これは、かって放送されたテレビ番組から集めたビデオ(の解説)です。
単なるバラエテー番組として、見過ごしてしまえばとるに足らない、ただの娯楽番組です。
しかし、ここに集めた情報には、人を世界や人間の深い洞察へと導く貴重なデータがはいっています。
現在、人類史上決してなかった恐るべき勢いで、唯物的世界観や科学的世界観が人の中に浸透してしまいました。そして、人はそれらが提供するものを微塵も疑いません。人の意識の中から存在を失った魂は、物質や肉体的感覚の奥深く、暗い霧の中に幽閉されてしまっています。
また、一方では、宗教という肥大化したエゴイズムが、甘いささやきで、渇いた心を迷妄の淵へと引きずります。合理に目覚めつつある心は、本来、己がふるさとであるはずの「精神世界」に対して警戒を強めます。不思議なことです。こうして、精神は物質へ地上へとただ堕落の一途を辿りつつあります。
人が、愛や美、真や善などの精神的領域に飛翔しようとするときに、これらの科学的・唯物的世界観や人間観が重い足かせとなっていることにどれほどの人が気がついているでしょうか。
しかし、そうした深い物質的世界観の霧の中でも、些細なことをきっかけとして、時として光明を観る人々がいます。精神世界の実在に触れるのです。
その精神世界の実在性を直観するポイントは、思考や感情想念が実在するエネルギーであるということに気づく瞬間です。このような時代に、数が多いこと、量が多いこと、形が大きいことが即ち真理と思われている時代に、独り、唯物論を離れ科学を超えて翔び立つことは全くきちがいじみたことであり、それがほとんど奇跡的な出来事であることはわかっています。
しかし、今、多くの人々の中に乾き叫ぶ魂を観ることができます。この資料が、私自身の魂にそうであったように、少しでもそんな人たちの魂の力となることがあるならば光栄です。
good
luck!
奇跡は起こる
優勝馬シノクロスなど、有名な競走馬を数多く育てた、もと調教師西塚十勝氏は、昭和29年9月27日、その日乗るはずだった青函連絡船「洞爺丸」の遭難事故を偶然にも逃れた。その時うっかり寝過ごしてしまったため乗り遅れ事故を逃れた。
「洞爺丸」の事故は、492名がなくなった、あのタイタニックの事故に次ぐ史上2番目の大きな海難事故だった。
偶然はそれだけではなく、昭和46年7月3日乗員乗客68名をのせた、YS11型機「ばんだい号」の遭難事故も奇跡的に逃れた。
十勝さんはこのときも、知人に頼まれてチケットを譲っていたため「ばんだい号」の墜落事故を免れたのである。いつもはキャンセル待ちをしてでも必ず乗る西塚さんだったが、この時だけは知人に頼まれてチケットを譲っていたのだった。
さらに偶然は続いた。昭和57年2月8日、この日、西塚さんは、友人たちと新宿に行って、仲間でマージャンをやっているうちに夜が明けてしまって、気が付いたら朝になっていた。そして、帰ると宿がない。この夜、西塚さんが帰るはずの宿ホテルニュージャパンは、戦後最大級のホテル火災に見舞われていたのである。西塚さんはまたも奇跡的に事故を逃れているのである。
西塚さんにこんなにも多くの、奇跡的な偶然をもたらすのはいったい何かと理由を聞くと、西塚さんは、「何となく行きたくない、止める人が後についているんだな。」と語っていた。
運命というのはただの気まぐれでしょうか。
奇跡は起こる P2
またしても有名な不思議な話があります。
ネブラフスカ州、ベアトリス、人口1200人の小さな田舎町。ウエストサイド、パブテスト教会。
ここでは当時水曜日ごとに聖歌隊が集まって、合唱の練習を続けていた。開始時刻は夜7時20分きかり、15人のメンバーは毎週1回定刻どおりにそろってコーラスを始めていた。
ところが、1950年3月1日(水曜日)集合時刻を過ぎた直後7時25分、ボイラーの爆発事故で教会が吹き飛んでしまった。
しかしなぜかこの日に限って聖歌隊員全員が遅刻、爆発直後の教会には誰もいなくて、奇跡的にも全員が事故を免れた。
なぜ15人のメンバーがそろって遅刻したのか。その時のメンバーの1人ナンシー・マイケルさんはこういう。
「揺り椅子でウトウトしていて遅れてしまったの。」
ハーバート・ギフさんは「後にも先にも遅刻はこの時1回だけ。手紙を書くのに手間取ってしまったんです。」という。
ドナ・スチュワートさんは「ラジオに夢中になっていて、気づいたら時間が過ぎていたの。」
また、ルーシル・クレイマーさんは「数学の宿題が解けなくて、気付いたら時間になっていたの。」という。
そしてそのほかにも、服の洗濯とかアイロンがけに手間取ったとか、外が寒くて面倒に思っていたとか、あるいは夕食後うたた寝をしてしまったとか、車のエンジンがかからなかった、子供の世話をしていた、母の手伝いをしていたなどみんなとるに足らないささいなことばかりで遅刻をしていた。
運命というのはただの気まぐれな神の悪戯でしょうか。
偶然の一致?
