1−笑い話
当HPの「笑い話」をご覧くださり、ありがとうございます。
先日、「どうやったら、おもしろい笑い話が作れるんだ」という問い合わせをいただきました。
前々から、考えていたことでもあったのですが、これを機に、今回は、私が行ってきた「笑い話」を作る際のコツみたいなものを書くことにいたしました。
本来、「笑い話」に大それたコツは何一つあるわけはないですが。(^笑^)
「笑い話」には興味はあるものの一度も「笑い話」を書いたことがない方、今「笑い話」を書いている方で
「自分のは、今一つ盛り上がらないんだよな」と感じておられる方がおられれば、以下の3か条をヒントに書いてみられるのもいいかもしれませんよ。
私が「笑い話」を作るとき、特に心がけていることが3番目の項目です。
1.常識を外れること。
2.デフォルメを効かすこと。
3.話の外に自分の目を置くこと。
備考)すべてが、実話というわけではありません。フィクションも混ざっています。
また、実話では、そのまんまもありますが、デフォルメを効かせているものもあります。あしからず、ご了承ください。
日本に笑いあれ!ゆとりあれ!世界には平和を!
E-mail: お問い合わせ
知識はワイドに
沖縄で部屋を借りようと不動産屋に電話したときのことだった。
12年くらい前、旅行で沖縄へ行ったことがあったため、小生は、「城」を沖縄方言で「グ
スク」と読むのを知っていた。
電話をかける相手は「金城」さんだった。
「カネグスク」か「カナグスク」のどちらかだろうと思い、「カネ・・・」ではあまりにも露骨すぎると、
「カナグスク」さん、おみえになられますかと言った。
先方は、「えっ・・・」と、一言。
そして、すぐに、「あっ、キンジョウさんね」と、やられてしまった。
なまじ知識があると、とんだ失敗につながるよう。 '00 (ヒロ)
ラーメン屋に入ったときのこと
「おまちどうさま」
ラーメンがカウンターの中から差し出される。
と、知人は目を疑った。
おばさんの親指がラーメン汁の中に、ぶっすりと浸かっている。
彼は思わず、「指、指・・・」と連呼した。
「指は熱くないから心配しなくていいのよ〜」
と、おばさんは言った。
知人はしばらく押し黙っていた。 (ヒロ)
ある夏の日の錯覚
沖縄の夏は暑い。
その暑さたるや、普通ではない。
道を歩いていると軽い日射病にかかるのだろうか。
日中は、ビールでも一杯あおったようにボッーとした状態になる。
缶ジュースの自動販売機の前に、サラリーマン風の男の姿があった。
男は二人、マシンは、当たり付きである。
ラッキーが表示されたら、もう一本もらえるというそれ。
一人がボタンを押した。
早速、ランプが回転する。
と、もう一人は、やったといわんばかりに歓喜の声を上げている。
男は透かさずボタンを押した。
止まりかけていた ランプが再び回転しはじめる。
その傍らでは、またも歓喜の声。
男は再び、ボタンを押した。
そんなことが何回となく、繰り返された後、二人の男は血相を変えて、店の中へと入って行った。
どうやら「500円玉を入れたのに、おつりが出てこない」、 と女主人にクレームを付けているようだ。
小生は、その様子をこっそり木陰から見ていた。 (ヒロ)
まんじゅうの夢
時は1944年 太平洋戦争(当時 国内では大東亜戦争と称していました)末期に近い終戦前年のこと
で 当時15歳で中学3年生だった私は 半強制的ともいえる政府の命令により 動員学徒として同級生ら
と共に郷里を離れ 軍需工場の寮で寝起きし 朝は5時に起床ラッパでたたき起こされ 工場で慣れない作
業をやらされて夕方寮に帰るという毎日を送っていました
その当時 国内の食糧事情はかなり深刻になっており 寮や工場での食事の量は少なく質も劣悪なもので
食い盛りの少年にとってはとても満腹できる状態ではありませんでした
空腹だと眠れないのが普通ですが 連日不慣れな工場の仕事で神経も体も疲れるせいか 工場から帰って
