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| オイラのThe Beatles |
| H.Yamashita | Y.Matsuoka | M.Ogo | N.Tsukamoto | F.Oda |
| 私のビートルズって、一体なんだろう? 28年前、京都(の)大学にいっていた私は、70年代演劇運動のラディカルな疾走の中、いわゆるアングラ演劇といわれる芝居の役者をやっていた。当時の芝居で”自由劇場(のちの演劇センター68/71、俗にいう黒テント)”がやった、佐藤 信 作、演出による「あたしのビートルズ A HARD DAY’S NIGHT」という芝居が絶賛された。女の子が船に乗ってあらわれるビートルズを待つっていう芝居なんだけど・・・・・。 中学、高校と体育系、硬派で、音楽とあまり縁の無かった私が、自分から積極的に音楽を聞き出したのはこの頃からであろうか。 私にとっての音楽的に「あたしのビートルズ」は”なんとなくビートルズ”っていう感じ。ビートルズに狂ったということもないし・・・。 しかし、いろいろなバンド、ジャンルの音楽を聴いてきたけど、振り返ってみるとどんな音楽にはまっていても、いつもビートルズだけは聞いていたんだよね。 人生にとって「あたしのビートルズ」ってなんだろうか?私はビートルズに出会ったのだろうか?私もビートルズが現れるのを待っているのだろうか?私はこれからもビートルズが現れるのを待つのだろうか?ビートルズを知って私は変わったのだろうか? 少なくとも今、この歳になって友人達と「The 023 Band」なるバンドらしきものをやって楽しんでいられるのは The Beatles のおかげであることは間違い無い。 BACK |
| 本当に強烈でした。今でいうインパクトの強さは当時の英雄「力道山」の空手チョップ以上の威力でした。 その頃の私は、和田弘とマヒナスターズ(なんちゅうグループ名じゃ)のお座敷小唄やコロムビア・ローズ(なんちゅう芸名じゃ)、三波春夫などの歌謡曲しか知りませんでした。 そんな時テレビのCMから流れてきたのです。 「♪アヲナホーリョーヘーン」 ぶっ飛びました。ちびりました。 そして中学の受験ということで夜勉強するふりをして「9500万人のポピュラーリクエスト」 前武のパーソナリティによる「東芝何チャラ」などのラジオの音楽番組を聴きあさりました。 最初に聴いた小島正雄の9500万人のポピュラーリクエストの順位など今でも結構覚えています。 1位アイフィールファイン 2位10番街の殺人(ベンチャーズの最高傑作!)、 3位コンスタントリー(名曲!byクリフリチャード)そしてデルシャノンの「太陽を探せ」、 サーチャーズの「恋の特効薬」、アニマルズの「悲しき願い」、シルビーバルタンの「アイドルを探せ」 話がそれましたが、その後「ロックンロールミュージック」「エイトデイズアウイーク」「ノーリプライ」 「ミスタームーンライト」などなどと日本でのヒット曲が続き中学校入学とあいなります。 それから6年間解散するまでのリアルタイムをThe Beatlesとともに歩んでいくわけですが、 本当に最高でした。恋人以上の親近感、新鮮さ、憧れがありました。 「恋に落ちたら」のせつなさ、甘さ 「デイトリッパー」のかっこよさ 「ペニーレイン」の華麗さ、 「アイルフォローザサン」のシンプルな美しさ 「ツイストアンドシャウト」の力強さ、 「ストロべリーフィールズ」の神秘 などなど枚挙に暇がありません。 何度聞いても何年たっても大いなる喜びとエネルギーを与えてくれる彼らの音楽。 The Beatlesよ永遠なれ! BACK |
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初めて ビートルズの存在を知ったのは小学5年の時でした。
リンゴスターという名前と彼が両手に指輪をしていることをクラスの友人が教えてくれたのです。その頃は、ビートルズを含め、エレキを持って歌う事がカッコよく思っていました。勝ち抜きエレキ合戦と言うテレビ番組を、毎週欠かさず見ていました。ステージの背景にビートルズの大きな写真が掲げられていて、特にポールがカッコよかったのを覚えていますヨ。でも 生まれて初めて買ったレコードは、ベンチャーズのダイアモンドヘッドでした。パイプライン、10番街の殺人、急がばまわれなど、かなり聴いていましたネ。でもベンチャーズにはVOCALが無いので、歌えるビートルズということになりました。当時はポケットマネーが少なかったので、シングル盤や4曲入りのコンパクト盤を買って、何回も聴いて歌ったものです。高校1年の時、ホワイトアルバムを買ったのですが、4000円の出費はかなり勇気が必要でした。この私のホワイトアルバムはシリアルナンバー20000番台で、世界でも早い方だと思います。 この頃、同じテニス部にいた 沖重君、清川君とバンドを結成し 文化祭などに出ていました。当時はグルックスと言う 大変上手いバンドがあり、高校2年の2月、今でも覚えています、そう2月7日、ヤマハホールで一緒にライブしたときは、超満員でした。 高校2年の時、クラス全員で、RCCラジオのポップス番組に集団リクエストハガキを出しました。 その曲は、ロックンロールミュージック。この曲の思い出は、3年さかのぼり、66年の日本公演です。1曲目でしたね。