さらに他にも偶然の一致はいろいろある。ワンダマリー・ジョンソンさんは同姓同名の赤の他人同士。
しかし、生年月日がふたりとも、1953年6月15日。乗っている車はフォード、グラナダ。家庭は、二人の子供をハーバード大学で出産。免許や保険証番号までほとんどそっくり。
この偶然の一致は新聞にも取り上げられて全米をあっと驚かせた。
本人たちは、「初めて会ったときはヘアスタイルまで同じで!びっくりしたわ。」と語る。
運命というのは何なの出しょうか。
科学史上の同時発見
科学史上の同時発見もたくさんある。
1859年イギリスのチャールズ・ダウインが進化論を発見したとき、地球の裏側のアルフレッド・ラッセル・ウオーレスもまた同じ論文を書き上げていた。
イギリスのアイザック・ニュートンが1686年にウールス・ソープで、万有引力の法則を発見した、そのちょうど同じころ、ロバート・フックにも同じアイデアが宿っていた。
そして、アレキサンダー・グラハムベルが、1876年電話の発明の特許を登録したそのちょうど同じ日、二時間違いで特許局に駆けつけたものがいた。イライシャ・グレーである。同じ特許の申請のため特許局に駆けつけていたのである。
またアンネ・フランクの日記はあまりにも有名だが、ナチスの弾圧のなかでアンネが日記を書いていた、そのちょうど全く同じとき、何百キロも離れたところでまったく同じ日記をつづっていた少女がいた。
武道の奥義
視点を変えてこんな話はどうでしょうか。
琉球王家秘伝、本部御殿手(もとぶうどんしゅ)の第12代宗家上原清吉氏(88歳)は、人が攻撃しようとする心を読んでしまう。彼はどんな高段者がかかっていっても、決して打たれることがない。多人数の場合でもまったく同じように、きれいにさばかれてしまう。その動きは、素人の目には何が起こっているのかまったく意味が分からない。ただ、ふざけているとしか見えない。だが、武道家の目から見るとほとんど奇跡的なことなのであるという。
もうひとつ、別の武道家の話を紹介します。
和道会中央本部事務局長の柳川昌弘師範は、空手の「先の先」という技を披露する。
師範は語る。「相手がじゃあ行こうかなと思う。その思ったときや迷ったときの意識を察して先に技をかける。そうすると、相手が次のことを考えてるもんですから、動きようがないという状態になるわけです。」
「ということは、頭の中で考えてることがわかってしまうということですか。」
「そうです。」
そして、実際に弟子と対戦すると、弟子の動く寸前に先生が弟子の意識を察して先に打ってしまう。ビデオをスローで見ると、弟子の体が動き出す直前に、先生が動きだしているのがよく分かる。
その、弟子は言う。
「突こうとすると、”つ”で押さえられてしまいますね。」
次に、その「先の先」という技を、ナビゲーター自身が体験してみることになった。
そして、ナビゲータが弟子と立ち会い、ナビゲータに弟子が突きを入れようとすると、その直前に先生がナビゲータを前に押し出し、逆に弟子に突きを入れさせてしまう。
弟子の心は、先生によってすっかり読まれている。
また、ナビゲータが先生の背後から突きを入れようとする。と、やはり心は読まれ、寸前に逆に振り向きざま、ナビゲータが逆に突きを入れられてしまう。
次には、ナビゲータが弟子と対して、攻撃を仕掛ける。その寸前に先生がナビゲータの攻撃しようとする心を読んで、ナビゲータの攻撃の手を止めてしまうという技を見せる。
ビデオを見ても一瞬なのでよく見えないが、スローで見るとよくわかる。ナビゲータの心が動くと同時に、先生の手が動き出す。このとき、先生の手が動き出したとき、まだナビゲータの体は全く動いていない。このときは、まだ、手も足も全く動きはないが、先生の手がナビゲータの近くに届きそうになる瞬間、彼女の手がようやく動き始める。目で見てから動いているのではないことがはっきり分かる。完全にナビゲータの頭の中が読まれている。この瞬間のできごとに、彼女自身、「信じられない」という表情で驚きが隠せない。
最後に師範が目隠しをして弟子と対戦するが、目を開けているときと同様に弟子の心は正確に読まれてしまい、封じられてしまう。
さて、もう一人の驚くべき武道家がいます。
この方の話をよく聞くと、何が起こっているのか、少し理解できそうな気がします。
でもそれには、これまで私たちが見ることを避けてきたことを、勇気を持って、真正面からみつめなければいけないのですが。
新体道の創始者、青木広之師範もまた、人の心の動きを読むことのできる能力を磨いている。
ピストルの早撃ちの第一人者、ビル横山と言う方がいるが、普通の人が、この早撃ちの名人がホルダーからピストルを抜く前に押さえようとするが全く不可能。ところが、青木師範が対すると、確実に、彼が抜く前にピストルを押さえてしまう。何度やっても、ビルはピストルをホルダーから抜くことができない。ビルが、青木師範を後ろからねらっても結果は全く同じである。抜く寸前に、正確に、ひらりと体を交わされてしまう。さらに、ビルが青木師範に、後ろから不意打ちを食らわせようと試みるがこれも見事失敗。ビルの心は完全に読まれている。
その青木師範は語る。
「人が相手を攻撃しようとすると、まず、その人の頭の中に”攻撃しよう”という想いが起こる。そして、”位置について””用意””ドン”という3つの段階を得て動作が起こる。だから、この”位置について”の段階で動きを封じてしまうのです。」さらに師範は語る。
「無心になっていると、相手の心の中の動きがこちらに飛び込んでくる。鏡に色がないとなんでも映すように、こちらの心が無になっていると、相手の心の動きが全部こちらに映ってくるのです。普段は、相手と自分が別々のものと思っているが、無心になってしまっていると、相手と一つになって、相手の心の動きが分かってしまうのです。」
師範は数年前、本山 博 工学博士の招きにより、筑波大学で行われた「気のシンポジウム」で、世界の学者を前にその技を披露し、センセーションを巻き起こしている。
禅などに興味のある方は、今、青木師範のことばに強烈なインスピレーションをうけているかも知れませんね。古来の偉大な導師方のことばの数々が、一瞬にして、眼前にくっきりと姿を表してくるように感じた方もいるかも知れません。
心は自分の壁の中に閉じこめられてはいないのです。想いは外の空間に開かれているのです。電波のようにな、想念の波とでもいうべきものがあるのです。感情や思考は実態のないものではないのです。架空のものではないのです。
ここにあげた天才的な三人の武道家の技や話を、言い訳せずに、冷静に見つめることができれば、私たちは自分や世界に対する途方もない洞察を得ることになります。
世界は現在、科学が認識できる範疇を遙かに超えたものでしょう。
感情や思考やこれまで科学や感覚が実態のないものとしてきた精神的なものが、実在するものだということがわかります。
あなたも私も彼も、そして、犬も猫も、草も木も花も、猿も、精神の次元では互いに響き合っているのです。 未熟だから、鏡のように澄むことがないから、それがわからないだけなのです。
