| アニメーションを活用した作品が2つ提示してあった。1つは「にっぽんの御内」という作品。ビデオインスタレーションと解説してあったが、実際はアニメーション映像を使ったインタラクティブゲーム。いま1つは「にっぽんの湯屋(男湯)」という、こちらは3面マルチスクリーンに畳や風呂桶まで持ち込んで銭湯のセットを組み上げ、そこで映写されるアニメーション。絵柄自体はどちらも共通したものが使われている。「おどろおどろ」という展覧会名にいやがおうにも期待が高まったのだが……。
フライヤー(パンフレット)によれば、どちらの映像も「現代のにっぽん」のイメージが描かれているという。「ケロリン」の黄色い桶が散らばる銭湯、ジントギの流し台がありそうな台所、便所専用の手洗い器が壁に据え付けてあるお手洗い、障子を開けるとふとんが入っている押入れ……そんなモチーフがレトロスペクティヴなアニメ映像で流される。まさに束芋氏の作風なのだろうが、どうしてそれが「現代のにっぽん」なのか、よくわからない。描かれた世界は、すべて「一昔前のにっぽん」だと思う。下町情緒たっぷりで、懐古的としか見えない。適当なことを主催者がフライヤーに書いているだけなのか。
ゲームのほうは、観客が指示すれば民家の中の風景が回転したり、さまざまな場面が展開したりするしかけでそれなりに楽しめる。しかし、NHK−BSでやっている「デジスタ」に応募してくる素人作品でも、この程度のものはいくらでも見られるから特筆するほどのものではない。むしろ、プロとしては少々お寂しいといわなければならない。あるいは世界水準からすれば、さらに厳しく、稚拙なシロモノといわざるを得ない。キツイことをいうように思われるかもしれないが、一度、ポーランドやチェコ、ドイツなどのアニメ作品やコンピュータゲームをご覧になれば、私がこうしたことをいう理由がおわかりいただけるだろう。
いま一つのマルチスクリーンの銭湯アニメーションのほうは、ストーリー仕立て。ストーリーがつくとなると単に絵を見せるだけではなく、作家の構想力やイマジネーションの幅と深さ、洞察力といったものがおのずと問われてくる。で、これがどうだったかといえば、凡庸だった。たとえば、青年がペルソナを脱ぐというテーマで、銭湯にきた若い男が服を脱いでいき、裸になったら自分の皮も脱ぐ。皮を脱いだら、さらにその下の皮も脱ぐ……ということが何度も繰り返され、終わる。が、特段の意外性も驚きもない。インスパイアされるものもない。そのほかのテーマも、鋭さを感じるものはないし、発想に瞠目するものもない。誰でも思いつく程度に思えるものばかりで、テーマの探求・構想の設定からして、すでに作者は持て余している感さえあった。
主催者は、本展は束芋氏の集大成だという。もしもそうなら、少々化けの皮がはがれた感さえありと、ちょっとイジワルにいってみたくなる。「束芋」という不思議な印象のあるアーティスト名と、それとギャップのあるレトロな画風で注目され、26歳にして京都造形芸術大学の教授になる──と、これまで順調すぎるほど順調にスターダムを駆け上ってきた。だが、彼女はほんとうにそれだけの力量を備えていたのだろうか。「講師」「助教授」ではなく「教授」という早過ぎる高いポジション、周囲の必ずしも責任を伴わない高評価は、かえって彼女のアーティスト人生をスポイルさえしたのではないか──そんなことを考えてしまいながら会場をあとにした。
なお、ほとんど余談だが、相撲取りを描いたアニメのなかで「横網」とあったのは「横綱」の誤字である。これでは「よこづな」ではなく「よこあみ」になってしまう。また、「おどろおどろ」な感じは、全然なかった。
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