館長のネコエッセイ
2001年1月
・猫はどこから来たのかしら?
・寒中お見舞い申し上げます

・マロン母さんの二男坊、マイケル君の巣立ち
2006年7月
・フードメーカーからの嬉しいプレゼント
・天寧寺の招福招幸観音様
・捨て猫捨て犬の半減作戦
2009年11月
・11月9日
・11月25日
・11月27日
2001年5月
・マロン母さんと、小さな小さな黒猫.
2007年3月
・館長日記 雛祭り編
・館長日記 看板編
2009年12月
・12月5日

・12月10日
・12月15日
2001年6月
猫達の本当の幸せとは
2007年5月
・保護猫92匹
・3月の2つの記念日
NEW!2010年
・1月8日
・1月10日
・1月13日

2001年7月
・80匹の猫達が信州から大移動!

2007年6月
・職場体験の場として

2004年3月
・100匹の猫と子猫の里親探し
2007年7月
・ダンボールの捨て猫達 
・猫博の13頭の犬

2004年4月
・マルハのCM出演ネコ達
2007年9月
・「一人旅」

2004年8月
・鴨川太海フラワーセンター「ワンニャンパラダイス」
2008年5月
・フレンドキャットの誕生日
・台風と看板と大雪
・雛祭りとイベント
・劣化している人間・3匹の猫天国へ
・心の強い子

2005年1月
・ワンニャンパラダイス」から猫博へ帰還
2009年10月
一年振りの館長日記

2005年7月
・イベント会社の猫達と生後1ヶ月の子猫達







2001年1月 No1

 博物館は猫日和 猫はどこから来たのかしら?
あなたは、ご存じですか 玄界灘の荒海を乗り越えて、
中国大陸、朝鮮半島からやってきたのです。
仏教の経典をネズミの害からお守りするという大切な役目を
背負って日本に上陸しました。
奈良時代、500年代の半ばごろと云われています。
聖徳太子や聖武天皇のお膝元に、ニャンコがスリスリしていたのかもしれませんね。

その後の源氏物語や枕草子には可愛い猫が登場しますね。
猫グッズ博物館の猫23匹は、どこから来たのでしょうか?
先輩ネコから順番に次回よりご紹介させていただきます。 お楽しみにしてください。





2001年1月 No2

 猫好きの皆様、寒中お見舞い申し上げます。  
厳しい寒さが続いています。
日本の各地から雪の便りばかりが届く今日この頃ですが、
博物館のあります房州勝山には、雪は見当たりません。
房総沖に黒潮の流れるこの地域は、温暖な気候ですから
寒がりの猫が暮らすには最良の土地柄なのです。
博物館のネコは、一匹一匹が、館長とは様々な縁で結ばれています。  

 

第1回目は、グレーの毛並みのフワフワ猫『ターちゃん』をご紹介しましょう。

ある日、グレーのフワフワ毛のメス猫が近くの禅寺に迷い込みました。
お寺のおばあちゃんが、大変このネコを可愛がり、
最初に見たときにタヌキのように見えたので『ターちゃん』と名付けました。

このタヌキのようなターちゃんは、2度のお産をしましたが、
人に慣れることを好まなかったので、自分一人(一猫?)では
上手に仔猫を育てられませんでした。
3度目にやっと写 真の猫『2代めターチャン』を育てました。

仔猫のターちゃんがエサを食べるようになった頃、
母猫のターちゃんは姿を消してしまいました。
お寺のおばあちゃんは、しばらく探していましたが
見つかりませんでしたので、病没したのかもしれません。  


2代めターチャン(オス 3歳半)は、お寺から博物館に移り住みました。
博物館の初代・1猫になりました。

ところが、東京・葛飾からやってきたキョンちゃんに、
ある日その立場を譲ってしまった気のやさしい猫、
足元にきてはコロリンとひっくり返ります。
お腹を撫でるとゴロゴロとのどを鳴らして喜ぶ姿は、
母猫と違って、よくここまで人に慣れてくれたものと、
とてもとても嬉しくなってしまうのです。





2001年1月 No3


 マロン母さんの二男坊のマイケル君が巣立っていきました。

昨年8月から1月までに9匹の可愛い子猫たちに里親さんが決まりました。
マイケル君の里親さんは横浜の保土ヶ谷から見えた方で、
3人のお子さまをお連れの優しそうなお父さんお母さんでした。
ご家族5人で長い間博物館で遊んで行かれ、
マイケル君を気に入ってくださり、生後5ヶ月で母猫ゆずりの全身茶トラ、
人懐こさと愛嬌のあるマイケル君は幸せになりました。

車に乗せるとき、「大事にします」とおっしゃられ、
いつものこと、別れの時は、感謝とちょっぴりの淋しさとで涙が出そうになります。
すでにお家では2匹飼っていらっしゃるそうなので、安心してマイケル君を託しました。

陽だまりで思い思いに気の合う者同士で
気持ちよく眠っているコたちをみているといつも思うのです。
猫にとっての理想的な飼い主さんとはどんな人なのでしょうか?

最近、動物愛護法が改正されたと聞きましたが、その法律がどこまで浸透するでしょうか。
テレビや新聞では、ときどき犬や猫、鳥など物言わぬ者たちに
辛く当たる心淋しい人がいることが報道されています。
いつになったら、捨て犬、捨て猫など動物を置き去りにする人がいなくなるのでしょうか。

博物館の猫たちは、拾われた猫、預かった猫、迷い込んだ猫など様々な事情を抱えています。
猫が言葉を話せたら、「あーしてちょうだい」「こーしてちょうだい」と
言ってくれるのでしょうが、人のすることを静かに見ていて、ニャンとも申してくれません。
館長は、少しでも猫に近づきたい!と5項目を考えてみました。


まず、第1に猫に安全なすみかを提供できること。
近くに、車の通る危険な道路がある場合は、家の中で飼えること。
第2に、避妊・去勢、予防接種に関心を持つこと。
第3に、体調不良のときは、すぐに獣医さんに連れていけること。
第4に、エサはバランス良く偏ったやり方をしないこと。
第5に、飼ったら最期まで責任を持って可愛がること。  


不幸せな猫を減らしていくためには、どうすればいいのかナと
博物館にお見えになる方々とも、毎日、猫談義して、ひとりひとりのお考えを
伺ったりしながら、「猫の本当の幸せとは?」と考えているわけです。
猫を捨てるのは簡単なこと、でも「共に暮らそうね」と言って、
優しく連れていってくださる里親さんを探すのは至難の業です。
皆で仲良く暮らそうねと言ってくださる方を、今日も求めている館長であります。  
猫と猫グッズと花の南房総へどうぞお出かけください。
左手をあげて手招きしていますよ。




2001年5月

 館長日記、昨年のページより・・・
晩秋の近づいたある日 小さな小さな黒猫ちゃんが、
崇君という小学5年生に連れられて我が家にやってきました。
小さな小さな黒猫が、親猫とはぐれて1匹でいるところを見た崇君は、
「カラスにさらわれたら可哀想!と思って・・・」と言い付き添っていらした
お母さんと共に抱えてきた段ボールの中のチビ猫を、恐る恐る私に見せてくれました。

 手の平に余るこのチビちゃんは温もりを感じませんでした。
一瞬「ン?育つかしら」と不安が先に立ちましたが、
目の前の大きな子育てハウスの中にいるマロン母さんと目が合いました。
「そうだ、マロンちゃんに育ててもらおう」と思いました。
マロンちゃんは丁度4匹を子育て中でした。

「マロンちゃん、お願い!」と云って、
マロンちゃんのふところ近くにチビ猫を置いてみました。
すると、このチビ猫君は崇君の目の前で、マロンちゃんのオッパイを吸い始めました。
案ずるより生むが易しとはこのことでしょう。
『この子はきっと育つ』とそのとき思いました。

 その後、このベビーは、ミーミーミーミーとよく鳴きながら、
マロン母さんに抱かれ、4匹の兄姉たちと遊びながら元気に育ちました。
ミルクをたっぷり飲ませてもらい、兄姉たちが食べるキャットフードも少しすると
一緒に食べるようになりました。お腹がいっぱいになると飛んだりはねたり、
遊び疲れると4匹の真ん中で眠っていました。
4匹もマロン母さんもこの子を大切に大切に育ててくれたのです。

この子育てには、涙がにじむほど心が打たれ感激しました。
夏の頃、捨てられていた3匹の仔猫を姪が救い、
母猫ミッチーに託しましたが、そのときは母猫が拒否、
悲しい悲しい体験をしました。
昔から夏仔猫は弱いというジンクスもあり、
暑い時期だったので、ミッチーは攻められないなと思います。
たっぷりの愛情で育った仔猫はミミちゃんと名付けられ、
3カ月目に兄姉たちと博物館の猫舎に移動しました。
博物館には20匹の猫がいますが、これらの仲間にもすんなりととけ込み
広い運動場で、大猫や中くらい猫たちの中で一番小さく走り回る姿は、
可愛い以外、なんと表現したらよいのでしょう。

 ミミちゃんは、耳がとても大きく目立つ仔猫でした。
連れてこられた頃にミーミーミーミーとよく鳴きました。
ミミという名は、これらのことから自然に付けられました。
自分がミミであることも早くから理解し、
ミミちゃんと呼ぶとニャーといい必ず返事をしました。
抱っこするとスルスルスルと肩まで登り、その上でお座りをして
下界を見下ろしていました。棒渡りも得意でした。
洗濯竿に白い布を巻いて運動場に棒渡し場を作ってみました。
ミミちゃんはスイスイスイと軽々と渡ってみせました。
身の軽いミミちゃんは高いところが平気なコに育ちました。  

 6カ月半経ち、ゴールデンウィークになり、大勢の猫好きさんたちが
博物館に来館しました。この猫グッズ博物館には、一都六県はじめ、
全国各地から猫好きさんがお見えになります。

猫博のネコたちは、元のらちゃん、迷い込み猫ちゃん、預かり猫ちゃん等、
各々が事情を抱いた訳有りの猫くんたちです。
館長にとっては、どのネコも可愛く分け隔てなく大切に思っています。
猫好きさん、猫グッズ博物館の猫たちに会いに来てください。




2001年6月

 猫グッズ博物館には常時23匹前後の猫くんたちが暮らしています。
5月のゴールデンウイーク期間中、
大勢の猫好きさんのご来館をいただきました。
皆さん、猫舎に入り猫君たちと楽しいひとときを過ごしていらっしゃいます。

その中で、3名の方が、ミニケル(11カ月オス)、ミミ(6カ月メス)、
ジャッキー(1才オス)の里親を申し出てくださいました。
以前にも書いたかもしれませんが、ここ猫博の猫たちは、元々ノラちゃんであったり、
周囲の田んぼからトコトコやって来たり(たぶん、近くで捨てられたものかもしれません)
置き去りにされたり、飼い主さんの都合からお預かりしていたり、
いろいろな事情や経緯があって共同生活しています。


いろいろな所から集まってきたコたちですが、みーんな仲良しです。
はじめから猫慣れ、人慣れしている猫ばかりではありませんが、
1カ月、2カ月と一工夫して飼い慣らしますと不思議なくらい
可愛い猫くんに変身してくれるのです。
大勢の中で飼われるのは猫にとってどうなのでしょうか?
1匹や2匹あるいは3匹程度で、少数飼いのお宅で終生大切に
飼ってもらえるほうが幸せではないかと思うのです。
大勢の中で飼われていると、神経の細いコは周囲に気遣いもします。
トイレも沢山用意し、寝るにも気のあった者同士がかたまって休みます。
健康管理には、耳の掃除や爪の伸び具合のチェックをし、
風邪を引かぬように、一匹一匹に目が行き届かねばいけません。
ここでは、昨年の9月に10匹が集団風邪を体験しました。
半数の体力のある猫は早めに治りました。
1才未満の5匹は鼻炎を引きずっていましたが、
親切な方が貴重なお薬を提供してくださりお陰様で完治しました。

世界の猫グッズ博物館は、入館料を低料金(大人400円、小人250円)で
お願いしておりますので、ネコのエサ代、砂代、健康管理費等は
近くの獣医さんからご厚意をいただいたり、入館者の方々からの
ご厚意をいただいたりしながら運営しています。
少ない運営費の内情ながら、猫にとっての幸せとは
どういう状況をいうのか考えております。

猫好きの私にとっては大勢の猫と暮らせて幸せなのですが、
猫の側から見たら、本当に幸せなのかしらと疑問が湧いてきます。
先日5月16日、猫博の裏口(通用口)に箱に入れられた茶色猫が置き去りにされ
カラスに狙われていたところを幸い保護しました。
昼夜3時間おきのミルクもよく飲み、目もようやく見えるようになりトコトコと
歩き回る姿が非常に可愛く、無事に育つことを祈っておりましたが、11日目に命がつきました。

館長はネコのオッパイが出ませんでした。
猫博物館だから猫の仔1匹くらい育ててくれるだろうなんて
安易な気持ちで、まだ目も開かぬ仔猫を置いていかないでください。
生んでも育てられないと思うのでしたら避妊・去勢に理解を持ってください。
捨てられる仔猫の身になってください。
上手に育って良い里親さんに恵まれるには、良いご縁に当たらなければなりません。
館長も、ネコのオッパイが出たらいいのに!と思うのですが、なかなかままなりません。
余談ですが、館長には26才になる一人息子がおります。母乳は出なかったので
ミルクで育ちました。小さな命を大切に思うことが人の幸せにも繋がっていきます。
明日も猫たちの幸せを考えていきます。
猫博物館の猫たちに会いに来てください。




2001年7月19日  夏の日の館長日記
 
「暑いですねー!」が合言葉のような毎日です。
猫グッズ博物館のある房州勝山は梅雨明け以来一滴も雨がありません。
いつも寒がりと言われている猫君たちも流石にこの連日の猛暑には「参った」と
申しております。 特に長毛種ののんちゃん、ターちゃん、小華ちゃんの3匹は
暑いのは『たまらニャイ』と風通しの良い涼しい場所を選んで眠っています。

ところでところで、この度、猫グッズ博物館にはなんと
80匹もの猫君が信州から大移動してきました。
マルハペットフードのTVCMやデパートで行われる
『世界の猫展』などに出演する猫君たちです。

猫でもいろいろな品種がありますが、マンクスやキムリック、ターキッシュバン、
シンガプーラ、スフィンクス等30品種ほど勢揃いしていますよ。
『にゃんにゃんパラダイス』として7月7日より公開しています。
(8/8〜15は埼玉 県熊谷八木橋デパートでもお目にかかれます)
博物館の猫23匹同様、よろしくお願いいたします。
珍しい猫グッズと大勢の猫君たちが、この夏休み、猫好きの皆様をお待ちしています。
HP上の猫のマタタビ姿の割引券をお持ちくださいね。
入館料を200円割引にさせて頂きます。

夏休みは、海のきれいな房州勝山で泳いで、その後は猫グッズをみて
猫たちと遊んでください。 きっと◎のよい一日になるでしょう。




2004年3月 お久しぶりの館長日記

 ずいぶん久しぶりに書き出す館長日記です。
ホームページをご覧になり200円割引の入館券を持参くださるご来館者の方から
館長日記が最近書かれていませんね、とよくご指摘を受けます。

書かなくてはと思いつつ、100匹の猫の世話に追われ、
ペンを持つ時間に恵まれぬ毎日を過ごしています。
2000年3月25日に開館した世界の猫グッズ博物館は今年で5年目に入ります。
開館当初、展示品の猫グッズは27カ国でしたが今は32カ国、猫は20匹でしたが
今や100匹を超えています。販売品のねこグッズは、昔からの招き猫、
お願い猫、ぬいぐるみ、手帳カレンダー、陶器のマグカップやお皿、ポット、
トレイ、絵皿、お手玉 、ベーゴマ、木彫り猫、シール、絵はがき、
またたび製ネコチグラ、手提げ袋、ポーチ、エプロン、ティッシュケース…
まだまた書ききれぬ ほどあります。

猫が100匹を超えている経緯については話せば長いことになりますが、
少し書いてみます。 当猫博は、東京湾内の入り口近くに位置する鋸南町にあり、
JR内房線の安房勝山駅から、2キロ北に向かったところに建っています。
駅名の通り、ここは旧国名を安房の国といいます。
日本地図を広げると、東南に突き出た房総半島の端にあります。
真冬でも雪も霜もあまり見ることの無い温暖な地です。
12月の水仙をはじめ、菜の花、カーネーション、ストック、金魚草、ポピー、
キンセンカ、エリカ等々が路地で咲き乱れます。
群馬、栃木、福島等、寒いところの方々や東京、神奈川、埼玉 等近県からのお花好き、
猫好きの方々が多くお見えになる季節です。
水仙が満開の頃には、お隣の保田駅で下車し、山道の水仙ロード(10キロハイキングコース)
を歩くハイカーさんたちの中の猫好きさんが、疲れた身体を休ませに立ち寄って
猫100匹と遊んで行かれます。
館内にあるニャンコ文庫では座布団も用意してありますので、足を伸ばして
ごゆっくりご覧くださいね、といつも皆様に申し上げています。
小さい子供さんには、ぬりえや折り紙が出来るよう用意してあり、
1500冊(ほとんどが寄贈本)の猫の本、小説、絵本、猫研究の本、写真集、
医学の本、何でもかんでも猫に関する本ばかりです。
このニャンコ文庫の真ん中に黒いテーブルが置いてありますが、
その上に、ファイルが4冊皆さんにいつでも観ていただける様にしてあります。

このファイルは、2004年12月現在の猫の里子のアルバムなのです。
2000年7月、開館して初めての夏真近に3匹の白黒模様のチビ猫がダンボールに入れられ、
裏木戸に置き去りにされていました。このコたちはしばらくすると国立市や
千葉市の方が里親になってくださいました。
あれから4年経ちましたが、猫博の周辺(表の駐車場や猫舎の脇、空になっている犬舎の中、
裏木戸)に置き去りにされる猫は後を絶ちません。
それに加えて、海岸近くの松原、田んぼのあぜ道、畑、川のふち、山の中…等々から
優しい人々によって、保護されて来る猫たちもいます。
里親探しの依頼がちょくちょくあります。里子として引き取られていったコは、
すでに100匹を超えています。コンビニの前で野良していた親子、
パチンコ屋の駐車場に捨てられていたコ、昨年5月末には地元の小学生男児4名が
海岸の松原から目の見えないチャトラの仔猫を助けてきました。
目やにと膿で塞がっていましたが、夫が毎日、ホウ酸水で洗い、目薬を差して
手当しておりましたら、1ヶ月後にはうっすらと見える様になりケージの中で
エサの位置、水の位置、トイレの場所もわかるようになりました。
8月に入って、すぐに江東区木場の方と縁があり、今は幸せになっています。

猫博の猫は、田んぼや川、山の中の出身者が多く、里子に出ると1ヶ月後、
3ヶ月後には成長した写 真がお便りとともに届きますので、
それをファイルしてご来観者の方々にご覧いただき、捨て猫防止、不妊、去勢手術の
大切さを訴えております。せっかく保護されてきましても未熟児だったり
お腹をこわしたり夜中の2時に授乳や獣医さんの手当の甲斐なく生命を落とすコもいます。
そのコたちも加えると猫博にやってきた捨て猫たちは、もう150匹を超えているかもしれません。
.......................つづく!




