以下の文章は、2000年12月16日に掲載した、「小沢一郎批判」です。主旨が伝わらなくなるので、多くは修正してありません。肩書きなどは当時のものです。


警戒すべき政党、民族主義、国家主義を扇動する自由党

自由党は13日、党大会に代わる両院議員総会を党本部で開き、小沢氏を無投票で再選した。自由党、党首再選とはいっても、実際は「小沢私党」といってもいいだろう。これで、小沢氏は93年に野党が提出した宮沢内閣への不信任案に賛成し、自民党を離党、そして新生党、新進党、自由党と7年が経過したことになる。

彼の持論は自民党への「右」からの批判だ。「新保守主義」というと聞こえはいいが、要するに民族主義、国家主義、全体主義の再構築、再現といってもいいだろう。彼は、それを「健全保守主義」と呼ぶ。それが徐々に支持を集めているというから、今の日本の空気にはどこか怖いものがあるというべきだろう。それは社会の閉塞感、経済状態、政治不信から来る、「強いリーダー」への期待であろう。

「健全」か「不健全」かは有権者の判断するところだが、私は後者の意味に解している。彼の言うことを聞いていると、自民党は案外、「リベラル」 ?かも知れないとつい錯覚に陥ってしまう。

彼の根底に流れているのは、国家によっても、また、多数決によっても侵すことのできない、人間として当然に有する「普遍的な人権」と、個別的で自分本位の「特権」とを意図的に混同して訴え、「私」の制限が、「公」の再構築につながると考えていることだろう。つまり、「個人」より「国家」が優先する社会の実現だ。

例の「神の国発言」の時も、社民党、共産党は、「国民主権」の視点から批判したが、彼は、「恐れ多くも、天皇陛下を政治の場に持ち出すとは何事だ」という視点だ。同じ批判でも方向がまるで違う。

夏の参院選で民主党、社民党がその自由党と選挙協力をするという。連立与党を過半数割れにしたい気持ちは理解できるが、同じ野党といっても言っている方向がまるで正反対。その選挙協力。一有権者として何とも複雑な心境だ。

「自民党は天皇を元首と明記するように憲法を変えようとしない、けしからん」と主張する右翼団体と、正反対の共産党が一緒にデモ行進をして「反自民」を叫んでいるようなもので、どこかのどかともいえるが有権者にとって大変わかりにくい。

民主党、社民党は自由党と選挙協力をして有権者に何を訴えるつもりなのでしょうか。小沢氏が自自公政権で何をしたか考えるべきであろう。ガイドライン、盗聴法、住民基本台帳、日の丸、君が代法、、。選挙後、かつての自自政権のように再度自民党と連立を組む可能性もあるだろう。そうなった場合、民主党、社民党は有権者に責任をとるのでしょうか。


小沢氏は、「従来の自民党的手法」? を批判する。しかし、彼の軌跡を見ると、自民党のキングメーカーとしての田中派(角栄)、創世会(竹下派)と、自民党の本流を歩き、「金」と「数」の政治手法をたっぷりと学び、その手法を発揮して若くして自民党の幹事長にまでなった人物だ。はたして彼に「自民党的手法」? を批判する資格があるのだろうか。


民家の建築と国家建設の意識的な混同、小沢氏の主張はなぜ受けるのか。

彼は、「新しい家を創るには、古い家を壊さないといけない」と主張する。言われてみれば、確かにその通りで、国民は誰もが、それとなく納得してしまう。しかし、民家と国家は違う。国家は少しずつ修正することはできるが、根本から壊して創り直すことはできない。国家建設は子供の砂場遊びとは違う。絵を書き損じたからといって、別の画用紙を持ってきて、書き直すような訳にはいかない。


なぜ、有権者に受けるのか? いっている事が単純だからである。「エーイ、直すのは面倒くさい、ゴチャゴチャいっているより、いっそのこと、創り直そう」というと、妙に説得力がある。国民受けするのは、それだけの理由だ。子供が、積み木がうまくできないのは、自分のやり方が悪いのではなく、積み木の材料に問題がある、木ではなく、プラスチックだからとうまくいかないんだ、と駄々をこねているのとどこか似ている。

しかし、彼がこれまで主張してきた経過を見ると、彼の手法が原因? ともいわれる新進党の解体、自由党の分裂など、挫折がある。それまでの自分のことは棚に上げて、「エーイ、直すのは面倒くさい、一から創り直そう」と、いっているとしか思えない、極めて無責任なもので、社会の閉塞感、政治不信が充満しているとはいえ、ムードでそれに呼応するのは危険と考えるべきだろう。なぜ、自民党以上の右派勢力が徐々に支持を集めているのか、考えるべきだろう。


改憲を叫ぶ事自体が、自己目的化している傾向も多分に見受けられる。改憲を叫ぶ事が、自分の「政治家としての使命」などと、改憲を叫ぶ自分の「勇姿」に酔いしれているといってもいいだろう。改憲を、何か、新しい時代、歴史を切り開く、前進させると錯覚し、どこか、幕末の討幕運動でもしているつもりになっている。まるで幕末の革命家気取りだ。

日の丸を掲げ、軍艦マーチを響かせて、街宣車で勇んでいるお兄さん達とどれほどの違いがあろう。そこに、チャイルドといわれた時代を30年、40年前に過ぎたいい大人が、小沢チルドレンと称して集合し、ハチマキを巻き、こぶしを振り上げて、「国家改造」なるものに気勢をあげている。旧憲法時代への国家改造は、何卒、ご勘弁願いたいものだ。

