今月のひとこと
喜 び 心
♪「楽しかぁ〜ったあの頃のあの白い花だよ」歌にも詠われる古き良き時代。歳と共に若かりしありし日の事ごとが記憶に蘇ります。楽しかったことばかりではなく、苦い思い出も勿論です。
「若かったあの頃に還りたい。」愚痴ともつかないひと言をつい口に出して言う人もあります。つらい思い出はオブラートにくるまれて薄められ、楽しかった思い出は、より増幅されて残るのでしょうか。
もし神様が「あなたの希望通りの歳に還してあげる」と言われたら何歳になりたいでしょう?。幼児期は記憶も朧で楽しかったかどうか分からない。学生時代は楽しいこともあったけど辛いこともあった。青年期も同様。壮年期も同様と考えてくると、現在の嫌なこともあるけど楽しいこともある姿とあまり変わりはなく、「やっぱり今のままで結構です」と言いたくなりませんか。
と言うより、私はもっと積極的な意味で、今もこれからもが最高と思っております。それは「人生は良くも悪くも積み重ね」を信じているからです。誰でもそうなんですが、現在の私の思慮は人より浅いか深いかは別として、少なくともオギャーと生まれてこの方この歳になるまで、数え切れないほど多くの方々と関わってきまして色んな勉強や失敗も経験もしてきております。
また本や色んなメデアを通してそれなりの知識も身につけてきました。そうしたものの積み重ねが今の自分であり、過去の辛かったこと楽しかったことの一つ一つが私の思慮や分別の原資となっております。
そうして積み重ねてきたものを、若い時代は元気で皮膚も張りがあり夢があるからと言って放り投げてまた新たに経験し直すようなことは横着な私としては到底したくはありません。
信仰に対する受け止め方に致しましても、若い頃と今とでは大分違います。例えてみれば教祖の通られたご道中にしてもたえず新たな発見があり、その都度認識を新たにしておりますが、それも年月の経過があればこそであります。
もっとも、年輩者がいつも若者よりより深い判断が出来るとは思っておりません。経験が返って過ちを生む場合もあります。また人の徳分は年齢で計れるものでもありません、人はそれぞれでありますから。そうでありましても人間は、年月と共に幸福感が深まるような成長する人生を歩みたいものです。
ところで、幸福感と言えば今月の月刊誌(文芸春秋)に北大教授の澤口俊之氏が「幸福遺伝子を求めて」と題して書いていました要旨を無断拝借ですが紹介します。(以下)
「幸福」が今や科学で説明できることをご存知だろうか?幸福は言うまでもなく人生の根幹に関わる大問題だ。この問題は決して科学の対象にならないと思われるかも知れない。 だが、幸福は脳科学の対象になる。より正確には「幸福感」というべきだが、すくなくともこの感情は他の感情と同様に脳の活動だからだ。もともと幸福感の程度・強さは遺伝に寄るところが大きい。
幸福感の程度は心理テストによって数量化できる。また遺伝的にまったく同じである一卵性双生児が別々の環境で育っても幸福感を抱く程度はかなり似ていて明らかに幸福感には遺伝要因がかなり強く働いている。とすると、幸福感の遺伝を担う遺伝子があるはずだ。
ではどの脳部位がこうした感情に関係するのだろう。大脳辺縁系がその候補だ。たたし、もっと重要な脳領域がある「前頭連合野」である。ヒトではこの領域のダメージで愛情や幸福感を失ってしまうことがある。子供の頃に前頭連合野をうまく発達させないと、いくら頭が良くても幸福感を満足に抱けない人物になってしまう。
ある「脳力」が遺伝するとしても、その脳力は大人になっても未発達であり続けるからだ。たとえ遺伝的に幸福感を強くもてる脳力があっても、ここが未発達だと生涯、幸福感とは縁遠い人生になりかねないのだ。
つまり幸福感は遺伝的要素が多分にあり、しかも開発しなければ幸福感を味わうことが出来ないと言われます。見渡せばたしかに何事にも不足を言ったり喜べない人もいます。また逆もあります。遺伝子うんぬんは将来解明されたときに譲るとして、喜べない人生より喜び多い人生がよいのに決まっています。信仰によって子供の頃から喜び心の訓練をして、その脳力を大いに開発すべきです。
喜べない心はどこから来るのでしょうか。それは自己中心的なものの考え方や行動の積み重ねの中からはぐくまれて行きます。 ですから、喜び心の訓練は人のために自分の心や身体を働かすことです。それ以外に喜び心を培養する方法はありません。難しいことですが結局自分のためになることであります。