個人的な思い入れの文章であります。
(2000年某日作成。あらためて見直すと、ちょっとなあ・・・という記述もありますが・・・)
いきなり、長文でゴメンナサイ
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中野さんの本に出会ったのは意外に遅く、わたしが24歳ごろのことで、お勤めをしていました。以前より、「クレア」*1誌上の「キメツケ御三家登場!」*2を楽しく読んでいた記憶がありましたが、著書を購入するには至っていませんでした。当時は勤め帰りに書店巡りをするのが唯一の楽しみのような日々でした。
ある日平積みの文庫『迷走熱』ほか2冊を見つけました。「読み捨て本だったら厭だな」と今から思えば浅はかですが、購入にはためらいがありました。しかし俗事に疲れているときは軽いものが読みたくなるものです。すでにとんでもない読み捨て本を何冊も買っていたこともあり、えいやっと『迷走熱』を購入。以来中野さんの愛読者となるのでした。この辺の経緯は中野さんと森茉莉さんとの出会い*3に似通ったところがあるように思えます。(お二人とも好きなので無理やり自分に結びつける)。
『迷走熱』を読んで驚いたことは、わたしの高校時代の空気がそのまま入っていることでした。わたしは地方の高校生だったのですが、当時は全国的に女の子が消費文化の中心となりつつある頃でした。この「80年代の女の子」の気分が、中野さんの本の中に溢れていたのでした。この辺の経緯は中野さんの好きな小林信彦さんに対する思い*4に似通ったところがあるように思えます(お二人とも・・・以下略)。
それから『偽天国』にあるフェミニズム論争のころ(しかし今は昔ですね・・・)、わたしは女子大生で、「朝日ジャーナル」*5誌上で中野さん憤激のイラストを見た記憶がありました。余談になりますが 90年代に廃刊となった「朝日ジャーナル」は80年代筑紫哲也編集長の頃、「若者たちの神々」(という連載があった。このタイトルには批判があったようですが)に新井素子さん*6が出ていたり、後には少女小説ブームについて氷室冴子さん*7がコメントを出していたり、意外や普通の女の子(何が普通かは分かりませんが)にも手に取られる可能性がある雑誌だったのでした(という話をどこにも見かけないので一応書いてみました。誰が何の雑誌を見てもいいんだけど)
『東京風船日記』にはわたしの大学時代がまるごと入っています。もっともわたしは関西にいたので「HANAKO」*8は読んでいませんでしたが。そして何よりも驚いたのは図書館で見つけた『上等少女趣味101コラム』! この本は中野さんにとっては「闇に葬り去りたい一冊」のようなので、書くのは気が引ける気もするのですが、ここにはわたしが自我を育み始めた(ひえー、何となく恥ずかしい)中学生の頃の女の子雑誌の雰囲気があります。直接中野さんが書いた記事を読んでいたわけではないのですが、当時の多くの女性ライターの方たちが幼い女の子たちに込めていたある期待をこの本は代表しているような気がします。(平たく言うと、毅然とした、けれど女の子らしさを失わない女性になってほしいということかな? 猛々しいフェミニズムに対する違和感があったのではないかと推察します・・・なんて言ってもわたしはフェミニストでも何でもない一凡人なので思想潮流については分かりませんが)
中野さんをはじめ多くの年上の女性ライターの方たちによってわたしは育てられたのだなあとこの頃になってしみじみ思うようになりました。このページを開いたのは、先輩たちに「みなさんのおかげでなんとかここまで来られました」とお礼を言いたい気持ちもあるのでした。
二十五歳のとき『贅沢貧乏』と出会わなかったら、私の人生もだいぶ違ったものになっていたかもしれない。
『ムテッポー文学館』
同様のことを私も中野さんの本に対して感じます。
*1 文藝春秋社発行の女性誌。初期は硬派な読み物が多かったが、現在は化粧品についての記事が多い
*2 私はこれが中野さんの文章芸の極致だと思う。単行本には何冊かにばらばらに収められているのが残念。
*3 「たぶん、それまで雑誌で森茉莉のエッセーを時どき読んでいて、淡い興味を持って、この本を買ったのだと思う。」(筑摩書房『森茉莉全集』月報 『ムテッポー文学館』所収)
*4 「私はつかの間、『失われた時』の中に溺れたのだった。」(小林信彦『コラムは歌う』ちくま文庫版解説 同上所収)
*5 問題のイラストは角を生やした女の人の絵。『偽天国』に転載。当時は確か下村満子編集長。
*6 当時絶大な人気のSF作家。
*7 少女小説の名称を復活させた、当時絶大な人気のジュニア小説家。
*8 マガジンハウス発行の女性向首都圏情報雑誌。「東京風船日記」は創刊号から連載。WEST版が出たのはもっと後だと思う。