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| 朝倉 文夫 Asakura Fumio |
| (1883〜1964) |
| 明治16年3月1日、上井田村(現朝地町)池在に渡辺要蔵の三男として生まれました。10歳のとき養子として朝倉宗家を継ぎ、尋常小学校を卒業。19歳のとき竹田中学校を中退して上京しました。
明治36年、東京美術学校彫刻選科に入学。在学中に1200点もの作品を制作し、明治40年、首席で卒業。その後は彫刻界の重鎮として活躍。大正8年に帝展審査員となったのを皮切りに、同10年に東京美術学校教授、同13年に帝国美術院会員となり、昭和23年には文化勲章を授与されています。
その間、「墓守」など数多くの傑作を生み、驚異的な質と量の作品を残し「自然主義的写実主義」といわれる作風を確立しました。 |
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| 1883(明16) |
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3月1日、大分県大野郡朝地町に生まれる |
| 1893(明26 |
10歳) |
朝倉宗家を継ぐ |
| 1902(明35 |
19歳) |
竹田中学校を中退 上京し実兄の彫塑家、渡辺長男宅(旧下谷区谷中初音町)に住み彫塑を学ぶ
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| 1903(明36 |
20歳) |
東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻選科に入学
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| 1907(明40 |
24歳) |
同校彫刻選科卒業、卒業制作「進化」
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谷中天王寺にアトリエ新築、朝倉塾として子弟養成 |
| 1908(明41 |
25歳) |
第2回文展「闇」2等賞(最高賞) 文部省買上(原型なし)
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| 1909(明42 |
26歳) |
東京美術学校研究科終了 |
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第3回文展「山から来た男」3等賞 文部省買上 |
| 1910(明43 |
27歳) |
第4回文展「墓守」2等賞
文部省買上 |
| 1911(明44 |
28歳) |
シンガポール、ブルネイ、その他、南洋を視察 |
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第5回文展「土人の顔、其の二」3等賞 文部省買上 |
| 1912(大1 |
29歳) |
第6回文展「若き日の影」3等賞 文部省買上
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| 1913(大2 |
30歳) |
第7回文展「含羞」2等賞 |
| 1914(大3 |
31歳) |
第8回文展「いづみ」2等賞
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| 1916(大5 |
33歳) |
文展審査員に任命される |
| 1919(大8 |
36歳) |
帝展審査員に任命される |
| 1921(大10 |
38歳) |
東京美術学校教授に任ぜられる(山田やまと結婚) |
| 1922(大11 |
39歳) |
摂子生まれる |
| 1925(大14 |
42歳) |
響子生まれる |
| 1927(昭2 |
44歳) |
第1回朝倉塾彫塑展覧会(東京都美術館)
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| 1934(昭9 |
51歳) |
台東区谷中天王寺町、初音町にアトリエを改築、朝倉彫塑塾とする |
| 1944(昭19 |
61歳) |
過去40年間に制作した像、約400点 |
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戦争による金属回収のため彫像のほとんど消滅、うち原型300点は保存 |
| 1945(昭20 |
62歳) |
帝室技芸員に任ぜられる
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| 1946(昭21 |
63歳) |
12月、妻やま死去(享年60歳)
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| 1948(昭23 |
65歳) |
第6回文化勲章受章(大分県1号) |
| 1958(昭33 |
75歳) |
日展顧問となる |
| 1961(昭36 |
78歳) |
台東区名誉区民推載 |
| 1964(昭39 |
81歳) |
4月18日、急性骨髄性白血病にて死去 |
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