以下の文章は、2000年8月26日、コラム欄に掲載した、「神の国発言と皇室報道」を一部修正したものです。
国民は、天皇、皇室の存在に疑問を持っている
?
5月、森首相の「神の国」発言の時、多くのマスコミは、「国民主権の時代に非常識な発言だ、国民主権の代表の発言としては困ったものだ」などと、森発言を批判した。しかし、いつの間にか、「天皇陛下を軽々しく政治の場に持ち出すとは何事だ」という水準で終わってしまった。さまざまな理由があると思われるが、「神の国」発言には多くの国民が反発した。
その反発の根底には、漠然として明確ではないにしろ、天皇の戦争責任、そして、天皇、皇室の存在そのものに、なんらかの疑問を持っている国民が意外に多いということを物語っているということだろう。マスコミ各社も、あまり問題が発展してはまずいという配慮が働いたのか、戦争責任、過去の戦争の問題にまで進めることはなかった。
マスコミも、普段は、全体主義、国家主義をあおっています
確かに森首相の発言は許せるものではない。しかし、それならば、普段のマスコミの過剰とも思える、「天皇報道」、「皇室に関する報道」はどうなのでしょうか。昨年の、有名人、タレント、全メディアを総動員しての天皇在位10周年の時、そして、今年の妊娠騒動の時、どのような報道をしていたでしょうか。
テレビではたくさんの特別番組が組まれ、「ご学友」、芸能人、ゲストが「秘蔵映像」を見ながら、2時間もワイワイ。実家の前からは、女子アナウンサーが「とうとう、やりましたー」と、全身ふりしぼっての絶叫中継、全国の商店街で祝賀セールをすれば、経済成長が何%アップするとか、みんなで、お祝いしましょうなどと、まるで、「これを喜ばないのは日本国民ではない」と言わんばかりの報道をしていたではありませんか。
発端となった朝日新聞は、どこに向かって、何を謝罪しているのか、「国民みんなの喜びを一刻も早く伝えようと思った」などと謝罪文を掲載していた。それでいながら、普段は、「全体主義」、「国家主義」を主張する国会議員の発言をもっともらしく批判する。
自分達も、日常的に「全体主義」のムードをあおっていながら、「神の国」発言を批判する資格があるのでしょうか。マスコミの力を冷静に考えてもらいたいものだ。マスコミも、戦争中に、自分達の果たした役割を反省して再出発しているはず。普段は、皇室ムードを盛り上げるだけ盛り上げておきながら、「神の国」発言は、けしからんとはよく言えるものです。
「天皇は象徴」ってどんな意味か ?
憲法第一条で「天皇は、日本国、日本国民の象徴である」と規定する。多くの国民は、「天皇は象徴であるから、国民各位は、うやまい、尊重すべし」と言う意味に理解している。それは違います。尊重規定ではありません。
この第一条は、さわらぬ神にたたりなしとして、憲法制定当時から解釈をあやふやにし、はっきりいわないで避けてきた部分で、その為に、誤解している人が多いが、天皇は象徴であるから、あがめ、うやまいなさいという意味ではありません。象徴であるか、ないかではなく、「主権」がどこにあるかを明示した条文です。
なぜ解釈をあやふやにしたのか? あやふやにせざる得なかったといってもいいでしょう。
それは、どのような形であれ、天皇を存続させる正当な理由がなく、その存在を国民主権の原則からは説明できないことを誰もが感じていたからである。戦争責任を考えれば当然である。
戦前は天皇主権、戦後は主権在民、国民主権。「主権は、天皇、あなたではなく、国民にあるんですよ、あなたは、もう主権者ではありませんよ、単なる飾りでしかありませんよ」という意味での、「象徴」だ。
よく、「象徴とは、抽象的で形のないものを具体的に表したものだ、学校の記章みたいなものだ」と説明される。しかし、なぜ天皇が日本国の、日本国民統合の象徴なのか、歯切れよく説明のできる人はいない。記章は学校の象徴、それと同じように、天皇は日本の象徴、「日本の国を表す」という説明には無理がある。
しかも、記章は学生の所属を表したもの。それなら日本国民は、天皇、天皇家に「所属」していることになる。何が日本の象徴としてふさわしいかが議論された結果ではなく、天皇、皇室を残すために採られた結果に過ぎない。
天皇が、日本の、あるいは日本人の「象徴」だから、あるいは、大切だから第一条にあるのではなく、国のあり方を決める旧憲法との大きな違い、最も大事な「主権のありか」を宣言する為に、第一条に置いたと考えるべきだろう。この第一条は、国民に対して発せられたものではなく、主権を有する、国民から天皇に対して宣告した条文と解釈すべきだろう。
「日本人は、古代から天皇をうやまってきた」、というのは、本当か ?
天皇は古代から日本を統治してきた、それをうやまうのは、日本人の心にやどる伝統だという主張も事実と異なる。本当にそうでしょうか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代、農民、民衆が、「天皇陛下の為」といって、ムシロ旗を掲げて騒いだ話、聞いたことがありますか?
