●山本香展 「あまい生活」
●2002.2.9
●CAS(キャズ)

*****(評価不可)

文章がいささか感情的なものになることをお許し願いたい。と言うのも、「これはないだろう」と思ってしまう個展だったからだ。作者の山本氏はこれが本心から人に問うに値する“作品”だと信じているのだろうか? キュレーションを担当した富山県水墨美術館の学芸員の八木宏昌氏やCASのスタッフはこの映像がほんとうにアートだと考えているのだろうか? ほんとうに「素晴らしいアートです。ぜひ見てください!」と虚心に人に言えるのだろうか? 立場や世間体を離れて、本心をぜひ一度聞いてみたいものである。

いや、ホントに本展はあんまりだと思う。私などは、「せっかくの休日を返してくれ」と言いたくなった。“作品”は10分あまりのビデオ映像。「あまい生活」のタイトルにある通り、山本氏と山本氏の彼との生活風景が映し出されるものだ。テーマは「愛」。おそらくハンディタイプのビデオカメラで撮影された映像だろう、スナップ的に二人の世界が映し出されていく。彼が台所で料理するところ、二人でドライブに出かけるところ、ソファに二人で寝転ぶところ、戸外で二人でダンスするところなどが流れる。だが見ていて、それがいったいどうした、と思ってしまう。また、彼らの「あまい生活」が切り取られているとも言えない。

誰しも心当たりがあるかと思うが、ふつうビデオなどに撮られるときには、「撮影されていること」を意識するため、ふだんの自分ではない“よそゆき”の姿をつくってしまうものだ。ここでの山本氏と彼の場合もやはりそうで、まったくの素の生活ぶりが映されているわけではない。真の意味での素の「あまい生活」が活写されていたならば、おそらく「愛」ももっと伝わってきたはずだと思うが、ここでの映像は、いわゆる一般の投稿ビデオみたいなものに終始している。NHKの「とれたてマイビデオ」に送られてくるたぐいのものだと思ってもらえればよい(それが悪いと言っているのではない)。もっとも、ときどき音声が消されていたりして、“作品”らしさを出すための演出らしきものがみられたが、それとて意図が伝わらなかったし、ほとんど何の効果も上げていないと感じた。

では、映像的にすぐれているかと言えば、そうでもない。編集で見せているのでもなければ、ストーリーに惹き付けるものがあるわけでもない。印象的な絵柄があるのでもない。ほんとうに「ただのビデオ映像」と言うしかない。少なくとも私にはそうとしか見えなかった。たまたま、ハイティーンとおぼしき3人の女の子と一緒に見ることになったのだが、終わってから1人に「どうでした?」と聞いてみた。自分の印象が表に出ないよう、できるだけニュートラルに質問した。その子は、私に突然問いかけられて「エッ」という感じであったが、おもむろに友だちの1人の顔をのぞきこむように「ねー」と言う。振られた友だちも顔を見合わせて「ねー」と言う。その「ねー」がすべてを物語っていると思った。

2人とも戸惑っているのだ。おそらく内心では、どこがよかったのか分からないのだろう。けれど、「分からない」と言うことをためらっているのである。「自分がズレているかもしれない」と考えているか、そんなことを言えば作者に失礼だと思っているのかもしれない。あるいは、せっかくの休日にここまでやってきた行為がムダになるのをみずから認めたくない心理が働いたのかもしれない。いずれにせよ、「よかった!」からはほど遠い反応だった。あとの1人はもう少し積極的で、作品の途中からウンザリした様子を表していて、「何と言うか……」とつぶやいていた。つまるところ、アートでも何でもない、ごく当たり前の「ただのビデオ映像」としか思えない。こうした子たちに、「これはいいでしょ!」とアートの押し売りをするのは、もはや犯罪行為に近いのではないのか?

もしかしたら、CASが山本氏に期待したものとは違う作品となってしまったのかもしれない、という気もする。これまでに山本氏が発表してきた、ラブホテルを舞台としたスチール写真作品は、まだしも何かを語っている雰囲気はあったからだ。だとしても、アートとは言えないような作品が上がってきたのなら、それをそのまま展示するのではなく、企画自体を中止するという選択肢はなかったのだろうか。山本氏は、いま述べたように、過去に耳目を引く作品を提示してきたとは思う。しかし、それらは結局、思いつき程度で制作されたものではなかったのか、と問われてもしかたあるまい。私がついつい作品の背景にしっかりとした「柱」を求めてしまうのは、こういうことがあるからにほかならない。

こうしたものを「すぐれた作品だ」として理屈をつけようと思えば、いくらでもできるだろう。けれども、もうそれはやめようではないか。わけのわからないものを「芸術性がある」と無理に、無責任に評するところから、現代アートは一般人から遠い存在となってしまったのではなかったか。これまで、その種の誤りを何度も繰り返してきたではないか。「わけのわからないものをいたずらに持ち上げるのはやめよう」という話になると、たいていの人は「同感」と言う。ならば、こんどこそ「つまらないものは、つまらない」と勇気を出して評しようではないか。それがほんとうの、作者や関係者そしてアートに対する愛情というものではないだろうか。