| 1949 |
10月13日、サミー・ヘイガー、カリフォルニア州モンタレーに生まれ、まもなく家族とともにフォンタナへと移り住む。 |
| 1953 |
5月8日、アレックス・ヴァン・ヘイレン、オランダはナイメーヘンに生まれる。 |
| 10月10日、デイビィッド・リー・ロス、インディアナ州ブルーミントンに生まれる。 |
| 1954 |
6月2日、マイケル・アンソニー、イリノイ州シカゴに生まれる。 |
| 1955 |
1月26日、エドワード・ヴァン・ヘイレン、オランダはナイメーヘンに生まれる。 |
| 1957 |
サミー、プロボクシングのチャンピオンとして鳴らした父親にあこがれ、漠然とボクサーを志す。 |
| 1961 |
7月26日、ゲイリー・シェローン、マサチューセッツ州モルデンに生れる。 |
| アレックス、ピアノを手始めに、バイオリンやサックス、クラリネットなどとも慣れ親しむ。 |
| エディ、ピアノのレッスンを開始。 |
| 1962 |
マイケル、トランペットを手にし、以来8年間レッスンを続ける。 |
| 1963 |
デイヴ、父からプレゼントされたSPレコードや叔父より贈られたポータブルラジオを通じて、次第にポピュラーミュージックへとのめり込む。 |
| 1964 |
デイヴ、学芸会の一環として催された「ミスター・ブックウォーム」なる演劇にて初舞台を踏むも、喧嘩の絶えぬ毎日。 |
| 1966 |
デイヴ、奇跡的にボーイスカウトのリーダーを務めたほんのきまぐれを除いては、まるで周囲との協調性を示さず、悪業ぶりはますますエスカレートする。そのあおりをくらったロス一家は最終的にカリフォルニアに落ち着くまでに、マサチューセッツやコネチカットなどを転々とする放浪生活を余儀なくされる。 |
| 1968 |
ヴァン・ヘイレン一家、カリフォルニアのパサディナへと移住。まもなくサックス担当のアレックスとピアノ担当のエディは、クラスメイト達を誘って「ブロークン・コーム」なるインストゥルメンタル・クインテットを結成。 |
| サミー、サザン・カリフォルニアのいくつかのローカルバンドに参加。本格的に音楽活動をスタートさせる。 |
| 1969 |
アレックス、両親にねだってスパニッシュギターを手に入れる。 |
| エディ、新聞配達で稼いだ45ドル25セントを手に念願のセントジョージドラムキットを購入。 |
| アレックスとエディ、お互いの楽器を交換する。 |
| デイヴ、タヒチにて筆おろし。またこの頃から様々な武術のトレーニングを始める。 |
| アンソニー一家、カリフォルニアへと移り住む。 |
| 1970 |
エディ、初のエレキギターを購入。4つもピックアップを備えたテスコのデル・レイなるモデルで、価格は70ドルとも110ドルとも伝えられる。以来、エリック・クラプトンに深く傾倒。 |
| アレックス、ラディックのドラムセットを入手。未成年ながら、父親の率いる便利やバンドの一員として、早くもクラブや各種パーティなどへ潜り込む。 |
| 1971 |
アレックスとエディ、ジェネシスなるバンドを結成。度重なるメンバーチェンジの末、バンド名をトロージャン・ラバー・カンパニーとする。 |
| デイヴ、独学でマスターしたアコースティックギターをかき鳴らしながら、お気に入りのフォークブルースシンガーの模擬に明け暮れる。 |
| マイケル、ハイスクールのマーチングバンドやオーケストラでトランペットを吹きまくる。 |
| 1972 |
マイケル、近所の質屋にて15ドルで購入した中古のビィクトリア製エレキギターから1弦と2弦を取り去り、簡易ベースとする。 |
| 1973 |
サミー、ロニー・モントローズ(g)やビル・チャーチ(b)、デニー・カーマッシ(ds)とモントローズを結成。 |
| アレックス、次いでエディ、両親の期待に応え、パサディナ・シティ・カレッジへと進学。管弦楽法と編曲を学ぶ。 |
| アレックスとエディ、自らのバンドをマンモスと名付け、校内最大のライバルバンド、レッド・ボールジェッツよりデイヴを迎える。デイヴの所有する自慢のP.A.システム欲しさの引き抜きであったとの逸話もある。 |
| マイケル、同様にパサディナ・シティ・カレッジの門を叩き、スネイクなるバンドを率いる。 |