2004年4月  お久しぶりの館長日記その2

 猫博のもう一つの猫舎(ニャンニャンパラダイスと称する)には、
マルハペットフードのCMに出演していた猫やデパートで
1週間から10日間開催する「世界の猫展」に出演して、いたさまざまな品種猫が
合計60匹ほど暮らしています。
このコたちは、2002年6月9日に信州からやって来ました。
信州の寒冷地から温暖な房州にきて余生を過ごしています。
6月9日につれて来た男のイベント会社倒産劇を境目とし、栄養不良にされ
房州に置いてけぼりにされた78匹の猫も、その年の冬までに獣医さんの
手当による病気治療や栄養改善により立ち直り現在に至っています。
あれから3年近くなりますが、この世を去ったものは12名いますが、
大半が元気でご来館者の方々とのふれあいを楽しんでいます。
今年も大寒 立春が過ぎ、春一番 春雷と気象の上では季節は巡っていきます。
寒さの中でも外の猫たちは無秩序に飼われ、野放しとされている猫たちは、
恋をして65日後には出産し子育てをします。飼えないと思った心ない飼い主によって、
野に捨てられたり、保健所に連れて行かれ、せっかく生まれた命を落とす、
何ともやりきれない非情な行為が出現します。
不妊 去勢をして室内飼いをしてほしいものです。
オス猫だからといって去勢もせずに外に出している飼い主もまだまだいらっしゃいますが、
交通 事故 噛み合って移る病気など猫の周囲は危険が一杯です。

「 外に出さないとかわいそうではないですか?」という飼い主が
まだまだ多い現実には、嘆かわしい限りです。

昔から比べてみるとエサ類もずいぶん改良されてきています。
大切に思って室内飼いをしてくださっている方々から伺うと16〜20年は生きられる、
ご来館者の中には、うちの猫は23歳です とおっしゃられた方もいました。
房州に捨て猫が多いのは、暖かい気候のせいと農村地帯であるという土地柄が
原因かもしれないと思っています。
穀物のネズミよけのためと称して不妊去勢もせぬまま飼われている例が多いのです。
野山、海岸、田んぼ、川のふち等々からやって来たコ、信州からやってきたコ、
とにかく丸四年で猫博は猫グッズもいっぱい、猫も100匹を超えています。
猫博独自の力で運営するには体力、知力、資金力が足りません。
昨年の初めには、いままで里親さんになってくださった方々や
ご来館者の方々にご支援者になっていただきたい旨をお便りしました。
何人かの方々が心温まるご支援金やキャットフード、毛布等々を
送ってくださいました。何回も何回も送り続けてくださる方もいます。

昨年は5月から11月まで38匹もの里親探しの猫たちがやって来ました。
いつまで経っても終わらない里親探しです。
保健所や千葉県内の各自治体は、もっともっと猫や犬たちの正しい飼い方の
指導や啓蒙運動をしていただきたい。
飼い主さん方に自治体から補助金を出してあげてほしい。
獣医さん方も手術代を低料金に抑えてほしい。
東京都に千代田区や文京区では外猫の手術代も補助している。
茅ヶ崎市や磯子区でも外猫へ温かい目を注いでいる。
アメリカやカナダ、ドイツ、イギリスなどペット先進国といわれている国々には
役所と寄付者とでまかなう里親探しのシェルターがあるとききます。
人と人が殺し合う殺伐としたこの世の中を小さな生き物、木、草花たちは
無言で人に優しい心を示しています。
幼い頃から小さな命とふれあうこと、生まれること、死ぬこと、生きているものは
いつかこの世を去る現実をきちんと見据えることが大切と思う今日この頃です。
猫という小さな命と毎日向き合っている私も、開館して1ヶ月後、乳癌という
オソロシイ病魔と出合いましたが、16日の入院と10日の通 院で、その後一日たりとも
休むことなく猫100匹と暮らしています。朝7時から家の猫10匹に始まる猫の世話、
猫博は8時から猫舎の清掃とエサやり、ご来館者の方々との猫談義に明け暮れています。
夫とパート女性と私の3人で猫100匹ですから行き届かぬ施設ですが、どうぞご来館ください。
あなたのご来館が大勢の猫たちへの助けとなります。
遊びにいらしてください。どうぞよろしくお願い致します。





2004年8月  「猫、大好き」の皆様へ

 日頃は「世界の猫グッズ博物館」の活動にご協力、ご支援頂きましてありがとうございます。
2004年 5月1日からの鴨川太海フラワーセンター内での
「ワンニャンパラダイス」開設に際しましては、いろいろとご心配をおかけ致しました。
お陰様であれから3ヶ月経ちました。毎日が「おおわらわ」の繰り返しでございましたが、
大移動した猫たちは用意していただいた広い温室内でのびのびと暮らしております。
引っ越しして3日間は新しい場所に戸惑い右往左往しどこにいればいいのだろうと
自分の居場所を定めるのに大変そうでしたが、4,5日後にはそれぞれが高い所、
物かげ、平らな床等おもいおもいの場所で休むようになりました。
『土用の三日間だけしか暑い日が無い』といわれる猫ですが、さすがに格別に暑い
今年の夏は、フラフラの状態で涼しい場所をさがして落ち着くようになりました。
猫と違って暑がりやさんの犬たちには冷房し、40頭の各品種犬を
二交代でふれあいの間に移動し、リードをつけてお散歩したり、大型犬はドッグランで
走らせたり、犬も猫も隔てなく動物好きのご来場の皆様方と楽しげに毎日が過ぎております。
決して平穏無事とは言えぬ毎日で変化に富んだ日々ながらも、新天地での生活が
落ち着いて参りましたのでご報告申し上げます。
なお、「猫博物館ごとお引っ越しください」とのおすすめに従い、
鴨川に参りましたが、先方の受け入れ態勢が充分でなく不備に終わりましたため、
せっかく五年目に入りました「猫博」独自の活動を中断するのもご支援者の皆様方に
申し訳なく思いますし、自分自身の設立の志を断つことにもなり、
不幸な猫たちの優しい里親さん探しを続けて行く為にも6月半ば辺りから
少しずつ時間を使ってポツらポツら復活をもくろみ、ようやく元通り出来上がりました。

この度、8月1日をもちまして以前と同じ場所で開館致すことになりました。
定休日、入場料金等は変更致しました。ただいま里親探しの仔猫も15匹おりますので
どうぞ皆様でご来館いただけますようお願い致します。
厳しい暑さの連続で息苦しい毎日ですがどうぞご自愛の程お祈り申し上げます。





2005年1月   2004年はとても考えさせられた年でした
 
 猫大好きの皆様方にはその後もお変わりなくお元気でお過ごしの事と存じます。
日頃より「世界の猫グッズ博物館」の活動には温かいご支援を承りましてありがとうございます。
「猫博」にとりましては、昨年は大変に多難であり、とても考えさせられた一年でした。
昨年の初頭、外房は鴨川太海のフラワーセンターが市営から民営化される際、
委託を受けた藤陽商事より「ワンニャンパラダイス」開設の依頼を受けまして、
100匹近い猫と狼犬の白ちゃんと雑種犬の黒ちゃんを伴い、移転しました。
猫舎としてフラワーセンターの温室を二棟継げた建物を改造し100匹を入居させました。
犬2頭には鉄格子扉の犬舎を用意していただきました。

 オープンが5月1日でした。建物が出来たのは4月の末でした。
大急ぎの見切り発車的オープンでした。用意された温室の住いに落ち着くまで
猫たちは1週間ほどかかりました。昔から猫は家に付くと申しますので、
彼等にとりましては、人にわからない苦痛を味あわせたのではないかと反省しております。
寒さに弱く暑さには強いといわれる猫たちにとりましても、今年の猛暑は流石に音を上げました。
海辺から10mの近さの猫舎でしたので、塩辛い潮風と強い日差しの毎日に
スタッフ共々猫たちはすっかりスマートになってしまいました。

事情をご存じないお客様はここの猫はあまりエサを与えられていないのでは?と
心配された方もいらっしゃったのではないかと思います。
たまに見える主治医の獣医さんでさえ「エサをもっとやったらどうか?」と
おっしゃったものですから、係員がエサの量 を増やしたところ、翌朝にはほとんどが
下痢という事態もございました。 とにかく暑かった!
暑さ凌ぎの対策として周囲全面、金網を張り巡らせて風通しをよくしてもらい
天井南面には遮光ネットを取り付けて強い陽射しに対処しました。
それでも、長毛の猫は犬のように舌を出してしまうほどの暑さから逃れさせる為に
犬の美容室とグッズ販売コーナーに冷房がありましたのでそこに避難させたりしました。
一番びっくりしたのは、黒猫のトマトちゃんの背中の毛が茶髪に変色してしまったことでした。




同じ房州とはいえ何もかもが驚きの連続でした。
内房の猫博は海まで6kmの距離、外房のワンニャンは海より10m、猫も犬もとにかく暑さに耐えました。
猫舎に入って遊んでいってくださる方々も極めて暑かったことでしょう。
おいで下さった方々には本当に申し訳ございませんでした。
ワンニャンパラダイスなんていえない所でした。
10月に入ってから台風の襲来を2度受けました。22号、23号と連続してやってきました。
その都度、猫舎は天井から雨が漏り床からは浸水でした。
台風の度に新しい建物の犬舎にキャリーでお引越しで、スタッフと大変な思いをしました。

 いろいろな問題点を書き綴って、読むのがしんどいと思われそうですが・・・
とどのつまりが、フラワーセンターの入場料と駐車場代金でした。
ご来場くださるお客様は、犬の美容室、ドックランを利用されるときもこの2つの代金がかかりますので、
二度、三度と訪れてくださる方は稀でした。
この2つの垣根を取り除いてもらえるよう藤陽商事と交渉しました。
改善策を話し合いましたが、10月21日決裂し、猫100匹近くと犬2頭は内房・鋸南町の
「世界の猫グッズ博物館」に帰館しました。犬40頭は千葉愛犬学園に戻りました。
猫も犬も自分たちの古巣に戻り、喜びとほっとした気持ちからかあれから1ヶ月半、
食欲モリモリ、丸くなり、生き生きと安堵した顔で過ごしています。






2005年7月 初旬  半年ぶりの館長日記

 梅雨入りして随分経ちました。
猫博の周囲の田んぼでは稲の穂が50cm以上に伸びて成績は良さそうですよ。
猫博のすぐ近くのに流れる佐久間川の上流には、灌漑用の佐久間ダムがあり、
そこから取水できるように各田んぼ毎にひねるとジャーと水の出る設備があります。
この設備が出来ていることに気づいたのはつい最近の事です。
駅に向かって自転車を走らせているとき、田植えの前に田起こしをして
水を満杯にしている様子が目に入ったのです。
普段、車で走っていることが多いので細かい事に気づかずに過ぎている訳ですね。
歩いたり、自転車をゆっくり走らせてみると佐久間川にも大きな緋鯉や真鯉が悠然と
泳いでいるのを見る事ができます。

猫博は北と東に山、南と西に海という自然に恵まれた処にあります。
東京湾から吹いてくる風がとても爽やかで、
東京埼玉 のようなビルに囲まれた息苦しさはありません。
猫100と何匹か?犬13頭がそんな自然豊かな土地で暮らしています。
猫は100何匹いるのかな?、いつもわからなくなります。
命だから変動が有ります。特に5月〜9、10月というのは仔猫が生まれ
捨てられる時期でもあり、保護されてくる仔、里親さんに引き取られて行く仔猫もおり、
今期すでに11匹の猫が栃木、神奈川、東京、千葉、岐阜にいきました。

 鴨川市の河原でカラスに狙われている所を助けられてきた仔は、
岐阜に飛行機で乗って行ったんですよ。
千葉に住む息子さんが岐阜のお母さんのところに運んでくれました。
息子さんが成田空港で手続きして、お母さんが中部国際空港で待っていてくださったそうです。
猫は一人旅をして岐阜県で今でも元気に暮らしているそうです。
もうずい分大きくなったかもしれません。 栃木県の猫になったのは5匹です。

5/11〜22の間、宇都宮インターパークの福田屋デパートにて「世界の猫展」をしました。
「猫を捨てないで!」の運動をしました。
宇都宮の猫展には、4年前にイベント会社に捨てられ猫博のコになった
78匹の猫たちのうち40匹も参加しました。

イベント会社の猫たちもあれからずい分数が減りましたね。
あのコたちの仲間はすでに30匹があの世に旅立ちました。
彼等はなぜかみーんな早死ですね。10才以下で死んでいます。
普通 に室内飼いをしていれば14〜20年は生きてくれるんですけどね。
私が今、家で飼っているコのうち最長老は17才です。
2年前に19才まで生きたミコちゃんというキジ猫のメスがいましたが、
今いる17才はオスの黒猫です。
このコは過去に耳血腫という耳の病気をして両耳を手術しているのですが、
とても元気で毎日年下(他は10才が4匹)のコより沢山食べています。
猫が長生きするかどうかは1匹ずつの生命力の違いだとも思いますが、
幼い頃から成長期にどんな環境で飼われていたのかも大いに影響するのではないのかな、
と30匹を看取ってみての感想です。

毎年5月に入ると田んぼにいた!道ばたにいた!河原にいた!漁港にいた!と
心優しい人に依って保護されてくる仔猫がいっぱいいるのですが、
だいたい生後一ヶ月位 で捨てられていますね。

一ヶ月くらいで母猫から離されてしまうと育つコと育たないコの差がでてしまいますね。
捨てられてすぐに助けられればいいのですが、2、3日過ぎてしまうと
体力のあるコだけしか救えず、いつも悔しくて悲しい思いをします。
5月初めの頃でしたが、猫博の裏木戸にダンボール箱に5匹チビが入っていました。
私たちの帰宅後に置かれたのでしょうね。
朝出勤して発見したときには2匹が冷たくなっていました。
残った3匹に仔猫用のミルクを与えてみましたが、すでに吸う力もなく、無念の思いをしました。
毎年毎年のことですが、へその緒のついたコや生後1ヶ月くらいのコは、
家に連れて帰り夜中もミルクをあげますので、ガン患者でもある私の体力では、
なかなか力及ばずしんどい事です。

今年は3月20日から大阪の「動物専門学校」の極めて優しい男性が
手伝ってくれる様になりましたので、その彼に、就寝前10時にミルクを与えてもらっています。
おかげ様で元気に巣立ってくれています。
6月28日現在、生後2ヶ月と3ヶ月のチビがミューミューと玄関を入った処で
里親さんを待っています。「不妊・去勢」を怠らずにしていただければ悲しいノラ猫は
出現しないはずなんですけどね。毎年毎年この繰り返しです。

半年ぶりの館長日記で一番書かなくては と思っていましたのが、昨年末、
皆様方から多大なご支援を頂けましたことに御礼を申し上げます。
昨年8月に猫博を再開して10月21日に鴨川から猫たちを帰館させました。
事の顛末は日記にも書きました。その折には大変ご心配をおかけしました。
皆さんが「大変でしたね」って声をかけてくださいました。
HPの日記を読んで気になったからと静岡からわざわざ重い砂とエサを運んでくださった方、
いつも送ってくださった方が更に送ってくださったり、スリッパやタオル、
毛布をダンボール一杯送ってくださったり、ご支援金を振り込んで下さったり、
親身になっての応援を頂きました。 台風や大嵐で国道とすぐ近くの
入り口誘導看板が飛ばされ御来館者ゼロの日が続きました。
事実を赤裸々に書きました。恥ずかしい事です。

毎年5〜9月は30匹もの仔猫たちがやってきます。
好きでやっていることなのに、益のないことをやっているのに、
大勢の方々が助け舟を出して下さったのです。いつもいつも思うのですが、
猫好きさんというのはご自分の猫を可愛がっているのではなく、他所の猫にまで
目を広げて見ていて下さる度量 の広い方が多いのだと思います。
本当にその折は有難うございました。
6月29日に久しぶりにガン検診に行ってきました。
25km離れた外房鴨川にある亀田病院という巨大なクリニックがあります。
忙しくて中々自分の身の回りの事が出来ずにいるのですが、
年に一回くらい検査しないといけませんね。
2、3年前に私がガン患者である事を全く知らない人から
「こんなに何匹もの猫を飼っていて貴女が死んだらこのコたちはどうなるのですか?」
との質問を受け、ドキッとしたことがあります。
人の命も猫の命も永遠ではありませんから心して行わねばならないなとそのとき思いました。
つかれて疲れてどうしようもない100匹の猫たちと13頭の犬たちとの生活、
でも、みんな可愛くてこんなに心安らぐ生き物いませんよね。

先日男性の方が「私が死んだ後、3匹の猫を預かってくれるところを探しているんだ」
との電話がありましたが、そういう優しい施設が日本にはいつ出来るんでしょうね。
千葉県はひどい所ですね。こんなに進歩的で経済大国といわれている日本なのに、
まだ川や海に仔猫を流してしまうという現実を耳にしますから。
ずい分獣医さんも増えていますけど住民の意識は低いところですね。
「不妊・去勢の手術がかわいそう」と云う人がまだまだいるんです。
房州は穀物が生産されている所ですから鼠取りの道具扱いに飼っている人もいるのですから!
しかも、野放し状態で。 保健所や自治体ももっと動物たちに優しくなってほしいですね。
保健所はシェルターになってほしいし(薬殺しないで!)
自治体は住民の方々に、補助金を出して飼い方の啓蒙運動をしてほしいですね。
獣医さん方には低料金でお願いしたいですね。
戦後60年世代が変わり、世の中が良くなっている面よりも
悪くなっている面が目立つような気が致しますね。

 私も視野が狭く沢山の事柄を考える力がないので、犬や猫のことに夢中になっていますが、
時々切羽詰まってしまってどうしようかなと考え込んでしまいます。
でも、周囲の人の助けや応援して下さる大勢の方々がいらっしゃる限りは
力を尽くしていこうと思っています。夫も私もずい分疲れて「年だな」って思う事もありますが、
縁あって一緒に暮らしているみんなの為に、もうひと頑張りしよう!っていつも思うのです。  


 追伸 7月27日〜8月1日 日本橋、高島屋
8月11日〜8月16日豊橋、丸栄 7月21日〜7月27日 山梨甲府、岡島
上記のところで夏のイベントがございます。
全箇所猫グッズ屋さん20社出店 お近くの猫好きの皆様、どうぞお出かけください。





2006年7月 また半年ぶりの館長日記

 
 早朝4時に目覚める日があります。
ホーホケキョ ホーホケキョ チチチチチッ と裏山から小鳥の声と空を飛んでいるらしき
カラスの鳴き声が今日一日が爽快であります様にと励ましてくれている様な朝があります。
ウグイスっていったい何月頃まで啼いているのかなと疑問がわきますが、
猫100匹と犬13頭の忙しい日々がその疑問をいつの間にか忘れてしまいます。
忘れっぽくなった頭の中を整理整頓して半年ぶりの館長日記を又書き出しています。
毎日毎日 来る日も来る日も果てしなく用事の多い日々、
普通は夕食後 お風呂に入りそして布団に入る前 、今日もいろいろ有ったからと
書き留め綴るのが日記だと心得ているのですが、仕事を終え帰宅すると夕食をいただき
後片付けも早々に殺されても多分わからぬ位の疲れを身に纏って眠りますので
時々の思いを箇条書きにしておく程度しか時間がありませんので、
それに肉付けをしながら有ったこと 思ったこと等 年の始めから書いてみます。

2006年1月

  年の始めから喜ばしいことが有りました。 
近くの方や遠方の皆様方から猫の餌、犬の餌を沢山プレゼントして頂きました。 
年末に「猫びより」に猫博の猫事情や招福招幸観音様のことが詳しく掲載されまして、
読者の方からお電話を頂いたり遠くは香川、徳島の方々から
また、静岡、長野、愛知 等からも心温まる餌の宅急便など度重なるご支援を頂戴いたしました。
大量のプレゼントとしてフードメーカーのN社も
(過去6年間の猫の救済活動の実績を認めてくださったのでしょうか?)送ってくださいました。

N社がプレゼントしてくださったのはN社に勤める一人の女性のお力添えが有ったからです、
この女性は大宮在住の方で元船橋在住の方でした、猫博が開設され2年目の夏、
ご主人とお二人で来館後、帰路海岸近くの道で自転車で走り去ろうとする小学生に
追いすがる生後2ヶ月程の茶トラ猫を保護して、猫博に舞い戻り里親を探してくれる様
私どもに託してお帰りになりました。
その後2週間程でこの子は東京に里子に行き幸せになっています。
この出来事が起縁となり、その方はその後5年間折りにふれN社の缶詰を送ってくれていました。 
猫好きの優しさというのは いつも書きますが巾がありますね。
広がりがある心というのが本当に喜ばしいです。

猫博の猫は過去にも書きました通り大半は地域の方々の無責任極まりない買い方の結果
出現した猫と M社というフードメーカーのCMをしていた78匹のネコたちを抱えていた
イベント会社倒産によりもたらされたんです。
この有縁の100匹前後の猫と13頭の犬が1人の女性と茶トラの子猫が縁の始まりとなって、
全国の皆様からのご支援とN社のお力添えが合わさって、
新年早々力強い応援に心から感謝致しました。 

もう一つ嬉しかったことは例年9月〜12月の4ヶ月間は来館者0人という
日々が続く中でのエサ代、砂代、医療費の確保を如何にするかが猫博最大の課題、
年末から2月にかけて子宮蓄膿症とコロナウィルスで死に至ったコが3匹も有り、
季節柄の寒さと東北、北陸等は近年にない積雪。
山国からの北風は暖かいはずの房州にも達し、風邪引きが続出、ヒーター、
ホカロン、カーペットを駆使しました。電気代を節約すると病院代が大変。
そんなこんなを沢山書いて50人の方々にお便りしましたら21人もの方々が、
ご自身の懐から暖かいご支援を送ってくださいました。
毎年1月、2月、3月は白浜町、千倉町、和田町等で露地栽培のストック、金魚草、
ポピー、キンセンカ、エリカ、矢車草などが見事に咲き揃います。
しかし、今年はなぜか極寒の房州 花は遅れ遅れに咲き いつもの年と全く違い
観光客の皆様方の出足も悪く、当然、猫博にお立寄りくださる方々も
数が少なく シンドイ冬でしたので、皆様方からのご支援が心の底から嬉しく思いました。

人間の行いは、善行と悪行色々有りますが人として生まれたからにはやはり「善行」ですよね。
他人のために布施する、これが徳を積むということなのでしょうね。
私の父は、禅宗の僧でしたので私に「徳を積め、徳を積め」と繰り返し言ってましたね。
父は猫が大好きな人でした。
晴耕雨読、暇をみつけては膝の上に猫を乗せて本を読んでいました。
猫の他にも 山羊(弟を生んだ後、母乳の出なかった母の代わり)
犬 羊 兎 鯉・・多くの動物を飼っていました。
羊は毛を刈って繊維として家族の衣類として生活に役立てていました。
50年前の日本は、食料も衣類も自給でしたから、今の様にお店に入れば欲しいものが
手に入る訳では有りませんでしたからね。
子供の頃、身近に人間以外の動物が一緒に暮らしているというのは世話は一日の日課ですし、
日々の暮らしに時間の区切りが有り、生も死も生活の一部ですから
心に響くことを体験しながら大きくなったような気がします。
父は大変厳しい禅の修行をしたせいか、早朝4時には起きて作務をしていました。
本来の性格だったのか大変な神経質な部分が強く出る時もありましたが、
小さい命には優しかったと思います。
私が今 猫、犬と生活を共にしているのは父の影響が多分に有るのではないかと思います。

ところで、N社とM社の違いは何なのでしょうか?
60年前の戦争で日本は全てを失いました。
都市は焼け野原となり、戦場で多くの大黒柱である方々が亡くなってしまいました。
昭和30、40、50年代と大勢の人々に力で復興しました。
そして、良い面も悪い面も背負いながらやってきて、金、金、金、金の世の中に
なってしまいました。自分さえよければよいという、自分の会社さえ栄えればよいという
利潤ばかり追求してきました。
その結果 、周りの者の考えも聞けない人が増えてしまいました。
来る所迄来てしまったのだなと思います。

そこで、役に立つかどうかわかりませんが、
門前の小僧が知ったか振りをして仏教の良い言葉を一つ紹介します。
『忘己利他』(もうこりた)
悪事を己に向かえ、好事を他に与え己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり、
わかり易く言えば 都合の良くない悪い条件の事は自分で引き受け、
良い事は他の人に ということです。
この様な人が大勢育てば世界中の人が優しくなって世界平和が
実現できるかもしれない 『忘己利他』というのは伝教大師最澄の
「山家学生式」(さんげがくしょうしき)の中に有るそうですが
今の日本の人々、皆で理解出来たらいいなと思う言葉です。