7、8歳の「天皇」が、敵方に追われ、生母と逃げる途中、入水自殺している例もあり、そこで途絶えていたはず。今日まで延々と続いている訳がない。農耕社会で、雨ら降らない時に、雨が降るようにお祭りをやって、お祈りしようと号令をかけていた、いわば、「ミコ」さんのような存在。
もちろん、現在のように「世襲制」ではない。
今でいえば、総理大臣の座をめぐり、派閥間で戦いが繰り広げられ、勝った者が総裁、あるいは総理大臣になるが、天皇も同じ。そして、戦いに勝って、「天皇」となった者は功績のあった者を「皇太子」に任命する。戦いに勝ったら、「皇太子」に任命することを約束させて、どちら側につくか決めることになる。天皇と皇太子の間には、今のような親子関係、血縁関係などはない。総理大臣になった者が、指名選挙で功績のあった人を官房長官、大臣に任命するのと同じ。
村山首相の子供が橋本首相で、その子供が小渕首相で、その子供が森首相で「世襲制」で、古代から「総理大臣家」が延々と続いていて、それが日本の伝統で、それをうやまうのは日本人の心に宿る伝統だなんて。そんな乱暴な。「世襲制」は明治以降だけの話。あたかも、古代からそうであったかのようなイメージが作られ、語られている。
また、当時は、現在のような一夫一婦制ではなく一夫多妻の時代(5〜6人の奥さんがいた人もいたようだ)。第一夫人方、第二夫人方、さらにその叔父方、叔母方、それに他の豪族(天皇も豪族だが)が入り乱れての戦いが繰り広げられたのだろう(戦いとはいっても30人〜50人規模、武器も素朴なものだっただろう)。そして勝った者がスメラミコト→大王→天王(この発音から後に、「天皇」といわれるようになったといわれている)になったようだ。
ここで注意しなくてはならないのは、大王、天王(天皇)は一人ではなかったということだ。5〜6世紀ごろ日本は未だ全国統一されてはおらず、九州、関東、吉備、越(日本海側)など、日本各地に天王(天皇)が存在したということだ。上記のような戦いがそれぞれの地方で繰り広げられたということだ。現在の天皇の先祖?が他の地方の天王(天皇)を滅ぼした訳でもなかろう。
こう考えてくると、現在の「天皇家」なるものが、古代から続く「万世一系の家系」というのがいかにまやかしであるかが理解できよう。わざわざ、明治時代に入って、「自分こそは万世一系の天皇である」と宣言しなければならなかったこと自体、「嘘」であることの証であろう。
私がここで問題としたいのは、現在の天皇、皇室とは何者か(税金での扶養も含めて)、そして、彼らを中心にして明治から繰返された民衆の悲惨な歴史はなんだったのか、それをあやふやにしたままの現代はどんな時代であるのかということである。
なぜ、明治時代になってから、天皇制になったのか
?(天皇制になったから、明治時代というのだが)
それでは、なぜ、明治に入って突然なのか ?
江戸時代末期、諸外国を模範に、「王制に基づく近代国家」を作り上げようとした薩長連合が、倒幕が成功したら、どちら側の藩主を「王様」にするか、当時は、まだまだ「藩意識」が強く、話がまとまらず、そこで担ぎ上げたのが、天皇。(当時、日本は大小、170を超える藩に分かれていた)
どちら側の藩主を「王様」にするか話がまとまっていれば、まったく別な日本の近代史があった事になり、私達は、現在、全く違う「思考」の中で生きている事になる。当然、私が、この文章を書いていることもない。
岩倉具視、大久保利通らは急速に天皇制を強めていく。明治天皇は全国を「巡幸」し、民衆の前で、元藩主を自分にひざまづかせ、民衆に「雲の上の人と思っていた見たこともない俺達の殿様より、もっと偉い人がいる」と思わせ、神格化し、「教育」での徹底が始まる。
自分達が「雲の上の人と思っていた殿様より、もっと上の人」、天にいる存在、「現人神」としての天皇が確立する。
天皇史、皇室史は、どこまで本当なのか ?
意図的に作られた「神話」をごちゃ混ぜにして、「歴史書」が作られたのだろう。神話の主人公は、みんな、天皇の先祖
?だ。 それも、天皇を「神」にする為だ。「日本の歴史」の教科書は、天皇と結びつけた「神話」から始まっていた。明治時代になってから創作され、追加された「日本の歴史」、「天皇史」、「皇室史」も多くあるだろう。
国民には「神国」意識を植え付け、他国、他民族に対して、「優越感」を待たせ、侵略戦争を正当化し、数々の残虐な行為をしても、罪悪感を感じない基礎にしたのだろう。「国民は天皇の赤子」、つまり、天皇の子供。親孝行するのは、当たり前。それが、戦争による悲惨な結果だ。
もともと、「神」の意味が違うのである。何か、願い事をする時の「神様お願いします」という時や、「この世の中、神も仏もない」という時の、「神」とは基本的に意味が違うのである。天皇は「神」であるというのは、前述の、殿様もかなわない、「支配者」という意味である。
森氏の「日本は神の国である」というのは、「日本は天皇の国である」、といっているのと同じこと。
天皇主権か、国民主権か、あいまいな民主主義、その中に生きている日本人。
国民主権といわれながらも、天皇は総理大臣を任命し、法律を公布、国会を召集、衆議院を解散、大臣の認証、条約の認証などをする。もちろん、これは内閣の助言と責任においてなされ、天皇は、それを拒否できないと解釈されている(拒否した事例は確認できないが、天皇が拒否しても効力は発するといわれている)
実質的な権限はなくとも、最後には、天皇の「認証」を必要とするという、実にあいまいな民主主義、国民主権の中に、我々は生きている事になる。
人間は、みな平等といわれるが、一家族の為に、建設省、厚生省などと同じく、「庁(宮内庁)」 まであって、天皇一家5人、7宮家19人のために280億もの税金が使われ(2000年度)、それらを警護する為に、国家公務員としての警護隊が1000人近くもいる。あなたの近所に、交番がいくつありますか? そこに、おまわりさん、何人いますか?そうです。日本は、まだまだ「神の国」なのです。
2001.1.1
(月)