しかし、自由党だけではないが、政治活動の自由とはいえ、日本ほど、国民に危機意識をあおりたて、扇動し、憲法を敵視する国会議員が多い国、世界のどこにあるでしょうか。


小沢語録の紹介

自自公政権で、ガイドライン法、住民基本台帳法、日の丸、君が代を成立させた時の、彼の発言をいくつか紹介する。

(1)「ガイドライン法は戦争に参加する話だ」         

「今度のガイドラインは、大ざっぱに言うと、まさに戦争に参加する話なんです。そんな大事なことを、まったくいい加減な、嘘をついてごまかそうとしている。そんな政府自民党の姿勢に問題があるんです」と政府、自民党を批判 
                                       「正論」6月号、インタビューで 1999.5.18(火)

(2)「現行憲法は、ばかげてる」                  

「あっちこっちに問題があり過ぎる。現実に対応できない憲法を抱えているのは全くばかげている。自民党も護憲だ。改憲なんかいつの間にか放棄した」                                   1999.6.10(木)

(3)住民基本台帳改正案について       

「政府は安全保障や治安維持には使わないと言う。そこに使わないでなんの為にやるんだ」 経団連での講演にて

つまり、国家による個人の管理、徴兵制、国家総動員法の想定だ。


小沢一郎氏が、自民党を飛び出した本当の理由は何か ?

11月の内閣不信任案をめぐり、加藤氏の方向転換?を批判し、加藤氏には度胸がない、その点、宮沢内閣不信任案の時の小沢氏らの行動には勇気があったと小沢氏を賞賛する声が、一部のマスコミに見られた。私は、そうは思っていない。以下、反論する。(政治改革? の詳細には深く入らない)

よく、小沢氏は自民党にいても「政治改革」?は実現されないと判断し、「政治改革を実現する為に」自民党を飛び出したといわれている。私は、「政治改革」?を求めて自民党を飛び出したのではなく、自民党にいられなくなった、「何らかの事情」があって、自民党を出る口実を「政治改革」にしただけではないのかと以前から考えている。

当時、小沢氏は、若くして自民党の幹事長。後に総理になった宮沢氏が、総裁選立候補の挨拶に行って、年齢は宮沢氏が20歳も上なのか、その宮沢氏がひれ伏すほどの「実力者」。それほどの実力者が、当時、自民党をたばねて、「政治改革」?など、できないはずがない。


小沢氏が、自民党を出ざる得なかった背景 ?

当時、自民党での陰の実力者は副総裁、竹下派の重鎮、金丸信氏。小沢氏の後には、この金丸氏がついていた。いわば、小沢氏の後びょうぶだ。その金丸氏が佐川献金疑惑、10億円脱税容疑で逮捕される。後のびょうぶが倒れ、小沢氏は「実力」を失う。実は、小沢氏に「実力」があったのではなく、実力があったのは、金丸氏の「金」だ。金丸氏の逮捕で怖い者がいなくなった自民党内に、それまでの小沢氏のやり方に不満がくすぶり始める。

竹下派の会長選。小沢氏は、天皇の死亡時、色紙に「年号は平成です」ということしか記憶にない、故小渕氏に会長選で敗れる。あれほどの実力を誇示していた人物が、一派閥の会長選で、負ける。


金丸氏の逮捕をきっかけに、自民党内に、それまでの小沢氏の手法に対する批判が出始め、彼は自民党を出ることを考える。新進党の党首選で、羽田氏が敗れ、新進党を離党、次の党首選では鹿野道彦氏が敗れ、結果として新進党は崩壊。それと同じような空気、不満を、小沢氏は自民党内で感じたのだろう。そして、自民党を出る口実を考える。その口実が「政治改革」? ではなかったのかと私は考えている。そして、その思惑がみごとに当たった。つまり、小沢氏は自民党内の権力闘争に負けたことを意味する。

そこに、かつて、自民党が小選挙区制を提案した時は、「自民党の永久政権をねらうもので、絶対反対」といっていた民社党、公明党、社会党が飛びつき、細川政権を樹立、参院で一度は否決されたにもかかわらず、小選挙区制を成立させる。そして、旧社会党の土井チャンは衆議院議長にまつりあげられる。実質的には細川政権からの排除だ。

それ以後、細川政権の崩壊、社会党の崩壊、新進党の結成、崩壊、民主党の結成、それへの元新進党議員の合流が始まり、現在に至っている。「政治改革」?、その以後の流れは国民不在の、権力争いに過ぎなかったのではないかと考えている。国民はほんろうされたていたに過ぎないのではないか? まさに政治空白、政治不在、国民不在の状態が長く続いていることになる。


どのような社会を創ろうとしているのか、ということで、自由党の主張を考えてみる。

自由党は九条の改定だけでなく、天皇の「象徴」の変更、基本的人権については、「国、地方公共団体と個人の関係を見直す」としている。「象徴」の変更。「元首」か、「国家主席」か、具体的呼称は明らかにしていないが、まさか、今より、下の呼び方を提案する訳はないだろう。

そして、「国、地方公共団体と個人の関係を見直す」とは、わかりやすくいえば、基本的人権より国が優先する社会、「私」より「公」、「公共」が優先する社会の実現だ。現在でも基本的人権の制約はあります。「公共の福祉」という制約であり、決して無制限な「私権」、その行使が認められている訳でない。

自由党の主張は、この意味のあいまいな、「公共」という言葉に、いいいろいろな意味合いを持たせて、基本的人権を制約しようとするものでしかない。

この三点だけ見ても、自由党がめざしている社会が想像できよう。そこに、国際貢献、国際社会という言葉をおりまぜて改憲を主張してるだけだ。自由党だけでなく、改憲を主張する人達に共通するのは、「個人」より、「全体」が優先する社会の実現だ。決して、現在の民主主義をさらに発展させようというものではない。

                                                          2001.3.13 (火)
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