| ピカソ最後の妻であり、ピカソの最期を看取ったのがジャクリーヌ。本展は、彼女のコレクションを本邦初公開するもので、日本だけでなくフランスでも展覧会が実施された国際巡回展である。東京では同時期に2つのピカソ展が開催されるかたちとなった。一つは本展で、いま一つは「ピカソ展――躰[からだ]とエロス」(東京都現代美術館)。別に甲乙をつける必要はないのだが、どちらがよかったかと聞かれたら、私は本展に軍配を上げる。
ご存じの通り、ピカソはメタモルフォーゼ(変容)の画家である。青の時代からバラ色の時代を経て、美術史上に大きなエポックとなったキュビスムの時代を築き、その後もそこにとどまることなく、新古典主義の時代、シュールレアリスムの時代、そして晩年へと常にスタイルを変えながら生涯を通した。そのため、ピカソの絵がどのように変わっていったのかは、断片的に作品を見ているだけではとうていわからない。
その点、本展では基本的に時系列に沿って約120点が展示されていたので、メタモルフォーゼの様子が理解しやすかった(それでもピカソの全貌を見たとは、とてもいえないのだろうが)。一方、現代美術館のほうのピカソ展はテーマ別の展示となっていたため、時代と画風がごちゃまぜで、何がなんだかよくわからなかったのだ。
ピカソの作品を個別に見ているときは、正直いって、訳がわからないし、そのよさも私なんかにはいま一つピンとこない。ところが、こうしてまとめて鑑賞すると、また違った印象を抱く。あらゆるバリエーションのなかでも、自分に響くものもあれば、そうでもないのがあるし、画風にかかわらずピカソの入魂具合が伝わってくるものもあれば、淡白なものもある。そして何よりも、「まだまだ、もっともっと!」と絵画の可能性をどこまでもやむことなく追求し続けようとした画家の情熱が痛いほどわかるのである。
もし「ピカソとは、こういう絵を描く人」といった固定した画風があれば、ピカソはピカソたりえなかったであろう。メタモルフォーゼは結果であり、それをもたらしたのは、彼の枯れることのない探究心とパッションであったのだと改めて胸打たれる思いがした。また、ピカソという画家は、自分の置かれている情況をストレートに絵に反映させるタイプでもあったようだ。すなわち、幸せなときは画面が充実していて、そうでないときは暗く、ものうげな絵になりがちなのだ。そういう意味では、ピカソはきわめて私的な画家だったともいえるだろう。
作品としては、1945年ごろに描かれた『星模様の帽子』や『球体の上の顔』などがいちばん気に入った。逆に、60年代の「ひげ面」シリーズは、あまり好きになれなかった。
(11/4)
巡回展:10/31〜12/23 川村記念美術館(千葉)
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