日本史学特殊講義 第8回 12月7日


8.盧溝橋事件の勃発と日中全面戦争へ

年内はこれで終わり。年明けは1月18日から。1月11日は卒論提出日のため休講。

8.1 本日の史料 
戦時下中国の鉄道の地図


8.2 本日の参考文献
田嶋信雄「日独関係・独中関係の展開」、五百旗頭真・北岡伸一『開戦と終戦』(星雲社、1998年)、「総統府機要档案」、『中華民国重要史料初編(二)』、伊藤隆・照沼康孝解説『続・現代史資料4 陸軍 畑俊六日記』(みすず書房、1983年)、毛利英於菟文書(国立国会図書館憲政資料室)、加藤陽子『模索する1930年代 日米関係と陸軍中堅層』(山川出版社、1993年)第5章 、大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書、1996年)、『西安事変史料(下冊)』(党史委員会編刊、1983年)、桑田悦・前原透『日本の戦争 図解とデータ』(原書房、1982年)


8.3 盧溝橋事件前の状況

8.3.1 ドイツ国防軍の中国接近
・1933年5月から7月にかけて ゼークト(ワイマール期 ドイツ陸軍総司令官、独ソ秘密軍事協力関係を形成した総責任者)が、蒋介石の求めに応じて訪中。
・1934年4月から一年間、再度中国を訪問する。1927年から中国で非公式に活動していたドイツ人の集団、この軍事顧問団を再編成する。
・1936年4月、独中借款条約を締結。
・日中戦争の勃発。国民政府軍は、ドイツのプラント工場でつくられた武器を使い、ダイムラー・ベンツのトラックで輸送し、ドイツの軍事顧問団に軍事指導を支援される。軍需物資を香港経由で国民政府側に送る。→松本重治。「日中戦争は、一面、日独戦争である」。
1937年8月16日 ヒトラーは、ブロムベルク国防大臣およびノイラート外務大臣と協議し「基本的には日本との協力関係、つまり防共協定での協力を支持する。しかし、中国向け武器輸出は、中国が外国為替ないし原料で支払い、しかもうまくカモフラージュできる限り継続する」

8.3.2 中国側の戦争準備と、西安事件
・1935年1月26日 軍事委員会
・1936年10月頃 蒋介石と広西派が妥協する
・1936年12月12日、張学良に監禁される
・『西安事変史料』
・極秘「西安事変を契機として支那幣制及北支幣制対策確立に関する意見」(於 天津 毛利生)
 毛利英於菟 大蔵省

8.3.3 林銑十郎内閣と佐藤(尚武)外相
・石原莞爾や宮崎正義
34年の陸軍パンフレット「国防の本義とその強化の提唱」「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」
・1937年1月7日 石原莞爾参謀本部作戦部長代理、3月1日作戦部長
1月25日参謀本部「陸軍省に対し対支政策に関する意志表示」(『現代史資料8 日中戦争(一) 』)
4月16日 四大臣決定「対支実行策」(『現代史資料8  日中戦争(一)』)
・日本側は対ソ戦備充実のための軍財抱合で手一杯。中国とのことを考えず。

8.3.4 上海作戦(中国側は淞滬会戦と呼ぶ) 1937年8月13日から11月9日
・ファルケンハウゼン「南京と上海は死守できる。またそうしなければならない」南京は、ドイツ製の88ミリ対空高射砲とドイツ式の防空体制ひく。
・日本側は海軍特別陸戦隊、総兵力は5000人。中国側は中央軍3万。
・石射猪太郎日記 8月17日
・西村敏雄(参謀本部作戦)の報告「敵の抵抗は全く頑強。敵の第一線兵力は約19万」
・田中新一「支那事変記録」