● 山本太郎 両A面展・火鳥風月
● 2003.4.5
● 立体ギャラリー射手座

★★★☆

満開の桜と信号機や飛行機が並存する『桜花鉄鶴図』

山本太郎氏の2週間にわたる2部構成の個展「両A面展」。「火鳥風月」は、その第1部である(2週目は「動食彩絵」が第2部として催される)。どちらも「B面」扱いできないから「両A面展」なのだろう。「火鳥風月」では旧作が、「動食彩絵」では新作が紹介される。


展示されていたのは、ユニークな絵画作品。屏風を支持体とし、画面全体に背景として金箔が貼られたところへ、満開の桜の木が伝統的な日本画の筆致で描かれている。つまり、それだけであれば江戸時代の障壁画そのものである。が、山本氏の作品では、そこに現代のモチーフ(信号機、飛行機、鉄柵など)が加わる。そのことによって、狩野派の屏風絵のようになるはずだった絵が、とたんに属する時間軸を失い、伝統と現代が混在した奇妙な時空世界を呈する。


俵屋宗達の『風神雷神図』がベースになった作品もあった。絵柄は同じだが、風神が仮面ライダーに、雷神が勇者ライディーンに代わっている。その結果、ここでも時空的には同じ現象が起こっているほか、風神や雷神がアニメキャラになることで、主題が神格化された畏怖から庶民的な消費的ヒーローへと変容し、人間社会自体の様変わりぶりを明らかにしている。


山本氏の絵は、現代のわれわれの生活の縮図そのものである。お箸を使ってハンバーグを食べ、古寺巡礼にBMWで乗りつける。しかも、そんな相反する要素が渾然一体となっているのに、何の違和感もなく暮らしている。改めて考えれば、実に摩訶不思議な状況に、われわれ現代日本人は身を置いているわけである。


とはいえ、山本氏の絵を見ても、その情況を批判しているようなトゲトゲしさは感じない。実際、山本氏は「僕はこうした日本のあり方を否定するつもりはないんですよ。たとえば和と洋が交じり合っているのに、僕らにとってはごく当たり前ですよね。それどころか、そのような日常生活のなかで『きれいだな』と感じるシーンさえあります。作品では、そうした感覚をそのまま表わしているのです」という。


本来対照的な要素が並存しているのは「和」と「洋」だけではない。桜の木は「自然」であるのに対して、信号や飛行機は「文明」である。自然と文明がどう共生していけばよいかは、現在も未来もわれわれに問われるテーマである。また先に触れたように「伝統」と「現代」という文脈で読み解くこともできる。何を受け継ぎ、何を変えていくかも、大きな課題といえるだろう。さらに風神・雷神と仮面ライダー・ライディーンとなると、歴史的神話性と現在的娯楽性の対照がクローズアップされる。


このように山本作品は、一見、珍奇性が目につくけれども、背景には同時代的なテーマや課題が重層的に潜んでいる。それが、「おっ!?」という第一印象だけで終わらせず、見る者を捕らえ、考えさせる力につながっている。山本氏は、こうした自分の絵を「ニッポン画」と呼ぶ。日本画ではない。「ニッポン画」としたほうが、浮き彫りにしようとする内容を的確に表現しているからで、まさに言い得て妙だと思う。


それにもかかわらず、★評価は「★★★☆」と、やや辛くしたのは、アーティスティックな面に物足りなさが残ったからである。たとえば満開の桜とともに描き込まれている信号機や飛行機などは、(ヘタウマ風を狙っているのかもしれないが)稚拙な表現にとどまってしまっている。もしこれが、もっと別の表現であれば、作品全体の印象がかなり変わるのではないかと感じた。山本氏と同系統といえそうな作家として思い浮かぶのは福田美蘭氏だが、両者のあいだに差があるとすれば、このアーティスティックな部分に起因するような気がする。


しかし、それは同時に、インプルーヴできる余地を示しているとも解釈できる。今後、より作品がアーティスティックな面も含めて完成度を高めていったら、この山本太郎というアーティストはどのような存在になっていくのだろうかと、楽しみではある。皮膚感覚だけでの制作が多い昨今、これからも要注目の作家だと思う。とりあえず第2部では、どんな作品が展開されるか興味津々だ。

両A面展:4月1日〜13日(うち6日までが火鳥風月)