未解決事件 和歌山警察東署「鳥徳ビルに関する事件」
H11年12月27日午後2時から4時頃康政を見かけた方、どんな小さな事でも
結構ですので、教えてください。よろしく おねがいします。
ICUで「生きたい」と頑張ってる康政に病院内で「自殺」と決めた書類に署名捺印
を強要して来た警察官達。
警察は息を引き取ってから一度も康政を見ることなく死因は病死となったまま火葬された。
康政の左目の張れあがった青あざと涙が今も生命のメッセージを伝えます。
H21.12.28 10年前の今頃を思うと やっぱり 心も身体も異変が起こる。
風の匂い、景色、人の動き 静かな時間に・・・今頃「助けてほしい」と思いながら
生きようとした康政の思いが 胸を締め付ける。
主人とは まだ 今日は何も会話がない。
それぞれの思いがめぐり、思いをそらし また 思うという繰り返しの1日を送るだろう。
選んだ服も自然と「黒」なのは 色を身に付ける気持ちにもなれない自然の選択だろう。
重く暗く引き戻せない闇の中で 今日は10年前の26時間を繰り返し生きる。康政の母
H21.11.28「犯罪被害者週間全国大会2009」が東京で開催された 私共も そこで 少しお話を
してきました。山上先生を始め 諸沢先生からも「3社からのコメントを出してるがしっていますか?」と
言っていただいたり、最高裁の方にも来て頂いたりと 積み重ねた皆さんの努力と好意で ここまで
くる事ができました。これからは 死因究明のシステムや時効の廃止に向けて 様々な取り組みが
始まるのでしょう。 母から 息子 丸谷 康政のために
H21.8.23.24 茨城の常盤大学開催された 第13回国際被害者学シンポジュウムに夜行バスに乗って
参加してきました。
3年ごとに開催され 日本では27年ぶりの開催になるそうだ。
今年のテーマは「被害者学と 人間の安全」だった。
来賓者の中には タイの王国王女殿下が人身売買の問題を講演し
「あすの会」の岡村代表は
「被害者が前面に立って 法改正などの改定など尽力したが この様なことは日本だけにしてほしい」
国連難民高等弁務官事務所駐日代表は「難民は支援ではなく 人間としての尊厳を尊重されることを望んでいる」
また この他にも「被害者をフォローし 成長させ 社会に反映する」
「被害者とはすでに被害に遭った人だが 被害に遭う前に安全に」とテーマに添った講演もあった。
同時に 市民フォーラムがあり 刑事裁判への被害者参加制度が2008.12月できたが 事故事件のそれぞれの
制定前後の違いを経験した被害者がゲストでディスカッションされた。
H20.11.26毎日放送 みのもんたさんの”朝ズバ”・・・「8時またぎ」で
康政の事が放送された。
解剖医から見たアンケートでは 医師不足、犯罪が見逃されていると
答えた解剖医が約80%あった。テレビ画面に映った康政の青く腫れあがった
左目の写真は 康政が蘇って自分で訴えたように思えた。
多くの人が見たと言って応援してくれ ありがたい事です。
H20.11.18「生命のメッセージ展」IN京都産業大学にて講演
柳原三佳さんと私共のトーク形式で行なわれました。
柳原さんから・・・
●「週刊現代」〜変死体事件簿@http://mv.nif.co.jp/yanagiharapdf/01b.pdf
息子さんの突然の死……・検視もされないまま、たくさんの謎を残して「自殺」と
断定されたご遺族の無念を、切々と語ってくださいました。
真剣な表情で話しに聞き入っていた学生さんたちの真摯な態度が印象的でした。
H20.8,27,28 TBS「イブニング ファイブ」ニュース番組で『死因不明ニッポン』と題して
丸谷康政の事もニュースとなった。反響も大きく 衆院法務委員会の超党派議員団が
死因究明制度の制度改革を求める提言を 28日法務相に提出された。
《制度の役割》
「犯罪見逃しを防ぐだけでなく、国民の健康と安全の確保、事故の再発防止
などまで巾広い」
H20.6.7発売●「週刊現代」
〜変死体事件簿@http://mv.nif.co.jp/yanagiharapdf/01b.pdf
(本には6月7日と記載,モデルは井上和香さんで黒っぽい服を着た表紙)
息子「丸谷康政」の事が掲載されています。
ICUで生きようと頑張ってる時に「自殺」と言い捨て 遺書も無く、目撃者も無く
ケガの状態から「自殺」とされた調書に署名捺印を拒否しても 解剖も無く
死後の検死もせず 捜査のお願いしても「感と経験で判断した」と言う。
日本は「死因究明」の必然性が まだまだ 理解されていない
H20.2.4
読売新聞に 死因究明や解剖の必要性についての記事が掲載されました。
息子 丸谷康政の事も 載っています。
ぜひ 読んでみてください よろしくお願いします。
12月29日 八回目の康政の命日
警察にも 踏みにじられた康政の命でしたが 「生命のメッセージ」を
