報徳今市振興会館

日光神領仕法が中止になり、弥太郎一家が相馬藩に移ってから誰も住まなくなった今市報徳役所は、1872年(明治4年)に建物が取り除かれ、跡地は水田になっていました。

この遺跡跡を二宮尊徳翁没後100年の記念事業として、1955年(昭和30年)に旧今市市の名誉市民、加藤武男氏が邸宅を寄附、それを移築し、報徳今市振興会館として開館したものです。

報徳今市振興会館は、尊徳翁の資料館を兼ねています。

報徳役所書庫

報徳役所書庫報徳役所関係で唯一現存する建物で、報徳今市振興会館の隣にあります。当初は、報徳役所の一部として仕法の記録などを入れていました。
最初に建築したときは土蔵つくりでしたが、1859年(安政6年)、弥太郎の時代になって、報徳関係書類の収納庫として石造りの防火施設に再建されました(間口2間半、奥行き2間の二階建て、延べ10坪。木造石屋根、外壁石張りの防火建築。建築費用72両)。

二宮尊徳翁

二宮尊徳翁およそ200年前、神奈川県小田原市栢山(かやま)の裕福な農民の子として生まれました。しかし、幼少時に生家は没落、両親とも死別して、つらい日々を過ごさなければなりませんでした。薪を背負い、本を手にした少年金次郎(本来は金治郎)のイメージはそのころのものです。ひたすら勤勉と倹約に努め、20歳代で生家を再興。小田原藩の家老服部家の財政建て直しに成功し、次いで藩主大久保忠真(ただざね)の命により、桜町領(栃木県二宮町)を10年がかりで復興させました。晩年は、今市に移り住み、荒れ地の復興に尽力。二宮堀、二宮林をはじめ、多くの事業を展開しました。村づくり、人づくりに力を注ぎ、その成果は今でも脈々と生き続けています。

データは日光市ホームページより引用しました。

会館の概要 平面図

報徳今市振興会館平面図

開館時間と休館日

利用料

大広間大広間

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