| モントローズ、ワーナー・ブラザーズよりデビューアルバム『ハードショック』をリリース。 |
| エディ、ピアノのレッスンを完全に放棄。 |
| 1974 |
マイケル、ジャズ・インプロヴィゼイションの授業でアレックスと出会い、たちまち意気投合。簡単なオーディションの末、マンモスへの加入が決定。 |
| マンモス、その乱痴気ぶりが災いし、カトリック系のカレッジでギグる際、スペイス・ブラザーズなる変名を用いざるを得ない状況に。 |
| 11月、モントローズ、ビル・チャーチに替わって、新たにアラン・フィッツジェラルド(b,key)を迎え、セカンドアルバム『ペイパーマネー』をリリース。 |
| 1975 |
サミー、モントローズより独立。キャピトルとソロ契約を結ぶ。 |
| マンモス、バンド名をヴァン・ヘイレンに改名。1ヵ月のうち、23日間もぶっ続けで、一晩に45分のステージを5セットも組み立て、広くサザン・カリフォルニア1帯を巡る過酷なクラブサーキットへと身を任せる。当時のレパートリーは、クリームやレッド・ツェッペリン、ブラック・サバスやエアロスミスなどのカバーを中心に、その数ゆうに300曲以上。 |
| マイケル、この頃、現在の妻スーと出会う。 |
| 1976 |
2月、サミー、第1弾ソロアルバム『NINE ON A TEN SCALE』をリリース。 |
| ヴァン・ヘイレン、ハリウッドのギャザリィズにレギュラー出演。サンタナやUFO、スパークスやニルス・ロフグレンらのオープニングアクトを務める。 |
| 4月23日、ヴァン・ヘイレン、グレンディル・カレッジにて、初のトップビルへと昇格してのギグを開催。オープニングアクトはオリジナル・クワイエット・ライオット。 |
| ヴァン・ヘイレン、ノーウォーク郊外のゴールデンウエストボールルーム出演中、ロドニー・ビンゲンハイマーによって見い出され、栄えある登竜門の ひとつに数えられるハリウッドのスターウッド・クラブへの切符を手にする |
| ヴァン・ヘイレン、スターウッドクラブにて、後に初代マネージャーを務めるマーシャル・バールと出会い、次いでキッスのジーン・シモンズの資金援助により、ヴィレッジ・サウンド・スタジオにて初のデモテープを製作。 |
| ジーン・シモンズ、そのデモ・テープを携え、キッスのマネージャー、ビル・オウコウインにかけあうも、当時、契約を結んだばかりのビリー・スクワイア率いるパイパーに全てを賭けたいとの意向から、あえなくヴァン・ヘイレンは却下される。 |
| 1977 |
1月、サミー、第2弾ソロアルバム『SAMMY HAGAR』をリリース。 |
| ヴァン・ヘイレン、ハリウッドのウィスキー・ア・ゴー・ゴーにレギュラー出演。地元のパサディナ・シヴィック・センターにおいては、毎月定期的に3000人もの観客を集めるに至る。 |
| ヴァン・ヘイレン、いくつかのローカルレーベルからの誘いをことごとく拒み続ける。 |
| 10月、サミー、第3弾ソロアルバム『MUSICAL CHAIRS』をリリース。「You Make Me Crazy」(全米62位)が初のスマッシュヒットを記録。 |
| 11月21日、西海岸きっての名プロデューサー、テッド・テンプルマンと、ワーナーブラザーズ社長、モー・オースティン、何の前触れもなくスターウッドクラブに現れ、一通の契約書をヴァン・ヘイレンに手渡し、24時間以内のすばやい決断を迫る。 |
| 11月22日、パサディナが誇る難攻不落のロックカルテット、ヴァン・ヘイレン、とうとうアメリカ有数のメジャーレーベルのひとつ、ワーナーブラザーズの手に落ちる。 |
| 12月、ヴァン・ヘイレン、ハリウッドのサンセット・サウンド・レコーダーズにて、初の正式なレコーディングを開始。 |
| 1978 |
1月、ヴァン・ヘイレン、記念すべきデビューシングル「ユーリアリーガットミー」(全米36位)b/W「アトミックパンク」をリリース。日本発売は同年3月25日。 |
| エディ、この「ユーリアリーガットミー」のアドバンス・カセットを無断であのエンジェルにプレゼントしたことが発覚。テッド・テンプルマンの激しい怒りをかう。 |