「気」は存在する
気による脳波の同調現象が確認されている。
日本医科大学の品川嘉也教授は、16の電極を、気を発する気功師とアナウンサーの頭につけて気の感応実験を行っています。気功師が、気をうけるのは初めてという、気の存在には半信半疑のNHKのアナウンサーに、本人には見えない後ろから気を送ります。すると、気を送る気功師の脳から、スパイラル波といわれる脳波、α波が何度も出る。
そして、気をうけているアナウンサーの脳波が、同時に気功師と同じようにα波に変わっていく。気功師とアナウンサーの脳波が同調しているのである。通常では、普通の人にはこのような脳波はなかなか出ないと教授は言う。五人の気功師で14人の受け手に対していろいろな実験をしたが、90%以上の人に脳波の同調現象が見られたという。
実験を行った日本医科大学教授、品川嘉也教授は語る。 「結果的には、電磁波ではないもので相互にコミュニケーションが起こっているとしかいえない。」「それが何であるかは何ともいえないが、それが”気”と言うしかないでしょうね。」
こうして、今では多くの研究室で、脳波の同調現象が実験的に確認されているのです。
ガン細胞の退縮
中国では気功師が気を当てることで、がん細胞が消滅し空洞ができることが研究され、報告されている。研究者の話では、実験の結果、およそ9割の確率でがん細胞の分裂の停止あるいはがん細胞の消滅が起こっているという。まだ研究中ではあるがという。
また、数千年の気の伝統を有する中国では、「気功」を実践することで、末期ガンの患者の2人は10年たってもガンが進行せず元気でいる。手術をしたが医者からさじを投げられ、そのまま切開口を閉じられてしまって、わらをもすがる思いで気功を始めたという人が、20年たった現在でも元気でぴんぴんしているのである。
「気」の活用
ダウシングという棒や振り子で水脈や鉱脈を探る方法がある。
カリフォルニア州、サンタローザの水道局では、Lロッドというダウジングの道具を使って古い水道管を探している。
バイザーと呼ぶダウジングの技術者が、L字型に曲がった30cmぐらいの金属棒2本を両手に軽く握って前にだし、静かに歩いていくと、水道管の埋まっている場所の上に来ると、棒が自然に反応して、開く。それによって、水道管の埋まっている場所がわかるというのである。3人で別々にダウジングして、水道管の埋まっている場所を特定するのであるが、1フィート以内で大体的中しているという。
この方法は、水道局だけでなく、サンタローザの電話局のパシフィックベル社という会社でも、図面もないような古い電話のケーブルを探すのに使っているという。アメリカだけの話ではなく、東京都のある市でも使っていたという。
東京学芸大のある教授は「あらゆるものが振動していて、固有の放射エネルギーを放出している。人の細胞がその振動を感知し、無意識に筋肉が反応してロッドが動くのだ。」と説明する。
さらに、ダウジングを用いて、ストーン・サークルについて探っていくと、そのあたりでは地電流などのエネルギーフィールドが周囲と違っているのが観測される。そして、そのエネルギーの流れに沿って、広範囲に渡っていくつもの古代遺跡が、直線的につながった場所が発見される。このような、エネルギーの流れはイギリスのアルフレッド・ワトキンスによって、レイラインと名付けられている。レイラインは、多くの研究によって、イギリスをはじめとして世界中に存在していることがわかってきた。日本では、北海道をはじめとして各地に存在することがわかっている。
このような場所は、現在、世界中で200本以上も確認されている。
このようなことから、地球上には何らかのエネルギーの流れがあって、古代人はそれらを直接感じる能力を持っていたと考えられている。
思念エネルギーの伝播
この話はどうでしょうか。
大分県高崎山は日本猿の生息地として知られている。
この山で、昭和54年に、小猿たちの間に小石をいくつか集め、その石をガチャガチャぶつけて、音や手触りのおもしろさを楽しむ、石遊びの文化が突然発生した。
ところが、同じ年に、高崎山から450Km離れた、京都嵐山の日本猿の群の中にも同じ遊びをする猿が出てきた。
また、同時に、さらに遠い千葉県の高宕山でも、同じ石遊びをする猿が出てきて、専門家たちが首をひねっているという。
もう一つ、よく知られた話だが、宮崎県幸島では、ある時若い雌猿が芋を海水で洗って食べるようになった。するとそのうち、島中の猿が真似をして芋を洗って食べるようになっていった。ところが、その文化が、ある時突然、海を隔てた高崎山の猿に伝わっていたのだ。
関係者は、いったいどうしてこのようなことが起こるのか理解できず、驚いているのだ。
生科学者ライアル・ワトソンはこのこと(猿の文化の伝わり方)についてこう語る。
「ある群の個体が新しい行動や文化を受け入れる。そして、その数が群の一定数を超えると突然他の群にもその行動や文化が伝わり広まっていくのだ。」
イギリスの生科学者ロバート・シェルドレイク博士は次のように説明する。「生物には、目に見えぬネットワークがあって、そこからお互いに情報を受け取り合って生活しているのだ。」
そして、ついに、イギリスBBC放送の科学番組は、隠し絵を用いてこの見えないネットワークが人間にも存在することを確かめる大仕掛けな実験を行った。
BBCの化学者は、はじめに、イギリスも含めて世界中のいろいろの国の被験者5000人に対して、ある1つの隠し絵に隠されている絵が解るかどうか調べた。
その後に、イギリスの人々に対して、その隠し絵の答えを放送で教えた。そして、先に調べた人々に対して、イギリスでの放送後、再び隠し絵の答えが解るかどうか調べた。すると、放送の前の調査では約10%だった正答率が、正解を放送した後の調査では、世界中のどの地域でも確実に増え、12〜13%になっていた。特にオーストラリアでは19%を超えた。一方、統制群として、答えを教えなかったもう一つの隠し絵については、放送前も後も回答率にほとんど変化はなかった。
この大がかりなBBCの実験によって、イギリスの人の体験が、世界各地の人々にも伝わり影響を与えることが確認されることととなったのである。つまり、思念はある種のエネルギーであり物質とは関わりなく空間に伝播するのである。これは先の天才武道家や猿の文化の同時発生の事実によっても明らかである。
精神的なものは物質とは異なる存在様式を持って存在するのです。私たちがよく認める、たて、よこ、高さで規定される位置やこの空間を占める大きさや形という感覚的な現れを持たない存在様式、むしろ科学がエネルギーと呼ぶような、波動と呼ぶような存在の仕方であるといえるようです。しかしながら、精神独自の仕方で存在している確固としたエネルギーなのです。物質は我々のよく知っている存在の仕方をしています。しかし、精神は、心は、思考や念は、また、別の様式で、確かに存在しているのです。
ここまでくると、今まで深い霧の中に閉ざされていたようにみえた、たくさんのことがくっきりと明るい意識の光の中に輪郭をあらわし始めてきます。
