| 最初に漢字の読み方から。苗字の鴫は「しぎ」と読む。「かも」ではない。また名の剛は「つよし」ではなく、「ごう」。よって、本展は「しぎ・ごう」展である。
まずは上のフライヤー(パンフレット)の画像から見てもらいたい。もちろん、鴫氏の作品である。この画像から、みなさんは、鴫氏はどういう系統のアーティストだと思われるだろうか。植物専門の写真家? でも裏側の小さな作品を見ると団地や台所、海辺の風景もあるから、そうとは限らなさそう。風俗写真家? それも×。そもそも、写真家というのが間違っている。これらは、実はすべて手描きの絵なのである。
鴫氏は、写真と見まがう画風のアーティスト。いったい、どうしてこのような作品を生み出すようになったのだろうか。それは、美大生時代にさかのぼる。「写真のように描いたものは絵ではない」と教師からいわれたことがきっかけだった。鴫氏はそれを反語的に解釈し、「では、写真のように描けば、絵ではないものが描ける」と考えたそうだ。そこから「絵ではないもの」を創造する活動が始まったという。もちろんそれは「写真」でもないので、リクツからすれば、絵でも写真でもないものが生み出せることになる。
そのような鴫氏の超写実画のさまざまが本展では紹介されていた。少し小さいのでわかりにくいかもしれないが、フライヤーの裏面に団地らしき絵柄が2つ連続している作品があるかと思う。1974年の作品で一方には「アクリル」、もう一方には「写真」と表示してあった。どっちが絵でどっちが写真か見分けがつくだろうか(小さいのでムリですね)。また、これには少々“しかけ”があり、私はモロにそのワナに引っかかった(!)。“しかけ”の中身は、開催期間中は触れないでおくとしよう(展覧会が終了したら、改めて本欄で説明します)。
とても興味深い試みもなされていた。それは、ドイツの街並みをやはり超写実的に描いた作品のシリーズである。『絵画M1』〜『絵画M6』と名づけられたもので、1977年の制作になる。それぞれタテ2m×ヨコ2mくらいはあった大作。『M2』が欠番なので、5枚組みである。『M1』は実際の街並みの写真をきわめて忠実に描いた絵。『M3』は『M1』を撮影した写真。『M4』は『M3』を再び描いた絵。『M5』は『M4』を撮影した写真。そして『M6』は『M5』をさらに写し描いた絵である。つまり、『M1』『M4』『M6』が手描きの絵で、『M3』と『M5』が写真である。それらが順番にずらっと並べてある。すると、どうなるか……。
一見、同じ写真が5枚あるように見えるが、そもそもこれらのベースとなっている『M1』は絵である。そして、よく見なければ、どれが絵画でどれが写真か、わからない。また、写真化と絵画化が繰り返されることによって、少しずつ、それぞれ微妙に異なっている。それは、ちょうどコピーを何度も繰り返してとっていったときの変化と似ている。細かいところが次第につぶれていき、ラインがにじんだり、文字がボケてきたりする、あれである。そのため、となり合うもの同士を比べると差異はさほどないのだが、『M1』と『M6』を比べると、かなり情報量が落ちていることがわかる。それは「リアル」から「抽象」への過程のようにも見える。
80年代に入ると、モチーフに海辺の景色などの自然が現われる。街並みや建物に加えて自然が取り込まれたこと自体については、あまり深い意味はないとのこと。違う題材に応用してみたらどうなるか、やってみただけのようだ。その新境地でも、鴫氏の技術は見る者を驚嘆させる。さらに、88年以降はカラー作品も出てくるから驚きである。海水浴の一場面であるが、パッと見ただけでは絵だとは気づかないだろう。
こうした鴫氏の作品の数々を目の当たりにしていると、私たちの「リアルに感じる視覚」とは、いったいどのような働き方をしているのだろうと考えないではいられなくなる。太陽光に照らされてキラキラ輝く海辺の絵。少し離れて見れば写真だと思うのだが、近づくと手描きであることがわかる。それも、微細に観察するまでもなく、意外にけっこう粗く描かれているのである。光が当たっているところは、ホワイトのハイライトがかなり大まかにおかれてある。にもかかわらず、距離をとると、それがほんとうに光輝いているように見えてくる。ベラスケスやフェルメールの筆遣いにも見られる視覚の不思議である。私たちの目は、どういう条件に対して「リアル」と認識するのだろうか。
さらに、こんなことも考えた。たとえば、フライヤーの表紙の植物の絵。印象が「超リアル」なのである。ここでいう「超リアル」とは、「ものすごくリアル」という意味だけでなく、文字通り「リアルを超えたリアルさ」も感じられるという意味である。おそらく、実際の風景からはこれほどの「超リアルさ」は感じないのではないだろうか。現実よりもリアル感が強く、現実以上にリアルっぽさを感じる視覚なのである。
先日、SFの『スタートレック・ネメシス』という映画を見た。宇宙船が飛んだり、宇宙船同士がぶつかったりするシーンが展開したが、すべてCGによる映像表現である。それがやはり「超リアル」なのである。コントラストやハイライトが強調され、いわば視覚が鋭すぎるのだ。本来の「リアル」とはもはや別種の「超リアル」という視覚を生み出している。『グラディエーター』でのコロッセオなどにも同様の視覚を感じた。鴫氏は、そんな視覚のメカニズムを熟知しているのであろう。そして、人間の視覚の性質を徹底的に究め、それを逆手にとって、ときには現実を超えるリアルさを備えた作品をつくっているのではないだろうか。
鴫氏は、自分の作品を写真でも絵でもないゆえに、「写描」と呼んでいる。『絵画M1』から『M6』のシリーズなど、まさにその通りだろう。70年代から展開された氏の「写描」は、コンピュータ映像の発達した今日を先取りしていたともいえそうだ。また、人間とコンピュータのポテンシャル比較という図式にもなっているかもしれない。そもそも、写真とて、現実を画像として再現したものであるから、やはり鴫氏の絵と同様、「リアルな視覚」に挑んでいるものではある。
そのように、とても刺激的で、インスパイアされる展覧会ではあった。しかしながら……、とあえてKARAKUCHIをひと言述べておくと、「感嘆」し、「驚嘆」もする作品群ではあったが、「感動」することはなかったのである。さまざまなことを考えさせられはしたが、「ほしい」とは思わなかった。心を揺さぶられる体験にはならなかった。それが、「★★★★」以上つけることができなかった理由である。
(5月18日まで)
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