夕食を食べ入浴や 洗濯などをすませると間もなく消灯の時間になり 寮の管理室から電源を切られてしまい
昼間の疲れで空腹のままいつのまにか眠るといった状態の毎日なので 腹一杯食べたいという思いから 食
べ物の夢を見ることもたびたびでした
そんな状態の中でその事件は起きたのです・・・・・・・
ふと見ると目の前に 直径が50cm以上もあり 端っこでも厚みが10cmほど 真ん中の厚みは20
cmを超えるような 中には甘いあんこがたっぷり詰まっていそうな 真っ白でふかふかの巨大なまんじゅ
うがあるではありませんか
思わずしめたと思い 食べようとしたら目が覚め なんだ 夢だったのかと残念がりましたが 翌日も同
じ夢を見 前夜同様 食べようとしたとたんに 目が覚めてしまいました
そしてその翌日 また同じまんじゅうが現れたのです
私は そのまんじゅうを眺めながら考えました 昨夜も一昨夜も夢だったし 食べようとしたら目が覚め
た今度もきっと夢に違いない 夢なら覚めないうちに食ってしまおう と
そしていきなりそのまんじゅうに猛然と武者ぶり付きました
それまでの経験では 夢の中で何かを食べても歯ごたえなど感じたことが無かったのに この時は確かに
軟らかな物を噛む歯ごたえを感じているのに味は感じず 次の瞬間目が覚め 気が付くと なんと布団に噛
み付いていていたのです (高田 健)
年の瀬の訪問者
何年か前の、暮れも押し詰まるある寒い夜のこと。
ごついなりをした新聞の集金人が訪ねてきた。
小生は、その年の大晦日から正月にかけて、家を開ける予定にしていたので、そのことを集金人に話した。
すると、集金人。
「あっためときましょうか」
と、手をすり合わせながら言った。
小生は、思わず、斜に構えた。
この男、何奴?
ふとんに先回りして、あっためでもしてくれるというのか。
「あっためては、いりません」と、言いそうになったが、そこは押しこらえた。
小生の聞き間違えであったのか、寒さで集金人の舌が回らなかったのか。
一呼吸置いて、
「お、お願いします」
と、小生は、恐るおそる集金人に小声で告げていた。
お出かけのときは、しっかりとガスの元栓を閉めておきましょうね! (ヒロ)
無題1 (コーヒーブレイク)
「神様は、乗り越えられない試練など与えないもの。君は、それを乗り越えるために選ばれて生まれてきたのだ。きっと、これからは良いことがあるさ」
以下、ラッセル・ベーカーの名言から:
「たいてい、進歩のためにはひどいことが必要だったんだ、という弁解を伴うそれは、本当の進歩ではない。単に、ひどかっただけのことだ」
(もっと、ましな訳ができるかもしれません。ご興味のある方は、ご自身で訳してみてください)
(Usually, terrible things that are done with the excuse that progress requires them are not really progress at all,
but just terrible things. -Russell Baker)
無題2
「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」(芭蕉)
否、オレの耳鳴りだった。 (ヒロ)
豚にまつわるお話
豚といえば、沖縄では、ラフテー。名古屋では、とんちゃん。青森では、ねぶたで、うちのかみさんは、座敷ぶただったか!?
久しぶりに焼肉を食べに行った。
「ご注文は、何にいたしますか」
「とりあえず、生中とホルモン」
「ブタの腸は、ブツブツのところがあぶらが乗っていて、うまいんだ」
という友人。
そうかと納得して、煙、もうもうの中、肉を裏表に。
ジュージューと音を立てている肉。私は、ミディアムの少し焼けたのが好きで、適当なところで箸でつかみ口の中に放り込んだ。
そのときだった。店のTVに、がんを罹った患者の写真が映ったのは。腸には、ポリープができていた。
確か、さっき見たホルモンにもあったんじゃあなかったのかい・・・!?
