MOTアニュアル2006
No Border 「日本画」から/「日本画」へ

東京都現代美術館

1.21〜3.26

★★★

 

 

●MOTアニュアル2006 No Border 「日本画」から/「日本画」へ
●東京都現代美術館
●1月21日〜3月26日

★★★

毎年この時期恒例のMOTアニュアル。その年その年に注目すべきと東京都現代美術館が考えるアートの潮流や時代テーマをキーワードで捉え、それに沿った作家を選り抜いて構成する展覧会で、今年で8回目になる。いわば、東京都現代美術館の時代認識の表明であり、どういった作家に注目しているかも知ることのできる、もっともメッセージ性の強い企画となっている。


今年は「日本画」にスポットが当てられた。なぜ、いま日本画なのかについて、美術館側はこう説明している。「現在、現代美術−日本画、洋画−日本画という対立的な考え方を崩すような新たな世代が現れ、『日本画』という定義そのものに、もはや意味がなくなってしまったようです。本展は、こうした状況をふまえながら、それでもあえて日本画を描き、あるいは日本的な表現に挑む30代の若手作家たち(中略)による『ニホン画』の“今”を展覧します」(HPより)


たしかに、近年、日本画作品(といわれるもの)を見ても、洋画とどう違うのか説明がむずかしく感じる場合が多いし、日本画でなければならない表現とは思えない日本画が増えている。強いていえば、使っている画材が伝統的な日本画のものだから、といった、いささか消極的な理由でしか日本画というカテゴリーを括れないほどである。なので、改めて従来の枠組みを越えて、いまどきの日本画のありようを浮き彫りにしようという試みは、時宜を得ているとは思った(「今年」でなければならないとはいえないだろうが)。


「新しい日本画」の担い手として美術館がピックアップしたのは、篠塚聖哉、天明屋尚、長沢明、町田久美、松井冬子、三瀬夏之介、吉田有紀の諸氏。「おだやかな日々」のときなどとは異なり、多様な表現で、作風で一まとめにすることはできない。また日本画の伝統をいくばくなりとも継承しているものもあれば、まったく日本画の必然性を感じないものもあるし、具象もあれば抽象もありとバラバラで、美術館が考える「新しい日本画」とは、はてさてどういうものか、読み解くのはむずかしい。もっとも、逆説的にいえば、そうした多様性を包含できるようになったのが、いまの日本画ということかもしれないが。でも実際は、日本画のカテゴリーで目に付いた作家を集めたらこうなった、といったところのような気がしないでもない。


そんな理屈はさておき、展示されていた作品はどうかと見ると、いかんせん力弱いのである。決して不出来な作品とまでは思わない。また、それぞれに独自の作風が確立されていて好ましいとも思う。にもかかわらず、「これと出会えて、よかった!」といえるほどの感銘はすべての作品を通じて受けることはなかった。平均以上、だけれども突き抜けていない。そこそこの秀才ぞろい、といったところか。そして、これらが“選ばれし者”だと考えると、むしろ物足りなさを禁じえない。


● 篠塚聖哉

抽象と具象のあいだをゆくような作風。勢いよく描いた(ように見える)筆跡を残して、火山噴火や爆発、嵐の場面などを思わせる絵柄が示される。ターナー晩年の『吹雪』などと作風が似ているといえば、わかりやすいだろうか。それらに、なぜか「ハバロフスク」とか「ゼリーの丘」とか「カモシカの目」といった題名がつけられている。作者なりに何らかの意図はあるのだろうが、私にはまったく意味不明だった。絵自体も、悪くはないとは思うが既視感があったし、これで「新しい日本画」の地平が開けられたとは感じなかった。


● 天明屋 尚

ひと言でいえば、現代風やまと絵。伝統的な仏教画のスタイルを取りながら、仏がマシンガンを持っていたりなど、現代の武器や機器が描き込まれている。山本太郎氏などと同じような傾向の作品。古くから伝わるものと新しいものの融合を追求しているのだろうか。しかし、似たような絵を描く画家がすでに何人もいるので、やはり既視感があった。そうしたなかで、トレーシングペーパーに鉛筆で曼荼羅や山水図を描いた作品は「おっ」と思わせるものがあった。とくに、うしろから白色光で照らしたものは、半透明の石材ででもあるかのようで不思議な神々しさがあった。


● 長沢 明

アフリカのプリミティブなアートを連想させる素朴な動物の絵。こげ茶や褐色が多く使われ、アースカラー中心にまとめられている。トラがよく出てきて、キバをむいているが、決して恐ろしくはない。むしろ、おとぎ話の挿画のようにポエティックにデフォルメされ、微笑ましいくらいである。作者独自の画風は、すでに完成されているが、こちらの心に響いてくるものはあまりなく物足りない。きっと、作者はこういう絵柄世界が好きで、それを描いているのだろうということは、もちろんわかるが、作者と異なる感性の人をも作品に引き込むだけの力があるかとなると、ちょっと心もとない。


● 町田久美

今回の展覧会で、伝統的な日本画からもっとも遠くに位置する。日本画というよりイラストに近い。赤ちゃんや子どもや誰かよくわからない人や何かよくわからないものなど、くっきりとした一本線で描いてある。一見カワイイ感じに見えるけれど、電車のつり革を握る手とつり革が融合していたり、ポケットに入れた手がやはり服と同化していたり、ちょっと風刺を込めたとも見える“毒”がちりばめられてあり、不条理な印象がある。榎本俊二のマンガとひじょうによく似ていて、ひとコマ画とでも呼びたくなる。


● 松井冬子

最近、注目度の高い新鋭である。幽霊や狂気をテーマに闇が支配するような作品が特徴。腸がまろび出た胴体、頭蓋骨が割れ、脳ミソがむきだしになった頭部などが臆面なく描かれる。しかし、その闇は洗練されており、題材とは裏腹におしゃれな感すらある。ただ、闇の世界や狂気を表現するのに、そうしたもので説明するのはわざとらしい印象が残る。あるいは、わざわざグロいものを描くところに露悪趣味も感じないでもなかった。いずれにせよ、ほんとうの狂気とは、こんなもんじゃないだろうな、とは思った。人気が出そうな気はするが。


● 三瀬夏之介

大きな和紙の支持体に金箔や墨、胡粉で抽象的な作者のイメージ世界が展開される。ゴージャスとアンニュイ、洗練と頽廃が混在している。ただ、作品を通して作者が見る者に何を伝えたかったかは、よくわからなかった。


● 吉田有紀

暗い背景に、光がぐるぐると何重も輪を描いて走り抜けているような図柄が描かれる。かなりの大きさ。しかし、それが何を示すのかわからない。わかるわからないではなく、何かを感じるかというと、それもあまり伝わってこなかった。


総じて、それぞれ自分の気に入ったモチーフや自分の好きな表現を描いているが、ただ描いているだけなので、限りなく独りよがりに近い結果にとどまっている。そのため、作品のなかに第三者が共有できる要素が乏しく、共感しようと思っても共感することができない。こうした事情は、どの作者も形而上・哲学的な部分の掘り下げが不足していることに起因する気がする。同時開催で、ポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリーの現代美術展が行なわれていたが、そこではジェンダー問題とか国情とか人間普遍の悩みとか、作者以外の人間でも考えたり感じたりするテーマが底流としてひそんでいるものが多く、それだけ見るほうも引き込まれるのが対照的だった。それからついでに、本展のタイトル「『日本画』から/『日本画』へ」も、意味がよくわからなかった。

(2/6)