| 陶芸で彫刻するという意味で「陶彫」という言い方をしていたのが松下龍介氏。作品は、画像のようなサボテンなどに題材をとった陶芸品である。トゲが強調され、いくぶんカワイイっぽく(?)処理されている。キャラクター的に記号化されているとでもいえようか。色は、画像のグレーのほか、黄色や青色のものも。いずれも、彩度の高い均一の色で彩色されている。
キャラクター的記号化、均一の彩色によって、ハンドクラフト作品なのに、どこか規格品的なニュアンスが醸し出される。もちろん、それが作家の狙いではある。松下氏が意識しているかどうかは不明ながら、こうした傾向は、最近の若手作家によくみられる、一種の流行である。手づくりなのに、機械でつくられたような風合いを表現する。お店の展示などのコマーシャルベースに乗りやすそう。奈良美智氏の立体作品などが、火付け役となったのだろうか。
しかし、規格品的ニュアンスは、完成度は感じさせる反面、“力弱さ”をもたらすこともある。人間心理として、ハンドクラフトのあいまいさが排除され、工業品のような枠にはまったものには、秩序や調和は感じるものの、枠を破る力強さや予定調和を超えたプラスアルファは感じにくいからだ。そのため、こうした規格品的作品の場合、造形自体に相当インパクトのあるものでなければ、他者と似たような印象のレベルにとどまり、なかなか突き抜けることができなくなる。そして、この松下氏の作品についても、まさにそのことを感じた。あるレベルに達しているとは思うものの、もう一つ、図抜けないのである。まとまり過ぎているといってもいいかもしれない。
会場にいた松下氏本人に感想を伝えたところ(もちろん、言い方は配慮して)、「う〜ん、実は自分でもうすうす気になっていたところなんですよ。ズバッと指摘された感じですねえ。やっぱりなあ。うん。でも、いってもらってよかったです」と答えてくれた。作家本人も留保していた“弱点”だったようだ。陶芸でこうした造形物を制作するのは、なかなか大変だろうと思う。ハンドクラフト的な“規格外”のものが出てはいけないのだから、わずかな破綻も許されない。その困難さが、作品の造形ゆえに必ずしも鑑賞者に伝わりにくいのはちょっと皮肉であり、気の毒な感じもしないではない。
そういいながら、本展をあえてここで取り上げたのは、上記の「規格品的トレンド」に触れるよい機会だったことに加えて、作家本人が魅力的だったからでもある。何よりも、まともにコミュニケーションが取れたのがよかった。作家と話をしていて、ときどき、困惑するときがある。何をいっているのかわからないことを延々と一方的にしゃべり続けたり、質問しても、まったく意思が通じなかったりして、ヘコむときがあるのである(意外と若手のほうが多い)。だが、松下氏はそうしたことはまったくなかった。
アーティストは創造者なのだから、奇人変人的でも(のほうが?)よいといった了解事項があるかのように、作家も周囲も誤解していることはないだろうか。それは違う。ちょっと変わっている人は作品がすばらしいというのは、話としては面白いのだが、私の拙い経験からしても、人間性と作品のよしあしにはあまり因果関係は感じられない。むしろ、常識をそなえた人が、とてもすぐれた制作をするケースのほうが多い気がする。だから、(とくに若手作家には)変にクリエイターぶって、奇をてらうようなことはしてもらいたくない。どうもポーズで振る舞っているらしい人と出会うと気が重くなる。作家といえども、一人の社会人なのだという認識をもってもらいたいものである。
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