国吉康雄展

岡山県立美術館

3.10〜5.7

★★★☆

 

 

国吉康雄の展覧会がどうして岡山で開催されるのかなと思ったが、国吉は岡山市出身とのこと。なるほど、故郷の作家の回顧展というわけである。本展は、巡回展ではなく、岡山県立美術館が自ら主催するもので、資料を含めると400点を越える大ボリューム! 国内の主だった作品は集められたそうで、よくこれだけの展覧会に仕立て上げたものだと、美術館側の心意気を感じさせる迫力があった。もっとも、国吉自身は岡山出身とはいえ、画業人生のほとんどをアメリカで過ごしている。むしろ故郷には微妙な違和感を覚えていたふしもあり、こうしてふるさとの美術館で大規模な展覧会が催されることに草葉の陰でどんな感慨を抱いているだろうか。


国吉康雄の絵は、個人的には正直なところ、それほど好きではない。しかし、そういう好き嫌いを越えて、本展には好印象を抱いた。まずは上記のように、地方美術館であっても、借り物の展覧会ではなく、オリジナルで内容の濃い企画をつくろうという気概が感じられたこと。これは、いうは易し、されど行なうは難しの類であり、果敢に挑む当美術館の姿勢は高く評価したい。こうしたことは一朝一夕にできるわけでもなく、岡山県立美術館については以前から“やる気のある美術館”として好印象をもっていた。今回はそれが如実に現われた気がする。


次に、展覧会の構成がよかった。基本的には編年形式を取りながらも、テーマ別にコーナー分けがなされてあるという、時間とテーマがハイブリッドされた方法論が採られていた。にもかかわらず無理や破綻は感じなかったので、時間の経過とともに画家の作風がどう変わっていったかがよくわかり、かつ、どのようなテーマに関心を抱いていたかも理解できるという、大変見やすい展示になっていたかと思う。たまたま国吉は、そのような展示がしやすい作家だったのかもしれないが、うまくつくり上げるのには担当者のご苦労があったのではないだろうか。


それから、展覧会を演出する工夫である。作品に出てくるキャラクター(カーテンを引く子ども)を活かした案内板は、ちょっとしたことかもしれないが会場の雰囲気を和らげてくれる。なるほどと思ったのは、出口のところで“お誘いハガキ”を募っていたこと。よかったと思ったら、友だちや知人に本展を紹介するハガキを書いてください、という趣旨で、その場でハガキを書いてボックスに入れておけば、美術館側が切手を貼って投函してくれる仕掛けだ。もちろんハガキは準備されている。利用者は音信を温められると同時に、美術館の宣伝にもなる、なかなかのアイデアである。


さてさて、肝心の作品のほうだが、やはり全体に暗い印象である。戦前にアジアの異邦人がアメリカ社会で暮らす困難さを映し出すように、どうしてこのような暗い色合いを選ぶんだろうと思うほど、くすんだ茶色と緑が多用されている。輪郭線は揺らぎ、デッサンも意図的に微妙に歪められた結果、常に不安定な印象である。藤田嗣治の絵を暗く着色したような感じである。人の顔が描いてある場合も、ほとんど例外なく眼窩が炭でもこすりつけたように黒くくすぶっており、重いアンニュイが漂う。


ところが、説明によると、国吉のこうした画風が当時のアメリカでは人気を博したのだという。世界恐慌が襲った時代で、疲弊しきった人々にとっては、国吉の絵は自分たちと同じ境遇の人間の存在に触れられる、共感できるものだったようだ。太平洋戦争に突入すると、アメリカ側に立った国威発揚の絵も描いている。「敵を踏み潰せ!」といった絵柄の「敵」が日の丸を掲げていたりする。このあたり、アメリカ民主主義の信奉者だったといいつつ、板ばさみの身の本心はどのようなものだったのだろうか。


そんな国吉の画風も、最晩年にいたると急に明るさを得る。鮮烈といってもいい赤が使われるようになり、ポップな印象さえある。絵具の塗り方はパステルのようで、戯画的でもある。しかし、国吉の生活は、作風ほどには明るいものとなったわけではなかったようなので、変化の理由はよくわからない。この時期はピエロをよく描いていたそうで、ピエロの仮面の下に何かを嘲笑する、あるいは諦念の笑みを浮かべるようなほんとうの顔が隠されているところに国吉の心情が垣間見られる気がする。

(3/23)