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長岡京ガラシャ祭の始まり

京都府長岡京市は、市内全域が長岡京跡に覆われ、
多くの古墳群、神社仏閣や城址が存在し、古代から中世、近世
にいたる日本の歴史の主要舞台となった事物が多く集積しています。
平成4年、長岡京市の歴史遺産の一つである、勝竜寺城跡を整備し、
市民が憩える勝竜寺城公園が完成しました。
その完成を記念して、市民の方から今から約400年前に織田信長のすすめにより、
細川氏に嫁いできた明智光秀の娘「玉」の輿入れの様子を再現する行列巡行を
開催しようという提案がありました。
それが以後、「長岡京ガラシャ祭り」として、広く市民に親しまれています。



☆.細川ガラシャ夫人という人物 
  (1563〜1600)
  明智光秀の娘「玉」、天正6年旧暦8月、織田信長の命により政略的に当時乙訓一帯を支配していた戦国大名の細川藤孝の息子、細川忠興のもとに嫁いできました。
 彼女が細川家へ嫁いで数年後、父明智光秀が主人、織田信長を倒すという、日本の歴史上の大事件が起こりました。
 それ以後彼女は中世の戦乱の歴史の大きな渦に巻き込まれ、自分の肉親兄弟を失い、子どもとも引き離され、丹後の山奥に幽閉されるなど、苦難の生活を送ることになります。 しかし、そんな中においても、貧しく弱い人々に身分の分け隔てをこえた人間愛の心を常に持ち続け、そして彼女はキリスト教に心の平安を求め、ついに洗礼を受け、細川ガラシャ夫人と呼ばれるようになりました。 
 やがて、関が原の戦いで石田三成の人質になるのを拒み、家臣小笠原少斎の刀をうけて悲劇的な最期を遂げました。

細川忠興・玉(ガラシャ)像    


☆.勝龍寺城・勝竜寺城公園
 この城は、暦応2年(1339)に細川頼春が京都へ進出してくる南朝方に対抗するため、北朝(足利尊氏)方の前線基地として築いたといわれ、京都盆地の南西部を防衛する要所にありました。
 応仁・文明の乱(1467〜)では西岡地方における西軍(畠山義就)の拠点となり、戦国時代になると、永禄11年(1568)に織田信長が上洛し西岡一帯を攻略し、細川藤孝(後の幽斎)に城が与えられ、堅固な城に改修しました。 天正10年(1582)の山崎合戦では明智光秀が本拠としたが落城しました。
 
 ところで、この城は天正6年(1578)に光秀の娘玉(後 の細川ガラシャ)が16歳で長男忠興のもとに輿入れしたところで、歴史とロマンを秘めた城として全国的に知られています。  城の中心部は本丸と沼田丸に分かれ、外郭施設には城の北側を守るための土塁跡や空堀跡が神足神社周辺にいまも残されています。

 勝竜寺城公園は、面積1.4haの近隣公園で、昭和62年に都市公園事業として整備に着手し、平成4年に開園しました。 園内には日本庭園及び自由広場を設けると共に、館は展示、休憩施設として歴史的遺産を活用した市民の憩いの場として整備されました。





勝竜寺城公園

勝竜寺城公園地図





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