おまけにもう一つ。
「ホルモン」という言葉の由来には、諸説あるらしい。その中に、ドイツ語から来ているという説や豚の内臓は、もともと放るものだったからホルモンなのだという説もある。
では、「とんちゃん」は、何だ。ということになる。
隣に座るOLが、
「豚だから、とんちゃんなのかもー」
といった。
「なかなか、いいねー」
と返した。
その子のニックネームは、残念ながら「とん子」じゃあなかったが。
おしまいにもう一つ。
とんといえば、金である。
日本では、十二支最後の干支は、「イノシシ」ということになっているが、中国・韓国・台湾では、意外にもそれが「豚」なのである。つまり、その年に生まれた者は、生涯豚年で通すことになる。
しかも、60年に1回しか廻ってこない豚年は、「金の豚」として、たいへん縁起がいいそうだ。本当かうそか!?何を隠そう、これが、本当の話なのだ!!! (ヒロ)
<リンクご希望の方へ>
ご自由に、以下をコピー&ペーストして、ブログ・ホ−ムページ等にお貼り下さい。右上のミニバナーを介して、このサイトへのリンクが可能となります。
相互リンクもOKです。
以下、コピー&ペースト⇒
<A HREF="http://www4.ocn.ne.jp/~den1/funny/
funny_all1.html" target="_blank">
<IMG SRC="http://www4.ocn.ne.jp/~den1/img2/
banners_b/funny_b.gif" BORDER="0"></A>
以上
E-mail: お問い合わせ
時の話題(不定期)
意外に、国民が知らされてなかった”共通番号制度(マイナンバー)”の落とし穴
世は、まさにコンピューター時代であり、共通番号制度(マイナンバー=旧国民総背番号制)導入は、時代の要請としてやむを得ないだろうと受け止めていた時期もあったが、
調べてみると、その中味は国民にとって、かなり危険な制度であるようだ。
・イギリスは、共通番号制度(国民IDカード制)廃止。
国家が、国民の個人情報を収集するのは、人権侵害に当たるとし、共通番号制度(国民IDカード制)は、「2010年5月に誕生した保守党・自由民主党による新連立政権」で、廃止に向かって検討。
「近く議会を通過し、法案成立後直ちにシステムが廃棄される」模様。「現在、国民IDカード制は停止中」とのこと。
・アメリカは、医療、介護、年金など社会保障や銀行、納税分野で利用。番号は可視化。それだけに、なりすましが横行し、犯罪の温床になっている。
「現実空間での取引に加え、サイバースペースでの取引(電子取引・ネット取引)にも汎用されていくことにより、番号が売買、垂れ流しされ、
不法行為に手を染める者の手に渡るなどして、アメリカ社会は、他人の社会保障番号を使った”成りすまし犯罪者天国”と化し、
社会保障番号に係る国民の情報コントロール権は、風前の灯のようになっている。被害者の窮状が社会問題になり、他人の社会保障番号を使った
”成りすまし犯罪”に対処するために、連邦や各州の議会、省庁が対策を練ってきているが、いまだ抜本策を見出すにはいたっていない」。
・スウェーデンは、アメリカ以上に広範な分野で利用され、共通番号は無制限に一般に公開(可視化)されている。「アメリカに次ぐ”なりすまし犯罪者天国”」。
「共通番号は、マスターキーに使えば個人のプロファイリングが容易にでき、国家が個人の生活のいかなる場面にも入り込み追跡できる体制を敷く仕組みであり、
人間の尊厳の保障や個人の幸福につながらないとの鋭い指摘がある。・・・共通番号制導入によるデータ監視社会化に突き進んだのは、
”高福祉高負担”政策――”福祉の不正受給、課税漏れは絶対に許さない”という考え方――がその背景にある。
最大の課題のひとつは、当局が把握できない無届就労や租税回避・ほ脱などからくる”課税漏れ”対策であるが、高負担政策や国民所得に対する番号管理を強めれば強めるほど、
