『フェルメールとデルフト派展』レポート
2001年のGWを利用して、メトロポリタン美術館で |
●ニューヨークは“極楽”でした
フェルメール展のために訪れたNYは、“極楽”という言葉に尽きました。これには二つの意味があって、一つはフェルメール作品に囲まれて至福のひとときを得られたということ。もう一つは、ものすごく恵まれた状況で鑑賞できたということ。このときには、まさか4カ月後にあのような悲劇がこの街を襲うとは予想だにできなかったので、ただただ能天気に過ごしておりました……。
開館前のメトロポリタン美術館前。行列ができている、というほどでは
ありませんでした。
まず料金は、通常のメトロポリタン美術館(MET)の入館料である10ドルぽっきり。フェルメール展に入るのに、別途お金を取られることはありませんでした。METは朝9時30分開館ですが9時10分ごろに玄関前に到着しました。行列ができているかな〜と心配でしたが、何となく人々があちこちでウロウロと待っているという感じだけで、ほぼいつも通りのようでした。そこでほとんど1番の場所を陣取って開館を待ちました。9時30分。オープンと同時に中に入り、入場券を買って(例のバッジです)、フェルメール展会場へ。という具合ですから、誰よりも早くフェルメールと出会うことができました。
まずは今回の一番の目当てだった『絵画芸術』の前へ。ほかには一人もいません。約10分、『絵画芸術』を“独占”することができ、心ゆくまでゆっくりと鑑賞できたのは、望外の幸運だったと思います。その後も、11時を過ぎるまでは、実にゆったりと見て回れました。では、各論を少々。
◎『マリアとマルタの家のキリスト』(1654−55)
思ってたよりもデカイというのが第一印象。フェルメール初期の物語画ですが、正直に言って、一見フェルメールの絵とは思えません。それほど“フェルメール風”ではないのです。人物のモデリング(とくにキリスト)が大きく狂っているし、マリアの左手など、よく見るとかすれているではありませんか! 勇気を出して述べると、まだまだ未熟な段階の何の変哲もない絵のように見えました。
タッチは大胆(雑駁?)で、衣服のひだのうねりも不自然。これが初期の特徴と言われるものでしょうか。のちのフェルメールらしさは、ほとんど見られませんでした。
◎『取り持ち女』(1656)
フェルメールの風俗画の第一作とされる作品です。初期のうねるようなタッチは消滅し、ほとんど筆触を残さない、ていねいな描き方に変化していると言いますが、はたしてその通り。『マリアとマルタの家のキリスト』から、ほんの1,2年しか経っていないのに、ずいぶん腕を上げたなあと思いました。タペストリーの素材感がよく表現されており、うねりも自然。成長ぶりには目をみはります(私が言うのも何ですが)。◎『眠る女』(1656−57)
「粘り気の強い絵の具を使ったため、キャンバスを擦過するように描いた結果、下塗りの絵の具が微妙に顔を出し、それが女性の表情にニュアンスを醸し出している」──という指摘がありますが、「擦過するように」というのは僕にはわかりませんでした。それでも画集で見るよりはずっと、女性の顔にニュアンスがあります。タッチも、筆触を残さないていねいな塗り方になっています。◎『紳士とワインを飲む女』(1658−59)
いわゆるフェルメール風の絵柄が登場しています。が、床が手前にくるにしたがって落ちており、空間処理にまだまだ試行錯誤している様子がうかがわれます。一方、素材を描く力量は、ますます進展していて、男のマントの感触など、リアルなこと! 画集ではわからなかった実物ならではの発見です。また、ステンドグラスが見事で、透過する光と窓下をぼんやり照らす光はすごい。あるレベルに到達したことをうかがわせました。◎『天秤を持つ女』(1662−65)
この絵は、こんなによかったっけ!?と思ってしまいました。日本で見ていたのですが、そのときはすごい人垣だったからでしょうか。今回、初めて真価に触れられた気がします。暗い絵で、色彩も乏しいものの、静謐な「フェルメールの宇宙」という点では、まさに代表作と言っていいのではないでしょうか。ていねいにタッチを残さない描き方をしており、円熟をうかがわせます。マイ・フェルメールランキング、急上昇です。◎『窓辺で水差しを持つ女』(1662−65)
