はじめに
(スイミング教室を継続する我々の役割として)
友人の死に思うこと
平成12年3月15日私の友人が突然自殺した。
私を弟の様に可愛がってくれたかけがえのない友人だった。人は皆、良く「自殺するくらいだったら死ぬ気で頑張れば良いのに」と言う。今の私であれば、その意見に同調するだろう。生前に、その友人と仕事の事や人生について話をした時に、死ぬ気になれば……と同じ様な事を言った様な気がする。それが何故、彼は自ら命を絶ったのだろうか。
私が死を決意したのは17才の時だった。それは町金融からの借金が返済出来ず強烈な督促に耐えきれなくなりその苦しみからの逃避で、その時は自死に対し何も怖くなかったし恐怖も無かった。「死ねば楽になるだろうな」としか思わなかったように記憶する。
後日返済のめどがたち、生活が安定し当時の状況を省みて、死ぬ事を考えた時に、強烈に死の恐怖を意識した事を思い出す。
今は当時の様な精神的な苦痛も少ないが、時々死を強く意識する事がある。しかし、あの時の様な死への恐怖心はあまり感じない。現に今、死に直面していないからだろうか。死を意識するのに年齢的なものは関係無いのだろうか。私自身小学生、中学生で死ぬことを真剣に考えた事は無かったように思う。また、その当時その年代で自殺をした子どもがいたか記憶にない。今、いじめ…などにより幼い子どもが自らの命を絶つこともある。
心理学者のフロイトの超自我の世界によれば、「生と性」の欲望が人間の生命力(エロス)であり、その反面死への欲動(本能)も有る、と言っている。そうであれば、エロスの力より死への欲動が強く働く事で、より死の誘惑に惹かれるのだろうか。
高年齢になり、体力が衰え肉体的な性への欲望は低下するだろう。しかし、精神的な欲望は簡単には衰えないだろう。エロスの力が弱まり生に対する欲望も低下するのだろうか。
死を受け入れる瞬間の心と、生への執着の分水嶺で人間は生と死の選択を計り決定するのだろうか。生きている事が人生にとって幸せと考えるのであれば、エロスの力を高めなければならないだろう。
生きていくことが幸せかどうか?その哲学的問いかけに、私は答えを持っていない。 しかし、私は今生きていて良かったと思うし、まだまだ生きたいと願っている。と同時に私の家族、友人、知人、我がスイミングスクールに通ってくれる人たちには生きていてほしいし、生きていくことを楽しいと思ってほしい。そうした人たちとの関係を私が楽しみたいからである。だから私は私のためにも、人々の生へ向かうエネルギ=エロスの力を高める道を探ってみたい。では、エロスの力はどの様にすれば向上するのだろうか。友人が自死を通じて私に伝えようとしてくれた事は何か。エロスの力について考えることは、友人からのメッセージを解読する道程となるかもしれない。
「スイミング教室の役割」
これからのスイミング教室の考え方
日本経済の発展に伴い、高校、大学への進学率も高まり、実に高校の進学率は90%台、大学へは(専門学校も含むと)80%台の高進学率となった。
この高学歴願望への背景に有るものは、安定した企業への就職であり社内出世競争に勝ち残り、豊かな家庭生活を得るため手段としての大学卒業の学歴が必要となった。
親たちは、子どもの進学競争に拍車をかけ学童期より入学試験対策の勉強に、塾通いを強要するようになった。体力の低下は学習の集中力を低下させストレスが発散できず、その対策として手頃な運動の場として、スイミング教室へ通い体力の向上とストレス発散を目的とする様に感じる。しかし、大学進学率が低い時代であれば大学卒の学歴も就職するのに有利だったが、学歴デフレの時代となった今では、殆どの子どもが大学又は専門学校に進学する時代となり、その有効性も効果も無くなってしまった。
バブルが崩壊し、日本経済は落ち込み不良債権を抱えた銀行や証券会社などの大企業(寄らば大樹の陰)神話が崩れ、次々と倒産する昨今となっては、大学を出て大企業に就職し安定した生活を描いていた生活設計も高度成長時代の終わりと共に消え去り、目標を失った親たちは子どもに対してのビジョンを描けなくなった。物不足、人不足で物価が年々上昇していたインフレ時代に育った親たちが、物あまり、人あまりのデフレ時代の今日、親たちがどの様に子どもに接してどの様に育て、教育して良いのか解らなくなってきている様に思える。また、デフレ時代の子ども達は現実と親や大人の行動や、言っている事(我慢しなさい、勉強しなさい等)が理解できず現実との狭間の中で心を乱し苦しんでないだろうか。安易に結論つけられないが、その為に、子育て不安、学校不信となり、それが不登校への引き金にもなっていないだろうか。現在スイミング教室に通う学童が急速に減少している。この現状を関係者は「不況だから、少子化で子どもが減っているから」などの理由を付けているが、本当だろうか。
私は、この背景には、全国で現在13万人を超える不登校児が学校を否定している現状で、スイミング教室を必要と感じているか疑問である。 また、親達もスイミング教室へ入会させる目的が薄れているのも事実である。
今、我々に求められているのは何だろうか、子どもを取り巻いている環境は決して良いとは言えない。幼児や児童の虐待、子ども同士の関係では「いじめ」が有り、教育環境では学校崩壊、学級崩壊と騒がれて久しい。
この様な状況を的確に把握しプログラムを展開しなければ、保護者や子ども達に支持されないだろう。
これからのプログラムのキーワードは「心の不安の解消」であり、発育発達段階に応じたプログラムを開発するための参考として、少しでも役に立てば幸いである