前述したM社とN社の違いは一目瞭然です。社会還元、
社会奉仕が積極的に出来るか否か、技量 が広いか狭いか、
自分だけ発展すればよいという考えではダメですね。
周囲の者への目配り、気配り相手の心への配慮が平和の基礎だと思いますね。
みんなで一緒にやろうよという考えが有れば 皆で良くなるのに、
役所だから民間だからと区別 してものを考えていると駄目になりますね。
何も観光施設の無い町、老人ばかりの目立つ町の中で自分たちも
恩恵を受けているかもしれない物を、民間だからと言って看板を引っこ抜いて、
抜いたソバに町の桜の看板を立てて悦に入っている役人たちも
『忘己利他』を知らないんですね。世の中全て巡り巡っておかげさまで生きていることを
再認識して動物と共に暮らせる家庭を築いていかないと人類は自滅するでしょうね。

社会を見渡すと辛いニュースばかり流れますけれど、
猫博を取り巻いてくださっている人たちの心はいつも温かく優しく
うちの猫も他所の猫にも気遣いを下さる方々ばかりですから、本当に有り難いことだと思っております。






2006年2月

  2月は一寸つらい話を2つ・・・
猫博の看板が2つも取れてしまった話デス。
国道127号線竹岡インター入口 ナガトストアー前に取り付けてあったのが、
トラックでしょうか?通 りながら壊してくれました。
その後、真冬の房州名物の強風で落下。
ナガトストアーの方からの連絡で夫が引き取ってきました。

 もう1件は、猫博のすぐ近くの鋸南富山インター入口に有る看板、
これは車でも風でもない人災に因り消えた。
2月初め役場から町長名で文書が一通 届き、設置場所が町の土地になったので
引き抜く様に、との達し、夫も猫グッズ屋で他県のデパートに出張中、
戻ってから町長に聞きに行って・・と思っているうちに、役場の元気のよい若い衆と
請け負った看板屋さんが勝手に抜いてくれて、役場に持ち去り保管してそれっきり。
竹岡の看板は君津から館山道がつながってしまった今、
中途半端な位置に有りましたので、あまり重要視はしてないのですが
すぐ近くの鋸南富山インターの看板は一都六県からおいでになる方々の
目に触れる看板ですので困っちゃったニャ!って思っています。

こちらの許可も取らぬうちに引き抜いてくれましたので、それから一週間後、
珍しく私は無性に腹が立ってきまして怒り心頭、役場に電話!
町の役人(抜いてくれた本人)とワンニャン係を猫博にお招きしました。
町の役人というのは、ひとりでは来ないですね。大体2人で連れ立ってきますね。
ワンニャン係も2人、総勢4人でお見えになりました。
あの看板が大変重要な役目をしていることを4人に説明しました。
6年間あの看板は物も言わず、だまって猫好きさん方を案内してくれました。
大勢の皆様方が来館されて、この地域で捨てられた猫たちが
ご来観の方々の目に留まって里子に出て幸せになっていること、
入館料猫グッズの販売代金がエサ代、砂代、病院代として役立っている事、
来館してくださったほとんどの方にこの町でおいしいお店はどこですか?と聞かれ、
こちらは良いお店を紹介し、その紹介されたお店の利益の中から税金が生まれ、
役人たちの給料も出ているかもしれない、有形無形の恩恵があの看板には有るんだよ、
ということを夫が諭す様に話しましたが、町の土地になったから抜いたんだ、
と言うばかりの紋切り型の役人たちとの話し合い、ワンニャン係にもここが
どんな施設なのか説明しても、自発的な意見は何も無く、
上からのお達しのみで働く役人の姿が見えただけ、
時間を無駄 にしたな と虚しさだけが残りました。

読売新聞の発表によりますと、千葉県知事の報酬の高さは
全国第2位 なんだそうですね。
犬、猫の富里のセンターで薬殺している数は年間各々一万頭で日本一です。
堪えられないくらいのこの矛盾。
生まれた町、生まれた県がこんな調子です。
又、ファイトが湧いてきました。死ぬ まで猫のために闘うぞ!

・・てな訳でございまして、看板が二つも消えてしまって、
道案内が少なくてゴールデンウィークの来館者数は昨年の1/3でした。
費用不足で看板が立てられず、しばらくは皆様にご迷惑をおかけ致しますが
何とぞ猫の鳴き声を頼りにお越しくださいます様お願い致します。
2006年7月 小林幸子




2006年3月

 3月は寒い日が続きました。
暑さ寒さも彼岸までと昔から聞いていましたが、今年は違いましたね。
彼岸過ぎまで寒かったですね。でも、お中日は暖かい日でした。
お中日の11時から天寧寺の招福招幸観音様の御前で動物たちの彼岸供養を致しました。
横浜からSさん夫妻、東京からTさん、国立からKさんのご家族、地元からはSさんなど
心の底からお優しい方々がが参集下さり、うちの2才の孫2人も加わって
華やかに過去のワンニャンおさるさん等の供養をしました。
法要の後、住職を囲んで又ワンニャン談義、おさるさんにお塔婆上げたSさん、
みなさんの今や昔のワンニャンへの想いを伺って、とてもよい一日が有りました。 

天寧寺の招福招幸観音様は、H.Pでも紹介していますが2年前の秋 建立されました。
富浦のFさんがご寄進されました観音様の足元を囲むワンニャンの石像は、
12人の女性方が寄進されたものです。
12人の女性方は、私の友人で東京在住の頃 親しくして頂いた方や
こちら地元に戻り 猫博を開設して何かとお力添え下さった皆様方です。
お寺を建てたり仏像を寄進したりというのは、時の権力者がするのが普通 ですが、
このペット観音に限っては女性だけの力で建立できたのがスゴイでしょ! 
皆様の心の支えとして末代まで建っていてくださいって祈っている訳です。
毎朝、猫博に出る時はお祈りしてから出かけます。 般若心経を上げてから。 
般若心経の石盤を観音様の台座部分に取付けて頂きました。
Fさんが一文字一文字丁寧に刻んでくれました。

ご寄進下さった方々は21人の猫博をご支援下さっている方々で
今回は男性が何人か加わっていらっしゃいます。
1月初め猫の医療費カンパのお願いを致しました際に一緒に送ってくださいました、
その折は本当にありがとうございました。 
戦後の復興の一部分が人の心の荒廃を招き、連日の様に人の命が奪われている最近です。
命の大切にして欲しい、人の命も他の動物たちの命も殺すことなかれ殺されるなかれ、
山の木々、庭の草花、犬や猫、ウサギもカメもアリもバッタもみんなみんな一緒にいて、
それぞれが助け合って生きられる地球であって欲しい、人間は過ちを犯し易い動物です。
一日の食卓をみても何かしか他の動物や魚、野菜の恩恵の元に命を繋いでいる、
だから毎日をお陰様の心で生きたい 禅の道場(寺)では追って逃げるものは
口にしてはいけないという決まりがあるそうですが、俗世間にいる私共は
その真似は出来ませんから、感謝の心だけは忘れないで
手を合わせて頂く位 はしないといけませんね。

観音様を建てて頂いて、この度、その足元に般若心経のプレートを寄進して頂きましたが、
動物たちへの想い、動物を可愛がってくださる方々への感謝、
動物に無関心な方々も関心を向けて下さる様に、との願いを込めて寄進されました。
お盆の8月15日までご寄進下さった21名の皆様の御名を刻んで頂く事になっています。
猫博においでの折りにはどうぞお参り下さい。佐久間川上流500mの所です。
きっと皆様の心の平安の場となる事と思います。
お寺には黒猫のナナちゃん、キジトラのゴローちゃんがいますし。






2006年4月


 4月には今年の里子第一号が出ました。
『1月2月3月と露地栽培の花咲く房州』がキャッチフレーズのこの地で、
新年早々、海岸近くの野良猫の中に凍死しているコがいると
館山の海近くに住む方が2匹の黒猫を相次いで連れて来ました。
成猫の方は、軽い風邪。風邪の引き初めを保護されラッキーでした。
次に来たチビ黒は 重症。病院に診せてから私の手元に来ました。
高熱でしたが、頂いてきてくれた薬とポカリスエットを飲ませ、二晩、家に連れて帰り、
夜間布団の中で一緒に寝ました。3日めの朝、お寺の猫(私は寺に居候している身デス)
のエサに反応、缶 詰の柔らかいのを与えてみました。食べた!助かった!と思いました。
病院 → 保護者 → 私 この連携が上手くいった、ホッとした、嬉しかった。
このチビ黒は松戸の里親さんに引き取られ今は幸せに暮らしています。

そして、4月24日、グレーの長毛 1ヶ月半〜2ヶ月未満が助けられてきました。
これも館山で溝の中で泣いている処を助けられたのです。
このコたちを皮切りに5月、6月、7月で早20匹に達しています。
山の中に居た、海岸のレストランに居た、川のそばにダンボールに入れられていた、
温室の前に居た、不妊手術をしなきゃ駄 目って言っているのにしなかった
生まれちゃった何とか里親を探せないですか? って頼みにくる人、これが一番困った人。
魚屋さんの店先に置き去りにされた子、この魚屋さんは、私の小中の頃の同級生、
サバが沢山あがった日は、猫たちにって箱一杯下さる人、
この近辺には魚屋さんが三軒あるけど、この魚屋さんは室内で目の見えない
三毛猫を飼っている人なので猫大好き、良かったこの人の店先で、運の良いコです。

世の中全て縁ですよね。良い人に巡り会えた猫は助けてもらえます。
世の中の人が皆動物好きでいてくれたら、みんなみんな助かるのにね。
私の同級生でもう一人、鋸南、道の駅にある海産物店の女主人も猫助けの人、
お魚を下さったり、海岸に捨てられてたコを助けています。
8年前に地元に出戻りした私を同級生たちが力を貸してくれます。
昨年は68匹の仔猫を保護しましたけど今年は何匹になるでしょうね。

体力の限界、金銭力の限界を体感しつつの毎日ですが、
少しでも助けて上げられれば嬉しいですね。猫は私に励みをくれますね。
あまり腹の立つ日はないですね。役所の対応(保健所、県、環境省)にはいつも
怒っていますけど。住民の方々も小さい命を捨てる様な行為はしないで頂きたいですね。
自分のご飯一食ガマンするか、きれいな洋服1、2着買うのを我慢すれば
1匹の不妊手術代を捻出できますから捨てる前に考えて欲しいです。
町も市も助成金を少し上げて下さい。房州は一町村も出していない、
産業もない所で観光に頼っているのに年間7000人ご案内している看板を
引き抜いてくれる町ですから、どうしようもないですね。

 7月3日の読売新聞に、2017年度まで環境省は、捨て猫捨て犬の半減作戦をする
という記事がありましたね。千葉県は年間一万頭ずつ薬殺していますが、
その汚名返上のつもりか昨年は各役場の窓口を閉めまして、
受け取りはこの地区では館山と鴨川の保健所だけとしました。
そのおかげで、4割減ったらしい。
でも、保健所から遠い人たちは公園、川、山等に捨てましたね。
昨年の猫博の保護猫数68匹は、一昨年の2倍でしたから。
今年も早20匹、13匹は優しい方々の元で暮らせる様になりました。
2匹はコウ虫とコシキジウムで死亡、まだ5匹(7/5現在)は里親さんを待っています。
この現象はホンの序の口、まだまだ夏が恐ろしいですよ。

千葉は引き取りの際、今年は有料化すると言っていますね。
「益々捨て猫が増えるでしょう」と新聞に投書した方が有りましたが、その通 りでしょうね。
千葉県全体の考え方が冷たいと思いますね。
保護するより殺した方が費用が掛からないという方針ですからね。
千葉県北部のある市では、役所と猫犬好きの方々が合同で救う会を立ち上げて
行動しているそうです。杉並区は家猫を登録制にするそうですね。
でも助成金を削るらしいと先日ご来館下さった方が危惧していましたが、どうなるんでしょうね。
マイクロチップを装着させるという進歩的方法が叫ばれていますが、
読取器がない所では役に立たぬらしいですね。
まいごのまいごの仔猫ちゃんに優しいおまわりさんならぬ国、
自治体はいつできるのでしょうね。
過ちを繰り返しながら生きて行くのが人間だから、
一寸先は闇でも仕方がないかもしれませんが、
トンネル抜ければ光が見える世の中にしていただきたいですね。

ここ千葉県南部の農村地帯の意識の低さがたまらなく嫌ですが、
自分の生まれ育った土地ですから、私の命の尽きるまで
縁ある猫たちの住処探しを続けたいと思っています。
御陰様で、7年目の活動に入った猫博です。
猫ちゃんとふれあい、心安らぐ時間を持ちにいらして下さい。
困難な事もありますが、困難を乗り越えていけば安息の場所が少しずつ出来てくると思います。
どうぞ皆様、お力添え下さい。 夏休みから半年間、
いや一年間猫たちの住む環境がよくなりますように、署名運動をして
堂本知事宛に提出しようかなって考えいています。お知恵をお貸し下さい。
ではまた半年後まで失礼致します。 
7月5日 小林幸子




2007年3月

 3月3日 雛祭りです、女の子に取って楽しい思い出の作れる日です。
先日 新座市に住む息子の家を訪れる機会がありました、
息子には双子で三歳になる娘がいますが 既に飾ってありました。
私が生まれ育った頃は戦後の物の無い頃でしたので お内裏様だけで
五人官女や三人官女も並んでいませんでした。
古いお雛様は 大名家や日本一の大地主の酒田の本間家が有名ですね、
一度見に行きたいと思いながらチャンスがありません。
埼玉にある川島町の遠山美術館は素晴らしいい段飾りが有りますね、
三月中はずっと飾ってあります 天井まで届く段飾りのお雛様ですから
見応えが有りますよ いらしてみてください。

 館長日記 ご無沙汰してすみません 中々書く時間が取れませんでした、
12月末から1月,2月は身体の不調を訴えるコが多く身も心も疲れます。
ロシアンブルーのサファイア、チンチラのアナゴ、アメショウのカツオ、
白黒の小鉄が次々と世を去りました。
ロシアンのサファイアは オスで体格の良いコでした、いつも元気印だったんですが....
.チンチラのアナゴもオスでしたが いつも優しい穏やかな性格をしてなよなよと
静々としたおとなしいいい子でした.......
カツオはやはりオスです、このコも体格良く いつも食いしん坊で
マルハペットフードのCMで活躍した印象深い猫ですから、ご存知の方が多いと思います。
お父さん役のマリオと並んでお風呂(銭湯)に入って
「日本で猫やってて良かったニャア」と曰ふチビの方がカツオです。


信州のイベント会社倒産に因り 6年前(2001年6月)猫博にやって来ましたが、
元来、胃腸の弱いコでした。地元の T 先生、那古の I 先生、
最期の頃は館山の I 先生に診て頂いて居りました。
皮膚病にも患っていました。食欲は最後の最後までありましたが
腸の具合はとうとう回復出来ず 遠い猫の国に旅立ちました。
アナゴちゃんも同じ日に一緒の旅立ちでした。悲しみが重なりました。
このコもずーっと皮膚病を患って痛ました。幾度も獣医さんに通 いましたが、
皮膚の奥の方まで病気の根が深くて、完治してあげられませんでした。

小鉄もオトコのコでした。小鉄は 身体が小さかったので あまり目立ちませんでしたが、
性格は温和で いつも高い場所で仲間を眺めていました。
3年前の5月に 大貫(君津市)で兄弟で道ばたに捨てられていた処を
男子高校生に助けられて来ました。弟の方は、猫博で一週間生きました。
小鉄も短命です。3年しか生きられませんでした。病気はコロナウィルスでした。

 昨年CM猫のしゅんちゃん(白猫)が同じ病気になりました。
現在、ピカちゃんが治療に通 っています。みんな白猫なのは単なる偶然でしょうか。
コロナウィルスは治療の難しい病気ですね。
腹水がたまり 黄だん 口内炎になりまして、看病してあげるのもとてもつらいです。
ピカちゃんは今の処、食欲もあり 点滴もしておりますので
何とか回復して欲しいナと思っています。 寒いとき 暑い頃 人も猫も同じです。
体の弱い者は 病気を乗り越えるのがとても大変ですね。
物言う人間が相手の場合 物言えぬ小さな生き物たちの看護も
命をみつめるという行為は同じです。
つらさはとにかく乗り越えて生きていかねばなりません。皆さん、頑張りましょう。


前述した酒田の本間家のお雛様もそうですが、
私が今 どうしても拝観してみたいのが 東福寺の涅槃図です。
何故かと云いますと、この涅槃図には 猫が描かれていると聞きましたから。
東福寺は京都にありまして、臨済宗(禅宗の一派)の大本山です。
ここの涅槃図は東福寺の修行僧、画聖 吉山明兆(キチザンミンチョウ)が
1408(応永15年)に制作しました。毎年3月14、15、16日に行われる涅槃会に
法堂に掛けられ、一般 の人々にも公開されます。
涅槃図は、お釈迦様の十大弟子や 沢山の動物たちが集まり 哀しみにくれている図ですが、
その中に猫がいるのです。十二支に猫が入っていないので、珍しいのですって。
明兆がこの図を描いている処へ 一匹の猫がやって来て 悲しげに鳴いてきたので
「お前もこの画に入りたいのか」といって 筆を揮ったという逸話が残ってるんだそうです。
興味のある猫好きさんは 必見の涅槃図です。

ちなみに、私の生まれた寺(ペット観音を祀っている寺)天寧寺の涅槃図にも
左下部分に黒猫が描かれています。ご参拝の折にはご覧ください。
東福寺の開山(寺を開いた人)聖一国師は静岡県の御方で中国からお茶をもたらされた方です。
駿河の国を茶処にしてくださった禅の高僧です。
2007年3月 小林幸子




2007年3月

 3月15日 くもり
今日はとっても幸せな日になりました。
念願が叶いました。
看板を二つ取付ける事が出来たのです。


昨年の2月、鋸南町の役人により館山道「鋸南富山インター」入口近くに設置してあった
大きな看板が抜かれました。それから春休み、ゴールデンウィーク、夏休みと
ご来館者が激減し、猫たちの生活にかなりの影響が有りました。

なぜかと言いますと、猫博には常時100匹前後の猫が生活しています。
その上、4月末から9、10月の秋頃まで心無い人々によって捨てられた猫たちが
保護されて来たり猫博周辺に捨て置かれたり、その数が昨年は88匹に達しました。
そのコたちを助ける為の病院代が足りず、年末にはご支援いただくために
100人の方々にお力添えください、と手紙を書きました。
30名の方々が私共の窮状を察し、救援くださいました。
保護した猫の88匹は、63匹が里親さんの元へ、23匹は死亡
(皆 へその緒付で捨てられた幼い猫)、2匹が里親さんに出会えず猫博の仲間となりました。
猫博の看板の大切さは猫好きさん方は皆様分かってくださるのですが、
周囲の皆様の理解が足りないのだと思います。まだまだ努力が足りません。
今回、取付けることが出来た場所は、鋸南富山インター出口の記号前方右角と
その場所から500m先の横断歩道のある交差点の右手に「ここが入口」と書いて貼りました。
文字の型抜きもペンキ塗りも、看板の設置も、ボランティアの方々と猫博のスタッフが
行ってくれました。本当に心優しい人たちのおかげで運営されている猫博なのです。
ゴールデンウィークまでにあと2つ作って、国道127号線の直線道路のセブンイレブンの近くと、
館山道伊入口左側に取付けることが出来る様にしたいと思っています。
今回、取付けられた看板をみて初めて来館される方も増えていますし、
リピーターさん方にはわかり易くなって良かった!と喜ばれ、
看板の大切さを再認識しているところでございます。
「猫の手」をいつも差し延べてくださる皆様に心から感謝致しております。有り難うございました。

2007年3月 小林幸子






2007年5月22日

 久々の館長日記です。
裏山の鶯がホーホケキョと、何度も何度も啼く声に
じっと耳を澄ます時間をもらう事が出来ました。
山のみどりが萌黄色から黄緑、濃い緑色々に変化していよいよ夏に
向かって行っているんだなと、ゆっくりと味わいながら、すずめ・からす・カエル他
各名前のわからない生き物の息づかいを聞いたり、
眺めたりしながら病臥して一週間になりました。

とうとうダウンしました。何を為すでもなく只ひたすら病に臥し、
鳥の声をきく、こんなゆとりの時間をもらえたのは、
7年前乳癌を患って16日の入院と10日の通院以来の事です。
この頃、朝目覚めても目がパッチリと開かず、
体も石の様に硬く、すぐには起き上がる事が出来ない。
それでやおらお風呂に入り顔を洗い、顔面をパチパチと刺激し、
目を覚まし朝食を頂いて8時に猫博に出て、猫達の世話。
自分の朝食の前には寺の猫、一階に3匹、
二階に4匹のエサを上げるのも忘れてはいけない。
昨年の1月から10月迄猫博で保護出来た猫の数は結局92匹でした。