| 2月10日、ヴァン・ヘイレン、デビューアルバム『炎の導火線』(全米19位)を全米に向け、いっせいに点火。この年末までに、全くの新人バンドとしては異例の150万枚を売りさばき、最終的にトリプルプラチナディスクを獲得。日本発売は同年3月25日。 |
| 2〜4月、ヴァン・ヘイレン、ジャーニーやモントローズのオープニングアクトとして、初の大掛かりな全米ツアーを敢行。 |
| 4月、ヴァン・ヘイレン、第2弾シングル「悪魔のハイウェイ」(全米84位)b/W「暗闇の爆撃」をリリース。日本未発売。 |
| 5月、ヴァン・ヘイレン、ブラックサバス結成10周年記念全英ツアーに同行。 |
| 6月、サミー、ライブレコーディングによる第4弾ソロアルバム「ALL NIGHT LONG」をリリース。この頃より、デイヴィッド・リワーク(g)、ビル・チャーチ(b)、スコット・マシューズ(ds)、アラン・フィッツジェラルド(key)から成る、自らのバンドを率いる。その後、ギタリストはゲイリー・フィルへ、ドラマーはデニー・カーマッシからチャック・ラフへとチェンジ。 |
| 6月17日〜6月27日、ヴァン・ヘイレン、本邦デビューよりわずか3ヵ月後にして初来日公演を開催。東京、名古屋、大阪で計7回のステージ。 |
| 6月25日、ヴァン・ヘイレン、シングル「叶わぬ賭け」b/W「悪魔のハイウェイ」、日本でのみリリース。 |
| 7月、ヴァン・ヘイレン、オーストラリア公演をキャンセルし、エアロスミスやハート、エディ・マネーらと共に、ダラスにて催されたテキサス・ワールド・ミュージック・フェスティバルに出演。次いでローリング・ストーンズやEOL、エアロスミスらを単発でサポート。 |
| 7月18日〜7月19日、ヴァン・ヘイレン、L.A.のロングビーチアリーナにて、レコードデビュー以来、ヘッド・ライナーとして初のビッグステージを催す。 |
| 8月、ヴァン・ヘイレン、第3弾シングル「ジェイミーの涙」b/W「アイム・ザ・ワン」をリリース。日本未発売。 |
| 8月、ヴァン・ヘイレン、自らのプロダクションを設立。新たなマネージャーにノエル・モンクを迎える。 |
| 9月25日、ヴァン・ヘイレン、シングル「炎の叫び」b/W「ジェイミーの涙」をリリース。日本未発売。 |
| 11月、エディがレコーディング・セッションに参加した、ニコレット・ラーソンのソロデビューアルバム「愛しのニコレット」登場。 |
| 12月、ヴァン・ヘイレン、第4弾シングル「叶わぬ賭け」b/W「おまえは最高」をリリース。日本未発売。 |
| 1979 |
4月、ヴァン・ヘイレン、第2弾アルバム『伝説の爆撃機』(全米6位)をリリース。プラチナ・ディスク嬢得。日本発売は同年7月10日。 |
| 4月、ヴァン・ヘイレン、第5弾シングル「踊り明かそう」(全米15位)b/W「オッタ・ラヴ・アゲオン」をリリース。日本未発売。 |
| 4月8日、ヴァン・ヘイレン、エアロスミスやチープ・トリック、TOTOやテッド・ニュージェントらと共に、11万人を集め、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムにて開催きれた第1回カリフオルイパルに出演。以後、同年11月まで全米ツアー。 |
| 4月13日、デイヴ、ワシントンで公演中、激しい胃痛を訴え、その場で病院へとかつぎ込まれる。極度の体力消耗が胃内の悪性ビールスを刺激したものだが、幸い大事には至らず。 |
| 4月、ボストンがパッキング・ヴォーカルを務めたサミーのシングル「(Slttln’0n)The Dook Of The Bay」(全米65位)、スマッシュ・ヒットを記録。 |
| 5月10日、ヴァン・ヘイレン、シングル「踊り明かそう」b/W「スパニッシュ・フライ」、日本でのみリリース。 |
| 5月、サミー、第5弾ソロ・アルバム『STREET MACHINE」をりり一ス。「Plain Jane」(全米77位)がスモール・ヒット。同時に、ボストンやカンサス、キッスやELOらのオープニング・アクトとして、精力的に全米ツアー。 |
| 6月、ヴァン・ヘイレンの「ユー・リアリー・ガット・ミー」を収めた映画"レベル・ポイント"のサントラ盤リリース。 |
| 6月28日〜6月29日、ヴァン・ヘイレン、ロンドンのレインボウ・シアターにて、2夜連続のソールド・アウト・ショウ。 |