タオ
少し光を得た意識で、東洋の心の源流「道」をみてみましょう。これも、放送があり、ビデオに収めているものです。
北京、地壇公園では変わった気功法を実践する人々が居る。張玉林師の主催している無為気功を実践する人たちである。無為気功は、それぞれが、わき上がるままに自分勝手に体を動かす気功法であり、最後の気功ともいわれている。
張玉林師はいう。
「あるがままの気を養うこと。気のバランスが保たれれば、心と体のバランスができる。しかし、魂のバランスを保つためには、まず理論を理解しなくてはならない。道理がわかって、はじめて心のバランスが保たれる。そうすれば、気も自ら整い、体も整ってくる。自分に気があるかどうか悩む必要はない。われわれの思想や意識それ自体が気なのですから。」という。
「その道理とは、世界のすべてのものが、どこかでつながり、かかわりあっているということ。あたかも全体が一つであるかのように、あらゆるものが調和とバランスに満たされている状態。それこそが私たちの住むこの世界の本来の姿、つまり自然だ。」と師はいうのです。
この調和とバランスを重んじる思想のことを道教では「タオ」と呼んでいる。
タオは言う。
”初めはすべてが一つのものであった。
やがて、その中に一つの「気」が産まれ、それが陰と陽に分かれていった。
陰、すなわちマイナスと、陽、即ちプラスが互いに調和し合っている。陰も陽も互いの存在 を支え合っている。それがタオである。
何も足さず、何も引かず、それだけで満たされている自然。
一つはすべてであり、すべてはひとつである。
私たち人類もまた、この大いなる自然の一部なのだ。
「タオ」はどこにでも流れる
すべてのものは「タオ」なしには存在できない。
すべてのものを育み、すべてのものを愛する。
「タオ」は決してみすてない。”
ー 老子 ー
心の世界
さて、思考や感情などがエネルギーであるとすると、その総体としての心や超次元的世界の存在も必然的に肯定されることになる。ここにもう一つのテレビ番組を紹介します。
原因不明の苦痛に悩む主婦を見た、慈雲法師は「主婦の家の床下3〜4メートルのところに埋められている女性の霊が主婦についてきている。救いを求めている。」という。
そこには数百年前の人骨が埋められていると師はいうのである。
そこで、常識的には虚言ともとれる師の言葉に従って、スタッフは家を解体し、パワーショベルで家のあった場所を掘っていった。嘘であれば、家や工事にかかる莫大な費用の弁償が待っているにもかかわらず作業は着々と進められる。発掘作業は長時間にわたり続けられた。
その間、助けを求めて苦しむ主婦。
しかし、長時間に渡る発掘作業の末、3メートルあまりを掘り下げたスタッフの目の前に、ついに、慈雲法師の言葉どおりに、数百年前の泥にまみれた棺桶の破片とまだ腐りきらない、手足の骨や背骨が次々と掘り出された。
驚くべき事である、慈雲法師はなぜ家の地下3メートルの状態がわかったのだろうか。
なぜ主婦自身、自分でも知らないことをしゃべることができたのだろうか。
これはいったい何を物語るのだろうか。
科学はなぜこのことを説明できないのだろうか。
このドキュメント番組は、これはテレビ局が仕組んだ大仕掛けな嘘であり、影でべろを出しつつ天下のすべての人々をペテンに掛けているのだといって済ますのだろうか。
この番組を見たとき、心の中に起こってくるつむじ風のような胸騒ぎを、あなたは無視することができるのだろうか。
”心は実在です。精神的なものはれっきとした「存在」なのです。物質が独自の様式で存在しているように、精神や思念もまたそれ独自の様式で存在しているのです。”
そして、その当然の帰結として、”人は心であり肉体そのものではない。肉体は人が物質界において纏う道具である。”のです。
これはいかなる宗教・宗派の独占でもありません。誰かの専売特許になるようなものではないのです。誰かが考えついた空言ではないのです。
信仰や弁解なしに、すべての人が、自分自身で主体的に直接向かい合うことのできる事実なのです。
ありがたいことだといって無理矢理盲信するものでも、偉い人のいうことだからといって信じなければいけないというようなことでもないのです。
信仰などとはまったく縁遠いただの事実なのです。
あいだに、人や宗教などというものが入る必要はないのです。自分が直接向かい合う単なる事実なのです。
誰の言葉によるのでもなく、ここに自分がいるということを自分が直接知っているように、気づき、知るだけです。
どうでしたでしょうか。
これらはすべてかって放映されたテレビ番組の内容です。ビデを掲載できればよいのですが、それは禁止されていますし、できません。とても残念です。
さて、このかけがえのない人生に、本当のことを求めて止まない心の叫びを聞くあなた。
多くのこの感覚的世界の経験の堆積にも関わらず、純粋な魂の輝きを失わないでいるあなた。
雑多な日々の生活にも関わらず、未だあふれる探求のエネルギーをもちつづけているあなた。
自我を超え、宗教を超え、科学を超え、感覚を超え、純粋意識をもって共に「世界」に観入してみようとおもうあなた。先に進みましょう。
1.見えないネットワ−クの存在
一般にはほとんど知られていませんが、先の、偶然の一致、歴史上の発見の同時性、猿の文化の伝播、隠し絵の実験などのビデオ(テレビ番組)の例に見るように、一つの想いや感情がどこかで起ると、それはたちまち地球の隅々まで伝わります。勿論、光や音という通常考えているような仕組みで伝わるのではなく、物理的(光=電磁波)な次元を超えた仕組みをもって伝わるのです。
通常、感情や想いが伝わっているということは私達には自覚されませんが、その想いが強かったり、心がリラックスして静かなときには時折自覚されることがあります。噂をすれば影とか、視線を感じるとか、あくびがうつるとか、虫の知らせとか、そうした体験を私達は無数に持っているわけですが、それらはみんなこのような「想念波の伝播」によると考えられます。
また、後で考える理由で心が純粋だったり、経験や論理にかなうかどうかと心配するような余計な想いのない子供や動植物等には伝わりやすいものです。
同じようなことを考えている人同士も伝わりやすいものです。禅や修験道、武道の極意に達した方など、心を「無心」とか「空」とかという状態にするすべを身につけ、それ(想念波)を認知する能力が発達した者にとっては自明のことであり、また、太古の昔にはほとんどの人によって知られていたようですが、想いや念(感情)は、それ自体がエネルギ−であり空間を伝播すると考えられるのです。
それは、当然、現在の科学的機器を使ってはまだ直接的には捉えられていませんが、経験によって物質的波動(電磁波)より精妙な波動であると考えられています。このエネルギーの把捉が可能となるのはおそらく、「気」の次元においてであり、敏感なある種の液晶がこの種の信号のセンサーとして開発されることによるだろうと思われます。
