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桑名・柏崎日記を読む
*大筒役の勤務中の事故死.跡目相続、八石二人扶持そっくりそのまま息子に下された.死んで仕合わせとはこのことだと平太夫は書く.武家社会、とりわけ下級武士の厳しさを、思わず吐露したような平太夫の書きぶりだ.一方の死も、別の意味で価値ある死のように思えるのだが、平太夫の感想はない.
<柏崎日記>
小使いに為負て送り付申候 2012.4.20 更新
快晴で甚だ暑い.六時に起き、かまどに火を入れた.髪月代をしている間に飯が炊けた.これを食べて出勤する.八時過ぎから御帳部屋が始まり、御郡代衆から労いの挨拶があり、これが済むと一同引きとる.運八郎が当番を終え、交代に出てくれた.それから、役頭衆、栗本、金子、品川など五、六人が役所へ戻り、十二時前に再び交代して退けた.
七夕送りは昨夜限りで、今日はどこもひっそりとしている.おろく、今日は大分元気で、一日中よく遊び、熱も下がった様子だ.
四時過ぎから泊り番に出るが、真吾を連れて行き散々遊ばせてから小使いに背負わせて家へ帰した.宵の内は蒸し暑く、眠れそうもなかったが、夜中になると涼しくなり、綿入れを着て寝た.
(弘化元年 七月七日 「柏崎日記」)
鬼とも組そふなやつが…
昨日と同様暑い.本日は年貢の割り当てを確認、集計する日なので、同役総がかりで仕事を進め、三時頃までには終わり、帰宅した.先日獲ってきた泥鰌が少々、未だ活かしてあり、真吾がこれで遊んでいるが、今夕これを食べようと、お菊に話しておいた.お菊は昼過ぎから泥鰌を煮付けて夕飯に出した.
少しと言っても五合程ある泥鰌なので、品川をまた招き、運八郎には弁当のおかずにと土鍋に一杯を届けた.
夕飯のとき、“何度食べても堪えられない”と、皆揃って舌鼓を打った.お菊も子どもたちも泥鰌が大好きで、行灯に火を入れる前に全部平らげてしまった.

それから真吾を連れ、栗本が出張から帰ったので、品川と共に「帰陣祝い」に行く.栗本では酒が出て、酒盛りが始まったが、私は満腹なので断り、飲まなかった.真吾は何処の家へ行ってもはばかりなく大騒ぎをし、きりがない.なだめすかして、ようやく連れ帰ったのは八時過ぎだった.
おろくがまた熱を出し、医者を呼んだ.医者の話では、最近、このような風邪が流行だという.大事には至らないが、いつまでも熱の引かぬようなことがあれば、瘧(おこり)に変じる事があるという.頑丈な体で、鬼と取っ組み合いでもやりそうなおろくが、今度ばかりは参ったようだ.
(弘化元年 七月八日 「柏崎日記」)
ろくの見舞いに西瓜持て参り候
晴天だが蒸し暑い.四郡の決算なので七時から出勤する.八時から始めて十一時に三島郡、魚沼郡、蒲原郡の勘定が終わる.昼の仕度に家へ戻り、十二時過ぎから刈羽郡を始めて三時頃すべて相済みとなる.
御納所の決算のため、御払い米を売却したときの価格まで明らかにする故、大分時間がかかってしまったが、四時前に帰宅して学校へ出て、しばらく居てから戻り、行水を遣う.
おろくは昨日と同様とはいえ、少しは快方に向かっているのだろう.時々お隣へ遊びに行く.子守り娘の父親、ろくの見舞いだと西瓜を持ってきてくれた.
(弘化元年 七月九日 「柏崎日記」)
*陣屋の「七夕送り」は、陣屋あげての行事なのだろう、郡代を始め上役が無事に終わったと礼を述べる.そのためにわざわざ早朝出勤する.やはり形式を重んじる武士の習いなのだろう.勝之助も“七夕送りは昨夜限り”と気分一新を強調している.また、おろくの病気について“鬼とも取り組みそうなおろくが…”と書いているのが何とも楽しい.
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「NHK幕末転勤物語 1989」
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