| ビデオ・インスタレーション作品。全部で4つの画面からなる。一定のリズムを打ち続ける、シンセサイザーで演奏されたと思われる宇宙的な音楽とともに展開される。
第1の画面では、生まれたばかりの乳児と母親が映し出される。母も子も全裸で、まさに生まれたままの、何も飾らない無垢な姿。乳房が大きくクローズアップされ、乳児がそれを口に含む。乳房からは(本物の)母乳もほとばしる。一つの生命が生まれた直後の営み。
第2の画面では、子どもが赤ん坊から少し成長し、幼児になっている。やはり裸で、まるで宇宙遊泳するかのように自由に姿勢を変えながら、森の中を飛んでいく。重力から解放された様子は、この子に開けた未来と可能性を感じさせる。爽やかな印象も。
第3の画面は、一転して生々しい映像。大人の裸の女性が血まみれになっている。極度のクローズアップで視野を狭め、カメラアングルも女性の体をなめるように移動していくので、なかなか全体像がつかめない(映画『エイリアン』でよく使われる手法)。血が垂れたり、血で汚れた乳房、腹部、あるいは陰部と、断片的に映し出す。パンティに血がついたシーンも織り込まれていることから、少女から女に変わる女性の体験を象徴的に描写しているとも見える。そう考えると、なめるようなカメラアイは、セックス中の男性の視線とも見える。
第4の画面は、バカンス風のビーチの景色の中に、第3の画面がコラムのように切り込み、展開されるもの。表面的には平穏で健康的な生活の裏面に潜む、生々しい生(あるいは性)の営みが暗示される。決して否定することのできない人間のエロチシズムが暗喩されているのだろうか。
ここでは便宜的に第1、第2と紹介したが、実際にはどれが1番でどれが2番といった展示ではない。部屋の三方の壁と床に映像が映写されていた。会場には白い絨毯が敷かれ、絨毯の上には、やはり白いテーブルと椅子が置かれ、ティータイムの最中のような演出がなされている。観客は靴を脱いで、自由にくつろいで椅子に座って、画面を見られるようになっている。
4つの画面とも、不断に形態が変化し、一瞬たりともとどまるところがない。常にゆらぎ、流動し続けるのである。このインスタレーションの時空においては、固定したもの、硬いものは一切存在しない。映像はまた、血塗られた女性のものでさえ美しく、洗練されている。宇宙的な音楽に満たされ、暗く照明の落とされた会場は、たとえば深海の中にいるかのようで、鑑賞者の心の深部にまで映像からのメッセージがしのびこんでくる。日常のそれからは、まったく異化された時空である。
ピピロッティ・リスト氏は、このビデオ・インスタレーションのテーマを「誕生」と語っている。作品で表現されているのは、生命の奇跡であり歓びであり、生命そのものの美である。しかし、一面的な見方は排している。つまり、生命の美しい面だけではなく、拭い切れないドロドロとした部分、残酷な部分……そうした負の側面もまるごと受け止めたうえで、生命のオデッセイを奏でるのである。ゆえに、本作品は、単にきれいなだけには終わらない骨太さを感じさせる。技術面もすぐれ、ソラリゼーションを効果的に用いており、清冽と言ってよい感性・感覚に支えられた、たしかなものを感じさせた。
●資生堂ギャラリーのページ
http://www.shiseido.co.jp/gallery/html/gal00002.htm
●CCA北九州で紹介されているページ
http://cca-kitakyushu.org/jp/project/ristex.html
●横浜トリエンナーレでの紹介ページ
http://www.jpf.go.jp/yt2001/cyber/artist/077_Rist/
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