音や光などは空間を伝わるうちに散乱されて弱くなります。しかし、同じ電磁波でも振動数や波長の違いで、散乱が少なくより遠くまで伝わるものもあります。
電磁波よりずっと精妙であると考えられる想念波は、様々な経験から、粗雑な物質的なものには妨げられることもなく、ほとんど無限の遠方に伝わると古来より考えられています。
このビデオ(テレビ番組)にみる猿の文化の伝わり方やイギリス国営放送BBCの隠し絵の実験結果はそのことをよく物語るものです。
思いや感情は現実に存在するエネルギーであり、しかもこの物質的世界を根底から形作り動かしている、より根元的な力であるということを古来の知恵ある人々が、繰り返し繰り返し象徴的に訴えてきました。しかし、いろいろな理由で多くの人々は理解しませんでした。
実際、これまで見てきたように思いや感情は物質と同じように一種のエネルギーです。
心も精神もエネルギーです。そして、愛や美、思想、思考、諸々の感情も日々私たちが実感しているようにまったく現実的なものです。
そして、それらがこの現実世界と深く関わっり、より根元的なもの、現象世界の原因として働いているものでもあるのです。
このことが、理解されると音楽や絵、思想、真理、善、生命といった現実主義者?が忌み嫌ってきたロマンチシズムやセンチメンタリズムの象徴のような事々が一気に強烈な光とエネルギーを放って輝くようになります。
同時に、その度合いに応じて、実際にその人の周囲の世界が変化し始めることにもなるのです。
しかし、多くの人が、感覚と狭い経験の幻想を突き抜け、科学の呪縛を解き、物質的世界観の敷居を越えて羽ばたくのは遠い先の人生のようです。
2. 思いは相互に感応している(=脳波が同調する)
気功師が気を送ると、気を受ける人の脳波が気功師の脳波と同調します
。
ビデオにみるように、このことが実験的に確かめられています。また、違う二人の人
間の間に同調が起るということは、気功師の脳と気を受ける人の脳の間に何かが伝わっているということになるわけですが、この時伝わるものが音や光その他、科学で認められる物質的次元の信号やエネルギ−ではないということが実験的に確かめられています。
しかし、それではいったいそれは何かということになるとまだはっきりしたことはわかっていません。
同時に、これは、なんらかの形で気功師の脳と気を受ける人の脳が同じよ
うな働きをしている、同じような考えをしているということを示すことになります。気を送る人と気を受ける人が同じような想いを持っているわけです。2人の脳が似たような想念を出していると考えてよいわけです。
武道の鍛練を通じて相手の心の動きが察知できるようになったり、様々の行を通して、心が空になり無心の状態になるときにそれがより強く感じられたりということが現実に起っています。それがこのビデオにある、柳川師範、青木宏之師範、本部御殿手の上原清吉氏の例です。
また、ビデオの例に見るように、人と人との間に気の感応が起るときには、手も触れずに人が倒れたり動いたりすることがあります。このようなことを見ると、人は気を発する人から何か手で押した時のような物理的な力が相手に及んで、それが直接相手を飛ばすのだと思いがちです。
しかし、多くの場合そうではないようです。これらは相手の神経系が発信者の想念に同調して、本人は無意識のうちに自らの力で動いてしまったり飛んだりしてしまうのです。自分の気持ち(想い)より、相手から来る気持ちの方が強いため、それが自分の心や気、そして体を動かしてしまうのです。
このように心の奥に1つの思いやイメージがあるとき、身体が自動的に無意識に反応してしまうという現象は、心理学では「観念運動の原理」としてよく知られているものです。これについては精神身体医学の分野において詳しく研究が進んでいます。
この点、人の体は心の思いを受けて動くロボットのようなものといえます。体は脳が想念の波を受信し、増幅して神経電流を発し、筋肉その他を動かし、感覚的次元にその想念を表現する心の道具あるいは乗り物に喩えられます。
私たちは、静かにしていると頭の中にはひっきりなしにいろいろな想念が浮かび、一時も止まることがありません。普通はそれを自分が考えているのだと思っていますが、事実は必ずしもそうであるとは限りません。
実際、私達が自分の考えであると思っている想念の多くは外からやってくるもののようです。人はそれらのうちから無意識に自分の興味のあるものを拾っては、しばらくそれについて引きつけられ考えをめぐらし、その思いを増幅してはまた放射しているのです。外から来た思いの力を、強めては再び外の世界に放射すると言うことを繰り返しているのです。
そして、似ている想いは同調しあい、互いに影響し合っているため、一緒にいるとお互いに同じような考え方をするようになっていくものなのです。
しかし、思いがすべて外から来るものばかりかというとそうでもありません。自分の記憶の中より発生してくるものもあります。かって、自分が常に強い興味関心を持ってよく考えていたため、自分の周りにまとわりついている想念のエネルギ−があるのです。それらが、何かの拍子に、自分の心が空っぽになったとき、それが不意と心の中に入ってきて意識されたりします。あるいは本人の自覚意識には上らず、直接に体や行動に影響してくる場合もあります。
そして、外から来るといっても人だけではなく、周囲にある花や部屋や空間自体が持っている想いや響きもあります。あらゆるものがそうした、人間で 言えば「想い」や「念」のような微妙な波動を放射しているのです。
武道やスポ−ツの練習を通して、相手の微妙な心の動きを察知しようと常に心がけていると次第にそのような微妙な振動を感知するように感受性が高まっていきます。
この時、先入観や偏見は邪魔となります。また一つの想いに意識が捉われている時は、他の振動(想念)が来ていても感知できません。また、正確な情報に色がつきます。自分の推測や考え、想い込みが混入して情報が不正確になってしまいます。人だけではなく、あらゆるものがその振動を発しているので、対象に静かに見入ったり、聞き入ったり 、感じ入ったりするとそれらのもつ響きが、自分の興味や感受性の度合いに応じて感じられてきます。
3 潜在意識のはたらき
人間の心の働きを理解するためには潜在意識の働きを理解しなくてはなりません。
特に重要なのが潜在意識です。「潜在意識」は人の心のはたらきや行動の真の原因を知るためにはなくてはならない心理学的概念ですが、一般にはあまりよく知らていないようです。おそらくは、人そして自分を理解し調和的な人間関係を保つために誰もが理解しなければならないものであると思います。そして、特に教育の分野では欠かせない問題であると思います。
1.2で考え、またビデオ(テレビ番組)で見たように、人やその他すべての存在はお互いに見えない想念や気のネットワ−クで結ばれ、絶えず影響し合っています。あらゆるものが互いの情報を共有しているのです。この意味でも世界は一つなのです。