| 8月25日、ヴァン・ヘイレン、シングル「必殺のハード・ラヴ」b/W「ウィメン・イン・ラヴ」、日本でのみりり一ス。 |
| 9月3日〜9月13日、ヴァン・ヘイレン、再来日公演を開催。京都、福岡、名古屋、倉敷、大阪、東京の順で全7回のステージ。 |
| 9月、サミー、初の全英ツアーを開催。オープニング・アクトはデフ・レバード。 |
| 12月、ヴァン・ヘイレン、第6弾シングル「ビューティフル・ガールズ」(全米84位)b/W「D.0.A.」をリリース。日本未発売。 |
| ヴァン・ヘイレン、70年代の終わりまでに、700万枚ものアルバム・セールスを達成したとされる。 |
| 1980 |
4月、ヴァン・ヘイレン、第3弾アルバム『暗黒の掟』(全米6位)をリリース。プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年4月10日。以後、同年11月16日まで全米ツアー。 |
| 4月、デイヴ、シンシナテイ・リヴァーフロント・コロシアムにて観客に火をつけろと煽動したとして、オハイオ州より告訴されるも、結果的に証拠不十分につき不起訴。 |
| 4月、サミー、通算2度目の全英ツアーを開催。 |
| 5月、ヴァン・ヘイレン、第7弾シングル「ロックン・ロール・ペイピー」(全米55位)b/W「エヴリバデイ」をリリース。 |
| 5月、サミー、第6弾ソロ・アルバム『DANGER ZONE』をリリース。 |
| 6月10日、ヴァン・ヘイレン、シングル「ロックン・ロール・ペイビー」b/W「戦慄の悪夢」、日本でのみリリース。 |
| デイヴ、イタリアのTVショウ収録中、大きくジャンプした瞬間に、勢いあまって天井から吊してあった直径lメートルの円形照明に頭から突っ込み、鼻を2ケ所骨折。 |
| 12月31日、エディ、TVドラマ"ワン・デイ・アット・ア・タイム"の人気主演女優、ヴァレリー・パーティネリに、8000ドルのエンゲージ・リングを携え突然のプロポーズ。 |
| 1981 |
4月11日、エディとヴァレリー、ロサンゼルスにて挙式。 |
| 5月、ヴァン・ヘイレン、第4弾アルバム『戒厳令』(全米5位)をリリース。プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年5月17日。以後同年10月25日まで全米ツアー。この間、初めて解散の噂がまことしやかに囁かれる。 |
| 7月、ヴァン・ヘイレン、第8弾シングル「これが愛だって」(全米110位)b/W「ヒア・アパウト・イット・レイター」をりり一ス。日本未発売。 |
| 7月、サミーのタイトル・チューンを収めたアニメーション映画"ヘヴィ・メタル"のサントラ盤リリース。 |
| 8月、ヴァン・ヘイレン、シングル「アンチェインド」b/W「これが愛だって」、日本でのみリリース。 |
| 12月、サミー、ゲフィン移籍第1弾、通算7作目のソロ・アルバム『STANDING HAMPTON』(全米30位)をリリース。「I'll Fall Love Again」(全米43位)と「Piece Of My Heart」(全米73位)がスマッシュ・ヒット。 |
| 1982 |
1月、ヴァン・ヘイレン、第9弾シングル「オー・ブリティ・ウ一マン」(全米12位)b/W「ハッピー・トレイルズ」をりり一ス。日本発売は同年3月6日。 |
| 1月、ヴァン・ヘイレン、サンレモ音楽祭にゲスト出演。「オー・ブリティ・ウーマン」の演奏シーンをプロモーション・ビデオ用に収録する。 |
| 4月、ヴァン・ヘイレン、第5弾アルバム『タイヴァー・ダウン』(全米3位)をリリース。プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年5月1日。以後、オートグラフらをオープニング・アクトに起用しながら、同年12月まで全米ツアー。 |
| 5月、ヴァン・ヘイレン、第10弾シングル「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(全米38位)b/W「ザ・フル・バグ」をリリース。日本発売は同年6月26日。 |
| 8月、サミーのタイトル・チューンを収めた、映画"初体験リッジモント・ハイ"のサントラ盤リリース。 |
