拙著 「雑木林」の紹介へ

雑木林散策                      

                                                  

庭の隅に、親父が丈夫な頃かわいがっていた松の盆栽がある。
今その松の枝が、いずれも芽を出して伸び始めている。
今は親父が寝込んでいるものだから、世話する者もなく、伸びすぎた芽や不釣り合いな枝が多くなり始めて、あまり格好がよくない。
生命とは不思議なもので一つの芽を摘むとその周辺に何本もの新しい芽が出てくる。
盆栽は植物のこの性質を利用して木全体の形を整える。

人間のコンプレックスや問題行動にしても同様のことが観察される。
心の奥によく発達した深い根を持つ一つの問題行動は、その芽を摘むと必ず別の問題行動が現われてくる。
大変だが、そのたびにうまく一つ一つの芽を摘み続けていけば、やがて形のよく整った人格が出来上がっていくだろう。
実際そのようにして、非常に社会的な、いわゆる立派な人格が形成されている。

一方、問題行動そのものを無くしたい場合は、いくら芽を摘み続けてもだめだ。一つの芽を摘めばそれに似たいくつもの問題行動を生み出すからだ。
その場合にはどうしても地中深く埋まっている、その活力源である根を掘り起こしてしまわなければならない。
あるいは、それほど根が深くなくあまり発達もしていない場合は、その芽を摘みとるだけで根こそぎ枯れていく場合もある。
種子からやっと発芽しかけた草や木の場合である。

また、いったん水を含んだ種子がその後の日照り続きで発芽の場を与えられなかった場合は
そのまま枯れてしまう。それに比べまだ活動していない種子は強い。
何千年もの間その生命力を保ち現代に花開いた種子さえある。
種子の力を動きださせ、そのできるだけ初期のうちに処置をすることが、
わずかの力で確実にその力を削ぐコツといえる。
 
                                                           「雑木林」 より

                                                       
                         
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