しかし、通常はその情報は意識に上りません。科学とか常識とか理性といったものがこのような「感性的把握」「直感的認識」を妨害してしまっているのです。現代の私達は感性的把握を正当な、現実的認識方法とは認めていないのです。
この点もっと経験の堆積がなく論理的思考力もまだ未熟な子どもたちは、自由で純粋な直接事実に即した認識をします。子供たち、そして動植物はもっと世界と一体化して生活しているようです。動植物や子どもたちはまだ理性的認識というものを持たない次元にあります。しかし、やがて彼らも「論理を」知り、客観的思考が始まるようになると、その認識方法が主な手段になっていきます。
これは、客観的自我そのものが、思考するもの、「思考」そのものであるからです。そうなると、心が「自分の想い」でいっぱいだったり、理性的判断や世間の常識と比べて根拠がなかったりとか、科学的でないとかとしてそのことを認めようとしなくなります。
そして、成長過程でいつもそうすることにより習慣的に、無意識的に自覚意識に上る前で却下されてしまいます。あるいは、より強い感覚刺激のほうに注意をひかれてしまようになります。
だから、通常、思考者である現代人にとっては、外から来る想念の波や気の振動を意識化するのは難しいものとなります。これらの感覚ははじめ潜在意識の中に発生し、心の内側から発生してくるからです。このため、よしんば自覚が起こったとしても自分の思念として自覚されてしまいます。
しかし、ダウジングといわれる方法を用いると比較的容易に、この繊細な情報を取り出すことができます。理性や常識による雑音の入るのを防ぎ、体や神経あるいは気の体(エーテル体)に直接感応してきた情報を顕在意識を経由せずに、心理学で観念運動の原理と呼ばれる方法を用いて、体にじかに表現させることができるからです。
リラックスし、とりあえず理性的自我、思考者である「私」を蚊帳の外においておき、外部からくる刺激が神経系に直接に作用し、大脳を経由せずに刺激が神経系が直接体を動かすように任せる方法なのです。
4 世界は響き合っている
すべての存在が間断なくその個性に応じて種々のエネルギ−を振動として放射しています。すべての存在が固有の振動数をもって振動しています。それは、振動の定常波こそが、感覚の前に「形」と呼ばれるものであり物質であるからです。物質は量子力学が教えるように実体は波動そのものでありエネルギーそのものであるため、その振動が周囲の空間に響き渡っているのです。これがオーラと呼ばれる現象です。一般に私たちがものの雰囲気として感覚しているものです。
宇宙は音や、光、電波等の電磁波だけでなく、思考や感情、気等の振動が響き合う振動の海、あるいは交響曲といえます。
普段、私達が認識している世界はそれらのほんの一部分の振動にすぎないのです。私達の認識する世界は、いわゆる物質次元の振動、「光:電磁波」以下の振動に限られていると考えられます。
見える次元や見えない次元の様々の存在があらゆる種類の振動を放射しているのですが、中でも人の心は特に激しく活動しています。
だから、この空間は、私たちのほとんどには自覚できないにもかかわらず、テレビや携帯電話の電波、そして光の波、紫外線、赤外線、音波や超音波の波で充満しているように、いろいろなエネルギーや想念などの、たえまなく振動するエネルギ−で満ちているのです。
人や動物その他から発する思考や感情もまた、隙間なくあるわけですが、そこから心は色々な思いを拾っては、それについて考え、また新たなエネルギ−を加えては放出するということを繰り返しているのです。多くの人が共通に好む思念は、そのたびに強められ巨大化強力化ていきます。そして、同類の想念は絶えず強められ、一つの中心(ブラバッキーに始まる神智学では「想念中枢」と呼ばれる)のもとに蓄積されていくのです。流行や民族意識などはこうしてできていくものといわれます。
もちろん通常のエネルギーと同じで、放っておけば徐々に衰退して消えてしまうものでもあります。ぎゃくに、定期的に思念して意図的に強めることもできるのです。
しかし、宇宙空間での運動や電磁波のエネルギーのように、他との次元の違いによりほとんど摩擦もなく、邪魔されず、どこまでも届いたり、半永久的に振動し続け飛び続けるものもあるわけです。
だからもう、教室や人ごみの中は大変な想念の振動の海であり想像を絶するもののようです。
私たちは、テレビや携帯電話の電波の海の中にいるのと同じように、日々このような種々の存在の発する想念の海の中で生きているのです。
そして、ちょうどこの空間が電波や光の海であって、周波数を合わせる
とどんな場所にあってもその放送がTVに映ってきたりするのと同じように、 私達が何かを考えると、どこにいてもその次元、その種類の考えがどんどん私達の心の中に入ってきます。
この感覚世界では、漠然と見ているときは、目には入っていても見ていません、自覚されません。見ること聞くこととそれを意識し自覚できることとは別なのですが、このことが理解できないと以下の話は理解できないものとなるかもしれません。
感覚世界の認識と同じように、潜在意識下では多くの超感覚的次元の情報が来ているのに、普段は私達の意識が感覚の次元に向けられているため、別のより精妙な次元である超感覚的信号は自覚されないのです。私たちの意識の焦点が感覚に向けられているのです。テレビで言うとチャンネルが違うわけです。
ところが、夜、私達の感覚が静かになったり、黙想して心の奥に意識を向けていったときには、色々のその想念の海から様々な情報が流れこんで来ていろいろな想いや情念が自覚されてくるものです。
ちょうど、目に入る風景や耳に入る音も、聞こえる音のすべてが自覚されるわけでなく、その中でも注意を向けた音だけが初めて自覚されるようなものです。
空間に響いている無数の情念の波や思考の波が、人が注意を向けたり、そのことに対して興味や理解力をもつ時に、初めて意識されてくるのです。
興味というのは注意力のことですし、理解力というのは、精神世界の状況を見る力であり、感覚世界にしてみると「光」のことです。世界を明るく照らすものが光の本性です。このことは、自分の視界の中にあるもの、これはほとんど無限の量を持ちますが、自分が自覚するものはその中の強い刺激を放つものか特に興味を持つもの、そして、注意を向けたものであると言うことを示します。
聴覚の分野においてもそうです。
音や光が自分の感覚の可能な範囲、感受性の範囲なら、意識の向け方、注意のし方次第で見えたり聞こえたりしてくるのとまったく同じです。
それが自分の感受性が強かったり、反対に自分の感受性や注意力が鈍くても、対象のエネルギ−が充分強かったりするときには確実に意識されるのです。
響きやエネルギ−は精妙なものから粗雑なものまで無限です。そして、
物質波動と精神波動の間には、両者をつなぐ「気」と呼ぶ「エネルギ−」があると
考えられています。 エネルギ−とは潜在的な仕事をする能力のことですが
、気はエネルギ−のより潜在的な形態と呼べばいいと思います。科学では、電磁波の次元に限って考えますが、東洋の「気」はそうしたものすべて、精神的なものも含めて潜在的なエネルギーすべてを意味しているといえます。