67匹は何とか里親さんが見つかり幸せにして頂きました。
残りは超チビで育たなかったり、成猫でもらい手探せず、猫博のコになりました。
そんなこんな有りまして体力・知力・精神力伴なわぬ私に重い荷物となり、
9月の末全身が水疱だらけとなり顔はおでこ、
鼻の周囲が赤くブツブツと醜いおかしな表情になりました。
その時は温泉水内科のお医者さんの点滴と飲み薬
(3度変えて)つけ薬で治りました。
がしかし、今回はスゴイの一語に尽きるすさまじさ。
お医者を変えてみましたが変化無く、一歩も外出は出来ない、
顔面細かいブツブツ鼻といわず眉毛の中、眉毛の下(まぶた)、
丸い顔面が赤鬼の如くふくらみますます丸く、パンパンに熱を持ち
言葉にするには私の文章力ではとてもお伝え出来ない有様。
おまけにお風呂の中で向きを変えた瞬間に腰をひねったのか、
軽いギックリ腰で二日間は立つ、座るが時間のかかる事、イテテ、イテテっと
何じゃコリャ。何も出来なくて、只ひたすらじっとの日々を送っている訳です。
元の美貌がとり戻せるか保証がないのですが、かんちょうの美貌は消えても、
猫グッズ博物館は変わりませんので、
どうぞ御来館なさって猫達とごゆっくり遊んで下さいね。
とにかくあれこれ心配事山程有るんですけど、
病気の時は病人になるしかありませんので、病臥するのみです。

小林 幸子





2007年5月

 私の記す館長日記は時間の無さときまぐれさと
文章力の不足さとが相まって、中々先に進まぬのが欠点ですが、
今回の事を得て過去半年のことを忘れっぽい頭の中に溜め置きされている分だけ
少し書いてみます。前回記しました3月の旅「本間家の雛段飾り」と
「東福寺の涅槃図」は旅費、時間、体力の不足に依り先送りの楽しみと相成りました。
楽しき事は溜めておくというもの自分への励みの一つかも知れない。
ナーンチャッテ、負けおしみの強い事天下一品。

3月は2つ記念日が有りました。1つは3月20日、この日は私にとって感謝の日。
今から12年前のこの日は事件の有った日ですが、事件の起きる前早朝、
マレーシアのクチン市に飛んだ記念の日です。
この日成田からマレーシアのクチン空港に直行便で15名程の
ニャンニャン大好きの人々と(クチンはマレー語で猫)クチン市を訪ねました。
そこは猫の国、街のいたる所例えばロータリー、サラワク川沿いの公園、
商店街の入口などに何匹もの猫のモニュメントが立っている町でした。


北市庁舎に市長を表敬訪問、これはとっても嬉しかった。
嬉しかったのは市長さんに会えたからではなく、(少しは嬉しかったけど)
私の嬉しさは市役所の1階ロビー、300坪位の広さ全部に世界中の
(日本の招き猫も唐草模様の風呂敷がタペストリーになり一緒に飾られていた)
の色々なネコグッズが美しく展示して有ったこと。
写真も沢山撮ってその時の感動と思い出、猫グッズの数々が
クチン市来訪から6年後の3月25日、故郷の鋸南町(旧勝山町)下佐久間に
世界の猫グッズ博物館を造らせてくれた。
又、その時訪ねた現地の人達が行っていた猫の保護活動の様子が、
現在猫博が主としている不幸な猫達を減らす里親探しの活動につながっている。


何がきっかけとなって人間の行動の助けとなるのかわからぬものです。
あの12年前、練馬でネコグッズ屋さんを始めて2年目の春、当時、夫・賢太郎が
旅行業を営む軒先を借りてネコグッズ屋をしている私に、ボルネオ島のマレーシアに
猫(クチン)市というのが有るけど行くかいと声を掛けてくれて、雑誌キャッツの三沢編集長、
練馬の猫好きさん方に集まっていただいて行ってきたという記念日なのです。



もう一つの記念日は3月25日です。
この日は世界の猫グッズ博物館の開館記念日。2000年(H12)の3月25日でした。
夫と私は、S氏という友人と1999年2月22日に富浦町(現在南房総市)に
ニャンだパークを開設したが、スペースの都合で博物館迄至らなかった。

ニャンだパークの期間は自分の思いが不完全燃焼の1年ではあったが、
2000年のこの日夫と私は自分達成りの博物館の活動を静かに始めた。
テレビで実況中継というニャンだパークの様な華々しさはなかったが、
猫博開設を雑誌や看板又、NHKの首都圏ネットワーク、FMラジオ、ポチたま等々
様々な媒体を通して少しつつ世間に知られる様になり、
又初期の頃は山の裾野の天寧寺に捨て置かれ、
寺で飼われていた20匹程の親子猫を猫博の猫舎に入れて飼い始めた。

猫グッズだけではなく、猫もいると知った心ない人々は周辺に置き去りにしていった。
心優しい人々が里親さんを引き受けて下さった。
あれから7年経ちました。
責任放棄する人、他人の悪業をだまって受け留めて、広い心で可愛い可愛いって
保護者になって下さる方々、救いの神、菩薩の化身の様な人々に囲まれての7年でした。

何故この様に心優しい人々を呼び寄せるのか、
猫って不思議な動物だナってつくづく思います。
先日GW前N社から頂いた猫のエサが底をつきまして、
困っちゃったなって思いスーパーの安売り日を選んで車を走らせたり
知人に助けをお借りしたりしたんですが、GWが始まるやいなや、
リピーターさん方がみなさん両手に猫ちゃんに「お土産です」って下げて来て下さった。
又、ホームページの館長日記を読んで下さっている方が、又宅急便で送って下さった、
この方は知多半島の人、又静岡県の方は猫の病院代って送って下さった、
お陰様で皆生き延びる事が出来ました。


昨年は92匹を保護し、67匹が里親さんの元に行き幸せにして頂きましたが、
その中M市のK氏は4匹も引き取って下さり、時々交替で2匹づつ
お里帰りと称して連れて来て顔を見せてくれます。
おまけにK氏は猫博の周りの草刈りを草刈り機持ち込みで
奉仕してくれました。「限りなく心優しい」「猫大好き」の人々です。

猫の好きな人って他の動物も何でも好きですね。
犬好きは犬をも選びますが、猫好きは動物を選びませんね。
今朝ね、武蔵野市の心ある人々が、転勤でこの季節、置き去りにされて猫を保護し、
不妊、去勢をして耳にピアスを付け区別して放して、地域猫として
面倒をみている様子が放映されていました。
少しずつですが各地に動物愛護(本当の意味での)の活動が広まりつつ有りますね。
他を羨むことはつつしむべき事と思いますが、この事に関しては多いに羨んで居ります。
何故なら、先日安房保健所が発表した数、とても情けないのです。
地元紙の房州日々新聞に掲載されたその記事に依りますと、2006年安房保健所
(安房郡鋸南町、南房総市、鴨川市、館山市が含まれます)が引き取った
(というか処分された犬猫の数)は、772匹(犬が145匹、猫は577匹)
さらに内訳は子猫が477匹で、子犬が94匹。千葉県は引き取り数を押さえる為に
2005年各市町村役場での窓口を閉め保健所だけとした。

そして2006年6月手数料を受け取る事とした。
しかし、引き取り件数は前年度比たったの65件だった。
何故こんなに効果がなかったのか。
それは猫好きならみなわかっている。何故なら手数料を受けると発表された時
同じ房日新聞に「きっと捨て猫が増えるでしょう」と愛猫家の投書が載った。
その時、私もそう、同じ想いをして切り抜きをし、ニャンコ文庫の子猫のアルバム
(里親さんから届く子猫達のその後の写真が貼ってあるファイル帳)
に挟んであるのでご覧下さい。保存してあります。

不妊去勢の手術のせず、外飼いをして、毎年々々産まれたといっては
保健所に引き取ってもらう心ない人々もいけないのですが、
県の施策も中途半端ですね、助成金を出す意志がナイ。
東京都や神奈川県、他所の県を見習って進歩ある行政を行うべきですよね。
財政がどうのこうのって言うかも知れませんけど、
千葉県て少しも貧しくはないと思いますよ。財源はあるはずです。
なぜなら全国一の数、犬や猫を殺処分(動物って命なんですよね、物じゃない)
していますが、千葉県知事の報酬の高さは全国第2位ですから(読売新聞調べ)
要するに施策に愛情がないのです。
日本で一番東の国、さいはての安房の国はいつ迄も進歩がないのです。
いつ迄経っても江戸時代なのです。
もっと進歩ある施策をって思い書いて房日新聞に投函したんですけど、
採用記載されるかどうか楽しみです、、?


顔一面がおさるのお尻か、ひどく怒った時の顔の様にまっかっかになり、
細かく一粒一粒水を含み赤くふくらみ腫れ上がり、
目の上まぶたも上から被いかぶさりパンパンにむくんだ顔のまま1週間が過ぎ、
3人目のお医者さんの処方でやっと少しずつ顔のふちから収まりつつある気配なれど、
まだ人目にさらせる顔に至らず病臥する日々。
たまには流行のとじ込みもいいかなと思い、山の木々が見え鶯の声のきける部屋で
何するともなく思い浮かぶままに書いているのですが、
このとじ込もりに入る前、何と念願の助っ人(猫の手)が登場してくれたのです。
GW中に親子連れで来館された女性がHPの「田舎の猫ちゃんの館で働きませんか」の
問いかけに応えて来て下さったのです。
世の中に神様佛様って居られるんだなって思う事しばしばありますね。
私って本当に「幸せ人間」だナって思います。
猫が協力者を集めてくれるんですね。
前記しましたリピーターさんや県北のSさん、県南のIさん、東都のIさん、Kさん、Sさん等
大勢の猫好きが集まって来てくれます。

それと不思議な現象なのですが、十二支のうちの寅の人、
みんな私の周りといいますか、猫の周りを囲んでくれているんです。
一緒に働いてくれる猪野もトラ、折りにふれて手伝ってくれる
地元のボランティア3人もみなトラ、夫の母もトラ、息子の妻もトラ、従姉もトラ、
何と今回住み込みで働くことになった女性もトラなんですって。
スゴイとり巻きだと思いませんか。猫科の動物は様々いますが、虎は百獣の王ですからね。
力強い助人です。竜と闘えるトラですから。ライオンもトラも強そうでいいですね。

ところでベトナムに行くと十二支に猫がいるってご存じですか。
日本がうさぎ年している年にベトナムに行ってみて下さい。
ホントに猫ドシなんですから。私はおサルなんですが、心は猫なんです。
今回マッカッカの顔になりました。まさにおサル。
これは最初に処方してもらったステロイド剤に依る薬害でした。
最大の原因は疲れの積み重なりであり、体力保持の困難さある訳ですが、
猫100匹、犬13頭のエサ代、砂代、病院代と最も大変なのが、
冬期11月・12月・1月・2月・3月・4月、半年間の電力会社に支払う暖房費を
確保しなければならない立場なのに、7年前の癌の体験が
どうしても私の体力持続困難にしてしまい、疲れ易い体をいかに長持ちさせるか、
夫と若い人の力を借り又、御来館下さる方々のお力添えを頂きながら、
あと何匹里親さん探しをして上げられるかわかりませんけどね。
目標は1000匹です。あと300匹はと思っているのです。
体力が伴わないのに意気込みだけは有る!

イギリスの様にね、里親さんになりたいって申し込むと
2年お待ち下さいの国もあるという話ですが、同じ経済大国の日本なのに
足元にも及ばないこの実状を考え、見ていると明日の命もわからぬ人間ながら
命を全うする迄猫ちゃん達の幸せ探しを続けようって思う訳です。
今年も早やチビ猫達の里親探しは始まっています。
体を休めている場合じゃないという思いはありますが
ひどい顔ももうすぐ直り、美女に戻れると思います?
国道コンビニ前に看板が立ちました。遊びにいらして下さい。





2007年6月14日

 きょうはね、町立佐久間小学校6年生の生徒が職場体験するというので、
先生が3人女子生徒さんを連れてみえました。
千葉県が行う教育計画に基づき、授業の一環として行われるのだそうです。
タイトルに「ゆめ、仕事ぴったり体験」と付いています。
小学生のうちから、自分に合う仕事をみつけるというのは
とても大変な事と思いますけど、今回初めて猫博がその場
(職場体験の)として選ばれた訳です(それ程この町には職場らしい所がない)。
猫博の他に生徒が向かった所は、B&G海洋センター、おどやスーパー、
町役場、社会福祉協議会、セブンイレブン、勝山保育所、ということでした。

みなそれぞれ生徒さん方の希望で、1名〜3名の所いろいろでした。
うちを選んでくれた三人の生徒達の顔ぶれをみて「やっぱりね」と思いました。
うちに何度も遊びに来ている子達でした。
猫博は日頃からリピーターさん、里親さん、サポーターさんなど
心優しい方々が集まって来て下さる場所なのですが、土・日や春・夏・冬の
長期の休暇などを利用して地元の勝山小、佐久間小のお子達がやって来ましてね、
募金箱におこずかいをチャリンとコインを入れて、新田君のいるA館や猫博側の猫達と
思いのままに遊んだり、3時のエサやりを手伝ってくれたり、トイレそうじをしてくれたり、
ニャンコ文庫で絵本を読んだり、ぬり絵をしたりして一日楽しく遊んで行きます。
お弁当持参するコも、お昼に一度帰って又やってくる生徒、いろいろです。


私が育った頃は(私は昔からボーとした子でしたので)
今の様に専門専門と、分野が分かれた学校はありませんでした。
高校が和裁洋裁中心学校でしたので、手先が無器用な私はなじめず、
卒業の時方向転換し仏教系の短大の国文科に入りました。
そこで図書館学をやったのです。今、若い二人のスタッフは動物の専門学校出身です。
私の様に只バクゼンと学校を出て出版社、水産会社、図書館等色々体験して年を重ねて
来てしまいましたけど、自分の能力と理想がチグハグで結局の処、物にならなかったのでしょうね。
中学を卒業する時担任の先生に「スペシャリスト」になれよという「お言葉」を
せっかく頂いたのに何もつらぬく事が出来なかった。

人生もラストスパートに入りかけた所で、マレーシアのクチン市に行った。
この都市の猫グッズ博物館でもある市役所がまだ私には博物館を作るという役目と、
希望を授けてくれた。希望を頂いて5年後、故郷が迎えてくれて猫博が出来た。
幼い頃、川に流される猫、畑に捨てられるコをみたり聞いたりして育った。
卒業して「あれから40年」、キミマロさんの曰ふに「あれから40年」てありますけど、
いったいぜんたい私は何をして来たのだろう、と思う今日この頃でもありますが、
専門家(スペシャリスト)にはなれなかったけど、幼い頃からの想いはこの七年、
貫いてこれたのかもしれないと思うのです。

猫博は職場体験の場所として選ばれる程の施設ではありませんが、
命の大切さを学ぶ場であるということに誇りを持ってもいいのかなと思っています。
協力して下さる皆様方に支えられながら、今日も里親探しの日々でございます。
これからの皆様いつか自分に合った仕事がみつかりますよ。頑張ろう。

小林 幸子





2007年7月

 何故か猫博には13頭の犬が暮らしてます。体格の大きい順に書きますと、
まず一番大きいのは狼犬のシロちゃん、雑種でシロクロのクロちゃん、
レトリーバーの次郎ちゃん、ウィペットのにいちゃん、スパニエルの太(ふとし)君、
次が雑種のサンコちゃん、シュナウザーのシュナちゃんとワイヤーフォックステリアのクリスと
コーギーのベリー、ミニチュアダックスのパーシーとレッドの兄弟、シーズーのラッキーと
チワワのクール、総勢13頭です。

この中で一番にぎやかなのが、レッドとパーシー。
この2匹は狩猟犬なのでしょうね。ちょっとさわがしいコ達です。
土を掘ること掘ること、サークルの隅の土を掘っては、モグラがいるのでしょうね、
一所懸命吠えては教えてくれるのです。
年中「ワンワン」「ワンワン」ここ掘れわんわん、ご近所迷惑な犬種です。
都会の密集地では飼えませんね。


猫博開設時、飼えなくなった人から預かったのがシロとクロです。
シロは歯がするどくて、フェンスの囲いをかみ切りまして3度脱走しました。
脱走する時はクロが必ず一緒です。クロはエライですね。
シロの事をちゃんと面倒みていますから。シロは時々クロに甘えん坊して、
スリスリ、スリ寄ったりしています。
4年前でしたが、クロのお腹に腹水がたまって入院したことが有るのですが、
大変なことでした。一昼夜鳴き通しでした。ウォーン、ウォーンてね、淋しいよー、
淋しいよーって泣くんですよ。その後クロは入院していませんので、あれっきり
シロの鳴き声は聞いていません。
(2月でしたか、シロは入院しました。子宮蓄膿症でした。2日間入院しました。
大部弱りまして心配しましたが、若いスタッフの手厚い看護で立ち直り現在に至っています。)

あとの11頭は、郵便やさん、宅急便やさん、御来館者のみなさまがお見えになる度びに
「お人が見えたよ」「見えたよ」ってみんなで吠えます。スッゴイ賑かさです。
なんたってよく教えてくれる。それに比べると猫は、ごはんの欲しい時と、
遊んで欲しい時位しか鳴きませんから猫の方が飼い易いと思いますね。
室内飼いで、外に出さない様に、事故に合わせない様に、安全第一で飼えますからね。


犬は周囲の状況をよく判断して飼わないといけませんね。
何故犬が何匹も猫博に暮らしているのでしょうね。
狼犬シロと母役のクロ以外は、夫の賢太郎がどこぞから連れて来たんですね。
1匹1匹ドラマが有る様です。今度いらっしゃった時、夫に問うてみて下さい。
犬も猫も命です。最期迄面倒みましょうね。


7月4日に高速館山道の木更津と富津中央が繋がりまして、
東京から南房総市富浦インター迄、1時間40分程で結ばれました。
猫博は終点の富浦インターの一つ手前の
「鋸南富山(きょなんとみやま)インター」で下りてください。
出るとすぐに信号が有りますので、右折して500m走って下さい。
500m走ると横断歩道が有りますので、右折して道成りにおいで下さい。
出口から2分の近さです。佐久間川のそばに建っています。
海岸線で海を見ながらいらっしゃる方は、木更津南インターで下りて
127号線を40km走り鋸南町に入り、保田を過ぎて、安房勝山駅の信号から
1つ、2つ、3つ目の信号「下佐久間」を左折し、
内房線の踏切を渡り800m走行し、横断歩道(看板がそばに有り)を左折です。
(鋸南富山インターからの横断歩道と同じところです)
近くて速い山の中を、みどりの山々を見ながら高速を走るか、
海の青や波に浮かぶ船を見ながらいらっしゃるか、どちらがよろしいでしょうか。
行きと帰りを別々の道を走るのもいいでしょうね。


山の中を走る高速道には、猿注意の看板が要所々々に立てて有ります。
上総湊の高宕山の猿園から脱走したのか、房総の山中にはずい分と野生化したオサルが、
家族連れでいますよ。私の住むお寺の裏山にもよく出没して、屋根の上で運動会をしたり、
電線にぶらさがったり、樹木の枝渡りを見せてくれたり、ゆかいな仲間達です。
かつては、お寺の山にはずい分ゆりの花が咲いていました。
柿の木(とてもおいしい次郎柿)も有りますが、ことごとく抜かれ食べられ、消減しています。
柿はもっと甘くなってから食べればよいものを、と思いますけど、青いうちに無くなります。
とにかく房州が東京から近くなりましたが、野生に生きているもの達の住かを
横切って走りますから、くれぐれもご注意なさって走って来て下さいね。
もうすぐ夏休みです。御家族連れでいらして下さい。


先日6月の末にたまちゃんが死亡しました。老衰でした。
この子は何才なのかわかりません。
昨年の8月、木更津の方が4匹の猫を私に託されました。
その後もう1匹秋になって連れて見えました。この子がたまちゃんでした。
この方は優しい方で、猫博はいつも大変だねって云ってご支援下さっていました。
4年位前からの知り合いでした。
背のスラッとした紳士で、元南海フォークスの野球の選手だったとのことでした。
その方が昨年の8月横浜の病院で手術をするので、
退院する迄面倒みて欲しいと連れて来られたのです。
退院後一度お見えになり、「この子達ともう一度一緒に暮らしたいんだ」と
おっしゃられたのですが、退院されてまもなくもう一度入院し、二度とお見えになる事はなく、
くしくも2月22日、猫の日に帰らぬお人となられたのです。
人も猫も犬も猿もみな命です。いづれはこの世から去るのが定めです。


自分がこの世を去る時、誰にこの総勢を託すか私の永遠の課題です。
年を重ねた者が、犬や猫を飼い生きがいをもらっているのはとても良い事です。
若い家族が同居されている場合は安心ですが、そうではない場合どうするか。
やっぱり公共のシェルターを作るべきですね。
お役人さん方、税金のムダ使いをやめて下さい。命有る者へお金の配分をして下さい。
律令制以来の役人天国日本です。
もっといい国にしましょうよ。
安倍さんに強いリーダーシップを願いたいものです。


先日、野から助けられて来たキジ猫のチビが横浜に巣立ちました。
老若同居の理想的なご家族でした。
室内で最期迄飼って下さると約束して下さいました。
今年3匹目の旅立ちでした。

7月5日記 小林 幸子





2007年7月17日(火)

 九州鹿児島に上陸して、日本列島を東に向かって各地で沢山の爪跡を残して
房州南方の海上に消えて行った台風4号の記憶がまだ新しいのに、
新潟長野の中越ではマグニチュード6強を記録した突然の大地の揺れに逃げまどう人々、
つぶれた家屋、崩れた崖、大きく口を開けた道路等の毎日テレビのニュースで
報じられている様子に、今地球は激しい転換期を迎へている事を感じます。


 今朝、猫博の駐車場の車のかげに小さなダンボールが一コ置かれていました。
今期二度目のダンボールです。雨に濡れていました。
猫博には、前述しました様に犬の頭数も多いのですが、
犬舎の広い狼犬と雑種犬のクロ以外の大小の犬は、朝8時前に
猫博玄関前の運動場に移動させます。
移動の時、この季節は特に見回りが重要です。
繋く前、サークルに放す前にいつもより時間をかけて遠回りしてもらいます。
3時の犬じまいの時も同様です。これがとても大切な事なのです。