伝え多くの人達から 温かい心を頂き 私は康政の命の尊厳を
回復する日々を歩いてきたんだと 思えてきました。
そして それは 多分 被害者遺族の生きる姿なのだと思う。
読んでほしい本
「焼かれる前に語れ」 岩瀬博太郎 柳原三佳 出版社:WAVE出版
この本は 解剖医から見た 司法解剖の現状が書かれています。
日本では 医学の知識の無い警察官が検視し
事件性が無いと判断しやすく 誰もが心臓が止まった状態の「心不全」という「病死」と書かれ
如何に司法解剖、行政解剖が少ないか それによって 事件がかくれているかが 書かれています。
| ライブドアPJニュースに 掲載してくださっています。よかったら 見てください。 2008.9.17 D我が国の死因究明制度の実情と問題点」 弁護士に法医学者とジャーナリストが解説 大阪弁護士会館で 2008.9.17 http://news.livedoor.com/article/detail/3822297/ C「警察が相手だからしょうがない」と取材をあきらめるマスコミ=8年前の 野球少年丸谷君の死亡事件 2007.7.24 http://news.livedoor.com/topics/detail/3246928/ B大阪ATC会場での「生命のメッセージ展」2007.7.18 http://news.livedoor.com/article/detail/3236642/ http://news.livedoor.com/article/detail/3237534/ A野球少年丸谷君の「飛び降り自殺」は、警察捜査の怠慢か 2006.8.31 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2388895/detail @ 「生きる」15歳で逝った息子のメッセージ2005.8.29. http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1366690/detail |
| 「生命のメッセージ展」IN和歌山
2004年10月9日(土)〜10日(日)
「生命のメッセージ展」IN和歌山での遺族の声が、法務省から矯正教育に役立てたいと依頼を頂き和歌山県和歌山市にて開催 致しました。 被害者の声を伝えたいと言う康政の思いが一つの形になったことを喜んでいます。 和歌山開催の詳細は このページ下の「生命のメッセージ展」をクリックしてください。 |
| 「生命のメッセージ展」IN国会パート2 2006.5.16〜18 開催 http://www.inochi-message.com/~kokkai 和歌山からは 松江小学校の「いのち」の作文 鳴滝小学校の「いのち」の教育指導要項に沿った 資料を国会 憲法記念会館 衆議院議員会館で展示しました。 「いのち」の作文の中に「イカのおすし」ってありました。その他作文には「いのち」を大切にする意識を 色んな所から学んでいる事を 教えていただきました。 開催を主催してくれた学生さん始め議員さんや 多くの人が 「大切な事。よかった。校長先生の話しを よく聞いている。」など一生懸命書いてくださった小学生の人達に感動していました。 |
あなたは 人目の訪問者です。(2000.8.25から)


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PJニュース
野球少年丸谷君の「飛び降り自殺」は、警察捜査の怠慢か【PJニュース 08月31日】− 昨今、事件における警察の初動ミスや警察捜査の怠慢が問題視されている。今から約7年前の1999年12月28日、和歌山市内の中学に通う15歳の野球少年、丸谷康政君は、自宅近くのビルから転落し、病院に運ばれた後、死亡した。管轄の警察は、丸谷君の死を「ビルからの飛び降り自殺」と断定した。しかし、丸谷君のご両親は、息子は「自殺なんかじゃない」と、事件から7年経過した今も、訴え続けている。
丸谷君の死を巡って、警察の初動ミスや面倒だから捜査をしたくないという警察の怠慢などはなかったのだろうか。記者は昨年8月、丸谷君のご両親に、息子さんが死亡した直後の思い、息子さんが死亡された後に遺族として起こした行動などについて取材した。今回は、丸谷君が死亡した直後の警察の初動捜査の実態について、ご両親に当時の状況を聞いてみた。 −事件当日、誰から息子さんの死を「自殺」だと聞かされたのですか。 「息子が救急車で病院に運ばれ、ICUで医師が治療にあたってくださっているときに、警察手帳を持たない6人の警察官たちから、『自殺』を認める書類に署名捺印を要求されました」 −そのときは、息子さん、医師にICUで治療してもらっているときですよね。 「そうです。まだ、息子は生きているときに、『自殺』としての調書をとられたのです」 −拒否はしなかったのですか。 