●八木直子展
●2002.3.2
●VOICEギャラリー
★★★★
| 今春、美大を卒業するホヤホヤアーティストの初個展。ここでは4つ星をつけたが、これはちょっと甘いかもしれない。というのは、個展会場に展示されていた作品よりも、正直なところ、ポートフォリオで紹介されていた作品のほうが面白く、それ込みでこの評価にしたからだ。
まず、会場にあった作品の紹介から。奥の壁から直径7〜8cmぐらいの白い円筒状のものが出て床に落ち、その落ちたところから、こんどは部屋全体をぐるりと一周するように円環状に置かれている。つまり、白い筒が大きな輪になって床に設置してあるようなものだ。筒のように見えたのは、実は白い糸を円筒状にしたもの。糸は、最初から最後まですべてつながっているそうである。作者によれば、「空間にドローイングするつもりでつくった」もので、そのため糸がつなげられているのだろう。つまり、糸は筆跡というところか。
この作品を見ている限りは、「空間にドローイングする」という八木氏の意図は、もう一つわからなかった。しかし、ポートフォリオを見せてもらって、彼女の言わんとすることが理解できた気がした。ポートフォリオの作品は、たとえば、地面(実際はビルの屋上)の上に爪楊枝を1mほどの幅で帯状にビッシリと立て、それで約10m四方の四角を描いたものや、ブリキの洗濯バサミで白い糸を両側から引っ張り、中空に何本も平行に張り並べたものなど。それなど、空間に白い線が何本も平行に引かれたかたちとなり、まさに「空間にドローイング」したように見える。
また、空間ドローイングとは違うが、アースアートの一種とも言える作品も目を引いた。桂川の石ころだらけの河原と東寺の白砂が敷き詰められた場所の一部を、2〜3m四方にわたって切り取り、両者をそっくり入れ替えてあるのである。その結果、河原の中には突如として四角形の白砂が、東寺の砂場には突如として石ころがゴロゴロする四角形が出現することになり、見る者は奇妙な空間の違和感を感じてしまう。あるいは、一部を交換したことによって離れた場所同士がワァームホールのようなものでつながり、目に見えない関係が生じたとも思われてくる。
八木氏は、これらの作品を直感的に制作しているようである。「作品には特別な意味やメッセージはない」と語り、ひたすら自分の中の感覚をかたちに表わしているだけだと言う。これは、現代の多くの若いアーティストに共通する制作姿勢である。なぜ意味やメッセージを込めないのか質問すると、「作品の性質を限定したくないから」「メッセージを伝えようとするのは、ちょっとダサいから」といった意味の答えであった。自由さを確保し、洗練されたイメージを維持したいということのようである。
したがって、「何かしら、モノ言いたげ」に見える作品たちも、少なくとも送り手によっては何ら具体的なメッセージも込められていない。もし、メッセージが存在するとすれば、それは鑑賞者の一方的な解釈によってのみなされることになる。あるいは、作家の感性自体がメッセージとなる。
具体的なメッセージなしで、感性のみによって勝負しようとする場合、「何だかわからないけど、いいなあ」と思わせるだけ作家の感性が抜きん出たものでなければ、鑑賞者に対して説得力をもつことはできない。その点において、八木氏には人並みでない何かがあるように思えた。思いつきでつくっただけでは生まれない、一貫したイメージが流れているように感じられたのである。それとも、言葉にしないだけ、あるいは自分でも意識していないだけで、実は具体的なメッセージもあるのではないか、とも思う。それだけに、彼女の今後の展開も追っていきたいものである。 |