| 8月、ヴァン・ヘイレン、第11弾シングル「ビッグ・バンド・ビル」b/W「シークレット」をリリース。日本未発売。 |
| 10月22日、ヴァン・ヘイレン、コンサート実現に向けて集められた2万5千人もの署名に動かされ、マサチューセッツ州ウォーセスターにてスペシャル・ギグを開催。同市の市長サラ・ロバートソンは、この日をヴァン・ヘイレン・デイと定める。 |
| 12月1日、エディがレコーディング・セッションに参加した、マイケル・ジャクソン空前のモンスター・アルバム『スリラー』(全米1位)リリース。 |
| 12月、サミー、第8弾ソロ・アルバム『THREE LOCK BOX』(全米17位)をリリース。「Your Love is Driving Me Crazy」(全米13位)が初のビッグ・ヒットを記録。 |
| 1983 |
1月、ヴァン・ヘイレン、一刻も早いニュー・アルバムの完成を願うワーナー・プラザース側の圧力により、予定されていた南アメリカ〜ヨーロッパ公演を途中でキャンセル。この処置に腹を立てたメンバー達は、年末ぎりぎりまで故意にニュー・アルバムの制作に着手せず。 |
| 2月、エディの灼熱のギター・ソロをフィーチャーした、先のマイケル・ジャクソンの『スリラー』からの第3弾シングル、「今夜はビ一卜・イット」(全米1位)リリース。後にノーギャラでの友情参加という事実が発覚。 |
| 5月29日、ヴァン・ヘイレン、L.A.郊外にて開催されたUSフェスティバルに出演。クワイ工ツト・ライオット、ジュータス・ブリースト、モトリー・クルー、スコーピオンズ、オジー・オズボーンら、そうそうたる顔ぶれを従え、25万人もの大観衆を前に、ヘヴィ、メタル・デイのヘッド・ライナーを務め、たちまちギネス・ブックを塗り替えるワン・ステージ150万ドルという破格のギャラをはじき出す。 |
| サミー、キャピトル時代のステージを収めたライヴ・アルバム『LlVE 1980』をリリース。 |
| エディ、ウァレリー主演のTVドラマ"ザ・セタクション・オブ・ジーナ"の音楽を担当。 |
| 11月、エディ、ブライアン・メイ&フレンズなるセッション・プロジェクトに参加してのミニ・アルバム『無敵艦隊スター・フリート』をリリース。ラインナップは、ブライアン・メイ(vo,g)、フィル・チェン(b)、アラン・グラッツァー(ds)、フレッド、マンデル(key)、そしてエデイ(g)。 |
| 11月、サミー(vo)、ニール・ショーン(g)、ケニー・アーロンソン(b)、マイケル・シェリーヴ(dr)から成るセッション・プロジ工クト、HSAS、初のレコーディングに着手。 |
| 12月、エディ、アームズ・コンサート出演のためアメリカを訪れた永遠のアイドル、エリック・クラブトンと緊張の初対面。 |
| 1984 |
1月9日、ヴァン・ヘイレン、第6弾アルバム『1984』(全米2位)をりり一ス。わずか3ケ月後にトリプル・プラチナ・ディスク獲得。日本発売は同年1月25日。 |
| 1月9日、ヴァン・ヘイレン、第12弾シングル「ジャンプ」(全米1位)b/W「ハウス・オヴ・ペイン」をリリース。日本発売は同年1月25日。初のNo.1にして、5週連続。 |
| 1月18日〜8月18日、、ヴァン・ヘイレン、76ケ所を巡る大がかりな全米ツアー開催、のベ300万人あまりの大観衆を動員。 |
| 3月、ヴァン・ヘイレン、第13弾シングル「ウェイト」(全米13位)b/W「ガール・ゴーン・パッド」をリリース。日本発売は同年5月10日。 |
| 4月、HSAS、初のアルバム『炎の饗宴』(全米42位)をリリース。「青い影」(全米95位)がスモール・ヒット。 |
| 春頃、デイヴとエディ、フランク・シナトラ「LAイズ・マイ・レデイ」のビデオ・クリップに特別参加。 |
| 6月、ヴァン・ヘイレン、第14弾シングル「パナマ」(全米13位)b/W「ドロップ・デッド・レッグス」をリリース。日本発売は同年8月10日 |
| 8月18日、ヴァン・ヘイレン、キャッスル・ドニントンにて催され、12万人の観衆を集めたモンスターズ・オプ・ロック・フェスティバルに出演。共演はアイアン・メイデンやAC/DC、ディオやキッスなどなど。 |
| 8月、サミー、第10弾ソロ・アルバム『VOA』(全米43位)をリリース。「Two Sides Of Love」(全米38位)と「l Can't Drive 55」(全米26位)がスマッシュ・ヒット。 |