逆に、無届就労、地下経済、他のEU諸国などへの課税源の移転が深刻になることを物語っている」。
以上、3項目「自治体情報政策研究所”電子自治体情報”」より
日本での利用範囲は、アメリカ・スウェーデン型のように多岐にわたる案が示されているようだが、個人の資産・収入、健康状態が外から透けて見えてしまえば、
我々の気質からして、人を値踏みしてしまう可能性は否定できないだろう。そうなれば、プライバシーが保たれないばかりか、人間の尊厳も危うい。
加えて、なりすまし犯罪との絡みもある。国家権力の増長、末端で個人情報を収集する各種団体・組織の国家への追随も気になる。導入は、国家の理想であり国家としての悲願だろう。
しかし、それらを考えると「いや、待てよ」ということになる。
国民の利益を考えた場合、そして、人種・民族・国を超えて存在する人間の倫理的水準を考えた場合、精神文化面では未だ発展途上にあるであろう21世紀社会にあっては、
制度そのもの・その存在意義を優先するよりも、個人の利益を優先した社会にすることが、我々の最も理にかなった国家政策ではなかろうかと思われる。
時には、利便性よりも、多少不便でも、我々の能力に見合った制度のあり方を考え、それを正しい方向に導いて行くというのが、
人間の人間たるゆえんである。逆に解すれば、それすらもわからないようであれば、人間とは言えなくなる。
国民にとって、豊かな国作りをするためには、ただ単に、制度を増やして行けばいいというのではなく、既存の制度であっても、国民生活にとってリスクとリターンを比較し、
得るものが少ない、あるいはリスク大と判断すれば、潔く制度を撤廃することも必要であると考える。共通番号制度(法案)に関していえば、どう見ても、
今の日本には、荷が重すぎる制度のように映る。
・内閣府PR、共通番号制度の主眼。
(1)利便性、公平・公正
(2)経済的効率
(3)セキュリティー面には、細心の注意を払って対処
(1)の利便性は、事務処理の効率化を考えれば、国民よりも国家にある。公平・公正といわれても、比較対照が個人にはできないから国民の利害というよりも国家の利害に関係してくる。
(2)の経済的効率は、国家・国民共にあるだろう。(3)のセキュリティーに関しては、番号制度導入を条件に必要になるものであるが、セキュリティーに万全はあり得ないから国民にとっては、
無味乾燥なものであるといえる。
いつもながらそこには、国家性善説が垣間見られる。国家の理想はわかるが、国民目線に立った考え方からは程遠いようだ。制度を敷くことで何が起こるのか、性悪説に立ったものの見方が必要である。
個人情報について、これまでの区分け処理というストッパーを外せば、国民は、全面的に国家を信用しなければならないことになるが、
今の国家には、果たして国民の信頼に応えるだけの信用力を持ち合わせているだろうか?また、どれだけの国民が、今のご時世、国家と一心同体であろうとするほど国家に魅力を感じているだろうか?
国家は尊重するが、さすがに、国家に命を預けるほどの勇気ある国民は少ないだろう。なるべくなら、干渉しないでほしいと願う人のほうが大勢を占めるに違いない。
これまでどおり、国民は、国民の義務を果たし生きて行くのだから、それで国は、何不自由ないはずである。
国家と国民は、互いに依存し合う関係ではなく、もちろん、一方が他方を管理するという主従の関係ではなく、互いに尊重し合える関係が大事であるということをイギリスの教訓が物語っている。
これが、時代の声であり、趨勢だろう。(2.28'12)
・エッセイ:◇他、人間・社会心理的な話題へ (denhiro)
「笑い話」 / Copyright by でんひろ(denhiro)切手コレクター・投資家 Sep 2000-2012, All Rights Reserved.