●浜口陽三展
● 2002.10.20
● 国立国際美術館

★★★★★

久々に心が熱くなる「見る感動」を覚えた展覧会だった。文句なしに「★★★★★」のフルマークをつけたい。私は、すぐれた作品とは「心を揺さぶってくれるもの」というモノサシをもって鑑賞するようにしているが、本展ではまさに心が揺さぶられっぱなしであった。ここまで深い詠嘆を得たのは、ほんとうに久しぶり。これぞ本物、これぞ美術だと、強烈にインスパイアされた。見終わったあとは、急にグッタリと疲労が襲ってきて、まっすぐ歩けないほど。それだけ作品群に引き込まれていたのだと思う。まるで、プラドかオルセーにでも行ったような高揚を体験した。


浜口陽三(1909〜2000)は、主にパリで活躍した版画家。かの地での評価は高く、日本でよりも世界においてのほうが、その名を知られた美術家と言ってもいいだろう。「メゾチント」という17世紀に開発された版画法を復刻させ、さらに「カラーメゾチント」という独自の彩色をほどこした新しい表現を生み出した。メゾチントについての詳しい説明はほかに譲るが、独自の味わいのある版画である。長谷川潔なども同じ方法の版画を制作しているので、それとは気づかないまでも目にしている人は意外に多いのではないだろうか。


メゾチント作品の魅力は、何と言ってもその風合いにある。きわめて細かく引かれた直線によってできる、きわめて細かい格子状の紋様が地となるので、刷り上がった作品には布地のような木目細かな地模様が現われる。それが一種のマチエール感を生み出し、独特のあたたかみを与える。そうした地の上に、作家はモチーフを描いていくことになる。浜口氏は、身近な題材を好んで描いた。ブドウ、ザクロ、サクランボ、魚、レモン、スイカ、あるいはパリの屋根の連なりなど。子どもが描いたような素朴さと、練達のアーティストならではの洗練さが同居した画風で、見る者の心に穏やかなものが満ちてくる。いわさきちひろのやさしさと東山魁夷の静けさ、そしてモンドリアンの明晰さを兼ね備えている。


色調は、かなり深い。青というより濃紺から紺紫、黒に近い地色が多く、そこに緑のブドウや赤紫のサクランボなどのモチーフが置かれる。もっとも頻繁に使われているカラーリングは、濃紺と緑のアンサンブルで、深くて濃いながらもサッパリした印象を受ける。とても半世紀前の作品とは思えないみずみずしさだ。ときには、モチーフのほうもかなり深い色で表現されるため、一見、真っ暗な画面に見えるものの、よく眺めれば、インクの暗い海の中に、ほのかにブドウや魚やウサギなどが浮き上がってくるのである。それがきわめて静謐な雰囲気をつくり出し、鑑賞者の心に深くしみこんでくる。


静けさの力は、見る者にも伝播する。会場は、いつもにもまして静寂。誰一人しゃべることをせず、ひたすら作品に見入っている。しかもその静寂は、決して他から強制されたものではなく、一人ひとりが作品世界に没入した結果、あるいは作品との対話に没入した結果、息さえもひそめるような静かな空気が醸し出されているのである。驚異的な異化作用と言えよう。そのように浜口作品の世界は無音の世界であり、動くもの一つ見出せない。しかし、そこは決して死の世界ではない。生命感にあふれ、幸福な心持ちが息づいているのである。また、まったき静寂でありながら、あたたかみがあり、真っ暗な画面なのに光もある宇宙なのである。


今回の展覧会では、1950年代から70年代にかけて制作されたものが中心であったが、70年代前半の作品シリーズだけ、私には「?」だった。当時席巻したと思われるモダンアートの影響を受けたのか、モチーフがポップで単純なイラストのように記号化し、浜口作品独特の味わいを失っていった。色彩的にも黄色と赤色を組み合わせるなど、“らしく”ない。ウォーホルやジャスパー・ジョーンズらの影響か。しかし、そうした傾向には、作者自身も疑問を抱いたのか、70年代後半になると元の作風に戻り、ポップさは姿を消す。思わず、「ほっ」と安堵を覚えた。


美術作品に対する最大の賛辞は、「これが、ほしい」という気持ちだと私は考えるが、浜口氏のメゾチントは、ほんとうに「ほしい!」と思わないではいられなかった。「いいなあ」をはるかに超えて、ひたすら「ほしい!」との気持ちが、我知らず湧き起こってき、それを抑えるのに苦労しながら会場をあとにした。

 

●国立国際美術館の紹介ページ
http://www.nmao.go.jp/tj/1404.html