映画レットイットビーは、5回見ました。屋上の演奏、 ドンレッミーダウンや、ゲットバックは最高。 考えてみれば、私の60年代、70年代はビートルズが無ければ何も書くことがないのです。
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Tenya Tsukamoto
| 中学から高校にかけてみた映画、"A HARD DAYS NIGHT"、"HELP"、"LET IT BE"を再度見たいと、最近思っています。
娘たちと一緒に・・・・。 HELPの曲は全て当時の私には新鮮でした。 BACK |
| 昔、昔、大昔。私は中学入学と同時に寮に入りました。そこには中学1年生から高校3年生まで広島市以外の遠方から学校へ通う生徒が、入寮していました。中学1年生から高校3年生というと、今考えると、同じ少年という言葉で呼ぶには、その体格や経験、考え方、物事への接し方等には、大きな差異があったと思います。そんな中で経験する全てのことが身に、ハートに付いてしまうという多感な少年時代を過したわけです。同級生、1つ上の先輩、3つ上の先輩、大学受験勉強に精一杯の高校2年生、3年生達、オチコボレ―性格や年相応の考え方の違う彼らと接したことが、全てではありませんが、今日の私の一部を形成しています。その中で大きかったのは、やはり音楽とのふれあいでした。といっても、最初は積極的に私の方から求めていったというのではありません。寮の食堂には1台ステレオがあり、レコードを聴くことが、1台のテレビと共にみんなの数少ない娯楽でした。 ♪ユゴナルザカ(You're gonna lose that girl♪が最初はこう聴こえていました)、♪プリズプリズミオエラカプリジュウ(please,please me oh yeah,like I please you)♪、とビートルズ好きの先輩達がかけているレコードの曲が食事中のBGMとなり、自然に耳から覚え、歌詞を知らなくても口ずさむようになりました。 そのうち私は、先輩にレコードを借りてそのステレオの前に陣取って、レコードと共に歌うことを趣味としたのです。その場で何回も聴いて、一緒に歌うのです。他の人たちには迷惑だから音を小さくして、スピーカーの前で・・・しかし私の声は大きかったでしょうね。 私がビートルズのレコードを自分で最初に買ったのは、高校3年生の冬、受験勉強中に買ったHelloe Goodbye(B面:I'mthewallus)のシングル盤。これが本当のはじめて。それまでは、他人様のレコードを借りて、借りて、借りて、そして借りて聴いたのです。 覚えようと意識していたわけではありませんが、体に染みこみました。The Beatlesが染み込みました。 2年先輩にBANDをやっている人がいました。とてもいい人でした。彼にエレキギターを(また)借りて、ギターを覚えました。勉強している彼の部屋(2人部屋)へいって邪魔するのです。「ギター貸してえや。コード教えてぇや」。なんという自分勝手でずうずうしいヤツだったんでしょう。もう一度言います・・・とてもいい人でした。(その後、挨拶もなしで大変失礼しております。) 寮にはSolmac YamashitaとJumping J.Tsukamotoもいました。Yamashitaはその時期は音楽とは無縁のように感じられました。Tsukamotoに最初にギターを教えたのは私です。 高校1年の時、Matsuokaとクラスが一緒になり彼が誘ってきました。「バンドやろう」 名前も付けずに、文化祭に出演でした。高校2年"River Field Nuts"。高校3年"If"(Tsukamotoも参加)。 思い出せば照れくさくなります。その後Matsuokaとは音楽的に繋がっていたように思います。その後も一緒に遊びましたが、我々の間には男と男の体の関係・・・ではなくて、音楽がありました。(いや〜悪いJOKEでした) そしてその主たるものはThe Beatlesでした。 高校卒業後別れ、大学に入り、就職し、結婚し、そしてまた我々5人を引き合わせてくれたもの、ザ・ビートルズ。 THE BEATLES FOREVER BACK |