| 毎年、この時期に実施されている作品展。美術学部の全学生と大学院美術研究科の修士課程1・2回生全員の出品となっている。つまり、学生たちにとっては年に一度の晴れ舞台。そのためか、会場は大変賑やか。当の学生たちのみならず、家族や一般市民、ギャラリー経営者とおぼしき人たちまで大勢きている。いわば、学芸会の大学版である。
しかし、と残念ながら、続く文章は逆説の接続詞から始めねばならない。「不定期ダイアリー」で「市立芸大には期待できる」と書いたのに、訂正しないといけないかもしれない。全体にレベルが低い。もちろん、これからスタートという人たちに、いきなりプロレベルを求めるのは酷というものだろう。でも、それを差し引いても納得がいかない。厳しい入試を突破し、高い授業料を支払っているはずなのに(払っているのは親か?)、彼らには総じて、ほんとうに何かをクリエイトし、世に問おうと願っている姿勢は感じられない。
とくに油絵部門がひどい。とにもかくにも技術がつたなすぎる。技術的にヘタでも魂がこもっていればまだしも、そう思えるものもない。「自分はこれを描きたいんだ!」と思って描いているかどうか、大きな疑問がある。油絵部門では、ただの1点も心を動かされる作品とは出合えなかった。美大生を取り巻く情況で、関係者を嘆かせるのは、「いま、彼らにとって最大の関心事は自分の創作ではなく、バイトなんです。バイトが最優先で、作品づくりはバイトの合間の空き時間にやっているだけです」といった話で、実際の作品を見てみると、うなずかざるを得ない。
もう一つ問題を感じたのは、有名な作家をコピーする学生が多いこと。伊藤存ふう、宮島達男ふう、ポロックふう、ラウシェンバーグふう、などなど。あぜんとしたのは川内倫子ふうの写真作品。「ふう」などといったレベルではなく、コピーそのものである。よく何の恥ずかしげもなく、自分の作品でございと提出できるもんだと神経を疑ってしまう。これは、レベルうんぬん以前に、創作というものと向き合う基本姿勢の問題である。また、教師側もこんな姿勢を容認しているのは、責任を問われるのではないか?
と、はっきりいって、惨憺たるありさまだったといわなくてはならないのだが、それでも立体系や版画部門にはすぐれたものが、わずかながらも、あったと思う。以下、印象に残ったものについて触れておきたい。
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永田一由 「秋ナスCZ」(陶芸部門) ★★★★
真っ黒な整理棚のようなものに、白い小さな陶の造形物がズラッと一段ずつ規則正しく並べられている。陶の造形物はアニメーションのように少しずつフォルムを変えている。右から左への変化なのか、左から右へなのかはわからなかったが、いずれにせよ、連続性がある。そういう段が全部で10ぐらいもあっただろうか。そして、棚の真ん中には小さな画面が設けられており、そこには棚に並べられている造形物が変化していく様子がCGで流されている。
黒い棚と白い造形物の対照が鮮やかで、洗練されたイメージを生み出していた。明らかに、何らかの作者の考えが盛り込まれているのだが、それが何かはよくわからない。受け取る人によって、かなり異なってくるだろう。作品名は「秋ナスCZ」とあったが、その意味も不明。そのように作家のメッセージは必ずしも理解できなかったのだが、作品づくりにかけた時間と労力は容易に想像できるし、できあがった作品も完成度が高いと思った。
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徳井 鈴 「ハナシテ!!」(彫刻部門) ★★★★
ステンレスの細長い6〜7mはありそうな一種のプラットホームの上に椅子が二つ向かい合わせておいてある。一つは前後に動くようになっており、さらに椅子と椅子の距離も測定できるようになっていて、座った人間同士の“近しさ”を物理的に明示できるかのよう。見えないものを顕在化し、データ化までしてしまおうというのだろうか。作者の問題意識がどこにあるかもうかがえるようで、この着想は興味深い。
椅子はよく見れば、固定されたほうは背が反り返り、可動式のほうは前屈している。だから座った人間の姿勢は、固定椅子に座った人物は胸を反らすことになり、他方に座った人間は強制的に上体を屈するスタイルになる。つまり、威張りくさった人物の前でヘコヘコしている人がいる、という図になるようになっている。そして、その二人の距離を測って数字で示してやろうというのだから、強烈なアイロニーではある。作者の遊び心も感じられる、とてもおもしろい作品だと考えたい。
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畑 昂太 「一角」(彫刻部門) ★★★☆
どちらかといえば、オーソドックスな作品づくりを目指している人のよう。したがって、基本的には造形による彫像表現で勝負しようとしている。今日のように、さまざまなツールがあふれ、電子的なアイテムや光、あるいは音をも作品に詰め込んで多様な表現を探る人が多いなかでは、むしろ素っ気ないくらいである。そのため、地味に感じられて損をしがちかもしれない。
しかし、畑氏の作品には引きつけられた。美しいとかではなく、得体の知れない不気味さがある。「一角」というタイトル通り、頭が一本の角になった人間(?)が座って、じっと何事かを考えている。あるいは、何かを待っているのか。動きはまったくないのだが、次に必ず何かが起こりそうで、胸騒ぎがする。いったい、こいつは何なのだ?と、引っかかってしょうがない。イマジネーションの独自性と、それをかたちにまでもっていった技術を評価したい。ただ、もしかしたら、岩明均氏の『寄生獣』の着想から援用しているかもしれないと感じたのは気にはなったが。
なお、かなり手厳しい意見を述べたが、念のためにいっておくと、こうした問題は当学だけの話ではない。他の美大も多かれ少なかれ、同様である。むしろ、まだマシかもしれないとも思えることも断っておきたい。
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