●榎忠展 MADE IN KOBE
●2002.5.13
●京都精華大学ギャラリーフロール
★
| 久しぶりに飛び出した「★」。作家や関係者には申し訳ないが、正直なところ、こういう評価しかつけられない。というのは、ここで展示されていた作品を通して、いったい作家は何を言いたいのか、肝心なところがまったくわからないからである。 作品のモチーフは、武器。マシンガンを鋳造する黒い鋳型が並べてある。あるものは真っ黒の砂の上に置いてあり、あるものは壁面に沿って立ててある。その様子は、単純にカッコいい。武器が醸し出す独特の鍛え抜かれた雰囲気が漂う。隣のスペースでは、その鋳型から鋳造されたということか、多くのマシンガンが直立状態で2列にきっちりと並べられている。まるで、マシンガンは兵隊のようで、「キリッ」としたムードが部屋に満ち、空気に緊張感がみなぎっている。そのように、展示のインパクト自体は強く、ハードボイルドの世界が鮮烈に演出されている。 しかし問題は、ではこれらの作品は何を訴えているのかという点。展示の説明文には、「榎氏は政治的なメッセージを発信している」とあった。つまり、何らかの「政治的な」主張が込められているというのである。だが、その「政治的なメッセージ」とは、どういう方向性のものなのか。武器を扱っている以上、ふつうに考えるならば平和とか反戦といったメッセージのはずだが、これらの作品からはそうとは受け取ることはできない。むしろ、マシンガンのカッコよさが強調され、戦争のダイナミズムが魅力的に思える仕掛けのようにしか感じられない。これは戦争賛歌のメッセージなのか、とも思ってしまうほどだ(だとしたら、アートはいったい何のために存在するのか)。 あるいは、具体的なメッセージはないのか(ある、と書いてあったが)。それならば、これらの作品は、武器マニア、コンバットマニアのフィギュア並みということになり、私から言わせれば幼稚な代物である。戦争の真の酷さをこれっぽっちも理解していない観念的な武器オタクの世界である。このように、メッセージがあろうとなかろうと、いずれにしても救いがない。戦争の悲惨な実像を訴え続けたロバート・キャパの写真作品と、どちらが“本物”か見比べてみるとよい。結局、榎氏の試みは詰めが甘いのではないか。「こんなことをしたら、目立つぞ!」ぐらいで留まっていて、だから、これらの作品は何を語るのか?と一歩踏み込んで問うと、意味不明の事態になってしまう。以前、全身の体毛を半分だけ剃り、「半刈りでハンガリーへ行く」と言ってハンガリーを訪れたのも、理屈をつけようと思えばいろいろ語れるだろうが、ダジャレ以上のものではない。周囲も評価しすぎである。 こうした個展が美術系大学で催されることについても気になる。巷間、話題のアーティストだからと、ありがたがって企画展を行えば、学生たちは当然「こういうものでいいんだ」と思ってしまうだろう。一般ギャラリーで開催されるより、よほど罪が重い。アーティストにせよ、それをいたずらにほめそやかす大学側にせよ、大いにガッカリさせられた個展であった。 |