本来、気持ち、元気などみんな「気」です。そして、法則や原理なども含め、仕事をする可能性があればすべて「気」と呼んでいます。
しかし、ここではもっと言葉の意味を狭めて、情や思考のエネルギ−より粗雑であって熱や光などより精妙なエネルギ−としての気を考えてみます。
すなわち、感情エネルギーと物質的エネルギ−をつなぐものとしての存在を、狭義に「気」として捉えることにします。より物質的な意味に限って「気」という言葉を用いることにします。
さて、心と物、そして気の関係は感覚的には次のことを考えるとイメ−ジがわ
くと思います。
早朝の山深い湖に陽が射すと
大気が生き生きと目覚め
空気が動き風が起る
風が吹くと水が動く
水が動くと木の葉が動く
同じようにして、
啓示(インスピレーション)がやってくると想いが動く
想いが動くと気持ち(情)が動く
気持ちが動くと気が動く
気が動くとエネルギ−(電磁波次元の)が動く
エネルギ−が動くと物体が動く。
このようにして「気」が心と物をつなぐのです。
光が現れ、熱が発生し、気体が動き出します。
すると、液体が動きそれと接触している固体が動くのです。
たとえて言えば心の世界の動きがこのような関係で物質界を動かすのです。
電流の誘導現象にも似ています。
光が直接に物体を動かすことはできないのですが、このようにして物体を動かすことはできるわけです。
5 心が世界を創る
心の中で一つの想いが起ると、それがどういう種類のものでも、それにふさわしい情が動きだします。
戦争という言葉はそのイメージを引き起こし、相応した感情を動き出させます。花という言葉はまたそれにふさわしい感情を呼び起こします。○は○の、△は△のそれぞれにふさわしい感情がわき上がってきます。また青は青の赤は赤の情が起こります。目で見ても言葉で聞いても、心の中でイメージしても同様に起こってきます。もちろん、強さや本人の自覚は、その人個人の感受性の問題がありますが。感覚も同じですが、その動物やその人がどこまでその感受器官を発達させているかによるわけです。
思考、感情、気は先ほどの考察のように、相互に連動していますので、いったんその言葉やイメージが心に取り込まれると、体内ではそれに応じた神経電流やホルモンの反応が起こって、エネルギ−や物質が動きだし、血液や筋肉の状態も変わり、物質(体)が動き、身体に変化が起こります。
これが現象です。感覚的な世界の変化です。いままで、この世界になかったものが、精神の次元にしかなかったものが、それに相応したかたちで感覚界、即ち、光の次元に初めて現われます。想いや念等精神的次元にだけあったものが初めて物質の次元に現われるのです。
人体はこの過程を非常に合理的に実現する精巧な道具といえますが、なかでも人の顔は最も複雑な神経や筋肉でコントロールされ、このような内的な情感に敏感に反応し表現します。
そしてこれは、人体という精巧な道具を通さない場合でも全く同じ原理で働くといわねば成りません。このことについては先に光と水の例で考えた通りです。
両手にゴムをもって弾くと波が両手の間に閉じこめられて透けるような流線型の船形ができます。いわゆる「定常波」です。何かの理由で波動が一ヶ所に繰り返し振動するとそこには「形」と人が呼ぶものができます。
電子も同じ本来は電子雲、光粒子もそう。すべて、私達が「形」と呼ぶものは「定常波」のことであり、エネルギーあるいは振動の感覚的な表現なのですなのです。物質と呼ばれるものは本来が振動そのものであり、それが、一ヶ所に集中して動かなくなり、そこに定常波ができた状態を言うわけです。それを遅い意識で持ってみるとそこに形を認めるわけです。一種の残像現象です。本来は一本のゴムが行ったり来たり振動しているにすぎないわけで、もっと早い意識をもってみれば、ゴムが行ったり来たりしているのがみえるわけです。
想いを懲らしているとそれが定常的になります。そして、一定した状態、定常波ができます。イメ−ジがそれです。思考が固まってはっきりして定常的になるとイメージができます。イメ−ジは気の体と呼ばれます。思いの波動がそこに凝集しているからです。その体に物質的粒子が集められ物(体)ができるわけです。これが創造の原理といわれるものです。
プラズマを磁場を使ってとじ込めたり、牧用犬が行ったり来たりして羊の群れを一ヶ所にまとめておいたりするのと似ています。
そして、物質的粒子、すなわち素粒子、そして原子、分子ですが、これらもやはり電磁波の定常波です。このことは光粒子や電子雲として科学的に知られているところです。
宇宙はすべて波動です。そのなかで、私たちが「粒子性」、あるいは「形」を認めるものは、考察のようにその波動の次元か
らずっと粗雑で遅い感覚的認識を持ってみたときに、いわゆる定常波として認められるもののことです。
これが「形の世界」、「現れ」と呼ばれるものの世界の本質です。何もそこに紡錘体があるわけではないのです。感覚的に把握したり、高速度の呪縛を受け入れた私たちすべてがそう思いこんでいるような確固とした実在性をもつものとは全く違うのです。こうして本来、世界は一切が波動であるのです。
想いもまたそれら波動の一つであり、それが定常的になり物質粒子をまとい感覚界にも顕現しているのです。想いが感覚世界、物質的世界を創るのです。想いが世界なのです。仏陀はこの辺の事情を空即是色、色即是空と教えた訳です。イエスによれば”天になる如く地にも”であり、”隠されたものは”であり、”心で思えば”とその重要性を示すことになるのです。
6 普段気をつけること
(1) 心の管理 −コントロ−ル力は共通する−
心は常に活発に活動し、思考や感情の波を放射しています。そのエネルギ−が人や動植物の心に作用したり、天地自然の気にはたらきかけて、人間関係や社会、そして歴史の動きにまで作用したり、天気の変化や台風 地震などの自然の現象まで動かしています。
心の中で起っていることは、やがて外の世界にも現われてきます。想
像は創造を意味します。だから心のコントロ−ルがとても大事なことに
なるのです。これが、正しく調和した心をもつことの意義です。
人の心、人の思いが宇宙の理に叶い、調和したものであれば感覚的世界もまた秩序のある調和した自然な世界を創出していくことになるのです。
また、自分の心身も人の心身も同じ素材、同じ原理でできているため、
まず自分の心身を知りコントロ−ルするすべをつかめば、人や世界のコ
ントロ−ルも同じように可能となります。人や動物だけでなく自然界のすべてが同様の法則の下に存在し動いています。だからその法則をコントロールするすべをつかむことで、天地自然をもコントロールすることになるのです。
教師という仕事で言うと、指導しやすい子供というのは、自分が既に
自分の中でコントロ−ル力を得た部分が中心になっている子供であり、
指導しにくい子供はまだ自分自身がコントロ−ル力をもたない修業中の部分が中心になっている子供のようです。思考力を鍛えている教師はいわゆる頭のいい子はすぐに指導できます。情感細やかで感情のコントロールの聞く教師は感情的、情緒的な子供に、スポーツをよくした教師はちょっと活発な元気のいい子供は得意というようにです。
