| 「アーキラボ」という展覧会名を見て、最初はアラーキーの写真展かと思ってしまったバカな私。実際は全然違う内容で、建築関係のものである。おそらく「アーキテクチャー(設計思想)」と「ラボラトリー(研究所)」の合成造語だろう(ちょっと、わかりにくい気もするが)。
そもそも、アーキラボとは、フランスのオルレアン市で1991年ごろから毎年開催されている建築の一大イベントだそうで、さまざまな建築の発表・研究・交流の場となっていて、建築界では著名な存在という。その本場のアーキラボのコレクションをそっくり日本にもってきたのが本展で、いうまでもなく本邦初公開である。
出品作品は、小さなものも入れると、約500点という膨大な数で、そのほとんどは建築模型と図面である。本展が守備範囲としているのは1950年から現代までなので、だいたい第2次世界大戦後がカバーされていると考えてよいようだ。会場は、4つのエリアというかカテゴリーに区分けされている。「1 脈動する都市――実験室としての身体」「2 終わりなき都市――拡張する環境」「3 解体される都市――新しいシンタックスの創造」そして「4 文脈化する都市――新技術と共生の時代」だ。
おおむね時系列に沿った分類で、主催者側は「建築史の新しいかたちを提示したつもり」とも述べている。「1」は1950〜60年代にかけて、生物や自然をヒントに有機的な建築が探究されたトレンド。細胞の重層を思わせる構造の建物や映画『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドたちの村の家みたいな近自然的な家などが見られた。
「2」は、60年代から出現した巨大建築物のカテゴリーである。メガストラクチュアと呼ばれる大スケールの建築は、高度成長の到来とあいまって、文明のきわみを見せるかのように追求された。1970年の大阪万博でのお祭り広場の連続構造体(ああいうのをメタボリズムというそうだ)、沖縄海洋博のアクアポリスなどがここに属する。世界的に成長一辺倒の時代であり、無限の発展をどこまでも疑うことなく信じた様子が見られる。
「3」は、脱建築の時代。オフィスや家としての役割を果たすだけではなく、建築物それ自体がさまざまな主張をするようにならなければいけないということで、機能や効率を無視し、それ自体がアート作品として独立しうるものが提示される。ミニマリズムを受け継ぐような無機質な空間のスーパースタジオとか、壁の一部か崩れたデザインとなっているベスト社社屋、やたら鋭角に尖がっていて、いったいどこに住めというのか問いたくなるような三角形の鉄骨組みの家など、実験的な試みが次々と姿を現わす。
最後の「4」は、デジタル技術の発達などとともに探る建築の現在および未来である。建築物のフォルムはさらに洗練され、コンピュータによる設計支援技術が不可欠となっている。何かに対するアンチではなく、純粋に建築とアートの可能性を限りなく追求しているように見える。山梨フルーツミュージアムのような繊細で透明感あふれるものから、直島の地中美術館みたいなコンセプト優先のものまで、もはや一つのタイプとしてまとめることはできない多様さを見せ、ありとあらゆる方向への進化を感じさせる。
このように本展は、ざっと戦後建築概念史をたどるものとなっていた。しかし――と、見終えて疑問も湧いた。一つは、ここで展示された作品のほとんど(主催者自身の言では「99%以上」)が、実現しなかったものばかりという点(上記で挙げた建築例は、実は数少ない実現したもの)。つまり、いわば机上論に終始しているわけで、私たちの現実との接点がない。たとえば、戦後すぐに生体を手本にした有機的な建築や都市が試行錯誤されていたといわれても、実際に世界の都市がたどった歴史は、そうしたものとは無縁で、よかったのかどうかは別にして、ワールドワイドにモダニズムが席巻した。世界のどこでも、直方体のビル群が建ち並び、鉄とコンクリートの洗礼を浴びた。
また、単純な話だが、図面や模型での展示では限界も感じた。もちろん“実物”を見せることなどできないから、これは建築の展覧会ではしかたのないことなのだろうけれど、模型はどこまでいっても模型ではある。昨年だったか一昨年だったか、ダニエル・リベスキンドのユダヤ美術館の巨大模型が広島で展示されたが、あれほどの大きさでもやっぱり物足りなさは残った。
もし、私たちがよく知っているような建築物や、知らなくても世界各地に実在するユニークな建築がメインで、それらによる“リアル”な戦後建築史が新たな文脈で解題されていたら、あるいは印象も変わったかもしれないが、本展のように、結局はバーチャルで、先鋭的かもしれないが現実にはなり得なかったアイデアばかりが提示されては、いくら「これは貴重な資料で、素晴らしいアイデアがいっぱいなんです」といわれても、正直、どこかしらいま一つ説得力のないものが残るのである。むしろ、現実に対する無力が浮き彫りになるばかりで、マニアックな人たちによる浮世離れの感さえあった。
森美術館としては力の入った企画だと思うが、開館1年でこのような狭い世界の展覧会を「どうだ、ありがたいだろう」式で行なうのは、早くも手詰まりになってきている感なきにしもあらず。もっとほかに、いかようでもできそうな気がするのだが……。
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