●「日比野克彦──ある時代の資料としての作品たち」展
● 2002.1.14
● 神戸ファッション美術館


ベネチアビエンナーレの日本館のプロデュースを一任されたりするなど、高く評価されている日比野克彦氏。その歩んできた道を改めて振り返る回顧展だったのだが……。どうしたことか、どの作品と向き合っても、ほとんど何も感じられなかった。何も伝わってこない。だから、「よかった」と言えないのはもちろんだが、「つまらなかった」とも言えない気分。嫌悪感や失望さえ感じなかったのだから、自分の中に確たる評価が生まれない。こういう経験も珍しいかも。

 

段ボールのオブジェを前にして「たぶん、これは『面白い!』と感じるところなんだろうな」とは思っても、カルダーのような面白さは感じない。奔放を意図したと思われる絵を前に「『これは自由だなあ』と感じるところなんだろうな」とは思っても、ミロのような自由さは感じない。カラフルな作品を前にしてさえ、なぜか「カラフルだなあ!」とは思えなかった(ホントに不思議なことに)。ほとんど何の感覚、メッセージも受け取ることができなかった。

 

一般的にはきわめて評価が高いし、人気もあるのだから、自分が日比野氏のアーティスティックな才能を理解していないということになるのだろうけれど、自分の本心に忠実になるならば、まったく心が反応しなかったと言うしかない。ただ目の前を作品という情報が通り過ぎていっただけだった。あえて言えば、「日比野克彦というアーティストは、こういう作品をつくってきた人」ということがわかったのが収穫と言えば収穫となる。

 

今回の展覧会を見て、どうして日比野氏がこれほど高く評価されるのか、改めて疑問のほうが増大してしまった。正直言って自分の目には、せいぜい美大生の卒業制作程度にしか映らない。美術館側は「段ボールを使う、日比野さん独特のユニークな制作方法で……」と言っていたが、段ボールなどラウシェンバーグらがとうの昔に使った手法で、とくにオリジナリティに満ちているとは言えない。作品に込められているらしいメッセージも、不明もしくは表層的。では遊び心の表現かと思っても、物足りない。技術的にも特段のものはないように見えたし、技術うんぬんを突き抜けた“何か”も感じられない。おそらく、きわめて多いであろう日比野ファンにはケンカを売ることになるのだろうが、僕には創作者としての日比野氏の力量は、ちまたで言われるほどのものとは思えない。

 

むしろ、美術評論家としての日比野氏のほうがわかる気がする。TVなどで他者の評論をしているのを見聞していると、「なるほど」と思うことが多いし、言われないと気づかない視点を提示してもくれる。僕は、日比野氏を評論家として評価したいというのが本音である。

 

なお、美術館側が行なっていたガイドツアーは、その意図はいいと思ったが、「このシリーズは、○○年に制作されたもので、当時の展覧会ではユニークな題がつけられました」などと、あまりにも表層的な説明だったのが残念だった。もう少し、作品自体を鑑賞するためのヒント、解釈の一端を開陳してもらいたかった。