典型的なフェルメール風の絵ですが、「フェルメールの宇宙」という点では、『天秤を持つ女』のほうに軍配が上がると思いました。全体に紗がかかっているようで、そのためか絵の印象自体は平板なものにとどまっています。モデルと絵柄で、かなりトクしている作品のような気がします。◎『絵画芸術』(1666−67)
フェルメール展の中でもダントツの集客力を誇っていました。さすがに、スキのない、きわめて完成度の高い作品だと感じないではいられません。印象は、ほぼ図録で見るとおり。表面の仕上げは、やはりタッチをほとんど残さないていねいな塗り上げ方です。壁にかかる地図の出来映えは迫真的で、とてもこれが絵だとは思えないほど。もしかしたら、この作品の題材からしても、自らの技術を誇示したのかもしれません。期待通り、見応え十分な作品でした。
面白いことを見つけたのは、画家が描いている月桂冠が、モデルのそれとは形が違うという点。どうしてこんなに違えて描いたのか、フェルメールの意図が知りたくなりました。◎『ヴァージナルの前に座る女』(1675)
これはいったい、どうしたことか……と言わざるを得ないほど、不出来だと言わねばならない作品。カーテン、床、ヴァージナル、すべて色をつけただけといった感じの“お茶の濁し方”で、絵を描くという熱意が伝わってきません。あれほどこだわっていた壁もおざなりで、これがほんとうにフェルメールの真作? メーヘレンの贋作では? と思ってしまうほどでした。晩年の衰退ということでしょうか。◎『ディアナとニンフたち』
小林頼子さんが真作ではないのではと指摘している作品です。たしかにディアナは短足すぎるし、胸もコブのようでおかしい。それに非科学的ですが、受ける印象もフェルメール作品としては何とも言えない違和感がありました。その一方で、人物のモデリングの狂いという点では『マリアとマルタの家のキリスト』もひどいし、衣服のうねり方も同時期の両作にしてはかなり異なります。まだまだ議論を集めそうな作品です。◎『赤い帽子の女』
これも非真作説がつきまとう一作です。僕は何よりも背景に違和感を受けました。前景の女性像と背景が合っておらず、まるで別の絵の背景をもってきたような感じがするのです。視点も少しズレているよう。また、この女性の服装や様子が、どうもモダンすぎる気もします。やはり、真作かどうか疑わしい作品だと思いました。
とはいえ、それでも『ヴァージナルの前に座る女』よりは、絵の出来自体はいいと認めざるを得ないとも思います。真作より非真作のほうがいい絵だとなると、ちょっと複雑ですが……。
と、ざっと簡単な印象談をまとめてみました。より詳細なレポートは「私的鑑賞」のコーナーに順次立ち上げていく予定です。また、ここに掲げなかった作品についても同じです。
それにしても、一つの部屋に五つものフェルメール作品が見られるというのは、こんなぜいたくはないと、あっという間のひとときでした。また、リュートの実物が展示してあったのもよかった。「こういうものか」とよくわかりました。フェルメールと同時代のデ・ホーホらの作品もありましたが、客観的に見てもフェルメール作品の出来がずば抜けていることが、このような展覧会では確認できたのも収穫でした。これで実物を見たフェルメール作品は28点になりました。
左の青いほうが「フェルメールとデルフト派展」の旗。右の水色のは
同時開催中だった「ジャクリーン・ケネディ展」。集客力は、こっちの
ほうが高かった! アメリカ人は古典より女性好き!?
●開催された時期
今回の展覧会は、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)とロンドンナショナルギャラリーとで開かれました。それぞれの開催期間は次の通りです。
◎メトロポリタン美術館開催 2001年3月8日〜5月27日
◎ロンドンナショナルギャラリー開催 2001年6月20日〜9月16日
●作品リスト
@ 『マリアとマルタの家のキリスト』
A 『取り持ち女』
B 『紳士とワインを飲む女』
C 『小路』
D 『絵画芸術』
E 『ヴァージナルの前に立つ女』
F 『ヴァージナルの前に座る女』
G 『ディアナとニンフたち』
H 『赤い帽子の女』
I 『天秤を持つ女』
J 『窓辺で水差しを持つ女』
K 『眠る女』
L 『窓辺でリュートを弾く女』
M 『少女』
N 『信仰の寓意』なおロンドン展では、『眠る女』と『少女』が門外不出のため貸し出されず、また『小路』の代わりに、『牛乳を注ぐ女』が貸し出されました。