心のコントロ−ルは世界を調和的に創造するためにとても大事なこと
なのです。
(2) 肯定的思考 −調和的思考に心がける−
私達はいつも前向きに考えることが大切です。そのことがまず自分の
心身を調和させます。
前向きに考えていると、自律神経系が正常に働くようになって体の諸機関のはたらきが調和します。心因性の病気はみんな治ってしまいます。
そしてホルモンのはたらきも変化し白血球の活動が活発になり、ビールスやガン細胞の発生さえ抑止するようになります。このことは、現在ではいろいろな研究からも明らかにされてていることです
そして、その思考や感情のエネルギ−は外の世界にも放射され、それが気を動かし自分の周囲にその思いに相応した現象を引き起こしていくのです。気持ちが安定して落ち着いている人のそばにいると、自分の気持ちも安定します。また今まで怒っていた人がそばに来ると自分もいらいらしてきます。先にも見たように、人の想いは周り中に響き影響しているのです。
だから、いつも調和した想いを出して、自分の身体はじめ周囲の世界にも調和した気の流れを生み、健康で調和した肉体、運命、自然界、世界を造っていかねばなりません。
私たちの周りの社会や世界は、自然界も含めて、そこに集い生活するものの想念の共同作品であるわけです。自然界は、いわゆるデーバ(自然霊)と呼ばれる方々の想念によって調和の内に維持されていると言われますが、地上においては私たち人類の想念が大きく影響するのです。このあたりの事情について、西洋においても東洋においても、神の一人子、唯我独尊のように人の重要性が示されているのです。
(3) 気を養う −活力が気である−
気は心の波をうけて直接的に物質に作用するから、気を高めることが
「物事を現象」させる力を強めることになります。心の、この世界への影響力が強まるのです
。思考は情を動かし情は気を動かし物質的エネルギ−(熱や光など)を動かします。だから、最も物質に近い気のコントロールが物質界のコントロールにつながるのです。
人の中で、この場合の気は生命エネルギ−として感じられるものです。元気や活力として感じられるもののことです。だから、それが強いと気は心と現象をつなぐものですから、心の中にあることが現象として外の世界に現われやすくなります。人間関係では一般には情念の強い人が仕切ります。
私たちは通常、定常波として現われた世界、形として感覚の前に現象した世界だけを世界と考えているわけですが、それですら本来波動なのです。ただ意識の速さの問題なのです。世界は波動であり、想念波動や電磁波等波動そのもの、振動そのもの、響きそのものが世界なのです。
今は人の関心が「形」に向かっています。現われに向かっています。しかし、それは振動そのものの「定常状態」なのです。私達は振動そのもの、より根元的で形として現われる以前のもの、精神的、心的なものをこそ見つめて行かねばならないのです。この現れの世界を考える場合であっても、その原因である心の次元を見据えていくことが重要なのです。「形」はその結果にすぎないからです。
この世界は、心の状態が形として現れたものにすぎないのです。
気が強まり、気のコントロールに長けてくると、不調和なこともよいことも同様に現象しやすくなるので注意が必要です。
このために、気を強くする前に心の浄化、体のみそぎを先にやるべきであると教えられます
。心身が歪んでいると気も歪み、肉体の歪みすなわち病気、そして周囲世界の歪み、不運、そして自然界、自然現象の歪みが現われてしまいます。
逆にひずんだ体や物質界の中に、急激に一気に調和した強い気が流れると心身とも
に歪み(ブロック)が協力に強制され、つまりは押し流され、それが病気や事故、不運、組織の解体
、自然の災害等として現象することにもなります。
しかし、それらがひずみが消えていくときに起こるみそぎであることを知って、静かに休んでいると、やがてその歪みはきれいにみそがれ体や運勢が調和へと回復していきます。
気が強まると体の中のブロックが抵抗を起こし、いわゆる病気になり熱がでます。これによって、体内の有害物質のつまりや血液やリンパのよどみ、ゆがみが強制されいくのであり、静かにして無駄なエネルギー、気の浪費をしないようにしているとやがて消えていきます。そして、本来の調和した状態を取り戻していくことができます。
自然や組織なども全く同じです。天災、気象、戦争、革命等みんな同
じようにして回復していきます。気が強まるときに、それまでの不調和なエネルギー状態がいったんは崩され、排出されることになります。これが病気であり禊ぎです。
歪んだイメ−ジに沿って形づくられた物質体が調和したイメ−ジにそ
う形をとろうとするときに起る修正が禊ぎです。
地球もどんどん進化しています。この時は、天地の変動や社会の情勢の変化等既成の形安定状態が一気に崩れていきます。地球規模での想いのエネルギーやもっと大きな宇宙的エネルギーが変化していきます。
こうした、宇宙規模的な変化の時には大規模な禊ぎが起こるものですが、このようなときは素直に速やかに考えや心のあり様を、地球進化の線に沿って、宇宙秩序の方向に沿ってすすんで変えることが必要です。個人や集団がもつ想念、表象(イメ−ジ)が大きく変わることがあります。この時も積極的にその流れに沿わせていかないと苦しむことになります。
当然、学校や会社などが変わるときも同じです。そのとき新しい響きに合わせて変化し得な
かった部分は消えていく部分、切り捨てられる部分となります。世界についても肉体の病気と全く同じ現象が起こるのです。
その禊ぎの意味、病気の意味をはっきりと見抜いていないと、宇宙の意志とも呼べるものが入ってきて、せっかくこれからよくなろうとしているのにじたばたとあわててしまって、治癒を妨害してしまいます。
あるいは本当は改善に向かっているのに取り組みが間違っていると思ってそれを止めてしまったりすることになります。風邪で言えば、静かに安静にしていればいいものをじたばたと動き回ってこじらせてしまったり、薬など飲まずに静かに休んでいれば癒ると思ってそうしていたら熱が出てきて苦しくなって、びくりして解熱剤で熱を下げてしまったりすることになります。 こうして、治癒は先送りされ、歪みやコンプレックスが蓄積進行し、後にまとめて処理しなければならないときが来てしまうのです。地球規模的には現在はピッセスからアクエリアスへと変わりつつあると言われます。ベルリンの壁の崩壊に象徴されるように分化から統合へ、競争から友愛へと地球の進化が進みます。物質から精神へと意識の意識の焦点が移ります。 そして、個我としての私たち自身もすすんでこの波に合わせていく必要があります。かすかな心のささやきに耳を傾け、ともに世界の平和のためにつとめましょう。
大変お疲れさまでした。いかがでしたでしょうか。最後までおつきあいいただきありがとうございました。