| 9月14日、ヴァン・ヘイレン、ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールにて発表された、MTV主催による第1回ビデオ・ミュージック・アウォーズにおいて、「ジャンプ」により、最価秀パフォーマンス・ビデオ賞を受賞。 |
| 10月、ヴァン・ヘイレン、第15弾シングル「ホット・フォー・ティーチャー」(全米56位)b/W「リトル・ドリーマー」をリリース。日本発売は12月10日。 |
| 10月、エディ、初のソロ名義によるインストゥルメンタル・ナンバー、「ドーナッツ・シティ」を収めた、映画"ワイルド・ライフル"のサントラ盤登場。 |
| 秋頃、エディ、スキャンダルやジョン・ウェイトらとの気ままなセッションを楽しむ他は、ひたすら自宅の裏庭に設置された個人スタジオ、"5150"へとひきこもる。 |
| 12月、デイヴ、ニューギニア探検旅行を終え、クリストファー・クロス(vo)やエドガー・ウィンター(key,Sax)らと共に、初のソロ・プロジェクトに取りかかる。 |
| 1985 |
1月、デイヴ、ソロ・デビュー・シングル「カリフォルニア・ガール」(全米3位)b/W「カリフォルニア・ガール(リミックス・ヴァージョン)」をリリース。日本発売は2月10日。 |
| 2月、デイヴ、ソロ・デビュー・ミニ・アルバム『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』(全米15位)をリリース。日本発売は2月10日。 |
| 3月、デイヴ、第2弾ソロ・シングル「ジャスト・ア・ジゴロ〜ノーバディ」(全米12位)b/W「ジャスト・ア・ジゴロ〜ノーバディ(リミックス・バージョン)」をリリース。日本発売は5月25日。 |
| 春頃、デイヴ脱退の報が漠然と伝えられる。 |
| 7月20日、英サウンズ紙、オリジナル・ヴァン・ヘイレンの分裂を初めて断定的な活字へと刻み込む。 |
| 9月28日、エディ、それを裏づけるかのように、フィラデルフィアで催された“ファーム・エイド”において、突如、サミーのステージヘと飛び入り参加。レッド・ツェッぺリンの「ロックンロール」をスリリングにプレイ。 |
秋頃、以下のような両者の言い分が、様々な音楽雑誌の誌面をにぎわす。 「俺は時間を無駄にしたくない。本格的なレコーディングやステージ活動に飢えちまってるのさ。今やってることにキッパリとかたをつけたいんだ。」(デイヴ) 「僕は僕で、デイヴが動き出すのを待っていた。それがニュー・アルバムのレコーディングが延び延びになったのを俺のせいにするなんて……。おまけに、彼の主演映画の音楽を僕に依頼してくる厚かましきだ。我慢にも程があるよ。」(エディ) |
| 正式にサミーを迎えた新生ヴァン・ヘイレン、新たにフォリナーのミック・ジョーンズらプロデュースを委ね、アルバムの制作に着手。 |
| 1986 |
2月26日、ヴァン・ヘイレン、サミー・ヘイガーをヴォーカルに迎え第16弾シングル「ホワイ・キャント・ディス・ピー・ラヴ」b/W「ゲット・アップ」をリリ一ス。日本発売は4月25日。 |
| 3月24日、ヴァン・ヘイレン、第7弾アルバム『5150』をリリース。これがヴァン・ヘイレン初の全米NO.1に輝き、現在までにアメリカだけで400万枚以上の売上げを記録。日本発売は4月25日。 |
| 3月27日、ヴァン・ヘイレン、『5150』ツアーをスタート。 |
| 7月、デイヴィッド・リー・ロス、ソロでの再出発作にあたる初のフル・アルバム「イートエム・アンド・スマイル」(全米4位)をリリース。日本発売は8月25日。 |
| 8月、デイヴィッド・リー・ロスがソロとして独立後初の全米ツアーをパージニア州ハンプトン公演からスター卜。翌年まで続いたこのツアーは、全米50都市を回り、合計60公演分のチケットがすべて完売になる大成功に終わる。 |
| 9月、テイヴィッド・リー・ロスのファーストソロ作「イートエム・アンド・スマイル」のスペイン語ヴァージョンのアルバム「ソンリサ・サルバヘ〜"イートエム・アンド・スマイル"スパニッシュ・アルバム」が日本でもリリースされる。 |
