にほめの一歩

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見所、寄り所情報
 地域情報トップページ  白馬周辺の見所寄り所
お待たせしました。いよいよ地域情報「白馬周辺の見所寄り所」のページをUPします。今は「芸術の秋」ということで、安曇野や白馬周辺にはユニークな美術館がたくさんある中から、いくつかをご紹介していこうと思っています。第一回目は、安曇野ちひろ美術館です。
 NO.1 安曇野ちひろ美術館 01.09.17更新  アクセスその他

北アルプスを望む広大な敷地に立つ絵本美術館。
(敷地は松川村の村営公園)

ちひろの作品はもちろん、近年まで、芸術作品としての真価を問われることの少なかった、世界の絵本の原画の収集、保存、研究の役割も果たしている。

園内には芝生が敷きつめられ、大きな池をめぐる遊歩道や、色とりどりの花が咲き乱れる大花壇、ちひろがアトリエとして使った黒姫山荘の復元などがある。

美術館はそれらを望む小高い丘の上に建つガラス張りのモダンな建物。 館内はちひろの作品を多数展示しているほか、絵本の歴史に関する資料、国内外の絵本作家の原画やオブジェも多く展示している。 とくに外国作家の原画やオブジェには、色使いや表情に強い個性が感じられて面白い。

約3000冊の絵本を自由に読める図書室や軽食の取れるカフェ、ちひろの絵本や作品をあしらったグッズを売るショップもある。

入館時に貰うバッジを着けていれば、一日中出入りはフリー。 観光バスなどで忙しく訪れる人も多いが、出来るならば半日くらいはかけてゆっくりと絵本の世界を楽しみたいところ。 本格的に絵本を研究したい人のためには、申込制の資料研究室もある。


いわさきちひろについて


いわさきちひろ(1918〜1974)の絵は教科書や雑誌の挿絵などで見なれた方が多いかと思います。でも、そのわりに彼女がどんな画家であったかを知る人は少ないかもしれません。

恵まれたインテリ家庭で育った、絵のうまい「お嬢さん」にすぎなかった少女が、悲劇的な結末に終わった最初の結婚、そして敗戦後の生家の没落を契機に、職業画家としての自立の道を切り開いていった経緯には画家として、と言うより、一人の女性の生き方として、とても興味深いものがあります。

とかく、芸術としては軽く見られがちだった絵本や挿絵の世界で活躍し、その評価を高めるに至った努力は大変なものだったでしょう。

「鉄の棒を真綿でくるんだような人」というのが、妹さんのちひろ評だそうですが、一見、穏やかで優しげに見えるその表情の下の、志の強靭さのようなものをその作品群からも感じることが出来ます。


「お昼寝コーナー」があある美術館は珍しい。全体に、入館者がゆっくりと過ごせる工夫があちこちに凝らされている。

眺めのよいカフェ。天気が好ければ外のテーブルでティータイムも。
ちひろの言葉
以下は館内に掲げられたちひろの言葉です。一人の人間として、画家として、自らをごまかすことなく、日々精進に励んできた人の自負がうかがえます。

人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。

けれど私は自分をふり返ってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。といってなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮らしをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。

けれど生活を支えている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気づかず、なにごとにも付和雷同していました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。

ですから、いくら私の好きなももいろの洋服が似合ったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子がかわいくかぶれたとしても、そんなころの私にはもどりたくはないのです。
 まして、あのころのあんな下手な絵しか描けない自分に戻ってしまったら、これはまさに自殺ものです。

 「スイートピーとフリージアの少女」1963年


もちろん、いまの私がもうりっぱになってしまっているというのではありません。だけど、あのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷や汗をかいて、少しずつ、少しずつわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。


(ちひろの言葉 「大人になること」より)

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