写真はものの見方を
どのように変えてきたか
1 「誕生」
東京都写真美術館

4.2〜5.22

★★★☆
 

 

本展は4部構成の第1弾。写真というものが発明されて以来、果たしてきた役割を多角的に検証するシリーズで、この「誕生」から始まって、「創造」「再生」「混沌」が予定されている。「誕生」では写真黎明期のありさまが見られる内容になっていた。


最初の実用化された写真は、「ダゲレオタイプ」といわれるものだそうだ。1839年、フランスで発表されている。銀板あるいは銅板に感光物質を蒸着し、光が当たった部分に化学反応によって像を浮き出させるしくみである。実際にダゲレオタイプの写真を見たが、最古の写真というイメージよりは、はるかに画像が鮮明。建物を写したものでは、壁の装飾模様や窓枠の細い線まで精密に捉えており、意外な高性能にちょっとビックリ。銀板または銅板の上に描出される画像なので、背景が実にきらびやか! 必ずしもそれを意図したものではないだろうが、現代アートのような、華麗な美的画像となっていた。さぞや当時の人々を驚嘆させたことだろう。


ほとんど同時期、1841年、イギリスではカロタイプという方式が出回る。ダゲレオタイプとの決定的な違いは、カロタイプはいわゆるネガ・ポジプロセスを採用した点。現代のフィルム写真と原理的には同じく、1枚のネガから何枚もポジ写真を転写することができるようになり、写真の可能性は飛躍的に高まった。けれども、カロタイプのネガは紙でできていたため、画像は粗く、解像度ではダゲレオタイプをはるかに下回った。展示の肖像写真や風景写真を見ても、ザラザラのスケッチみたいな感じで、画像を見る限りは逆戻りしてしまった印象を受けた。


1849年になると、コロジオン湿板方式というものが生み出される。これは感光板にガラスを用いた方法で、感光板が紙だったカロタイプの欠点を一掃、ダゲレオタイプに匹敵する鮮明な画像を得ることが可能となった。しかも、ネガ・ポジプロセスなので複写も自在ということで、コロジオン湿板方式の登場によってダゲレオタイプもカロタイプも駆逐されたとのこと。そりゃ、そうなるだろうなと思った。このあたり、何となくデジカメが猛威を奮っている昨今の写真事情に通じるものがあるような気も。


といった具合で、本展では作品鑑賞というよりは、お勉強的色彩が強く、美術展というより博物展的印象が強かった。しかし、それはつまらなかったという意味ではない。ダゲレオタイプやカロタイプの写真の実物、それもけっこうな点数を見る機会などなかなかないし、それによって当時、いかに絵画が大きな衝撃を受けたかがリアルに感じられた。どんな名手よりも精緻に正確に現実を写し取ることができる写真の登場によって、なるほど絵画はただ現実を写し取るだけではレーゾンデートル(存在意義)が問われるようになるのは当たり前と実感。その結果、絵画は写生にとどまらない可能性を模索せざるを得なくなったのだから、もし写真がなかったら、その後の絵画の発展もなかっただろう。


また、当初は肖像や風景をただ「記録」するばかりだったのが、早くも1850年代には写真という新技術を使った「作品制作」が行なわれるようになっていたのも興味深かった。人間の創造性の豊かさは本質的に備わっているようにさえ思えた。


本展での個人的ないちばんの収穫は、「進歩」とは、一見愚かに見える試みの積み重ねによってもたらされるものだと改めて理解、確認できたこと。たとえば、モノクロ画像しか得られなかった時代、人々はあとで色をつけて楽しんでいた。そのこと自体は稚拙といえば稚拙だが、そうした「天然色への試行錯誤」がついにはフルカラー写真を実現し、いまやデジタル技術によって自在の色彩を得られるまでになっているのだから侮れない。どうやら最初の一歩は、いつも馬鹿馬鹿しく見えるものらしい。


写真に関心がある人にはおすすめのシリーズ企画になりそうな予感。それから、併催の「超ヴィジュアル展」では、型は異なるけれども、フェルメールも使った「カメラ・オブスクーラ」の実物が展示してあり、自由にのぞけるようになっていた。ほう、フェルメールはこんなふうにして風景を見て研究していたのかと思うと、それもまた一興なり。

 

(5/15)

<今後の予定>

●2 「創造」 ―― 5月28日〜7月18日
●3 「再生」 ―― 7月23日〜9月11日
●4 「混沌」 ―― 9月17日〜11月6日