| この年のコネチカット州ニューヘヴン・コロシアム公演の模様を収録した、ヴァン・ヘイレン初のライヴ・ビデオ「LlVE WITHOUT A NET」をりり一ス。 |
| 1987 |
2月、映画「オーバー・ザ・トップ」のサントラ磐に吹き込んだ、サミー・ヘイガーwithエドワード・ヴァン・ヘイレンによる「オーバー・ザ・トップ」が全米でシングル・カット。全米チャートの54位まで上昇するスマッシュ・ヒットを記録。 |
| 6月、ゲフィンとのソロ契約上の問題もあって、サミー・ヘイガーがエドワード・ヴァン・ヘイレンを共同プロデューサーに迎えて作ったソロ作「ヘイガー・USA」(全米14位)リリース。日本発売は7月25日。また、このアルバムの発売に合わせて、サミーが初のプロモーション来日。 |
| 1988 |
2月、デイヴィッド・リ一・ロス、第2弾アルバム「スカイスクレイバー」(全米6位)をリリース。日本発売は2月25日。 |
| 3月、デイヴィッド・リ一・ロス、"スカイスクレイバー・ツアー"を開始。 |
| 5月、ヴァンヘイレン、第8弾アルバム「OU812」をリリース。前作「5150」に続いて、再び全米NO.1を記録。現在までに全米だけで300万枚以上の売上げも記録している。日本発売は6月25日。また、アルバムの発売に合わせて、27日からスコーピオンス、メタリカ、ドッケン、キングダム・カムを引き連れた"ヴァン・ヘイレンズ・モンスターズ・オブ・ロック"ツアーが全米でスター卜。 |
| 9月、ヴァン・ヘイレン、"モンスターズ・オブ・ロック"ツアーに引き続き、今度は単独で全米約45ケ所を回るツアー開始。また、"スカイスクレイバー・ツアー"の一環として、デイヴィッド・リ一・ロスのソロ初来日公演が実現。札幌、仙台、横浜、名古屋、大阪、東京で合計11公演を行う。 |
| 1989 |
1月、ヴァン・ヘイレンとしては10年ぷリ3度目、サミー・ヘイガー加入後初の来日公演開催。京都、大阪、広島、名古屋、東京で合計6公演を行う。東京は、東京ドーム2公演が実現。 |
| 1990 |
4月、メキシコのカボ・サン・ルカスに、ヴァン・ヘイレンが経営するクラブ"ザ・カボ・ワボ・カンティーナ"オープン。 |
| 1991 |
1月、デイヴィッド・り一・ロス、第3弾アルバム「ア・リトル・エイント・イナフ」(全米18位)をリリース。日本発売は2月25日。続いて、全米ツアー開始。 |
| 6月、ヴァン・ヘイレン、第9弾アルバム「F@U#C%K」をリリース。全米のアルバム・チャートで堂々の初登場NO.1を記録。現在までに全米だけで200万枚以上の売上げも記録している。日本発売は7月10日。 |
| 8月、ヴァン・ヘイレン、全米50ケ所を回る大規模なツアー開始。 |
| デイヴィッド・リー・ロス、この年の全米ツアー終了後、カリフォルニアからニューヨークヘ移住。 |
| 1992 |
1月、ヴァン・ヘイレン、再び同年5月まで全米約45ケ所を回るツアー開始。 |
| 5月、ヴァン・ヘイレン、アルバム「F@U#C%K」の発売に合わせた全米ツアー終了。14日と15日の両日、カリフォルニア州フレズノにあるセランド・アリーナで開催されたコンサートで、ライヴ録音とビデオ・シューティングを行う。 |
| 1993 |
2月、前年5月にカリフオルニア州フレズノにあるセランド・アリーナ公演で収録された、ヴァン・ヘイレン初の2枚組ライヴ・アルバム「ライヴ:ライトヒア、ライトナウ」(全米5位)と同名のライヴ・ビデオ発売。ライナアルバムの日本発売は2月18日。CD2校組という大作にもかかわらず、アルバムのほうは現在までに全米だけで100万セット以上の売上げを記録している。 |
| 3月、ヴァン・ヘイレン、ドイツ公演を皮切りに、ワールド・ツアー開始。 |
| 1994 |
3月、デイヴイツド・リー・ロス、第4弾アルバム「ユア・フィルシー・リトル・マウス」をリリース。日本発売は3月18日。サミー・ヘイガー、ゲフィン・レコードに残した4枚のアルバムからのベストセレクションに、新曲2曲を加えたコンピレーション・アルバム「UNBOXED」をりり一ス。日本発売は5月21日。 |
| 4月、デイヴィッド・リ一・ロス、ソロとしては6年ぶり2度目の来日公演開催。広島、大阪、東京、横須賀、仙台で合計7公演を行う。ヴァン・ヘイレン、全英ツアー開始。 |
