龍馬脱藩の道
伊予の長浜
江湖 冨屋金兵衛邸
文久二年三月二十七日
大洲 長州 三田尻港 ![]()
| 大洲から長浜までは約四里(16m)ほどである。伊予の国一の大河、肱川の河口に開けた町である。 ちなみに長浜という地名は日本各地にある。福岡市、高知市には長浜という町があり、滋賀県には 長浜市がある。 江湖は、江戸時代から昭和初期にかけては、広大な面積をほこっていたが、その大部分は長浜中学校 の運動場として埋められてしまい、今では、その一部だけが残っている。 |
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| 3月27日の午後、大洲から川舟に乗った龍馬と惣之丞は、その日の夕方には伊予の長浜に着いた。 江湖(えご)と呼ばれる船だまりで二人は舟を下りた。 |
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| (写真 1) 江湖の港に立てられた江湖の案内板 | (写真 2) 江湖の港には肱川に向かう水路が 備わっている |
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| 長浜の江湖を下りると、すぐ目の前に冨屋金兵衛の邸宅があった。冨屋金兵衛は代々、紺屋を営む豪商で あったが、陰で勤王の志士達を援助していた。 |
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| 脱藩後(伊予路に入って)二日目の夜は、冨屋金兵衛の家に泊った。四国路で最後の夜であった。 いよいよ明日、三月二十八日は、用意された舟に乗って長州を目指す。 当時、長浜には大洲藩の船番所が置かれ、他国に向かう者に対しては、厳しい身分改めがあったのだが 冨屋金兵衛の顔と財力でもって、うまく通してもらっていた。 |
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| (写真 3) 長浜にある冨屋金兵衛邸跡、現在 子孫の方が住まわれている。 |
(写真 4) 冨屋金兵衛邸の庭先にある 吉村虎太郎と坂本龍馬 宿泊之地の石碑 |
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| 冨屋金兵衛のご子孫の家には文久二年三月六日に吉村虎太郎から送られてきた書状が残っている。 | |
| 内容は、先日、吉村虎太郎が脱藩をした際、冨屋金兵衛の家に泊めてもらい、接待してもらったお礼と 今後、次から次へと土佐を脱藩してやってくる志士達の面倒を見てほしいとの依頼の手紙であった。 |
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| (写真 5) 冨屋金兵衛邸に残っている手紙 | (写真 6) 吉村虎太郎の手紙の翻訳文 |
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