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牢屋…。オドロオドロしい響きだ。どんな仕打ちが待っているのだろう、何も悪いことしていないはずだけどな…。不安に気持ちのまま導かれたところは、離れの納屋みたいなところで、幾つかの部屋が向かい合った作りになっていた。もちろん土間だが、思ったよりも明るいし、なにより入れられた部屋の向かいには、陽気な男がなにやら一緒に入っているもう一人に話しかけている。
「おじさん、向こうではなにやってはったんですか?僕ね、教育大の4回生で、来年から中学の先生になるはずやったんですよ。いったんは、噺家目指した奴が、おかしい話でしょ。」
「ほーん、なんの先生に?」
「国語ですぅ。もちろんつまらなそうに生徒がしとったら、小咄でツカンだりしながら…。実習のときに、西鶴の「世間胸算用」を新作落語に仕上げて、一席やったら、担当してもうてた先生笑いころげながら−けど僕怒られましたー」
「そらそうやで、ところでな、今、というか、ここは、何時代やと思う?お前さん(オマサン)やったら古典とか詳しいやろさけ、なんとか検討つくんやない?」
「え〜、それず〜と考えてるんですよ。僕が取り調べられる時に、「ウエサマ」ということばが出てきたから、鎌倉、室町、そうか江戸時代か…」
「わしも、ようわからんにゃ〜、ただな、わしがこっちに来た−わかるな、『来た』としか言いようないんやけど、そのとき、京都駅の前あたりにいたはずねんけど、本願寺サンが無くなってしもてたんや」
「ということは、江戸時代ではないですね。」
ここまできて、聞き耳をたてていた私に、陽気なお兄ちゃんの方が気付いて、声を掛けて来た。
「あ、新入りさんですか〜こんにちはぁ。どこから、っていうても変やけど、来はったんです?」
−ほんっと、調子のいいお兄ちゃんだこと!
「え、」
「あ、失礼な言い方ですね。僕の方から名乗りますわ。滝 エツオいうて、−昨日まで居てた世界−1992年の時点で22才の学生やったもんです。ま、聞こえてたでしょうからついでに言いますけど、本名より落研での高座名の「滝ノ家慢歩」の方がシックリきてますから、タキノヤって呼んでください。ほして、隣にやはるのが、」
「向こうで地下鉄の運転手やってた、白井、いいます。あなたもあの時代から来られたんでしょう?」
と、こちらは、折り目正しい標準語に変えて話してきた。みると、軽くパーマを当てた髪が、造りの大きな顔の上に乗っている…、失礼だけど阿弥陀さんみたいな印象だ。がそこはさすが年の功、折り目正しい標準語で話してくる。これに少し安心して、私は答えた。
「私、森アヤといいます。普段は定時制の高校通いながら歌手修行していたところだったんです。」
「ということは、京都に住んではった訳ではないですね」
「うん、東京の方に居てました」
「流れ着かれた時には、びっくりされたでしょう?ここはね、大昔の京都みたいなんですよ」
おじさん、ウチが京都出身やいうん知ってて言うてんのん?
「それは、大原あたりの山の感じが見覚えあったから分かったんですけど、目の前に刀差した侍さんが立たはったときには、びっくりしました」
「僕もシャレきついおっちゃんやな〜、思いましたわ」
「おれなんか、居眠りしとるところを、槍のオシリで額つつかれてんやで〜」
夕暮れとともに、手暗がり,ぬばたまの闇…、そんな実感することができなかった言葉たちが、沸き上がってる。
向かいでワヤワヤ話している男たちからやがて目をそらし、同じ部屋の入口からもっとも遠い片隅で、壁にもたれてけれど眠るでもなく、耳慣れない節を口笛で吹いている、女の人を見た。
サファイアかなにかだろうか、濃い紺色のツヤのある宝石が胸元で輝いている。
前髪を大きくカールさせ、右肩の方に束ねて流している。化粧気は全くなかった
が、爪にはエナメルのマニュキュア。こっちの方にはそっぽむいているから、横顔が見えるだけで、年齢まではわからない。
なんの曲だろう、どこかの国の民謡のようだけれど、と考える内に意識が遠のく。夜半になってやっと現れた下弦の月の光が、彼女の黒髪の縁を流れ落ちる。
翌朝。
私たち−“現代”から流れて来たのは、結局タキノヤ、白井さん、女の人、私の四人であることがハッキリ見て取れた−はどうなるんだろう、と不安になってくる。タキノヤの能天気さが、恨めしく思えてくる。かといって、彼のなるようになるさ主義に対抗できるような知恵もあるわけでない。ここはひたすら、様子見に徹するよりないだろう。
そういえば、私が唯一向こうから持ってきたもの、歴史の教科書、何処に置いてきたんやろう?そうか、あのエライサンの前で取り調べされて出ていくとき、あの前庭に忘れてきたんやろう。ま、どうでもいいけれど、いい気まぎらわしになるところだったんだけどな…。
(第三章に続く)
(c)1999 Delta HAYASHI