| 入場料1000円也を支払って、「損をした」とは思わないが、さりとて、心満たされたかと聞かれれば「YES!」と答えることもできない。いいとも、悪いともつかない、まあまあだったというのでもない。だから、異例ながら、★印の評価をどうにもつけることができない。どうも私には、本展は「よかった」とか「物足りなかった」といった価値尺度には当てはまらないものに感じられた。
展示されていたのは、ヘンリー・ダーガーが描いた絵の数々。絵の展覧会である以上、絵を鑑賞するのがスジなのだが、絵を見れば見るほど、私の関心はもっぱら絵よりも作者ダーガー本人のほうに吸い寄せられていった。ダーガーは、まったき孤独の人だった。家族も友人もなく、「ちょっと変わった人」と見られながら生活し続けた。病院の皿洗い兼掃除夫の仕事で生きていく糧を50年以上にわたって得、その間、社会との接点はミニマム。71歳ごろ、体が動かなくなって生活保護を受けるように。そして、81歳、アパートの一室で死亡。周囲と没交渉の、いわば“大いなる引きこもり”の生涯だった。
ダーガーの死後、アパートの大家が部屋を調べて見つけたのが、長年にわたって、ダーガーが書き続けていた一つの物語とその絵。「非現実の王国で」と名づけられたそのストーリーは、「ヴィヴィアンガールズ」という、いたいけな少女たちが敵と戦い、ときに傷ついたり、犠牲を出したりしながらも、最後には勝利を得るという一大オデッセイ。テキストがタイプライターで1万5145ページ、大判の挿絵が300余点と、驚くべきボリュームだった。その一部が本展の出品物である。現実社会と切り離されたところで生きたダーガーにとっては、全世界そのものだったといっていいだろう。
したがって、絵は、ヴィヴィアンガールズたちの戦いの軌跡である。小さな大勢の少女が登場する。図柄は、ほとんどがパノラマ的なもので、常に多くの少女たちが登場している。1人か2人ぐらいが描かれるということはない。ブリューゲルの『死の勝利』や『源氏物語絵巻』みたいな、客観的な視点による戦いなどの場面を頭に描いてもらえればよい。少女たちは、ときに戦い、ときに殺され、たまに平和なひとときを過ごす。細かく震えるような線のエンピツ描きの少女の姿に、パステル調の水彩で着色してある。「きいちのぬり絵」(ご存じだろうか?)とも似た印象がある。腺病質なものを感じさせる、平面的な絵だ。
不思議なことに、少女たちにはペニスがついている(女性の体を見たことがなかったのか?)。また、大人は悪で、少女たちは決して成熟しない。胸のふくらみもまったくない。ダーガーの中では、大人は敵だったのか。多くの絵になぜか同じディティールが繰り返し現われるのも興味深い。彫像が少女の首を絞める。首を絞められた少女はベロをダラリと出す。殺された少女が張りつけにされる。……一種のパターンのようになっている。ダーガーは幼児期に施設を点々としたが、そのころの原体験と関係があるのだろうか。
少女たちが敵と戦うストーリーだが、少女たちは万能ではない。敗れ、殺されたりもする。その殺され方でショッキングなのが、腹部を切られ、はらわたが飛び出しているさま。腸がまろび出て、凄惨。そんな様子を何度もしつこいくらい描いている。ちょっとシュールでさえある。少女が主人公ながら夢見るような世界ではなく、淡々とした感じで、残虐なシーンが次々に展開する。ダーガーは、自分が生み出したこれらの戦いで、敵側の犠牲者何人、少女たちの犠牲者何人といったことまで正確に記録していたという。
ダーガーの絵を目にすると、ダーガーの精神世界とはどういったものだったのか、と考えてしまうばかりで、どうしても「鑑賞」にはならなかった。そのため、最初に書いたような状態となってしまう。通常の展覧会とは、相当異なるメカニズムが作用しているように思えた。
そこで気になったのが、展覧会自体のあり方。まず、これは「R指定」ではないのか、という点。私は、美術であれば、何でもOK、大人も子どもも見てよいとは思わない。映画という芸術に「R指定」があるのと同じ理由で、美術も内容によっては「R指定」がなされるべきと考える。美術だけ特別扱いを求めるのは傲慢以外の何ものでもないし、それは表現の自由の侵害とはまったく違う。そのあたりを未整理な論旨で、ただただ認めようとしない人が横浜トリエンナーレのときなどに存在したことについては批判しておきたい。最終的には、子どもに視点が置かれなくてはおかしい。ワタリウムは、親子を相手にしたプログラムも展開している美術館なので、子どもの来館が多いと思われ、余計気になった。
もう一つは、故人の意思に反している点。ダーガー本人は、自分の「非現実の王国で」を人に見られるのを嫌がっていたそうである。もちろん、展覧会という形式など論外だろう。つまり、人に見せるためではなく、ひたすら自分のためだけに描いていたのである。そのあたり、どう考えて展覧会開催に漕ぎつけているのか、当然説明があるはずと思っていたが、まったくなかった。ダーガー本人は人に見せるつもりでなかったことも、どこにも示されていなかった。故人とはいえ、本人の意思に反して展覧会を実施し、それでいくばくなりとも売上を得るのだから、アカウンタビリティ(説明責任)に問題ありといわれても仕方ない。見たこちらも共犯者の思いが残ってしまって何とも後味が悪いままである。いまからでも説明してほしい。展覧会後でも。
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