
女子アジアンツアーの変遷1983年にアジア太平洋地域で初めて設立されたアジアサーキットはアジア太平洋ゴルフ連盟の公認を得て1987年以来、廣済堂アジアサーキットとして2003年まで続いてきました。その後2004年には香港に活動の拠点を移し中国、香港、マカオへの進出を図り、2005年には画期的な事としてゴルフ大本山のR&Aから支援団体の承認をもらい毎年、資金交付まで受けるツアーとなりました。そして2009年からはアジアンツアー発祥の原点に戻り日本へ本部を戻して、新しいアジアンツアーとして現在に至っております。
その歴史を振り返ってみますと、
1987年にはR&Aアジア太平洋ゴルフ連盟(APGC)の公認を得て名実ともに.アジアサーキットとして認知され、日本の女子ゴルフ界の絶大な賛助者でもあった(株)廣済堂の故櫻井義晃氏の理解と協力のもと廣済堂アジアサーキットとしてその名をアジア各地に浸透させました。今でも女子アジアンツアーと言えば誰もが廣済堂アジアサーキットを思い出すのはその所以であります。 設立当時のアジアサーキットは廣済堂が参画するまでは、1試合あたりわずか賞金総額3万ドルでスタートしたものでした。そして廣済堂の協力によって賞金も8万ドル、10万ドルと増えていき現在では12万ドル、20万ドルそして30万ドルの試合もでてきております。参加国もタイ、マレ−シア、インドネシア、台湾が常連国となり、2005年からは中国、香港、マカオも参加し、2007年にはインドが参加をいたしました。
2005年には女子ヨーロッパツアー(LET)と共催でシンガポール、タイで賞金30万ドルを越えるビッグトーナメントも開催するようになりました。そして2008年には蘇州にて再びヨーロッパツアーとの共催で太湖オープンを開催しアニカソレンスタム選手が現役休止前の最初で最後の中国への出場で話題をさらいました。 アジアンツアーの特筆すべきものはその運営にあります。 各国のゴルフ協会が試合を運営することでその国の公式試合にしていることです。アジアンツアーがその試合タイトルに国名がついているのはその由縁であります。過去20数年を経てプロ、アマを問わずアジア各国の女子ゴルフ界に向上に貢献できているのもアジア各国でアジアンツアーが各国ゴルフ協会が主体となって運営されていることが由縁であります。一例を挙げますとアジアンツアースタート当初の1983年〜1987年頃にはタイでの女子プロゴルファーは皆無と言っていいほどでした。ところが20数年経た現在では100名近い女子プロゴルファーが在籍しており、中にはアメリカLPGAで活躍している選手も出ております。そして2009年にはタイ女子プロゴルフ協会までもが設立されました。これらにアジアンツアーが多大に貢献してきたことは衆目に値するところです。
2003年には廣済堂のスポンサーも15年の歴史をもって終焉し、2004年にはアジアサーキットもアジアンツアーと改名し香港に舞台を移し、前述のタイのラエバディースワン氏を会長、日本の加藤工伊智氏をチーフコミッショナー、香港、マカオ、中国を舞台にボルボツアー男子アジアンツアーをプロモートしてきた実績のある香港のアイルイン・タイ氏をチーフエグゼクティブに3本の柱でアジアンツアーを再出発させました。そして2009年には中国地区への進出に専念するため前述のアイルイン・タイ氏は独立してアジアンツアー中国地区プロモーターとしてアジアンツアーを支えることとし、同時に本部をチーフコミッショナーの加藤工伊智の母国日本に移設し、ラエバディースワン氏と加藤工伊智との二人三脚をスタートさせました。
2010年後期にはヨーロッパツアーとの共催で中国上海、中国海南島にて2試合を開催し、11月にはインドにてこれもヨーロッパツアー共催で賞金30万ドルのビッグイベントの複数年契約に成功しております。
アジアンツアーは世界各地にテレビ放映、そしてインターネットを使ったライブスコアーとその技術も進化し、USLPGAツアー、ヨーロッパツアーそしてアジアンツアーの3大ツアーと飛躍できるのを目標に各国PGA,LPGAの協力・指導を仰ぎながら活動をしております。
アジアンツアーでは全ての女子プロゴルファーが参加できるように、プロライセンスのランクを問わず、またライセンスを取得する直前のプロテスト挑戦者、予選会(QT)挑戦者にも参加の道を広げて、多くの若い、有望な女子ゴルファーが世界に羽ばたく夢の実現のお手伝いをいたします。 アジアンツアーは20数年の経験豊富な理事長コミッショナーの加藤工伊智がいつでも貴女がアジアンツアーに挑戦するアドバイスをしております。お気軽になんでもお尋ねください。 |