうと重なる中を、切り開いた小道で、赤い一重の花が豆電球のように小道を照らしている。 また、落下花が生命をもっていたときのままの姿で道端に敷き詰められ、さながら木の下闇を通り抜けるわれわれを導いてくれるかのようである。 1995.2.11

えびの高原より韓国岳を望む
宮崎県の西部、鹿児島県との境に広がるえびの高原は、目の前の聳える韓国岳(からくにだけ)の登山口でもある。中腹にはあちこちから煙や水蒸気が立ち上り、活火山地帯であることを示している。スケッチは山頂に向かう登山道を描いたものである。
宮崎県から鹿児島県に広がる霧島国立公園・・・霧島連山の主峰が韓国岳(カラクニダケ)である。登山口にあたるえびの高原からは、眼前に聳える韓国岳の特異な山肌をしっかり捉えることができる。 あちこちから立ち上る水蒸気や硫黄の噴出、そしてその音までが風とともに伝わってくる。二時間ほどで頂上に立つことができる。 頂上からの眺めは神話の高千穂 山をはじめ見事なパノラマ。 また、周囲1キロほどの頂上は 深さ500M程の火口原となっていて神秘的な雰囲気をかもし出している。 1996.2.14

薩摩半島・長崎鼻灯台
鹿児島県の南西部薩摩半島には砂風呂で有名な指宿温泉、ネッシーならぬイッシーで知られた九州最大の湖・・・池田湖、そして美しい姿の開聞岳など多くの観光名所がある。この半島の突端部に長崎鼻灯台がある。西には開聞岳が、そしてスケッチの海上に見える陸地は鹿児島県東側の大隈半島である。
長崎鼻灯台は薩摩半島の最南端である。 薩摩半島一帯は、火山が多数噴出し、互いに重なり合って出来た丘陵性の地形になっている。 その火山の中でも薩摩富士とも呼ばれる開聞岳、池田火山が陥没して出来たカルデラ湖である池田湖、湯量の豊かさでは全国有数の指宿温泉・・・・・がこの狭い地域に集中しており、長崎鼻灯台を含めて、一大観光ルートとなっている。 長崎鼻からは、対岸の大隈半島 そして、海上に浮かぶ姿の開聞岳が特に美しい。 1996..2.11

知覧・矢櫃橋
太平洋戦争で特攻隊に志願した青年航空兵の多くは、薩摩半島の知覧航空基地から南方に出撃して行った。今ここは知覧特攻平和記念館が置かれ、多くの参観者が訪れている。
知覧には250年程前の島津薩摩藩の武家屋敷郡がひっそりとした佇まいを見せている。 特に、城址のある丘陵に沿って流れる麓川一帯は、情緒あふれる風景が続く。 矢櫃(やびつ)橋もそのひとつである。小さな渓谷にかかるこの橋はすべて石造りのめがね橋になっていて、下を流れる渓流は夏になるとホタルが飛び交う名所でもある。 知覧は西鹿児島からバスに乗って一時間ほどのところで、薩摩半島南部にある小京都・・・とも言われている。 1996.2.11

国東半島・三浦梅園旧宅
大分県の国東半島めぐりで三浦梅園の旧宅がこの地にあることを偶然知った。国東半島は「御仏の里」といわれる。全国の八幡宮の総本社である宇佐神社をはじめ、熊野磨崖仏、九州最古の木造建築物である国宝の富貴寺、国東半島最大の仁王像のある両子寺など独自の仏教文化が栄えた。
江戸後期の思想家三浦梅園は天球儀をつくり星の観察を行って、地動説を唱えたり、経済学に詳しかったり、条理学という哲学体系を開いたりした万能人である。 この旧宅には、手作りの天球儀や 当時の顕微鏡などが置かれている。しかしなんと言ってもこの静かな佇まいが絵心を誘う。 屋内は梅園の生涯を辿った展示場になっているが、当時の鎖国下における限られた環境の元では抜群の知識人であったことがしのばれる。 1995.12.24

沖縄石垣島・宮良殿内
石垣島の宮良殿内(みやらどんち)は、琉球王朝時代をしのばせる佇まいである。訪れたのは12月であったが亜熱帯地域独特のブーゲンビリアやハイビスカス咲き乱れる風景であった。石垣島には亜熱帯性植物の自然林が保護されていて、沖縄の原風景のなかに身をおくことができる。宮良殿内はそんな中にすっぽりとおさまっている。
石垣島の宮良殿内(みやらどんち)は琉球王朝時代の士族屋敷の原型として知られている。 19世紀に八重山群島の地頭であった宮良当演によって建てられた。石垣に囲まれた庭園には中門によって前庭と奥庭とが配置されている。 沖縄の民家の第一の特徴は、まず全体として台風などの強風に耐えることのできる高い石垣がめぐらされていること・・・があげられる。石垣島の名前はそんな生活の中から生まれたのだろうか。 1995.12.23

竹富島・民家の守り神シーサー
沖縄の旧い民家にはほぼ例外なく屋根にこのシーサーが鎮座している。竹富島にはこのような民家が特に多く残っていて、島全体が民芸品のような文化財的雰囲気がある。水牛車に揺られながらの観光、『星の砂』で有名なさんご礁の海と白砂の海岸、グラスボートの観光などには人気がある。
竹富島は昔のままの民家が最もよく残されている島なのではないか。すっぽりと石垣に囲まれて大きくかわら屋根が見える。 そんな屋根には、必ずさまざまな形をしたシーサーが遠くをにらみつけている。訪ねたのは12月も末であった。しかしこの島には常緑の樹木をはじめ、ブーゲンビリアや名も知れぬ花々、大きなソテツの緑などがあふれている。 道路には真っ白な砂が敷き詰められていた。ただ、無人の民家が多いように思われ、その点が少し気がかりであった。 1995.12.24