「拒否をすると、息子の着衣を貸してほしいと言われました。なぜ、自殺と言う書類が出来あがっているのに着衣が今頃必要なのですか。着衣を見るならこの場で見てくださいといい、警察官たちは、私の要求を一旦、了解してはくれたのですが、結局、息子の着衣の入った袋を持って、車で走り去ってしまいました」 −警察官たちが持ち去った息子さんの着衣は、その後、遺族のもとに、返還されたのですか 「はい、返してもらいました」 −息子さんの治療にあたった医師からは、何か説明を受けましたか。 「医師に『先生、殴られたキズと そうでないキズと見分けられませんか?』と訪ねると『警察がビルの3階から転落したと言っていますから』と、私の質問には、まともな答えがかえってきませんでした」 −息子さんは12月28日にビルから転落し、治療の甲斐なく死亡されたのはいつですか。 「息子は翌日の29日、息を引き取りました。死因は『病死』となっています」 −死因が病死とは、死体検案書の死因の項に病死にチェックが入っているということですか。 「死体検案書の文字を二重線で消し、死亡診断書となっていました。死因の種類は@病死及び自然死に丸印が入っていました。死因の原因は脳挫傷、頭部打撲です」 −司法解剖はしなかったのですか。 「司法解剖はされませんでした。警察の説明によると、司法解剖しなかったのは、『警察は24時間しか司法解剖する権利がない、息子さんは2時間オーバーして生きたから』と言われました」 −通常、警察は死体検案時に、死体の写真を撮りますが、その写真を警察から見せてもらうことはできましたか。 「警察は、死亡した息子をみていないし、写真を一枚も撮っていませんでした。私たち遺族が撮った息子の腫れた青アザや、血のついた顔写真を見せると、警察は『写真を撮っていないので、1枚くれませんか?』といわれました」 −ご両親は、警察に息子さんの写真をあげたのですか。 「いいえ。生きてる息子に死亡を認めさす警察を信用できませんでしたからあげませんでした」 −治療にあたった医師には、その後、詳しい話を聞く機会はあったのですか。 「3年半経ったころ、医師と話しをする機会がありました。もっとも、何度も面談をお願いして、一カ月かかって、やっと話しを聞くことができました」 −医師と話をして、何か、新たな事実は分かりましたか。 「3年半たって出てきた息子のレントゲンの名前は『A』となっていました。事件直後、レントゲンを見ながら『先生、この首の後ろから脊髄に向かって突き刺さった針はなんですか?』と質問したレントゲンがなかったので、『あのレントゲンはどこにあるのですか』と聞くと「そんな物は初めからありません、異議があるのなら正式な手続きをしてから来てください」との事でした」 −事件直後の息子さんのレントゲンを再度、見せてもらえなかったのですか。 「見せてもらえませんでした。でも、その時、医師は、今まで見せてくれなかったレントゲンを、たくさん出してきました。月日が過ぎても医師があのレントゲンを隠さなければならない理由を考えると、警察への度重なる不信が確実になって行くばかりで、体が固まって動けなくなってしまいました」 −事件から7年経過した今、警察や医師に対する思いは、どのようなものでしょうか。 「現場に立つ人の気持ち次第で、どんなに医学や捜査科学が進歩しても私達の所にまで届かず、真実が捻じ曲げられてしまうことがあるのだということも、わかりました」 「息子は、歯型が残るほど くちびるを噛み締めていました。くちびるの状態から、息子がどんな恐怖や痛みに遭ったのかと思うと悲しみが募るばかりです。ですが、ただ、単に悲しいだけでは済まないことを、息子の死を通して出会った私たち遺族と同じ体験をした被害者から、学ばせていただきました。遺族の主張は、いつまでも訴え続ける必要があると思っています」【了】 |
| H.11年(1999年)12月29日 息子、丸谷康政(15歳)が亡くなりました。 警察からは「ビルの3階から飛び降り自殺」と言われましたが 息子の体の状態、状況からは あまりにも納得できないのも でした。ICUで治療中の息子に対する警察の行動に疑問を 持った私達は この事件の真実を追究する為 そして この 事件に関わった警察官の人達に「もっと命を大切に扱って ほしい」と言う思いを込めて また たくさんの方々には 自分の大切な人を守る為に この「鳥徳ビルに関する事件」 を役立ててもらえる事を息子、康政の供養と思い このHPを 開きました。 |
| 「自殺」とされましたが・・・・ 少年犯罪被害当事者の会,Will 「生命のメッセージ」展 生命の手記 生きる・ライブドアニュース掲載文 リンク 写真 ひとり言 |
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