| 本論に入る前にちょっと言っておきたいことがある。京都市民なのにこういうことを書くといけないのかもしれないが、……いやそうじゃないか。京都市民だから言うべきか(税金払っているもんね)。はっきり言って、京都芸術センターの個展や展覧会で面白いなと思ったものは、ほとんどない。担当者が真剣に「これをしたい!」と思い入れを込めて企画していると感じられないものが多すぎるからだ。また、センターの運営のしかたにも、いろいろと文句がある。疑問だらけで、「よく頑張っているなあ」とはとても思えない。
ひと口に芸術振興・芸術啓発活動と言っても、実はさまざまな分野がある。が、えてして日本では「創作」にばかりに目が向きがちで、「鑑賞」のための活動が手薄になりがちと言われている。京都芸術センターもそうで、クラフトや演劇などの創作活動にセンターのハードとソフトの相当部分が費やされている。それに比べると、「鑑賞」のための活動ボリュームはかなり小さなものにとどまっている(さらに美術に限定すると、ボリュームはもっと小さくなる)。しかし、人口比から言えば、「創作」すなわち「やる人」よりも、「鑑賞」すなわち「見る人」のほうが圧倒的に多い。だから、本来ならば、「見る」ための活動がもっともっとなされなければおかしいのだ。このあたり、ヨーロッパやアメリカはさすがで、一般に「見る」ための啓発活動がかなり分厚く展開されている。
京都芸術センターに関しては、「いつも何かやっているようだけれど、何をやっているのかよくわからない」という声をよく聞くのは、まさにここに原因があると私は思う。いまの活動のしかたでピンとくるのは「やる人」だけで、「見る人」は自分が関われそうなのは小さな二つのギャラリーで細々と催される個展か、せいぜい月に1度くらいの展覧会ツアーに限られるので、上記のような印象となってしまうものと思われる。クラフトや演劇などの活動が悪いと言うつもりはないが、要はいまのままではバランスが悪すぎるのだ。結果的に、一部の人だけが頻繁に使用し、サービスを享受するかたちとなっている気がしてしかたがない(私に運営させてもらいたいくらいだ)。
細かいところで言えば、中庭(元校庭)に「入らないでください」という看板を立て、ふだんは中庭をオフリミットにしているが、何も疑問を感じないのだろうか。もったいなさすぎる。あのような一部の人がたまにしか使っていないテニスコートなんかにせず(注:京都芸術センターは昔の学校をリユースしています。元校庭は、芸術センターなのに、なぜかテニスコートになっています)、「芸術センター」なのだから、たとえば野外インスタレーションの場とするなり、イベントスペースとするなり、何となくそこで誰もがなごめるところとするなり、いくらでもやりようがあるのではないか。四条烏丸という場所柄における、公的施設のあれだけの土地の有効活用法とは、私にはとても思えない。これで、“国際文化観光都市KYOTO”の「芸術センター」などとよく言えたものだというのが率直な感想である。水戸市などのほうが、よほど頑張っている(というか、もはや比較にならない)。
──と、日ごろから不満がたまっているので、ここの催し物にはほとんど期待していない。見るだけは見ているのだが、「どうせ……」という気持ちが先に立ってしまうのだ。ところが、今回の「新人賞受賞作家展」は、よかった。ほとんど、ついで感覚で立ち寄ったが、「ほう!」と思った。3人の新進作家が紹介されていたが、3人が3人とも見応えがあった。猪熊佳子、今井眞正、鳥羽美花の3氏である。
猪熊佳子氏は日本画。清冽な印象の風景画で、森の中や川の流れなどがやさしく描かれている。かなりの大作なので、やさしいけれども迫力がある。色彩は緑系統で統一されているので、“整っている”感じも受ける。川の流れが薄い白色で1本ずつとても細くていねいに描かれ、繊細でみずみずしい。流れの下の様子もきちんと描かれているので、透明感があふれる。静かで、明るく、生命の輝きに満ちた佳作だ。
今井眞正氏は陶芸作品を展示する。エジプトで出土したような、大きな縦長のツボのようなオブジェの頭部に人間の顔や動物の顔がくっつけられているのが面白い。オレンジと茶色を混ぜ合わせたような艶のある褐色の色あい。顔は動物も人間も、どれも目をまんまるく見開いて快活な表情。イキイキとしている。どうしてツボ型の上に顔なのかはよくわからないが、とにかく活気と元気が伝わってきて気持ちよい。ハンドクラフトだが、きちんとつくられているため規格品的な印象もある。いまの流行り系である。
最後の鳥羽美花氏は染織だが、とてもそうとは思えない作品。最初は油彩かと思って見ていた。かなりの大きさで、タテ2m×ヨコ3〜4mほどもありそう。絵柄は切り絵か版画みたいに街並みや港の風景をメリハリを利かせて描く。影絵のようでもある。強烈な印象をもたらすのは色彩。強いオレンジ、黒などがためらいなく色面をつくる。まるでロックンロールががなり立てられているようなイメージだ。ジャンルを表わす「染織」という言葉に違和感があるほど、新境地を開いている。
見応えのある個性がそろって、いい個展だと感じたので★★★★をつけられると思った。が、よく考えれば、いい個展になったのはあくまでも作品がよかったからで、企画自体は毎年やっている新人賞展を繰り返しているだけ。芸術センター側の創造的な企画といったわけではないことに気づいた。やはり京都芸術センターには一ふん張りも二ふん張りもしてもらわないといけない。センターの運営には★★しかつけられない。
文句の言いついでに触れておくと、配布されていたパンフの解説文も、もうちょっと何とかならないだろうか。最初の部分を紹介すると、
「伝統と革新──芸術論の領域ではよくこのテーマが登場する。一見、対立するように見えるこの両極的概念は、実は本来、芸術それ自体が内包する根源的な創造作用の両面なのではあるまいか。過去から未来へと発展する芸術の『今』・現在には、作用と反作用のように、この異時代的・異次元的な、創造に関する動力因(カウサ・エフィキエンス)がいつも共存しているのではなかろうか。……」
京都市美術館館長、上平貢氏が執筆しているが、すごくわかりにくい。もっと平易な文章にできるはずだ。カウサ・エフィキエンスとか難解な語を用いたりするなど、一般の人が読むための文章だという意識があるのだろうか。ちなみに、執筆者の名誉のために言っておくと、このあとの文章は三人の作品についての解説で、比較的わかりやすく書かれている。そして私の判断では、冒頭のこの部分はなくてもまったく支障なかった(以下の文章では伝統と革新についての考察もなされていないので)。こうしたところ一つをとっても不満が残るのである。
ある人が講演することになり、別の人に助言を求めたところ、「半分は聞いている人がわかるように、あとの半分はわからないように話したほうが、侮られなくていい」と教えてくれた。しかし腑に落ちないその人は、高階秀爾氏にも同じように助言を求めたところ、「誰が聞いてもわかるように話しなさい」と言われたそうだ。もちろん、専門用語などは極力控え、わかりやすい話をして、講演は大好評となった。
京都芸術センターが、真に人々のためのセンターになることを願っている。
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