| 1995 |
1月、ヴァン・ヘイレン、第11弾アルバム「バランス」をリリース。彼らのオリジナル・アルバムとしては、前作にあたる「F@U#C%K」に続いて、再び全米のアルバム・チャートで堂々の初登場NO.1を記録。これでサミー・ヘイガー加入後のヴァン・へイレンのオリジナル・アルバム4枚はすべて全米NO.1に輝くという大記録を達成。日本発売は1月25日。 |
| 3月、ヴァン・ヘイレン、11日のフロリダ州ペンサコーラ公演を皮切りに、全米、そして∃ーロッパ各地を回る大規模な"1995 バランス・ワールド・ツアー"関始。 |
| 4月、ヴァン・ヘイレン、これまでの全アルバムの総売上げが全世界で合計6000万枚を突破。 |
| 10月、ヴァン・ヘイレン、6年ぶリ4度目の来日公演開値。東京、大阪、福岡で合計7公演を行う。また、来日記念の日本オリジナル企画として、サミー・ヘイガー加入後のヴァン・ヘイレンの4作、「5150」('86年)、「OU812」('88年)、「F@U#C%K」('91年)、「ライヴ : ライト・ヒア、ライトナウ」('93年)を一挙に収録した、CD5枚組ボックス・セット「ヴァン・ヘイレン・ボックス1986−1993」25日発売。また、ヴァン・ヘイレンの最新作「バランス」が全米だけで200万枚以上の売上げを記録。 |
| 11月、ヴァン・ヘイレン、離日後のハワイ公演を最後に、"1995 バランス・ワールド・ツアー"終了。 |
| 1996 |
5月、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮、マイケル・クライトン脚本(ジュラシック・パーク)、ヤン・デ・ボン監督(スピード)という話題の映画「ツイスター」のサントラ盤がリリースされる。同サントラに、ヴァン・ヘイレンは新曲「ヒューマンズ・ビーイング」とアレックス&エドワードのヴァン・ヘイレン兄弟による初のインストゥルメンタル作品「レスペクト・ザ・ウインド」という2曲を吹き込んでいる。日本発売は6月25日。また、合わせて、ヴァン・ヘイレン初のグレイテスト・ヒッツ・アルバムのリリースが秋頃に計画されていることが明らかになる。 |
| 6月、26日にバンドが所属するSROマネジメントから、サミー・ヘイガーの脱退と、グレイテストヒッツ・アルバム用の新曲録音のため、ヴァン・ヘイレンが初代ヴォーカリストのデイヴィッド・リ一・ロスと一緒にスタジオ入りしているという衝撃的な事実が合わせて正式発表される。また、同日付けの「ロサンゼルス・タイムス」紙には、サミー・ヘイガーの独占インタビューが掲載される。 |
| 8月、注目のデイヴを加えて、11年ぷりにオリジナルのヴァン・ヘイレンが吹き込んだ新曲2曲「キャント・ゲット・ディス・スタッフ・ノー・モア」と「ミー・ワイズ・マジック」が完成。プロデュースは、アラニス・モリセットなどを手がけているグレン・バラード。 |
| 9月、4日にニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールで開催された"1996MTVビデオ・ミュージック・アワード"に、ティヴを加えたオリジナルのヴァン・ヘイレンがプレゼンターとして登場。復活したオリジナルのヴァン・ヘイレンが初めて公式の場に姿を現す。 |
| 10月、注目のテイヴを加えて、11年ぶりにオリジナルのヴァン・ヘイレンが吹き込んだ新曲2曲を含む初のベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ」17日に日本先行発売。全米発売は10月22日。 |
| 10月、ヴァン・ヘイレンは元EXTREAMのゲイリー・シェローンを新ヴォーカルに迎えることを発表。 |
| 1997 |
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| 1998 |
3月、ヴァン・ヘイレン、アルバム『VAN HALEN III』(全米4位)をリリース。 |
| 1999 |
ゲイリー、アルバムレコーディング中にヴァン・ヘイレンを脱退。 |
| エディ、股関節に人工ジョイントを組みこむ手術を受ける。 |