21世紀の出会い――共鳴、ここ・から
金沢21世紀美術館

04.10.9〜05.3.21

★★★★★
 

 

いい、いいと評判を聞いていたので期待していたが、想像以上に素晴らしい美術館&展覧会だった。私が美術館に対して常々願っているのは、美術館や展覧会はあくまでも鑑賞者本位であってほしいということ。「そんなの、当たり前じゃん」と感じられるかもしれないが、現実にそうしたポリシーに貫かれている美術館なり展覧会がどれだけあるかと問うと、まだまだ少ないといわなくてはならない。そうした日本の現状にあって、このニューカマーの美術館は見事に期待に応えてくれた。


金沢21世紀美術館は、来訪者に「楽しんでもらう」ことと、「市民とともに」運営していくことを、はっきりと示していた。たとえば、「バキュームパッキング!」という作品。電話ボックスのようなキューブ体の中に人間が入ると、内部の空気が吸い出される。キューブの壁はゴムでできているので、空気がなくなっていくと、ゴムがすぼまってきて、最後は中の人にピッタリと貼り付いてしまう。その様子は、まるで人間がスーパー店頭でパックされて売られている魚や肉になったようで、きわめて面白い。


この作品は、見ていてとにかく文句なしに楽しく、また、来訪者が“素材”となるので、先に挙げた二つの条件を両方とも満たしている。さらに、ただ面白いだけではなく、「人間もしょせんはモノなのだ」と、物体としての人間の本質を示しているとも解釈でき、人間存在の根本的な意味まで、考えようとすれば考えられる。もっとも、そんなに堅苦しく接する必要はないとは思うが。どんなポーズでパックされるかを笑いながら見ているだけで、見知らぬ人であっても、その人の人となりを感じさせ、親しみを抱かせてくれる。
(ただし、自分のカメラでも撮影禁止という紋切り的な対応はどうかと思うが)


「楽しめる」という要素は、とりわけ現代アートにとっては、いま大変重要ではないかと思う。これほど多様な芸術が花開く中にあって、いまだに訳がわからない作品を展示し、難解な説明をしながら、「この作家は大家なんですよ」と一人悦に入っている美術館がある。しかし、そうした、いってみれば、象牙の塔でしか通用しない姿勢では、完全に時代に取り残されるし誰からも顧みられなくなる。残念ながら、昨年リニューアルなった大阪の国立国際美術館などもそのような傾向が見られる美術館で、金沢21世紀美術館が好評を博している状況と比べると(開館わずか4カ月で50万人以上が来館!)、相当置いてけぼりを食ったといわざるを得ない。このままでは国立国際は早晩、閑古鳥が鳴くことになるだろう。


おそらく地元ボランティアだと思われる、館内スタッフの働きっぷりも好ましい。ゲルハルト・リヒターの作品を見ていたら、オジサンスタッフ(失礼!)が笑顔で近づいてこられ、「ご覧になって、何か感じられましたか」と聞かれた。それをきっかけに、しばし談笑することができたが、このような鑑賞者に対する積極的なアプローチは、これまでどの美術館にも見られなかったことである。ヘタをするとうるさく感じてしまいかねないところを、実にうまく接されたので、充実感さえ頂戴することができた。「ホスピタリティ」が備わっているといえるだろう。


美術館のつくりでも、注目に値するものがあった。本美術館には、かなりの面積で「無料ゾーン」が設定されているのだ。おそらく、全体の三分の一程度は、お金を支払わなくても見ることができる。なので、「ちょっとお茶がてら行ってみようか」と気軽に足が向けられるようになっている。さらに、当日であれば再入場自由というのも特筆しておきたい。市民に親しまれ、愛されることを願っている姿勢が端的に表われている。


と、これだけ書いただけでかなりのボリュームになってしまった。よかったと思う作品個別についてもレポートしておきたいが、以下、簡単に。


● 石渡 誠 『バキュームパッキング!』
先ほど↑で述べた通りで、面白さと深さを併せ持つ秀作だと思う。


● オラファー・エリアソン 『反視的状況』
いがいがが付いたステンレスの巨大な卵とでもいうような作品で、中に入ると、まるでカレイドスコープに呑み込まれたような感覚に陥る。宇宙に浮かんでいるようにも。テレビで見て予想したものとは、まったく違う体験を得られた。