今年の梅雨は雨量も多く草もよく繁ります。
松戸のK氏が二度刈って下さり、又、先日夫が柏の高島屋のイベントに向かう前にも
ガアーガアーと草刈りの機械を動かしてきれいにして行きましたが、
車のかげや草のかげ等にダンボールは置かれています。
大抵、四〜五匹は入っています。
昨年は五匹のうすい袋をかぶったままのいわゆる産まれたばかりのコが、
草の中にばらまかれる如く置き去りにされていました。
まさに母猫の胎内から出たばかりをです。
発見した新田が一匹一匹きれいにふいてくれて、ミルクを飲ませますが、
初乳も飲ませてもらえずに置かれるのですから育つ訳もなく、悲しみのみが残るのです。
今回のコは育ちそうな気配です。希望を持っています。
昨年はこのようなコが4組ありました。
暑さの来るこれからは、無責任極まりない人々との闘いの季節です。


7月・8月と9月・10月・11月・12月、ずーと里親さん探しです。
いつ果てるとも知れぬ永い闘いの日々が今年も始まりました。
今ね、そんな訳で、ミャーミャアー(四匹はミルク乳のみ乳児ですが)
他はほぼ2ヶ月〜2ヶ月半位です。
夏休みはみなさん遊びに来て下さいね。
里親さんになって下さいね。

この夏は8/2〜8/31迄、池田あきこさんの作品
「ダヤンのネコグッズ」の展示販売会をいたします。
池田さんは、夫が主催者として行っている各地デパートでの猫グッズ展でも
多くの作家さんネコグッズやさんの皆様と共に、猫博の猫達の救済活動に
お力添え下さっている方です。
形は小さな猫グッズの数々ですが、大勢の皆様方に少しずつでもお買い上げ頂ければ
彼等の助けになりますので、どうぞ皆様よろしくお願いいたします。


 今回柏の高島屋でのグッズ展の初日に、NHKテレビの取材がありましたそうで
救済活動の現状を夫は話題に上げた様です。実際の放映は、8月15日の8:15〜、
15分間でBS2で行われる様です。ここ猫博にテレビはありませんし、
あったとしてもBS映りませんが、映るお家の方はどうぞご覧に頂ければ嬉しく存じます。
ネコグッズの販売の様子も放映されると思います。


 前回書きました、館長日記の中の後の方に安倍首相云々の個所で、
安倍と書くべき処が阿倍の文字で書かれていると読者の方から指摘がありました。
そこで間違えついでに、アベ氏とは何流あるのか調べてみました。
アベという地名は東北、関東に多いそうです。
阿部、阿倍、安倍など書き歴史は古く、八代孝元天皇の皇子、大彦命(オオヒコノミコト)の子
武淳川別命(タケヌナカワワケノミコト)がご先祖様なのだそうです。
武淳川別命は十代、崇神(スジン)天皇の時代に東海を巡り、
その子孫が東海、北陸、陸奧に広がっていったのだそうです。

大化改新の時の左大臣が阿部倉梯麻呂(アベクラハシマロ)、
斉明天皇の時代、朝鮮の白村江(ハクスキノエ)で唐軍と戦ったのが阿倍比羅夫(アベヒラフ)、
文武天皇の時の右大臣は阿部御主人(アベミウシ)、
奈良時代の遣唐留学生に阿部仲麻呂などがいます。
陸奥(ムツ)、出羽(デワ)の安倍氏は、神武東征のおり長髄彦(ナカスネヒコ)の兄、
安日(ヤスヒ)が摂津の国から逃れて土着したのだそうです。
そんなこんな名字、地名を調べると面白いのですが、
日本人はいつ頃この日本列島に土着したのか色々と研究されている方々いますが、
古い話は忙しい毎日の中で考える時間も有りませんけど、
自分はいったいどこから来たんだろうって果てしなくわからない事考えるのも
たまには楽しいかもしれません。中学生の頃か、小学生の頃か忘れましたけど、
自分の祖先が誰なのか調べてごらんというのが夏休みの宿題にありまして、
父方は大橋といい、豊臣秀吉の時代迄さかのぼれた記憶があります。
母方は渡辺といい、母のいとこに研究者がいまして、
ものすごく古い処迄調べて家系図を作った人がいます。
何はともあれ、祖先から何かしかの恩恵を受けて今この身があるのですから
「感謝して生きなくっちゃ」って思っています。
梅雨明けが遅い様ですが、明けたら暑くなります。
水分を沢山摂取してお元気でお過ごし下さい。

7月20日記 小林幸子





2007年9月

 月が変わり9月に入りました。又、久々の館長日記を書いています。
今日は6日(木)です。台風9号が小笠原方面から北上し、
関東地方全体を包み込み、大荒れに荒れました。
電車は全て止まり、都内のホテルは満杯になりました。
ホテルに入れない人々は、24時間営業のお店や駅の構内で夜を明かした様です。
5日、6日とビックサイトのギフトショウに出かけていた夫も心配でしたが、
元々が旅行屋の夫、故えどこかに潜り込むであろうと思いながら2度メールを
入れてみましたが、「大丈夫、なんとかなる」という返事が返って来ました。
人も物も車も、全てが吹き飛ばされそうな風の強さですから、あの巨体でも
吹き飛ばされるかもしれないと少しは心配しました。私は日頃から人間の事は余り
心配しない体質で、今回も猫と犬が一番心配でした。
自分の力で行動出来ない動物達がとても心配です。
大きな台風になりそうなので、接近の前に猫博玄関前の傘立て、植木、
石のニャンコとニャンタの像など、ガラスにぶつかっては困る物を全て片付けてもらいました。
猫博側の猫舎はいつも南側から雨が吹き込み、浸水しますので、
床に新聞やタオル、毛布などを敷き詰め万全を期しました。
備えあれば憂いなしで、ご支援者の皆様が猫犬達にと送って下さったり
持参して下さったりの新聞紙、毛布、シーツ、タオル類が大変役に立ち、
感謝する場面です。本当に有り難うございます。
又、もう一つの猫舎(50匹が住む所)A館は、
東側の雨樋が壊れているのでここも吹き込みます。
東側にはケージを置かないようにして、吹き込みに依る水浸しに備えなければなりません。
今までは台風接近など大事な時は、夫が力を発揮してくれていましたが
今回は留守でしたが、少しも困る事はありませんでした。
何故なら住み込んで見ていてくれる、若いスタッフが二人いたからです。
二人でガッチリ両方の猫舎、犬舎をそれぞれが分担して、守ってくれていたからです。

3年前の10月の台風では下佐久間信号の所と入口近くの看板が落下しました。
作り代えるのに大変な思いもしました。自然災害は抵抗不可能です。
日頃の備えが大切ですが、万全を期すには費用も掛かりますね。
猫博は貧乏人の慈善事業ですから、その捻出にいつも四苦八苦です。
河川、山、海とも普段は眺めているだけで心休まる景色も、
一旦吹き荒れる暴風雨にさらされると、エライこっちゃです。
昔から治山治水は、政り事の基本的部分だと聞いていますが
この部分は世の中の進歩に比例しないですね。
又、予算がどうのこうのって言うでしょうから。
役所を攻める言葉が出て来てしまいそうですが、武田信玄、太閤秀吉も河川の
氾濫には手をやいていたという話も有りますけど、今も同じですね。
その都度、自衛隊の皆さんがかり出されて、役所の人々がくたびれて、
住民の方々がご苦労なさる訳ですね。
備えにはやはり心とお金を使わなくっちゃ。
本当に必要な所に税金を使って下さいませ、お役人さん方!
横領したお金はちゃんと返して大切な部分に当てて下さいね。
社会保険庁の不明金もどこに行っちゃったんでしょうね。
善政を敷いてほしいですね。ホントに。
 

 7日、夜が明けました。南、東、北と時計の反対回りの渦巻き状に、
吹き荒れた雨と風に、天然記念物の大木「柏槙」の枝が大きく千切れて
庭のアチコチに散らばっていました。寺男の佐藤さんが、片付けるのに大仕事でした。
皆様のお宅は大丈夫でしたか。お見舞い申し上げます。
「早く去ってよ」って言いたくなる強烈な台風でした。本当に速度の遅い台風でした。
 

 4月、5月、6月とずっと体調不良が続きました。
7年間休まず続けた仕事ですが、少し休みなさいという事かも知れないと考え、
湯治に行く事にしました。学生時代に一度だけしたことのある
「一人旅」をしてみようと思いました。
夫の小林にインターネットで栃木県の湯治場を探してもらいました。
那須の西側の板室温泉を見つけ、リュックを背負って5日間の予定で出かけました。
那須塩原駅で降り、一駅在来線で黒磯の駅迄、誰も訪ねる人もいなかったのですが、
黒磯からバス東野交通で40分、終点の板室温泉に着きました。8月2日のことでした。

 今は只ひたすら体を休めたいという一途な思いから、猫博を後にしました。
イベントから戻っている夫が一週間は居てくれる、スタッフ達三人で
猫、犬のことはしっかり見てくれるという安心感があったので、出掛けられたのです。
皆、信頼出来る人ばかりだから後を振り向かず出掛ける事が出来たのです。
首、顔、体中、あちこちに再び湿疹が出て来ていました。
自己管理不十分なくたびれ果てたこの体を修復するには、温泉につかって疲労回復を
はかるしかないなと思いました。
新幹線→在来線→バスと乗り継いで静かな山間の温泉場に着きました。
終点のバス停の周りに千葉ではとっくに咲き終わっているアジサイが、
まだ色彩かに並んでいました。
杉木立を両側にみて、涼しい道を通り抜けると一井屋という予約してあった
旅館がありました。カナカナ蝉と川のせせらぎが歓迎してくれました。
4時頃到着しましたので、夕食迄お風呂に入ったり部やの前の川べりを散歩しました。
お風呂にも川べりにも誰も居りませんでした。
「一人静かな所に来た」という最高の気分を味わうことが出来ました。
川の名は那珂川でした。千葉の川とは大違いの澄んだ澄んだ清流でした。
日本一長い小説「大菩薩峠」を書いた福生の中里介山は、房州の川には
鯉も住まないって書きましたが、那珂川のこの澄み様では、アユもマスも
いるのだろうなって思いました。
千葉は海の青は負けませんけど、川はどこにも勝てませんね。
栃木の山奥って8月でもとっても涼しいです。
白米もとってもおいしい、寒さがあるからでしょうね。
8月といえば千葉の米はもう刈取り間近なのに、栃木ではまだ「まっさお」の状態でしたから。
 
 2日目は朝10:00に黒磯迄出てみました。
黒羽町の臨済宗の雲厳寺を参拝してみたかったからです。
東野バスの便がなくて市営バスがありましたが、いつ発車するかわかりませんでした。
仕方がないのでタクシー代を奮発しました。
雲厳寺はうっそうとした木立に囲まれた、いわゆる禅家の七堂伽藍が建ち並ぶ
750年間の歴史有る大寺、聞こえてくるのは蝉の声だけ、一人も人の姿無し、声もなし、
山門前の石段に腰掛けていたのは2時間位だけでしたが、参拝者か観光客か
三組の人に出会っただけ、江戸時代芭蕉も訪れているこの禅寺は静寂そのものでした。
自分を取り戻す時間が頂けました。
夕方雲厳寺から宿に戻ると、夫の小林から「電話する様に」と伝言が入っていました。
5日の予定で出発しましたが、猫博を後も振り向かずの旅は3日で終了となりました。

訳は何と夫の甥が32才で急死したのでした。
この子は私が初湯をつかわせ、息子(31才)と兄弟の様に育った可愛い甥でした。
3日目は何も手につかず、お風呂に入っただけでした。
川の流れをみつめて過ごしました。
4日目東京駅で夫と落ち合い、亡くなった甥の葬儀場に向かいました。
 
 人の世は時に想像出来ない出来事があるものです。
夫の姉の涙は止め様もありませんでした。
人はみな漠然と生きている時がありますが、明日の命はないのかも知れないのです。
善行を積んで、一刻一刻を自他の為に生きましょう。猫の為にも。犬の為にも。
諸行は無常なんです。悲しみのやり場がないとはこの事です。
生後7ヶ月の乳児と妻が残されました。


という訳で、悲しみを抱えながら家出5日目で猫博に戻りました。
そして現実に戻りまして・・・。
チビちゃんがね、この夏休みはまだ11匹だけしか里親さんに巡り会えないんです。
ホームページにも載せて有りますが、白い猫2匹、三毛1匹、白黒3匹、
キジトラ2匹、黒と茶のトラ2匹です。
もう1匹トラ(アメショウ柄)「里親さんヤーイ」って声を張り上げて待っています。
みんなみんな人なつこくて2ヶ月から4ヶ月半位のチビちゃん達です。
猫ちゃんに「幸せ」を分けて下さい。お願いします。
生あるもの皆生きる権利があります。
「捨て猫」「置き猫」はいけません。不妊去勢をして上げて下さい。

不妊、去勢といえばね、ここ7、8年の体験から昨年夏辺りから
いよいよ行動に移そうかと思っていた署名活動に、8月1日から着手しました。
前々から館長日記では、折りにふれ書いてきた事柄です。
千葉県は犬・猫の殺処分数が日本でトップであったこと。
この数を減少させる為に県は役場の窓口を閉め、受け取りを拒否し保健所だけとし
2006年にそれをさらに有料化しました。
しかしこのやり方で捨て猫・犬は減ったのか。少しも減ってはいないのです。
受け取らず数を減らし、命が救えたのか。
救えてはいないと思うのです。
かえって野山、海岸、川の渕、公園、駐車場、その他色々な所に命が
物と同じように捨てられているのです。

昨年の猫博が保護できた仔猫89匹、成猫3匹、計92匹である。
そのうちの4匹は県外の東京と茨城からも来ている。
うちだけでこんなに多勢である、県全体からしたらどんなに
ふくれ上がった数にあるのだろう。
不妊、去勢をして一代限りで飼ってあげて欲しいです。
むやみに産ませて川や山に捨てないで欲しいです。
千葉県が行っている施策は肝心な所を除いています。

 各市、町、村は不妊去勢の助成金を支給すべきでしょう。
私共が保護している里親探している数は、県全体から見たらわずかでしょう。
あちらの町で、こちらの町で、心ある優しい人々が「エサやっちゃ駄目」って
心無い人々に排撃されながらも、小さくても命ある者達に愛情を注いで下さっている。
「浜に居る」「駐車場にいる」「様々な所にいる」外猫にだって、
生きていく権利は有ると思います。
先日来、外房に住むSさんと手分けして、私が内房北総の市町村の
助成金の有無を調べています。
ほとんどの役所の返事が「出しては居りません」の一言です。
 
 悲しくなる程助成している都市が少ないのです。
やはり想像した通りでしたね。
9月7日現在、助成している市町を上げてみますと、千葉、船橋、旭、銚子、市原です。
市川市は外猫のみで、家猫はやめましたとのこと。
夷隅、御宿、大原、岬の各町は出ています。
北総各市、東京湾側各市、安房地域全て助成金は有りません。
市民や町民から支給希望は有りませんかと、伺うと2,3有りますが、
全くありませんの返事が返って来ます。
役所のおざなりさ、住民の低い意識を感じます。
心有る人々だけが心砕いているという感じがいたしました。

 千葉県て財政困難ではないですよね。
なぜなら、私の記憶に間違いがなければ、県知事閣下の報酬は
全国第二位の高さですからね。(読売新聞調べ)
でも、犬・猫の命処分数は日本一なのですから、すごい矛盾だらけでしょう。
私はいつも猫や犬の代弁者のつもりで、多方面に向かって怒りを
発信している訳なんですが、ちゃんと受け取ってくれる人は、本当の猫好きさん方
(猫博に来られる方、ご支援下さる人々、里親さん方等々、温情示して下さる方々のみです)。


 35年間暮らしていた東京練馬区のはずれの町も、半農村地帯の様な所であり
新興住宅地でした。当然のらちゃんも居ました。捨て猫も多かった。
近くの友人と費用を出し合って、道を挟んだ埼玉県新座市に
理解ある獣医さんが居り、手術を依頼しました。
住み慣れた練馬を後にし、故郷の房州に戻り、にゃんだパーク、猫博と開設し、
あれから10年が経ちます。
にゃんだパークの運営は1年間で「さようなら」しましたが、
自己本来の目的である「猫グッズ博物館」は開設8年目になります。
8年の間に、大勢の猫好きさん方とお話しできました。
県内はもちろん、神奈川、東京、埼玉、栃木、茨城、静岡、
はるかに遠い愛知、長野、石川、福島県等々から訪れて下さる人々もいます。
大阪、奈良、福岡、沖縄の方々もいます。
香川、徳島からご支援下さる人もいます。
その中には、猫の保護の第一線の前面で活動されている人々も居られます。
パートで働きながら夜間、早朝とのらの面倒を見て下さっている人、
ネット上、知って下さる人、雑誌を見たという方、
ラジオ・テレビの視聴者の方、様々な媒体を通してここを知って下さった人、
看板を頼りに寄って下さる人、一度訪ねた方から口コミで来館下さる人、
色々な方法で猫博に寄って、何かを感じて物心両面で支援して下さる人々
がだんだん増えて来ました。


年月の重なりの結果だと思います。
人の心は基本的には優しいのだと思います。
時として優しさが隠れてしまう場合も有りますが・・・。
奧に潜む優しさを犬や猫、他の小動物達は引き出してくれるのです。
人は子育てをしている間は、余り感じない淋しさ、寂寞感を
子が巣立ったあとに感じる様になります。
趣味や奉仕等に生活の糧を見出せる人は、自分成りの暮しを進むことは出来るけれど
夫との会話も少なくなり、むなしさ、淋しさに被われた時どうするか。
そんな時の出番を待っていて、本領発揮とばかりに登場してくれるのが
ワンニャン、ウサギ、フェレット、お魚等々、そばに居てくれるといいな、
という伴侶となる動物達。動物や花、生物、地球上の生き物は皆、人間の心の
「おくすり」なのだと思います。
悲しそうな顔をしていれば、どうしたのってペロペロ舐めてくれたり、
お膝にスリスリしてなぐさめてくれます。
馬も山羊も猿も、イノシシもヘビも、みんな地球で暮らす仲間です。

ヘビといえば、先日買い物(猫博の皆の昼食)から帰ると、
玄関の自動トビラの前に「ヤマカカチ」がいました。
ニョロニョロ動いており、びっくり仰天。そのまま右に壁伝いに去って行きましたけど、
この辺りは周囲が田んぼですから、カエルも多くいるので、ヘビもいるのです。
自然の姿がまだ有るのですね。
それからそれへと、色々な事が有る田舎です。
人間は地球を征服すべきではないのです。
生物と皆、共に生き、共に暮すべきと思います。
心をほっとさせる、ぬくもりをもらっているのですから。

9月8日と、9月15日は上京しました。
8日は私の趣味、(年に二回程度しか出席できないのですが)、東アジア歴史研究会でした。
出席者は20人位で、毎回講師が変わります。
マスコミ界の重鎮であったり、大学の先生、宗教界の先生等、
多才の方々のお話しが聞ける会です。
私の頭脳には一寸っと、重たいテーマの時も有るんですが、
好きな歴史の話は心の洗濯にもなります。

 15日は、コンサートでした。銀座の王子ホールで、ピアノ中心のコンサート
「いとうたつこ」さんという方のピアノ歴30周年記念リサイタルでした。
音響芸能には無縁な私ですが、(名は小林幸子なんですけどね)
「ねこふんじゃった資料室」を主催する、宮本ルミ子さんのお世話で
チケット10枚が「猫のチャリティ」として提供して頂けたのです。
猫のご支援者の方々に、何人か声を掛けさせて頂き、チケットを買って頂きました。
チケット代の半分が、猫の為の病院代として「寄付」して頂けました。
岩崎カネ子さんの「耳なし芳一」の朗読が、ピアノ伴奏で語られました。
7月半ばには、宮本ルミ子さんプロデュースで障害者の方々の為の
「ねこふんじゃったコンサート」が有りました。
その時は、支援者の方三組を宮本さんが招待して下さいました。
昔、「黒ねこのタンゴ」って有りましたよね。皆川オサムさんが唄っていました。
猫にまつわる曲って沢山有りますよね。いろいろ演奏して下さいました。
「ねこふんじゃった」のうたが可哀想よねっておっしゃる宮本さんは
「ねこふんじゃだめ」という曲を作っています。水森アドちゃんが唄っています。
このCDは猫博に有りますので、今度聴いて下さいね。
いとうたつこさんがカンツオーネや世界各国の代表的な曲、
リズムの中に「ねこふんじゃった」のメロディーを組込んで作ったCDも有ります。
猫の扮装をされた歌い手さんと共に、それらの演奏もして下さったコンサートでした。

このようなコンサートでしたら猫大好きな方々には、とっても
喜ばれるのではないかと思います。
チケット代半分が猫の為に還元のチャリティコンサートです。
次回のコンサートには声かけさせて頂きますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
一つのコンサート全部を立ち上げる力は、私には有りませんが
宮本様のお世話で、部分的な支援コンサートでしたら関わりが持てる様に思いますので、
是非ご協力、お力添えを頂ければと思います。
一寸っと過去の事になると、すぐに日付を忘れるのですが、
この日は確か7月24日だったと思います。

 7月の頃はまだ顔が赤くて、人前に余り出る事をためらっていましたが、
少しづつ回復して元気を出さなくっちゃと、思っていましたので
コンサートの帰り道、常磐線に乗って柏に行きました。
柏の高島屋の地下2Fで「猫グッズ展」を開催中でした。
グッズ屋さんの出展品、作家さん方の作品が「どんなかな」って思う事と、
売れているのかしら?、いつもいつも出展し、ご協力頂いている皆様にも
お礼を申し上げなくてはって、思いながら出掛けて行きました。

