原始布・古代織参考館 山村 精
昭和30年代のこと、以前より柳田民俗学や柳宗悦の提唱した民芸の心に共鳴していた私は、手技による物造りとその背景にある歴史とそして生活文化が共に姿を消しつつあることに、たまらない淋しさと無念の思いを抱いていた。気候風土にどうしても恵まれない東北の各地では、きびしい寒さに耐えるために、人々は英知を結集し合って山野に自生する種々の材料より布を織り出してきた。
そこで、今日に残るそれらを探し求めながら東北各地の山間部や農村地帯に足を踏み入れてみたが、その姿に触れることは殆どできなかった。昭和40年代初めの頃、山形県と新潟県の県境の山間部に入った私は、眼前にかすかに命脈を保っていた`布を発見し、この仕事にたずさわってきた老媼より昔織られたが今は無き布の話を聞き、`布の存続と失われた布の復元はこの老媼達によって可能であろうと決意してその仕事に取り組み始めた。始めの頃2ヶ所の集落はその後増えて6ヶ所となり、総勢150余名の女達に呼びかけ、試行錯誤で技術指導を行いながら復元に全力を傾注した。
山間部は名だたる豪雪地帯でもあり、雪と闘いながら悪路を踏破することも度々であった。いろいろと仕事を続けてきた私は、15年目にして大病に倒れ多くのアクシデントに見舞われたため、復元の道はひときわ難しく、また当時古代布への理解者も少なく、仕事の継続に挫折感を味わった。その時、私の心を奮い立たせ、私をしっかりと支えてくれたのは、不便な山間部に生きる人々の生活の中に残っていた日本的な美しい伝統風習である「結い」の心であった。それは、人々の心が強いきずなで結ばれ、互いに相手を思いやりながら共に助け合って生き抜いて行く、今の日本では忘れられつつある見事な生活の手段であったのである。
山間部には人は少なくなり、復元への力のエネルギーは随分と弱まっているものの、今人々は原始布や古代織を見つめ直している。私は、現在縄文の頃の衣の主役をなした編衣を中心に、編む・組むの分野に取り組むことによって、小人数になった女達と共に日本の衣の原点に深く関わりながらこれからも研究を続けてゆきたいと思っている。