● モナ・ハトゥム 『地図』
無数のビー玉を並べて世界地図を描いてある。ビー玉というころがるものを使っているところに、世界の移ろいやすさが暗示される。また、周囲のどこからでも眺められるようになっているため、見慣れた「北が上」以外の見方が自由にでき、世界観の既成概念が打破される。


● カールステン・ヘラー 『自動ドア』
鏡張りの自動ドアが何重にも設置されていて、そこを通り抜けるという体験型作品。一つのドアを過ぎても、同じ自分の姿が次々と現われ、まるで自分がリフレインしているような妙な感じが得られる。そして、ときおりふいに、向こう側からきた人とハチ合わせし、「また自分が出てくる」と何となく予想したイメージが裏切られる。それが面白い。この作品も面白くて、深い。みんな、ニヤリとしながら通り抜けているのが不思議といえば不思議(笑)。


● ゲルハルト・リヒター 『抽象絵画』
大きなグレーのガラス板の作品もあったが、私はこっちのほうがインパクトを受けた。リヒターの狂気ともいいたくなるアーティスティックセンスを感じさせる抽象画で、小品ながら印象強かった。


● ゲルダ・シュタイナー&ユルグ・レンツリンガー 『ブレインフォレスト』
まるで脳神経細胞のネットワークを思わせる細いラインが大きな部屋の空間を縦横に走るインスタレーション。寝転んで見ることができる。金沢市民がつくったオブジェも作品に取り込まれており、これもまた一つの市民参加といえそう。


う〜ん、一つひとつ挙げていったらキリがない!


● 山本 基 『迷宮』
8m×4mという広い床に、白い粉で細かくメイズ(迷路)が描かれた作品。白い粉の正体は塩である。手前ははっきりとしたメイズだが、次第に崩れてゆき、一番向こうは塩の山となる。秩序から無秩序(あるいは無秩序から秩序)へのグラデーションで、現代と原始、文明と自然といったテーマを含んでいるように感じた。そもそも、よくこんなものをつくったもんだと感心した。


● レアンドロ・エルリッヒ 『スイミング・プール』
メディアでもよく紹介されるので、ご存じだろう。一見、変哲のないプールだが、水中に人がいるのでギョッとする。私は、“水中”に入ったとき、まるで自分が半魚人にでもなった気がして、オーバーにいえば人生観の逆転を体験した思いがした。


● アニッシュ・カプーア 『世紀の起源』
薄暗いコンクリート打ちっぱなしの部屋。壁の一面が手前に傾斜した斜面になっていて、そこに大きな縦長の黒い楕円が存在している(まさに「存在している」といった感じ)。しかし、その黒楕円がいったい何なのか、よくわからない。黒ベタで塗ってあるようにも、ぽっかりと穴が空いているようにも、逆に黒楕円の部分がせり出しているようにも見える。黒楕円とじーっと対峙していると、「神」とか「真理」とかいったイメージが湧いてくる。自分が黒楕円に見据えられているようにも。


● ジェームズ・タレル 『ブルー・プラネット・スカイ』
10m四方ほどの立方体の部屋、天井の一部がスクエアに切り取られ、オープンエアになっている。したがって、開口部からは空が見える。晴れ、曇り、流れる雲、天から落ちてくる雨、昼、夜……と、シチュエーションによってさまざまに展開する。その部屋に座り、ひたすら空を眺めるのは瞑想的な体験だった。


楽しく、知的刺激に満ち、アットハートな雰囲気で居心地のよい金沢21世紀美術館。現代アート系の美術館で鑑賞者の自然な笑顔があふれているのは初めて見た気がする。きっとここは、地元に根付き、オープニング人気が一過性で終わるということはないだろう。最大級の★評価で称えたいと思う。

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