「フレンドキャット 猫博」が主催するグッズ展は、今年は年末まで
30ヶ所のデパートで行っています。
西は広島、北は八戸迄、日本列島各所を歩いています。
地域に依って売れる所、売れない所、招き猫が本領発揮できる時、できない時、
いろいろ有ります。各所に赴くには交通費、宿泊費、食費がかかります。
売れ行き不振の時は、それら費用が背に重くのしかかる時が有ります。
「競馬やマージャン、パチンコ」などのギャンブルと比べると
「ひんしゅくもの」ですが、売れている時は、「グッズが足りなーい」って喜びの声が
ひんぱんに夫からメールに依って有りますが、売れていない時は
「寂として声ナシ」になります。
売れたり、売れなかったり、やって見なければわかりません。
販売はカケの様なものです。出展されている皆様は、
なおさら「その想い重々」かと思います。売れても売れなくてもデパートへの場所代、
フレンドキャットへの手数料が差し引かれます。
仕入代金、制作費、その労力といろいろ掛かります。
ピンハネされている、という悪い表現をベテランネコグッズ屋さんが用いられたと
聞きましたが、売れない時はそのような言葉も吐きたくなるのでしょう。
私も東京にいる頃は、様々なデパートの現場に立っていましたので
今デパートで出品されて居られる方々の気持ちを、お察しする事は出来ます。
そんな自分ですので、現場で販売されている皆さんにお礼の一言も
申したかったというのが、のこのこと赤ら顔で、疲れた体で出掛け行ったと
いうのが本音なのです。

デパート開催をする迄に、小林は各デパートと出店交渉、日程の取り決めや、
出店業者さん、出店作家さん方への依頼、会場の図面引き等、打ち合わせ、机の上の作業、
様々な段取りを、3分置きに煙草を吸いながら行います。
デンワが鳴る度、デンワを掛ける度に煙草に火を付けます。
健康に良くないですね。細かい仕事ですから、気も抜けないのでしょうが・・・。
たった一週間のデパート開催ですが、準備に本当に手間が掛かります。
作家さん方も手作りの時間配分て大変なのではないでしょうか。
子供さん、赤ちゃんのお世話もしなくてはいけない。眠る時間も無い。
女の人って休む時間て無いですね。
グッズ業者さんも仕入れ、値段付け、ダンボール詰め、何やカンやと
イベントを開催する迄いろいろ労力、知力かかります。
人間は知力が有ります。
知力と労力を合わせれば、動物達を助けられます。ご協力下さった皆さんからの手数料が、
猫博での犬猫救済の為の資金として使わせて頂いています。
今年もすでに子猫達の里親探し、ニャンニャンて大騒ぎです。
病院代、電気代、水道代、何もかも不足しています。
貧乏人の慈善事業です。
(お金持ちはお金を減らしたくないので、そんな馬鹿な事はしないそうです。
貧乏人は元々無いからするって、誰かおっしゃっていましたが。)
一人ではとても出来ません。皆様のご協力本当に有り難く思って居ります。

この処、犬も2匹やって来ました。
1匹は保健所から新田が助けました。この仔は里親さんが決まりそうです。
もう1匹は迷い込んで来ました。飼い主を先ず探します。
そして、見つからない時は里親さんを探します。
日中は、まだまだ汗かきかき、作業をしている日々ですが、
明け方近くが冷え込む様になります。
風邪をひく猫の病院行きが、増えて参ります。季節の変わり目です。
皆様もお体充分大切になさって下さいませ。

書きたい事が沢山有りますが、上空でカラスが「早く起きよ」って鳴いています。
ここのお寺のカラスは、母が餌付けをした為に朝食をおねだりします。
残飯が中心ですけどね。残飯の無い朝は、キャットドライを少々食べています。
そろそろペンを置きます。皆さん遊びにいらして下さいね。
里親さんになって下さい。小さな命に幸せを下さい。
よろしくお願い致します。

2007年9月22日 小林 幸子






2008年5月17日(土)

 連休も過ぎ、やっと晴天が続くようになりました。
連休後の猫博は、毎年御来館者は少なくなります。
そんな中、リピーターさんのKさんが玉ねぎ狩りの帰りに寄って下さいました。
猫達にエサのプレゼント、バスタオルを持参して下さいました。
お帰りの時、玉ねぎ迄プレゼントして下さいました。
今日はその他にも良いことが有りました。
4月19日に、猫博駐車場にダンボール詰めにされた、4匹の生後3日目くらいの乳飲仔が
置き去りにされていましたが、その後1ヶ月たち、住込みスタッフによる努力の甲斐が有って
無事1匹も欠けることなく育ちまして、茶色のチビの里親さんが決まりました。
まだ生後1ヶ月、あまりにもチビですので、あと1ヶ月半猫博で育てまして、
7月半ば迎えに来て頂き、里親さんの元で暮らします。ネネちゃんになります。
茨城県からお見えになったご夫婦です。名前はネネちゃんと命名して下さいました。
そんな訳で、お久しぶりの館長日記
相変わらずストレートで飾り気ゼロの雑文を、又書き出しました。

半年前の10月から書いてみます。

2007年10月18日

この日は、有限会社フレンドキャットの誕生日でした。
家族の誕生日は忘れずにお祝いしますが、
会社の誕生日は仕事の忙しさにかまけて大抵忘れていますが、
今年は何だか気になって、改めて会社謄本を眺めてみました。

設立日は平成8年10月18日とありました。
平成8年て今から12年前のことです。思い返してみますと、
あの頃の日本経済は台風襲来の真只中、大荒れに荒れていました。
バブルが弾けて、倒産する会社が続出していました。
失業者が溢れて大勢の人々の行く道が閉ざされ、駅の構内や大きな河川の渕に
ホームレスの人々が増えた時代でした。

あの頃、夫は旅行業を営んでいました。国内、海外の現地手配の仕事をして居りました。
が、バブル崩壊に依り不景気な会社が増え、福利厚生費の捻出不可能となり、
社員団体旅行が激減しました。そのあおりを受けて、夫の会社も風前の灯火となり、
当然はかなく消え去りました。

その頃、私は(今から14年開業)夫の会社の前部分(軒先)を借りて、
ネコグッズ屋を営んでいました。今でこそ、猫グッズ屋さんて大勢いらっしゃいますが、
まだその頃東京でも何店舗も無かった頃です。
4,5店舗は有ったでしょうか?
所は練馬(西武池袋線)の大門通り商店街の真中辺りでした。
何となく淋しげで小さな店舗の多い商店街でした。
そこで開業して2年目の年、会社を建てました。
有限会社フレンドキャットが誕生しました。

開店して間もなく、猫の雑誌キャッツが取材に来店、
珍しいグッズ一杯のお店が有るよって掲載してくれました。
その掲載誌を見てくれた横浜そごうが、「猫と猫グッズ展」をするのでと
出店要請をくれました。そして更にその「猫展」を密かに見て来てこられた
プランタン銀座の猫展担当者が、5月と10月の猫グッズ展に出るよう
お誘い下さいました。又、7階にあるグッズ売り場「猫の部屋」に、
常設棚での委託販売も始めることが出来ました。

池袋の東武デパートにも常設が出来たり、都内のあき店舗を探して
一週間ずつの「巡り店舗」もやりました。
搬入・搬出は夜中の9時から12時迄の夜間作業でした。
夫と二人で、全国のデパートやあき店舗巡りを致しました。
デパートとの取引が増えるにつれて、
フレンドキャットを法人化してはと、会計士さんから提案されました。
夫が会社を無くして、家も無くして、無一文の私がどうやって
会社を建てればいいのだろうって一晩考えましたが、「うん!当って砕けろ」という
言葉も有る。男が困っている時は、女が立ち上がればいいじゃないって、
お金は無いけど気力は有るわい!と、中学時代の女性友達、
北区で八百屋を営んでいるKさんと、兄の元嫁さん(義理姉だった人)に
相談しましたら、私のムチャクチャな熱意を汲んでくれて、すぐに全策OKをくれました。

義理姉は、その時こんな事を言っています。「あなた中学の頃、お寺に(私の生家)
捨てられた全身皮膚病だらけの猫を、ものの見事にきれいに治して上げた事を
私はよく覚えているわ。だから、今度はきっと猫が貴女を助けてくれるわよ」って。
あれから13年です。思い返してみながら、(有)フレンドキャットの設立秘話を綴っていくと、
次から次へと色々様々な事柄が浮かんで来ますが、このまま書いていくと、
あの当時のバクロ本の様になってしまうかも知れません。

(有)フレンドキャットのキャッチフレーズは「猫にまたたび、人もまた旅」ですが、
これもあの苦しい時代の明け方4時に「あー、人生って旅なんだナー」って、
つっとした思いから浮かんだ言葉なのです。
その後、さらに5人の女性方が扶けてくれまして、
(有)フレンドキャットが歩みだした記念日なのです。
経済のケの字もわからぬ寺の娘が、只「ネコを助けたい!ネコグッズを集めたい、
そして皆様と楽しみたい!」という一途な想いを胸に抱いて建てた会社です。
こけつまろびつ、よれよれしながらの12年間の二人三脚でした。
「無一文」の只の猫好き、あるのはチャレンジ精神だけの私に、
夫の他に7人の女性方が陰、陽向、支えになってくれて運営してまいりました。
猫博も開設して5月19日現在、はや8年と2ヶ月です。
その間、数切れない程の猫がやって来ました。
里親さんも何人いらっしゃるのかわからない位です。
只「猫を救いたい」と思ったって、大勢のご支援者、ご理解下さる人々が、
ついていて下さらなければ出来ない事です。一人だけでは進みません。
長いこと、思っている事が続けられるというのは、本当に有り難い事です。
これからあと何年出来るかわかりませんが、ご協力者の方達と頑張ろうと思っています。
どうぞ皆様、猫たちこの事これからもよろしくお願い致します。


2007年11月15日

 先日ある猫好き作家の方から、一冊の猫の本が送られて参りました。
書名は「猫おばさんのねがい」という本でした。著者名は中川智保子さんでした。
表紙、奧付を眺めてすぐに読み始めましたが、すぐに読み進むことが不可能になりました。
何故って目に涙が一杯浮かんできてしまって、活字が読めません。
ポロポロ、ポロポロ涙が溢れ落ちてくるのです。何度も同じ現象になります。
そんなことを繰り返しながらやっと読み終えました。私は日中時間が足りない人です。
読書の時間は寝付く前か、夜中か、明け方です。
9年前に乳癌を患ってから一晩「通しで」眠るというのが下手になりました。
途中で目が覚めた時は、無理に眠ろうとしないで読書をして、
眠くなったら眠るということにしています。
そんな自分の状況に合わせて、この中川さんの本も読ませて頂きました。
読み終えてすぐあと3冊送って下さいって、本代と一緒にお手紙しました。
お友達にも読んで頂きたかったし、ニャンコ文庫にも置いて大勢の猫好きさん方にも
読んで頂きたかったからです。
すぐ返信ありまして、3冊の本と本代が返されて来ました。
本代は猫達にプレゼントって書かれて有りました。
中川智保子さんは、猫の話す言葉を理解出来る人なのです。
絶対お勧めの本です。
猫の側に立って文章が書かれていますので、猫の気持ちがよく伝わって来ます。
芯から優しい気持ちになれて自我を捨てることが出来ます。
究極の優しさ、思いやりの心、慈悲の心、見せかけだけの優しさなんかじゃない。
心の芯、奧底から溢れる優しさに接することの出来る本です。
全世界の人々が、みんなみんな中川さんの様な人になってくれたら、
世界中の戦争は無くなるかもしれませんね。
この本は猫博のニャンコ文庫に有ります。御来館の折はお読み下さい。
ご自分の本棚に欲しい方は、出版社と中川さんの連絡先お知らせします。
猫博にお電話下さい。メール下さい。是非読んでみて下さいませ。


2007年11月30日

 猫博は9月から12月迄、毎年のことですが閑枯鳥が鳴きます。
房州全体の観光施設で閑枯鳥です。
うちは猫も犬も鳴いたり、吠えたりもしますけれど、、、。閑枯鳥も鳴きます。
房州の新緑は大勢の皆様をお呼びしたい程、馬手葉椎の黄金色がキレイ!
でも秋の山って紅葉しないのです。
このこと、毎年館長日記に書き込んでいますねきっと!
来館者0は、とってもつらいです。リピーターさんは、東京・神奈川・埼玉などから
紅葉しなくてもわざわざ来館下さるのですが、新しいお客様がいらっしゃらないのです。
収入は無くても猫・犬にエサはやらなくてはならず、具合が急に悪くなったコは
病院に連れて行かねばなりません。
これから寒さにむかう10月・11月は、暖房費も沢山掛かります。
この難局を乗り越えなければなりません。
2007年は、デパート催事は26ヶ所行いました。月2ヶ所も余る数をいたしましたが、
それでも経費が足りません。年末の12月は青森の八戸、
仙台(共にさくらのデパート)、大阪と兵庫の川西の4ヶ所でいたしました。
夫は4ヶ所目の川西で足の親指が動かなくなり、歩行不可能、
仕事場でも立てなくなりました。本人は糖尿病悪化と思い、病院に行きましたが
それではなく、過労ということがわかりまして搬出も帰館も無理とわかり、
急遽若い手伝いを送り、小林をおんぶして帰館してくれる様頼み、無事猫博に帰りました。
それ位一生懸命やっても、充分な経費を補うことが出来ない、
猫や犬は捨てる人、尽きる事はありません。

片目が潰れて、目の下がふくらんで辛そうな猫を、わざわざ雨の日を選んで
猫博そばに置き去りにする。また生まれて間もない猫を、箱に詰めて
4匹も5匹も「あとはよきにはからえ」って置いていく。
カラスにさらわれよ、トンビにさらわれよ!って海、山、川に置いて行く人、
あそこのおうちは猫好きだからって、庭先に入れて行く人、獣医さんだから猫好き、
犬好き、大勢来るからって玄関先に置いていっちゃう人。
千葉県て本当に変な所です。
何度も書いていますが、民意も低く、官もやる気なし。自分達が楽になる対策しかない。
温暖な土地って駄目ですね。やる気のある民間人を使うことばかり考えている。
その様な千葉県の中、しかも一番程度の悪い県南房州に存在する猫博故え、
やってもやっても終わらない仕事をしてる。
一度御来館下さった皆様が、沢山の事を知ってくださり、
猫博応援しましょうって言って下さる。11月に入ってからその様な応援者、
皆様に150人の方々にお手紙書いて投函しました。
「自分の頭に止まるハエが追えない」猫博の秋から冬です。
手紙を読んで下さって大勢の心有る皆様に扶けて頂きました。
年越・越冬の為のご支援金、ご支援物、本当に有り難う御座いました。
人様を頼りにして、本当に申し訳有りません。
感謝の秋、冬で御座います。




2007年12月31日

 大晦日は強い風でした。人も家も飛ばされそうでした。
実はこの日、岩井町市部(現・南房総市市部)の看板が倒れかかりました。
隣に立つ大きな看板に寄りかかり、国道127号線に面していましたので心配しましたが、
道路にははみ出してはいませんでしたので不幸中の幸いでした。

2008年1月2日

 看板が「倒れているよ」とのお知らせは、看板の立っている向かい側、
斜め前のお家の方からお正月の元旦に電話で知らされました。
夫は、柏高島屋で猫グッズのイベントで不在でしたので、いつも何かにつけて力仕事は
「任せて安心」のすぐ近くのラーメン屋のS氏に連絡しました。

S氏はすぐに、2,3軒先の電気工事屋さんと私を自分の車に乗せると現場に急行、
立地しているMさんというお宅を訪ね、庭に立つ看板とご対面、よくよく見ると
柱の足元の鉄が腐食して、大穴が開いて傾いてしまっていました。
この辺、房州は塩害で鉄も腐ります。
余談ですが、房州の車は中古では買わない方がよいと昔から云いますね。
 又、大風が吹けば国道の方に倒れるかもしれない。早く取り除かなくてはと思いましたが、
お正月の2日、まだ仕事なんてしたくない、大抵の人は。
(私共は犬猫達共々、盆もお正月もなく働いていますけどね)
ま、とにかく更に傾かぬ様、ガッチリと横に並ぶ看板にロープで縛り付け、
3ヶ日過ぎたら撤去してもらう事にしました。新年早々、色々用事が尽きません。
看板に8年間立っていてくれて、有り難うと頭を下げました。

今回速やかに動いてくれたS氏と、電気工事屋さんのD氏にも感謝でございました。
ラーメン屋のS氏はとにかく優しくて、手先が器用で心も体もよく動く人、
周囲の人々に無償の行為の出来る人です。
秋の頃には、お風呂も廃材で造ってくれました。
お風呂は、家を壊すという猫大好きなお寿司屋さんから貰って来てくれました。
難しい水道工事などは、友人の水道屋さんを呼んで来て、難なく工事終了。
鉄骨屋さんも近くの人で、猫博側の猫舎の工事をしてくれた人、
その人は野良ちゃんも面倒みてくれる人。
猫博というのは、ものすごく貧乏で採算のとれない、収益の上がらない施設なんですが、
困ったなと思った時いつも誰かが居てくれて、力になってくれる人々が、
周りを囲んでいて下さるんですね。これはやっぱり、猫の力なんでしょうね。
猫って1匹でも多くの人を集めますが、ここは常に100匹近くいますから、
大勢の「猫の手」を差し延べて頂けるんでしょうね。本当に有り難いことです。
このS氏は床屋さんも出来るんです。小林に猫博スタッフに、お寺の庭掃除番の人。
いつもS氏が床屋さんしてくれます。器用ですね。助かりますね。


2008年1月26日

 寒さ頂点に達しています。「寒」の真最中ですね。
猫は寒さに弱く、犬は暑さに弱いです。でも寒さには、強いといわれています。
犬は雪が降ると喜んでかけまわり、猫はこたつで丸くなるっていいますが、
猫博の犬「ウィペット」のニィちゃんはとても寒がりです。細身で短毛、
足の速い特徴のある犬種ですが、冬になるといつも赤いお洋服を着ています。
隣の保田地区のナイル夫人が、ご自身のフリーズをニィちゃんのサイズに合わせて
作り変えてくれた物です。
今期の冬は、長毛のシーズーのラッキーちゃん迄が服を身につける程、
温暖であるはずの房州も寒かったです。異常な寒さです。


2008年2月3日

 この日は、何と房州に大雪が降りました。
35年降りの大雪ですって!びっくりしました!
節分、豆まき、暦の上では春なのに・・・。善男善女が寺院・神社に集い、
年女年男が今年も1年良い年でありますようにって祈りました。
春・夏・秋・冬、四季折々、様々な行事が巡ります。
日本に生まれてよかったなって思います。
タイやシンガポールなど、赤道に近い国々の人々は「四季折々」なんていう
言葉も感覚もわからないし、体現もできないでしょうね。
自然の移ろいを、身に受けて暮らすというのは幸せなんですよ。
昔々、ひと昔前、15年くらい前でしたか、夫が新宿のホテルの喫茶室から
シンガポール人の友人と街路樹を眺めていた時、その友人が木々に一枚も葉が
付いていないと気がつき、「なんで日本の木には葉が無いの」って。
季節は冬でしたから、落葉してたんですけどね。
シンガポールはいつ行っても1年中緑でみずみずしい国ですから、
春になれば芽吹き、秋には紅葉し、冬落葉する1年のサイクルはわからなかったのですね。
夫は、日本には4つ季節が有ることを説明したらしいのですが、
私はシンガポールには猫グッズを探しに2度訪ねていますが、
チリ1つ落ちてはいないし、ビルのベランダには色とりどりの花が飾られ、
道路沿い、公園にも花と緑の木々が満ちていますから、落葉の季節はないのです。
生まれた国から出てみまいと、そんな様子もわからないですね。
机に向かって本を読むことも大切ですが、他所の国に行って、
その違いを見て体験するというのは依り意義深いことだと思います。
若い頃、体験させてもらった事へ今頃になって感謝している、情けない自分です。




2008年3月3日

 今日は桃の節句です。
埼玉県新座市に住む息子の嫁さんから「お雛様飾りました」って
写メールが1週間前に届いていました。
4才の双子の娘が、お雛様の前で笑っています。
その後「ひなあられ」食べています、「ちらし寿し作ってお祝いしました」って、
こまごまとメールでその様子が流れて来ます。じじばばである我々は、
ネコ100匹にかまけて中々孫たちと遊べませんが、近代的通信機器の発達の恩恵で、
お互い150q離れた地点に住んでいても、詳しくわかる訳ですから
本当に有り難いことだと思います。


2008年2月20日

 今日は、夫と共に宇都宮市に行ってきました。
夫の用向きは、福田屋百貨店との打ち合わせでした。
福田屋さんは、6月に猫グッズ展を行うことが決まりました。
6/4〜6/9の期間致します。インターパーク店の方です。
ダヤンも一緒です。栃木県内の猫グッズファンの皆様お出かけ下さい。
 
私は夫がデパートの方と打ち合わせ中、
書籍売り場で座り読み(立ち読みにあらず)していました。
毎日、猫達と忙しくしている毎日ですので、こんな時間は私の至福の時かも知れません。
2時間位座り読み、読みたい本を1冊購入し仕事の終わった夫と合流、
栃木市に向かいました。駅前の交番で市役所を訪ねました。
栃木市は、昔は県庁所在地(今は宇都宮ですが)で商業都市でうずま(巴波)川沿いと、
中央通りに沢山の蔵が残っていて豪商の築いた街並みを整備して
「のんびり散策、蔵の街」として近年観光客を集めています。
本通りには「路傍の石」を書いた山本有三のふるさと記念館、うずま川沿いには塚田家、
歴史伝説館など、徳川時代から550年続く伝統品のお宝が展示されていたり、
歴史好きの方は一度では見切れない沢山の歴史的貴重品のある町です。
リュックをしょった二人連れや、一人の人も歩いています。
でも私はこの町並以外に目的が有りまして、
市役所で市の郊外皆川城内町への行き方と、私の先祖である大橋家の当主の名前と
(私の父方の姓は大橋といいます)住所を確かめました。
半年前の館長日記にも記しましたが、この年になって、
いよいよ先祖とは何かとルーツを訪ねたり、本で調べたり、猫の合間に自分探しを始めました。
やっと最終段階まで差し掛かってきた所です。
個人的趣味の部分ですので、又折りがありましたら秋の頃、書きたいなと思って居ります。




2008年2月22日

 今日は何の日? 今日は海の日、今日は建国記念日、今日は父の日、母の日などなど
暦の上には色々記念日が入っていますね。11月1日はワンワンの日ですか???
今日の2月22日は、かなりポピュラーになってきましたね。
2が3つ重なっているので、ニャンニャンデーですって。誰が決めたんでしょうか。

聞くところに依りますと、どうやら猫の餌を作っている会社らしい。
沢山売れますようにって作ったのですね。中国製の様な危ない物は駄目ですよ。
いつでしたかアメリカからの報道で、
餌に毒物が混入して猫がずいぶん殺されてしまいましたね。あれも中国製でしたね。

この頃おかしいですね。信じられない事態が時々有りますね。
14,5年前は、生協の食品は産直品で、みな安全と思われていましたから、
餃子の事件も何故?って耳を疑いましたね。
毎日々々、様々な出来事が飛び込んできます。
 まず先に金儲けばかりを考えて、真心が無いのですね。
心を注いで物作りしないから、吉兆のような赤福の様な
古い伝統有るお店なのに不正が発覚する。
ホントに劣化してる。心が無い。日本人が変わってしまいました。
何事も信じて生きていきたいですよ、私は、、。
信じられる人は「猫の好きな人だけ」なんて人生さみしすぎますよね。


2008年2月29日

 今年は異常に寒くて、お年寄りも病弱の猫もつらい毎日でした。
1月7日、メインクーンのピンクちゃんが死亡しました。
1月11日、日本猫・茶トラのよっちゃんが死亡しました。この子は猫博の女王様でした。
1月11日、日本猫黒のクックが死亡しました。
この子は袖ヶ浦公園から助けられてきた猫でした。

前年の11月19日には、信州から来たCM猫の純ちゃんも死亡しています。
純ちゃんは、メスのアメショウでとても小柄で軽い猫でした。

女王様のよっちゃんは、茶色のメスでこの子も小柄でした。
いつもお客様のお膝の上で眠るゆとりのある猫でした。
天寧寺のナナと姉妹で、猫博開設時からいましたから一番偉そうにして、
他の猫を従えていました。猫博の猫の餌の時間は、朝8時と夕方3時の2回です。
器は全員別々です。気の弱い猫はケージに入れたり、キャリーに入れたり、
先に食べてしまった他の猫に、食べられないように囲ってあげます。
が、よっちゃんはどんなに遅くのんびり食べていても、誰も手を入れたり
脇から餌を奪われることはなく、悠然と構えて食べていました。
新参者がよっちゃんのことを知らないで餌に手を入れた時は、左手でパンチをしていました。
後から入った猫もよっちゃんの一度のパンチですぐにわかり、
二度と手を出すことはなくいつもゆっくり最後まで食べました。
昨年の夏辺りから肝臓を患い薬をもらって飲んでいましたが、だんだん身が細くなり、
年明け早々旅立ってしまいました。息を引き取る前の晩から添い寝していました。
朝の8時40分さようならをいいました。9才でした。

この同じ日の夕方、袖ヶ浦公園から3年前に助けられてきたクックが、
よっちゃんの後を追いました。
1日のうちに2匹死んでゆくのを看取るということは、はっきり申してかなりつらい事です。
前にも書いたかも知れません。
ある人に「そんなに何度も死をみつめていたら、慣れるのではないかい」と
言われたことが有りましたが、これは何度体験しても
絶対に慣れるということは無いと思いますね。

何故なら1匹1匹違う個性をもった猫である事、どこからやって来たか、
いつからいるのか、どんな経緯でやって来たのか、どんな病院でどんな治療をしていたか、
鳴き声も、性格も、甘え方もみな違いますので、一緒に暮らした年月も違いますし。
1匹1匹への思い出が全部違っていますので慣れるということはないですね。
よっちゃん、クック、ピンクちゃん、あの子この子みんな違っています。
私は父が死去した時も、姑がこの世を去った時も、涙を出しませんでした。
そんな冷酷な人間ですが、猫や犬の死に臨んだ時は人前もはばからず落涙する。
これはやはり、物言わぬ彼等が可愛いからです。
人への想い、犬猫、小動物への想い、自分の感情は、生きる者に依って違う様な気がします。
宇宙に住まう、生きとし生けるもの、みな命、大切さはみな同じです。
共に生き、共に歩める地球で有って欲しいですね。
人間優先で、勝手な都合で犬猫を殺めないで欲しいです。




2008年3月4日

 今日は平日というのに、御来館者の多い日でした。
最初にいらした方々は、九十九里大網町からの5人の皆様でした。
その次は木更津から3人の方が、そのあとからのペアー6組の皆様は
東京、神奈川、埼玉からおいでになりました。
1月〜3月は花盛りの房州ですから、群馬、栃木、長野など遠くからの人々も多くみえます。

この温暖の地房州には、他の県で雪の頃、露地に花が咲くわけですから
黒潮のせいで暖かいんですよね。猫にとっても有りがたい土地ですね。
大網町と木更津からの皆様は、天寧寺のワンニャン観音に参拝、
本堂の壁に掛かる涅槃図(釈迦入滅の図)で、
猫も描かれていることを確認して感心しておられました。

世の中が忙しなく、人の心がざわついている現代です。
日本人は劣化しているという著書を表した人がいますが、機械でもないのに劣化とは、、、
と思いましたが、毎日々々ニュースで報道されている出来事を聞くと、
正に劣化なのだと納得したくないけど納得せざるを得ない位、
人間に心が無くなって来ていますね。

お釈迦様が誕生して二千五百年、孔子様も二千五百年、
キリスト様、ムハマド様から二千年、みな正法が消えるというか、
お教えが行き届かぬ様になってしまったのですね。
お坊さん達も、神に仕える方々の中からも強い指導者が現れてくれないと、
世の中は闇と化していくでしょうね。
一人一人が片隅づつでもよい明るい光を灯さないと、大変な社会になってしまいます。
神佛に手を合わせ、日々生かされている事に感謝する。
ご飯を頂くときは、手を合わせる。帽子を取る。履き物は揃える。
挨拶はきちんとする。敷居は跨ぐ、踏むな。
昔の親はみんなきちんと教えてくれた事柄が、
この頃ちっとも伝わっていない様な気がしてなりません。

猫博には、春・夏・冬と長期の休みや土日など、小学生がよく遊びに来ます。
お昼ご飯も一緒に頂きます。そんな時、前記の話はよくします。
「小さな親切、大きなお世話」かも知れませんが。
思いついたり、気がついたりした時は、必ず彼等に伝えることにしています。
猫は100匹近くいますから、体の弱いコ、強いコ、お腹のゆるいコ、風邪をひいているコ、
いつも鼻炎のコ、目の悪いコ、これから育っていくためミルクを与えているコ、
もうすぐ命を終えようとしているコ、様々な猫をみている。
小学生なのに私と一緒に看取ってくれる時も有る、そして一緒に涙を流す。
こういう体験を小学生のうちからするというのは、長い一生からみれば人生の1ページの
出来事かも知れませんが、成育上貴重なことではないかなと思います。
ダンボール詰めにされた犬や猫が、このところ4匹、2匹、4匹と助けられています。
猫博は3月25日で8周年です。700匹以上の猫を保護して来ました。
その中には、小学生達に助けられた子達が何匹いることか。
猫博には、大抵4年生くらいの女生徒が2,3人でやって来ます。
6年生を卒業する迄、休みの日になるとやって来ます。
中学生になると部活動が始まるので来なくなり、大きく成長してひっこりと又、やってくる。
最初に来た子達はもう二十歳でしょうか。
何が書きたいのかわからないくらい変な文章ですが、
要するに人間、心が大切なのだと思うわけです。
それには、幼い頃から育つ環境が大事ということです。
喜びだけを体験するのではなく、とてつもなく限りない悲しみにも出会っても、
負けないよう心を強くする。みんなで心を強くしましょう。
そのために喜びも悲しみも体験し育つ、猫という小さな動物の「生きる死ぬ」を体験して、
心の強い子達になってねって、いつも彼等に接しながら思っているのです。
一寸とくらい嫌な事が有っても、家に引きこもらないで済む様に。
辛い事にも立ち向かえる大人になってねって、いつも祈っています。

小林 幸子




2009年10月1日 一年振りの館長日記

 「猫達の幸せを守る会」設立から一周年。
猫大好き!なご支援者の皆様、いつもお力添え有り難うございます。
お陰様で、会の発足から10月1日で一年となりました。
この一年、忙しくて忙しくて、めちゃくちゃな日々を過ごして参りました。
猫博はなんでこんなに忙しいんでしょうか?
「体を使わない」「物を考えない」なんていう日が一日位あってもいいのに!

 私はいつもみんなにも話しますが、頭を使うのは大切なこと、
でもその一歩手前で心も遣いましょうって言います。
体を使い、心を遣い、頭を使い、体を動かす。これが働くということかなって思います。
労働こそ尊い行為だと思います。世の中は広いのですから、朝目覚めても
今日一日何をしようと、悩む人もおられます。暇と裕りの有るうらやましい方も居られますが、
この猫博には「暇」という文字はありません。只々、猫達の世話に追われています。

 犬も猫も猿もゴリラも羊も山羊も、何でも動物は大好きですが、
身近にいてくれる犬と猫の可愛らしさは何とも言えませんね。
犬と猫の毛質には随分差がありますね。毛の手触りが随分違っています。
抱っこした感じの柔らかさも全く異なりますね。
猫は身が柔らかいので直角にUターンできますが、犬は無理ですね。
各々特徴が有って、その一つ一つが愛らしいですね。
外観の可愛らしさもそうですが、一匹一匹の生い立ちの違いも可愛らしさと関係が
ある様に思いますね。猫博の100匹を超える猫達と、日々ふれ合っていて感じる事は
どなたがお見えになっても誰にでも甘えられて、足元にスリスリしてくれたり、
膝に上がって来たり、胸に飛び付いて来たり、背中や肩に跳びはねて上がって来るコ達は
本当に可愛いと思います。文句なく、可愛いなーって思います。

 でもしかし、私がこの十年の猫博の保護活動の体験から思うことは、
本当に愛おしいなーって思える猫は、何年一緒に暮らしていても心開かず、
我が道を行きますと、自分成りの生き方を示している猫ではないかなと、考える様になりました。
いつどこで何があったのか、辛さも恨みも何も口にしない彼等の心の底を想ってみた時に、
本当の愛らしさは彼等に有ると思う様になりました。
可愛くて可愛くて、たまらなく可愛いチビ猫達は、出会いの順に
御縁の合った里親さん方が引き受けて下さいます。
しかし心開かぬコ達は、自然と縁遠くなり猫博に残ります。
猫博は、この様なコ達の安住の地でいつも有りたいと願っている館長なのであります。
2009年10月1日記


2009年10月10日
 世に言う天下の大泥棒、石川五右衛門が豊臣秀吉に依って窯茹での刑にされる時に
吐いた言葉とされる「浜の真砂は尽きるとも、世に悪行の種は尽きまじ」
私は猫達が、野や山、海辺から助けて来られたり、
猫博の駐車場にドサンと、何匹も置き去りにされた時によくこの言葉を思い出します。
猫博開設して、早や十年ですが、いったい何匹来たのだろうって思います。
だいたいは記録してありますが、記録されてない猫達と合わせたら
何匹何百匹やって来たんだろうって。
広い世間を見渡してみれば、1000匹、2000匹保護した方は他にも多くいらっしゃると
思いますが、悪い奴はこの世からいなくなりませんね。
やってもやっても終わりの来ない悪行との闘いの日々です。


2009年10月21日(水)
 今日は千葉市に行って参りました。T財団からの助成金の説明会でした。
NPO法人の方々、町おこしや地域活性化を計画し、活動していらっしゃる人々の
代表が集って申請の仕方など学びました。
色々とT財団からの説明を伺ううちに、この場に居るのが苦痛に感じる様になって来ました。
話の内容に温かさが不足していました。疑問が生じて来ました。
忙しい時間をさいて、疲れた体に活を入れてやって来たのにって思いました。
前回のN財団の時には、抱かなかった想いでした。
説明してくれる財団側の態度が、非常に重く感じられました。
助成金を出すには諸々条件が有って、直接「猫を助けるから」と言うのでは不可と言うのです。
まず人助けでなければならないと。
お金を出す側の論理を上段から降りかざして参りました。先方の言っている事は
理解しなければなりませんが、気の短い性格の己の心情に合わぬ論法でした。
猫達を救う事が何故人助けに通じないのでしょうか?
猫達の現状を想い、里親さん探しをしたり、野や山、海、川、駐車場に置き去りにされている
彼等を助ける事が、なぜ地域の為になっているのだと受けとめられないのでしょうか。

 先方の理論を先ず、先に人が来なければならない訳です。
命を想い、彼等の幸せを探すことは、人の幸せにもつながる事なのにと思うのですが・・・。
お金を出す側は、先ず地域の為、人の為とこなければ駄目なんですね。
私は考えの狭い人間ですから、人より「猫」大事ですから、
人間だけ大事って思う人から見れば、「変」な人なのかも知れませんね。
私はやっぱり、大衆の中に身を置くことが出来ない「変な人間」なんだなって思いながら
会場を後にしました。


2009年10月27日(水)
 今日も忙しい一日でした。
三毛チビの里親さんが決まりました。
25日にもキジトラとグレーのトラちゃんが決まり、四街道に行きました。
三毛チビはまだ生後1ヶ月ですので、12月に入ってから里子に出ることになっています。
行き先は横浜です。猫博から里子に出た先は、15の県に及んでいます。
一番多いのは千葉県の県北、次が神奈川県と東京都、遠方では岐阜、高知、宮城などです。
ご来館者の皆様と、お目めの合った子達です。
今日里子に行くことに決まった三毛チビは、度々ご来館される母娘の方が
深いドブの中から救い出して来て下さった幸運の三毛ちゃんです。

一晩中大きな声で鳴いていて、小さな猫なのか、大きな猫なのかわからなかったという子です。
連れた来られた時は、足もお腹も溝の中の水でぬれていました。
今は全く鳴きません。
コロコロとひっくり返ったり、自分のしっぽにじゃれたり、ぬいぐるみにかじり付いたり、
それはそれは可愛らしく遊んでいる姿が、疲れた皆をなごませてくれています。




2009年10月28日(木)
 10月24日(土)と25日(日)を使って大阪難波に行って参りました。
ホームセンターを会場に2日間の「猫ちゃん捨てちゃ駄目」運動を致しました。
今回の活動のキッカケを作って下さったのは、ホームセンターでお買い物をして下さ方々へ
向けた機関誌を発行しているP社と、ワンニャンの為に餌の生産をしているP社です。

 昔、私が小学生、中学生だった頃を思い返してみると、街の中に金物屋さんや
木工屋さんが別々に存在していましたが、今は色々な町にホームセンターがあり、
金物大工用具、日々の生活用品、お花も木材も、小鳥や犬や猫もカメやフェレットの餌も
文房具も、何でもかんでも揃っていて、とても楽しい場所です。
今回のホームセンターには、ペットショップと動物病院も併設されていました。
一緒に活動してくれた仲間が、隅々迄チェックして来てくれました。
そこで働く人達がどの様に、動物達に丁寧に優しく接していてくれるか等、
動物病院併設のペットショップなので、ワンニャンをカートに乗せている方が
多勢お見えになりました。
5年前に開設したホームセンターですので、上層部がホテル、下の一階二階がホームセンター、
地下は食品スーパー、そして地下鉄へとつながっていて極めて便利でした。
新しい建物であり、31階迄の高層建築であり周囲もすべてが高層で、
田舎から急に都会の空気を感じ一寸疲れました。

 会場では、猫ちゃん何でも相談、先着10名様に写真やケイタイの中のねこちゃんで
(ワンちゃんも)描く似顔絵プレゼントを、動物画作家のNさんにして頂きました。
猫グッズの販売も一緒にさせて頂き、大阪の猫助け人のSさんと、Fさんが
搬入と搬出を手伝って下さいました。
たった二日間の活動でしたが、大阪で猫達の救済活動をしていらっしゃる方々が
大勢立ち寄って苦労話をしていかれました。
副理事が主に担当した猫ちゃんの正しい飼い方等、何でも相談室にも
二日間とも10人を越える方々から質問各種あり、私共のつたない体験談ながら
皆さん熱心に質問され、私達にも参考になる話、いくつも聞かせて頂きました。
今回会場を提供して下さった大阪難波のDホームセンター、
機関誌発行のP社、餌メーカーのP社様に深く感謝でございました。
関東という土地柄の中で育ち活動していると、時には西の地区の
空気にふれてみるのも人生の勉強になり、有り難いことだと思いました。
帰りには難波から30分、南に地下鉄(近鉄)で奈良の唐招提寺の鑑真和上の廟所に参拝、
又、お隣の薬師寺迄散策、遠い昔の700年代、日本の現代基礎を築いて下さった
先人の皆様に拝礼して参りました。
大阪と奈良は動と静の違いが有りますが
、それぞれに歴史の重みを肌で感じることが出来ました。
有り難い事でした。



2009年11月5日(木)
 秋はお月様が美しいですね。
お星様も澄んだ空に降る様に点在して見えます。
余分な照明の無い田舎ならではの光景です。猫博の仕事を終えて帰る時、
いつもこのお空を見上げています。この夜の冷たい空気が持続されて、朝を迎えると
東京湾、そして三浦半島を飛び越えて、富士山が雄大に裾野迄望めます。
五合目くらい迄、真っ白な綿帽子をかぶっています。以上、なんとも下手な状景説明ですが
これは皆、猫グッズ博物館の玄関先と駐車場からの眺めです。
房州、勝山と保田(今は合併して鋸南町)は、昔から富士山の眺めは全国でも一番の所です。
海岸からはもっと最高です。冬の富士は本当に雄大で美しいです。
空気もひえひえに澄み、心が洗われ、命の洗濯も出来ますよ。
その上さらに、にゃんこさんと遊ぶと心が安らぎます。
猫好きの皆様どうぞ冬の房州、猫博にいらっしゃって下さい。



2009年11月9日(日)
 この処、相変わらずワンニャン達の心配事が続いています。
8月25日の晩に、君津方面の路上で横たわり血を吐いて倒れていた茶色の中型犬は
コムギとシイゴロに助けられ、館山市のI獣医の手術治療に依って両眼摘出ながら、
今はとても元気になって日中は、他13頭の犬達と同じ様に猫博前に作られた
個々のサークルの中で、太陽の光を背に受けて眼ったり、動き回ったりしています。
夜は館内に入り、ニャンコ文庫の前に作られたサークルの中で休んでいます。
救出から手術、そしてその後の様子などはシイゴロとコムギが作る日々のブログに依って
皆様方御覧下さり、手術代のご支援を多くの皆様方からお送り頂きまして、その折は
大変有り難うございました。手術当処は、あの様に衰弱したワンちゃんがそれに耐えられるのか
大変心配でした。
I先生も麻酔に耐えられるのか不安だったと、手術の後で
おっしゃっておられました。しかしあのサンちゃんの生命力は素晴らしかった。
お医者様の力、二人の看護力、ご支援者の皆様方のお力添えと祈り、様々なぬくもりが有って
助かったのだと深く感謝致して居ります。助かる命、助けてやれぬ命、色々体験して年月が
経って来ました。またこれからもそれは続くことでしょう。
喜びと悲しみとが常に折り重なる猫博なのであります。





2009年11月25日(水)
 24日の未明、猫のトラちゃんが、さようならしました。トラちゃんは猫博で2年半暮らしました。

2年半前の5月、館山市の相浜から5匹でやって来たうちの1匹でした。
5匹のうちで体が一番大きく性格も優しいキジトラのオスでした。
相浜のエサ場で、迫害に合い連れて来られました。5匹共、高速の橋の上から落とされる処を
相浜の猫好きさんに助けられて来たのです。猫博に居る猫や犬達には、みな話せば長―い
物語があります。辛い目に合いながらも、猫は淡々と人にうらみ言う事もなくその一生を終えるのです。

 人生に出会いと別れは有って当たり前の事なのですが、生きているうちに何度、出会いと
別れを体験すれば済むのでしょうってよく思います。そしてあの世への旅立ちに立ち会う。
その数は何百匹なのかわかりません。1匹1匹、衰弱の仕方も違い、旅立ちの仕方も違う。
そのつらさはそれぞれです。「1匹死なせてしまったので、あとは飼いたく有りません、飼えません」と
区切れる人は幸だなって思いますけど。

本当の苦しみを体験しなければ、人は本物になれないなっていつも思います。
無理に苦しい事体験して下さいって、他人様にお願いする立場でも有りませんから
それはそれで人様々で仕方ないかなって思いますが、使命感とか授かった運命とかは
人それぞれですからね。まあ私たちの場合は、それが天から授かった役目なのかなって思って、
日々つとめるだけですね。
シイゴロとコムギにはいつもすまないなって心の中で謝っています。
こんなつらい事に引きづり込んでしまってゴメンねって。



2009年11月27日(金) 晴
 今日は体調不良に依り朝立ち上がれず、猫博に行くことが出来ませんでした。
大阪、京都、名古屋と毎週の如く土日の「猫ちゃん捨てないで」のイベントが続いていました。
戻って来ると、山盛りの事務処理が有りました。
ニャンコとワンコの世話は、シイゴロとコムギとケイさんが全部面倒みてくれていますので
安心ですが、私担当の山盛り仕事は、私の責任ですから己一人でやるしか有りませんので、
めちゃくちゃな忙しさにまみれてめげずに行います。
これでもかこれでもか、と思う位机の上に用事がたまっています。
皆様方からのご支援物資のお便りや、伝票などもあります。


 一年前の十月一日 特定非営利活動法人「猫達の幸せを守る会」となりましてから、
駐車場に大量に猫を置き去りにする人も増えましたが、反面心優しい応援者の方々も
さらに増えて下さっています。


 今回、大阪を皮切りに京都、名古屋の大都市のホームセンターを会場としての
「猫ちゃん捨てないで」の活動は大変教えて頂く事多数ありました。日本各地共、
猫の幸せはまだまだはるか遠くにしかないのだということがわかりました。
日本各地で猫のことを日々思い、体力を使って少ない資金力で大変御苦労されている人々が
おられるという様子もよくわかりました。


 1匹、2匹優しく楽しく飼って居られる方々の猫への想いは、まだまだ改良して頂きたい
部分も多く見聞きしました。猫はやはり1匹、2匹じゃわからない部分多いですね。
人間の気持ちの方が先行していて、猫の側に立って物事を考える所迄及ばず、
悩んで居られる方が多かったですね。何事も体験が先生なんでしょうね。
今回のこの
P社とP社が奉仕して下さった活動には「猫達の正しい飼い方教室」と、
似顔絵作家による先着十人限定のねこちゃんの似顔絵プレゼントがありました。
多くの皆様方に様々な悩みが有り、猫への愛情表現が沢山有るものだなと感じ、
全てが勉強になりました。先日の名古屋では、ねこちゃんの歌、ミニコンサートを
ご奉仕下さった小山ひろみさんが会場を盛り上げて下さいました。
いつも心強いご支援を皆様から頂きました。本当に有り難く存じました。
第四回目の活動は茨城の神栖です。





12月5日(土)
 この5日は以前から大変だなーって思って居りました。なぜなら館山と、
茨城の神栖市でイベントが重なっていましたから。
副理事と私は、4日の晩に神栖でねこグッズの搬入でした。
5日、6日と「ねこちゃん捨てないで」の活動をホームセンターのホーマックで致しました。
私達が館山での活動が不可能なので、館山をどなたにお頼みすれば良いか?
館山市の
Iさんは当日お仕事有りで駄目でしたので、木更津のS氏と印旛郡のAサン、
大網白里町の
Kサン、同町のNサンに頼みました。館山では今年2回目のNPOフェスタです。
会場がジャスコの有るロックシティでしたので、地元の里親さんやお買い物がてら
お見えの方々が寄って下さった様です。お昼にはすでに天候崩れ、
半日で中止になってしまいました。

 神栖市の方も夕方から大雨になりましたが、翌日の日曜日はカラリと晴れ上がり
盛況でした。土曜日に香取市の、日曜には神栖市の里親さんがわざわざご来店下さいまして、
久々にお会い出来、猫ちゃんのお話できました。

 香取市から、あの巾の広い大河坂東太郎、利根川を渡って来るのですが、
30分位の距離かと思います。それにしても里親さん方というのは有り難いですね。
私は普段、夫のコバケンが行ってくれているデパートの猫グッズ展でも、各地域、各所に
いらして下さっている里親サン方やご支援者の方々にご案内のお便りするのですが、
そのほとんどの方々がその会場まで出向いて下さり、何かしかのグッズを求めて
猫達への支援に当てて下さる。お忙しい中本当に有り難い事と、いつも感謝いたして居ります。
人と人との繋がりの間に、いつも猫がいてくれて心なごませてくれるのです。
皆様本当に御足労なことです。心から嬉しく存じます。





12月10日(木)晴
 12月師走も10日過ぎました。あたたかい日が続いています。
房州の山々の紅葉は例年の毎くあまり美しく有りません。
今年は京都で「ねこちゃん捨てないで」の運動を致しましたので、評判の京都の紅葉も
見せて頂きましたが、
JR東海が宣伝している程の感動はありませんでした。
気候の変動がにぶくなっているのだと感じましたね。寒さのない日本の冬なんて無気味ですね。

猫博は年中無休の猫の施設です。休む暇無く動いています。
命をあづかっている所ですから、休みはありません。
命といえば、今日は夕方生後一ヶ月半の生まれたばかりの坊やを抱いて、
鴨川から御支援者がお見えになりました。ホントに久し振りに赤ちゃんにご対面しました。
可愛いですね人の子も!子供の顔を見ていると何故かほっとします。ほっと温もりを感じます。
猫博には勝山小の子供達がよくやって来てくれます。猫を可愛いがってくれる子は、
大人になっても心にぬくもりを抱いた良い人に成長してくれるでしょうね。

 今日の御来館者の方は、第一番にお入り下さった方は市原からの御夫婦でした。
2匹飼って居られる方でした。国道の看板はよく見かけるんだけど、どこかわからなくて
やっと来たよっておっしゃって下さいました。もう少し看板付けられたらなーって思いますね。

 鋸南町は看板の少ない町ですね。町長サンちのペンキやさんの看板、
病院の看板等は目立ちますけどね。5年前に看板規制をやりましたね。

 看板といえば、猫博この十年の間に3ヶ所(国道沿い富津、隣町の岩井市部、
高速鋸南町富山入口)が強風と町の横暴に依って消えて失っていきます。
猫博の様に一銭にもならぬボランティア仕事に再びあの大看板を付ける力はないですね。
入口近くの看板が、先日夜間暴走車に依って倒されましたが、お陰様で直して頂きました。
看板はガードレールに依ってカバーされ、倒されただけで済みましたので、不幸中の幸いでした。
倒したご本人からは、まだ何のご挨拶も無いですね。
警察は名前も電話番号も教えて下さいましたが、こちらからデンワする気にもなれず、といった処です。
人の心最低の昨今です。

二番目、三番目の御来館者は館山のIさん、同じく館山のK氏でした。
お二人ともご支援物資届けて下さいました。
Iサンは毎月十日にボランティア仲間5人と、
毎日100円貯金をして猫達にって持参下さる方です。

K
氏は館山の沖の島で心ない人々に置き去りにされているニャンコ達にエサやりをし、
不妊去勢をほどこし面倒みて下さっています。

沖の島の猫達はもう一人千倉町の方が面倒みて下さっていて、猫の会の仲間で
一緒になって館山警察市役所、保健所に声をかけまして「ねこちゃん捨てないで!警察官巡回中!」
の看板付けました。看板付けたって心無い人々は文字が読めませんからね。
余り効果期待出来ませんけど、毎日猫達みていて下さるお二人の御苦労を想うと
本当に大変なことだろうなって思います。

 猫博も只今125匹の猫と14頭の犬がいますが、言葉では言い表せない部分が沢山ありますね。
9月と10月は10匹、6匹と猫博駐車場に置いて行かれた方は、命の事をなんと思って
居られるんでしょうね。自分は病気で、入院するからって6匹も置いて行って下さった方、
その後養生なさって良くなったでしょうかね?
私も癌で16日間、肺炎で16日間、その他でも色々な病気での入院手術体験が有りますので、
その辛さ良くわかります。猫ちゃんは家に付くと昔から言われています。
病気が治ったら迎えに来て下さいね。家に付くばかりでは、有りませんよね。
長く共に暮らした飼い主の事は忘れていないと思いますよ!
きっときっと、迎えに来て下さるのを待っていると思いますから、早く元気になって下さいね。

 私はこの十年、1000匹近い猫ちゃん達とご縁が有り今日に至りました。
6月に癌検査しましたが、どこにも転移はありませんでした。
猫達が幸子母サンは、病気になるななるなって防いでくれた様な気が致します。
猫達から沢山の元気をもらっています。
今回10月11月12月とぶっつづけの4回土日、土日の前後4日間、猫グッズの搬入搬出、
ねこちゃん何でも相談で大阪、京都、名古屋、茨城と動き回りました。
正直云ってとっても疲れました。でも休んでしまったら猫が可哀想ですし、
周囲の者にも迷惑が掛かります。
いつも思います。休むのは棺桶に入ってからでも良いわと。生きているうちですからね、働けるのは!

 コムギもシイゴロもおケイちゃんもコバケンも、みんなみんなで日々協力し
共に働いてくれますしね。多くの心温かい御支援者の皆様が居られる限り、
猫達の幸せ探しをしなくてはって、自らを励ましています。どうぞ皆様これからもお力かして下さい。





12月15日
 あー!あ! 師走も半ば迄来てしまいました。
「光陰矢の如し」この意味は、年齢が高くなると共に実感しますよ。若いうちはわかりませんね。
私は55才で、癌というおそろしーい病気を体験しました。
猫達のこと心配で、死ぬに死ねず十年になろうとしています。
大病体験した方はみなさんそうでしょうが、夕方になると今日も一日生きられた!
朝日から夕陽迄働く事が出来た!生きられたっていう感謝の念が湧きますね。


 2009年、平成21年は猫大好きな皆様にとってどんな一年でしたか?
一年の始めに今年はこれとこれはやってみたいとか、やらなくてはという目標を
抱きまして歩む訳ですが、思った事は達成できましたか?

 先日読売新聞の広告欄に、こんな本の広告が掲載されていました。
大津秀一サンの本で、死ぬ時に後悔すること25という1,575円致知出版社発行です。
25の項目を読んで見て思うことは、後悔すること一つも無い様な気がします。
行きたい場所はあと二ヶ所有りますが。
生まれた家の遠い祖先の墓参り、これは事前調査終わったので
来年2月16日行って来る予定にしています。栃木市皆川城内町です。
あと秋の10月を目標に、お隣りの国の慶州に渡り
奈良仏教の源流を訪ねて、仏跡を参拝したいという希望があります。


 私は子に残す物、遺産なる物、何も持たぬ身なので、子には私の持てる少しばかりの知識と
物事への意気込みとか、責任感等、自分の行っている猫達の救済で発生する
自分の後姿だけでも残してやりたいと思っています。

 
 私は常日頃、日本の母親の男の子の育て方には、批判的な目を持っています。
父親と母親が揃って育てられる場合と、母子、父子だけ等、
色々な家庭が有るので一概には言えませんが、物、金の与え過ぎが多いようです。
30才40才になろうという息子達に、独立して一家を営む事を教えていない、
自立自律を教え込まないで、
ぬくぬくとした温室の様な家で食事を作って与え甘やかす。
私の身内、友人達の中でもその様な家庭がかなりあります。
親は子に何を伝えてこの世から消えて行けば良いのか、自己を振り返り、いろいろな事を想う年末です。


 私は15年前の夫の会社の倒産と、10年前の右胸の全摘出で、
物への執着は無くなりました。家や宝石も何も求める気はない!
生家の寺に猫7匹と転がり込み、居候をきめ込み十二年か十三年が過ぎました。
猫博の施設だって寺へ居候ダ、あれから十三年、佛様って優しい存在です。
愚な人間のやる事なす事黙って眺めていてくださるつらい時も、嬉しい時も、
ソーと遠くからも、近くからも、見守っていて下さる。
くじけそうになる時は、それでは駄目だ頑張れって!励まして下さる。
猫博は、今4人の方が毎日毎日休む暇なく猫達を助けてくれています。

 みんなみんなくたびれ果てている。この4人は、常時居るわけではない。
1人は、月の半分は全国のデパートを巡って、猫グッズを販売しつつ、
猫ちゃんの正しい飼い方教室を行っている。
猫博だけの収入では、猫達にいくらも回らないからだ。


 猫博の入館料は昨年十月一日、猫達の幸せを守る会の支援金として、直接入金される様になった。
猫の会
は、NPO特定非営利活動法人として早一年が過ぎました。
救済活動も多くの皆様方に扶けられてやってきました。賛助会員は120名を越えましたよ。


 ニャンコ基金への御支援者、毛布やタオルの御支援者、エサご持参やご送付下さる御支援者、
この一年大勢の皆様本当に有り難うございました。


 猫達の幸せを守る会が、だんだんに地盤を固めてしっかりとした救済活動をして行ける様
ますます努力して行こうと思っております。どうぞお力添えよろしくお願い申し上げます。

 とにかくこの世の中、勝手な人間が多すぎます。
お宅は「猫の幸せを守る会」なんだから、私は病気で入院するので猫のこと頼みますと、
置き手紙くっつけて黒ねこ5匹、白黒1匹、ダンボールに詰め込んで、
猫博の駐車場にドカンと置いて行く。
その少し前には、10匹も駐車場によろしく頼むと置いて行ったバカ者もいる!
私を除けば、猫の世話を実質的に世話をしているのはたったの3人しか居ません。
たった3人で126匹を超える猫達と犬14頭面倒を見ている。
病気の猫もいる、幼い猫もいる、病気の犬もいる、どれだけ大変か想像してみて下さい。
猫を物の如く捨てる悪人達よ!心を入れ替えなさい、あなたの行いを神佛はみて居られますよ!

 人間社会を俯瞰してみると、この世の中の人間は二つに分けられる様な気がします。
昔読んだ本の中に、三浦綾子サンの本「泥流」にも書かれていたあの言葉、
人間には物事をして上げる人と、してもらう人に二別されると。
して上げる回数が多いか?してもらう回数が多いか?
一年の締めくくりに当たり、己を含めて人間みなで反省すべき点は反省し、
新しい年はいよいよねこ年!を楽しい気持ちで迎えましょう。
みんなでね。お互い様ってね。
「して上げる」回数増してね、お互い様で支え合いながら温かい気持ちで又一年、
猫の為に生きられたらいいなって思う館長であります。

 猫博には、只今週一回のボランティアさんが3人来て下さっています。
あと4人の方、お手伝いに来て下さいませんか?
週に一度でもかもいません。
午前中の清掃がとっても大変なんです。

どうぞご都合の良い時間に猫の手おかし下さいませ。

 猫博に猫置いてった記憶の有る方は、特にお手伝い下さい、ハハハ。
どれ位大変か身を以って体験してみてください。
コムギとシイゴロとおケイちゃんがとっても大変なんです。心も体も酷使しています。
限界ギリギリで、猫126匹、犬14頭みています。
むずかしい言葉ですが「亡己利他」自分はさて置き、他の人の為に尽くそう。
「一隅を照らすもの国宝なり」伝教大師、最澄様の言葉です。
みな一隅を照らし合えば四方八方明るくなります。命に関心を持って生きて下さい。
年間34万頭が人の手で犬、猫を殺しているのですよ!(犬13万強、猫23万強)殺しては駄目です。
殺されても駄目です。命は一つしか有りませんから。





1月8日(金)
 お正月も三箇日、七草と過ぎて行きます。
又、新しい年が明けました。毎年お正月になると国民みんなでお目出とうって
新年を寿ぐ、年賀状を送ってお祝いします。
我家も猫の会もお雑煮、おとそ、おせち料理を戴きながら新年をお祝いしました。
新年を迎えられるという事が本当に有り難い事なのだと感じられるのは、
人に依ってその想いは様々に違うのかも知れないと、年々思う様になりました。

 
御病身の方々や、年令を重ねつつ有る方々は、その想いが強いのではないかと思います。
我が家もそうですが、身近な方々の中にも癌というレッテルを貼って
生きておられる人々が何人かいらっしゃるのですが、胃ガンを体験している89才になる我母も、
こんなに長生き出来るとは思わなかったって、お正月を迎えられた事を
心の底から喜んでいる様子でした。お正月の意義とは何なのかは、年令が高くなるにつれて
わかって来る事なのかも知れませんね。
世間では目出たい、目出たいと喜ぶ一方で、暮れから正月にかけても必ずしも
慶びだけではなかったご家庭も有ったことでしょう。
病いでずっと臥して居られた方々、不慮の事故で亡くなられた方々もいらっしゃった事でしょう。
世の中の現象は日々移り替わり、止まる処がありません。生と死は日を選びませんので、
悲しみを背負いながらお正月を過ごされた人々もいらっしゃったはずです。


 私共、猫博でも暮れの31日大晦日に大型犬のクロちゃんが。
お正月の二日にはラ・パーマのマスオ君がこの世を去りました。コムギとシイゴロは
必死に看病に当たってくれました。クロは、狼犬のシロと共に10年前の猫博開設時、
どこからかやって来ました。深い訳が有った様でしたが縁有って受け入れ、犬については
未知であった私はこの二匹に依って、犬とはこの様な姿なのだということを学ばせてもらいました。
その後、天寧寺に迷い込んだサンコちゃん、もっと前には鴨川で夫のコバケンが
様々な施設から保護したワンちゃんが、縁有って猫博にやって来ました。
保健所に行ってしまったりゅうちゃんは、小学生とシイゴロに命を救われました。
猫博は只今も猫が120匹位いますが、ワンちゃんも12頭います。
こんなに大勢のワンニャンが賑やかに居るのに、人の手、猫の手、資金力、収容力、色々何もかもが
足りない足りないに等しい施設ですので、中々「その想い」行き届かず、思っている程事が進みません。
猫の手かして下さーいって年から年中声かけしています。
週に一度でもいいですから皆さん手をお貸し下さい!


 1月現在、隣町の人、富津市の方、千葉市の方が週に一度、手伝ってくださいます。
みな女性です。猫博の仕事って朝から晩迄休みがありません。
コムギとシイゴロがおやつを食べているのを見た事が有りません。
「お茶飲んでね」「お菓子戴きましたよ」って云っても、彼等は席に落ち着いている事が有りません。
1匹1匹、1頭1頭にとにかく一日中目を行き届かして働いています。
夜は病院に連れて行ったり、ブログ作って発信したり、
HPの作成をしたり、
とにかく今年も新年から、忙しいことこの上なしです。
いつもいつも「手を貸すよ」という方を待ち望んでいる猫博なのです。
毎日が、日曜日の方はいらっしゃいませんか?
毎日が日曜日の方って、もう体を動かすのって辛いでしょうかね?
おいしい物食べて、お散歩で体力の燃焼ばかりしている姿をよく見かけます。


 今週一回のお手伝い下さる3人の方々は、一週間目一杯お勤めをされている方です。
たった一日の休日を返上して猫博に来て下さっている。
「いつもすみません」て申し上げますと、隣町から来て下さっている
Tさんは
館長と私は同じ考えですよ、「棺桶に入ったらゆっくり休みますよ」って
「生きているうちは体うごかして働きますよ」って!

少し前にも書きましたけど「やる人」「やってもらう人」世の中この二つのタイプで回ってるんですね。
やる気のない人は何もしない!


 世の中の眺め方って人に依って様々ですが、私の場合は俯瞰したり、
睥睨したり時によって違いますが、己を含めて人間とはどうしようもない部分を
多く持ち合わせていて、神や佛の教えを以てしても、どうにも救えない自分勝手さを
持っているものだなと、人間として生まれた事が嫌になる事があります。





1月10日(日)はれ
 成人式が1月11日なのか3連休です。
連休の中間の今日は、大勢の御来館者でワイワイ賑やかでした。
小さなお子様方も多かった!埼玉に住む息子の夫婦と、5才の双子の孫も来ていました。
猫博の猫はコムギとシイゴロ、オケイさんの3人の猫への接し方に押し付けが全くありませんので、
自然体で良く人に馴れています。小さな子供さんにも、全く動せず逃げたりはしません。
猫に接する時は、けっして大きな声を出してはいけません。
追いかけたり、風圧のある接し方は絶対に駄目です。感情むき出しにしてしかるなど、もっての外です。
全くこわがらせる事なく育てますと、非常に優しい、いい猫になります。抱っこを強要してはいけません。
そばに寄って来たら、そっと背中を毛にそってなでて上げる。
抱っこしたくて、無理に抱こうとすればする程、人嫌いな猫に育ててしまいます。
猫の想い通りに、自由に眺めながら育ててみて下さい。
ゆったりとしたのんびりとした、気持ち安らぐ素晴らしい癒される猫になりますよ!
猫と人間は主従関係にあらず、「並んでいる関係」でいられる事が理想的です。




1月13日(火)はれ 風強し
 サンちゃんが、13日未明ニャンコ文庫入口左に作られたサークルの中でこの世を去りました。

昨年の8月25日、コムギとシイゴロに君津市の路上で血を吐いて倒れていた処を
助けられて来た茶色の小型犬でした。
館山動物病院の
I先生の手術に依り両眼全摘にも耐えて、元気になり、食欲も出て
猫博の玄関前に作られたサークルの中で、日向ぼっこをして眠っていたサンちゃんでした。
目が見えないせいかサークルの中をよくくるくると廻っていました。


朝私が猫博に出勤し、他13頭の犬達に一つかみずつのエサを与えますが、
サンちゃんも同じ様に器に入れて上げて鼻の近くに持って行くと、おいしそうに食べていました。
3時頃になると、オケイちゃんが他の犬達はみな犬舎に連れて行き、ご飯タイムとなり、
翌日の朝迄寝床に納まり休みますと、サンちゃんはコムギかシイゴロに依って
ニャンコ文庫の入口左のサークルに入れてもらってエサをもらい、又クルクルと動いていました。


この処、強い風が吹きますので「サンちゃんに」ってお洋服を用意して着せて下さった方が居りました。
とてもよく似合ってほほえましいサンちゃんでした。
サンちゃんは手術のあと少しずつ食欲が増して来て、体つきもガッチリとして来ていましたが
お正月を迎へた頃から少しずつ食欲が落ちて来ました。
コムギとシイゴロが
I先生に診断して頂きました。フィラリアに依る体力の減少ということでした。

 元の飼い主から放たれてずい分長い間放浪していたのか、8/25助けられて来た時の首輪は
色もはげ落ちて寸法もゆるゆるでした。猫博に来る迄、どんな辛い目に合っていたのか。
想像するだけでも苦しくなりますが、とうとうサンちゃんは何も語らず、この世を去って行きました。
猫博で暮らしたのは5ヶ月足らずでした。来た時と同じ館内の観音様の真前で静かに横たわっています。
15日にクロと同じ様に火葬いたします。そして、お彼岸のお中日3/21、
天寧寺の小動物慰霊墓苑の聖観音様の膝下に埋葬し、供養致します。
時間は1時を予定して居ります。ご参列いただけましたら、3月21日午后1時天寧寺仁王門左、
小動物慰霊墓苑です。よろしくお願い申し上げます。

































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